悪妻っぷり
「おれは、皇太子になんかなりたくなかった。だから、何の努力もせずに無為ですごすことを選び、それを楽しんだ。多くの人に蔑まれ、存在を否定されても受け入れていた。それなのにレナウト師とフレデリクの父親が、おれを皇太子にしてしまったんだ。おれには何の後ろ盾がないことから、あらゆる均衡を保つ為にだ。『神託』、という大義名分をふりかざしてな」
「……」
想像の範疇を超えてしまったわ。
つまり、コツコツ努力して成り上がる系ではなく、神託を振りかざしてうまくおさめる神系ストーリーだったわけね。
「他の皇子たちは、どれも似たり寄ったりだ。結局、だれが皇太子になろうとその後ろ盾が実権を握ることになる。これまでがそうだったように。アルノルドは自分を卑下するように言ったが、彼は実際のところ優秀だ。彼が実権を握れば、これまでチャンスのなかった優秀な人材たちに活躍の場があたえられることになるかもしれない。この皇国は、そろそろ悪しき習慣や腐敗をどうにかした方がいい。ちょうどいいタイミングだった。レナウト師と父は、そうかんがえたわけだ」
第三皇子が補足説明してくれた。
いろんなことを正したりかえようとするのであれば、だとすれ皇太子殿下の前途は多難である。
いまもそうであるように。
「こんなことなら、さっさと皇太子の地位を退いてどこかに行ってのんびり暮らしたいよ」
皇太子殿下は、大きな溜息とともに吐きだした。
「おいおい、アルノルド」
「冗談ですよ」
第三皇子の呆れ声に皇太子殿下はすぐに応じたけれど、先程の吐露は彼の本音だった。
わかるような気がする。だれだって、そんな気持ちになるわよ。
「それで、噂が流れていてどうなったのかしら?わたしとしては、一生懸命悪妻っぷりを発揮したつもりだったんだけど」
皇太子殿下の気持を切り替える為に、おどけたように言ってみた。
すると、それに反応してくれた。
皇太子殿下ではなく、カミラとベルタが、である。
「妃殿下、覚えていらっしゃいますか?妃殿下が皇宮にいらっしゃってしばらく経ってから、皇妃殿下の悩みをおききになり、それを解消すべくヤギのミルクを発酵させたものを準備されましたよね」
「ええ、カミラ。もちろんよ。あの臭くってドロドロしたものを、皇妃殿下に無理矢理にでも食べさせたら嫌われるだろうと思いついたのよ」
「それを皇妃殿下に運んでいるときでした。皇子の一人に仕えている侍女たちが、ワゴンで紅茶を運んでいて、大廊下の角で出会い頭にぶつかりそうになりました」
「ええ、ベルタ。覚えているわ。ワゴンの上に紅茶のポットが幾つものっていたわ。そういえば、あのときあなたが急にわたしの前に飛び出して……。そうだわ。なるほど。あなた、気配を察してわたしがワゴンとぶつからないようにかばってくれたのね」
「わたしたちのほんとうの任務は、あなたを守ることですから。それはともかく、あのときまさかワゴンを避けるわけにはいきませんでした。普通の侍女は、ああいうときぶつかりますので。だから、ぶつかるしかありません。ですから、わざと体ごとぶつかりました。倒れて床に膝をついたわたしに、ワゴンの上のポットが倒れて紅茶が降り注いできました。わたしが胸元に抱えているヤギのミルクの発酵させたものが入ったポットは、床に落ちて中身がこぼれてしまい……」
「そうだったわね」
「そのとき、あなたは叫んだのです。『ベルタ、大丈夫?』まずそう叫んでわたしにおおいかぶさり、さらなる紅茶のポットからわたしをかばってくれました」
「あなたは、すぐにご自身の行動に気がつかれましたよね。それから、『ドジな娘ね』と慌ててそう言いました。『火傷は?熱くなかった?』と、またベルタを気遣う言葉を発して……。さらにあなたは、相手の侍女たちに落ち着くよう声をかけてなだめ、すみやかに床を拭き、紅茶の代わりを準備して持ってゆくよう指示しました。ベルタが持っていたヤギのミルクの発酵させたものを床に落としてしまったことも、『そんなことより、あなたよ。ドジなあなたがケガをしなかったかどうかよ』と言いました。その声も表情も、心から彼女を心配しているものでした」
カミラは、そう一気に言ってから両肩をすくめた。