活動開始
皇宮であてがわれた部屋は、きっと豪勢で広いに違いないわね。
だけど、こんな部屋じたい見るのも入るのも初めてなので、他と比較のしようもない。だから、すごいのかどうかもわからない。
でも、落ち着かない。これまでボロボロの小屋に父と双子の兄たちと寝起きしていた。
だから、まともで大きな部屋は、ただ不安を抱いてしまう。
とりあえずは寝台に座ってみた。
すごい。ふわっふわの感触ね。束ねた藁にシーツを敷いたのとはまったく違う。
体全体が沈んでしまうほどのふわふわ感に驚きを隠せない。
部屋の扉がノックされた。
返事をすると、侍女たちが入って来た。
形ばかりの婚儀の前にドレスを着させてくれ、身づくろいをしてくれたわたし付きの侍女たちである。
当然、ドレスなるものを持っているわけがない。今回のこの胡散臭い話を断る口実に、何も持っていないということも伝えてあった。
「身一つでいい」
そういう回答だった。そして、ほんとうに身一つでよかった。
皇宮にやって来たとき、すでにドレスや靴、装飾品が準備されていた。
不可思議なことに、ドレスと靴のサイズはピッタリだった。
「すぐにお休みいただけるようにいたします。お疲れのことでしょう?ゆっくりお休みください」
「ええ、大丈夫です。自分でてきとうにやります」
わたし付きの侍女二人は、カミラ・カルドラとベルタ・カルドラという双子の姉妹である。同年齢、同郷ということで、出会って自己紹介しあった瞬間から意気投合した。
二人は、もともと皇宮内の違う場所で侍女をしていたらしいけど、わたし付きにと配置転換されたのである。
「そういうわけには参りません。まずは、ドレスを脱ぎましょう」
双子は、てきぱきとドレスを脱がせてくれ、化粧を落としてくれ、お風呂に入るのを手伝ってくれた。
「今夜のことは、明日またきかせて下さい」
「え、ええ」
うーん。彼女たちが期待しているような話は何もないんだけど。
お風呂に入ってから、ふっかふかの寝台に横になった。
眠り薬でも盛られているんじゃないの?とうくらい、即行で眠りに落ちてしまった。
田舎では、小鳥たちはほんとうに早くからおしゃべりをはじめる。毎日、そのおしゃべりの声で目を覚ましていた。
皇宮内の森から離れた宮殿の一室では、小鳥たちの声はきこえない。庭園に飛んではくるけれど、その声や羽音も窓を閉めきっていてはきこえない。
ここに来て数日が経つけれども、早くも自然が恋しくなりつつある。
最初こそ、洗練されて便利な都会に酔いしれ、広くて機能的な皇宮内を物珍しく探検したりした。
だけど、やはり自然がいい。
わたしは、根っからの田舎者なのね。
心から実感している。
とはいえ、雇われの身。命じられた仕事をこなさないことには、ここから出してもらえない。それよりも報酬ももらえない。田舎の家族はあいかわらず食うや食わずやの生活だけど、嫁いだわたしからの何かを期待したり頼ったりは、よほどのことがないかぎりないでしょう。
だけど、田舎者でがさつなわたしが、何かしでかしてとんでもない事態になっているのではないかと、心配しているかもしれない。
今朝も部屋で朝食をとった後、宮殿内をウロウロしてみることにした。
少しでも多くの人に、わたしの悪女っぷりを見せつけるのである。
カミラとベルタの双子の侍女には、人前ではきつくあたるからよろしく、と伝えてある。
うまくいっているかどうかはわからないけど、とりあえずは実践している。
そもそも、悪女ってなんなの?何を基準にすればいいの?
お兄様たちと馬車で山を三つ越えた街にある図書館で借りる小説には、嫌な王女様やご令嬢が描かれていることがある。
とりあえずは、それを真似ているつもり。だけど、それが合っているかどうかはわからない。
「あら、皇太子妃様」
まずは、皇宮の東屋に行く。そこでは、たいていだれかがお茶を愉しんでいる。
朝のお茶とかお昼のお茶とか……。夕方には夕食前のお酒だし、夜には食後のお酒。
上流階級って、何かにつけてだれかとお喋りがしたいのね。っていうか、噂話や悪口を言いたいのね。
だけど、いまのわたしにはそれはチャンスである。
「皆様、おはようございます」
今朝は、皇妃と皇帝陛下の側妃たちがお茶を飲んでいる。
なるべく態度がデカく見えるよう、がんばってみた。
「皇妃殿下にご挨拶申し上げます」
ドレスの裾を上げ、皇妃にあらためて挨拶をする。
わざと順番を逆にしている。こうすることで、皇妃はバカにされていると思うに違いないから。
「メグ。今朝は、あなたに会ってお礼を言いたかったの」
皇妃は、開口一番そう言った。
「あなたのあのドロドロしたの。あれのお蔭で出たわ」
彼女は、向こうに立っている侍女や執事たちをチラリと見てからささやいた。
側妃たちは、何のことだろうと彼女とわたしを交互に見ている。
「それはようございました。あんなもの、下級階層の食すものですから」
意地悪っぽく見えるよう、ふんぞり返って笑ってみた。
「最近、出なくって。この前、メグに指摘されたの。出ないんじゃないかって。そうだと答えたら、これを食べればいいとミルクが腐ったようなどろどろしたものを食べさせられたわけ」
皇妃は、だれも何も尋ねていないのに勝手に語りはじめた。
「するとどうでしょう。すぐに出たの。驚いたわ」
「まあっ」
「なんてことかしら」
「すごいですわね」
側妃たちは、おたがいの顔を見合わせた。
「みなさんもアレが出ていませんよね。見ればわかります。しかも、ずいぶんと長い間出ていないので悩んでいますよね?」
彼女たちをざっと見まわした。
「そうなのよ」
「ほんと、悩みの種なの」
「皇妃様がうらやましいわ」
彼女たちは、大きな溜息をついている。
これは好都合。
またミルクを腐らせたものを送りつけてやろう。嫌がらせになる。
「わかりました。では、皆様にも下層階級の食べ物をお届けします。せいぜい下賤の食べ物を楽しんでみてください」
不敵な笑みとともに予告してから、礼もとらないでその場を去った。
さて、おつぎはどこへ行こうかしら。
皇宮で働いている人たちはほんとうに大変よね。
あるきまわっていてつくづく感じるわ。
「こんな高い窓があるのね。もしかして、こんな高いガラスを拭いたりするわけ?」
メイン廊下の庭園側には天井まで続く窓がある。侍女数名が窓拭きをしているけど、梯子を前に困った顔をしている。
「皇太子妃様。窓の高い方はときどきしかしません。ですが、これだけ高いと……」
「まったくもう。もたもたしていると日が暮れてしまうわ。高いところはわたしがするから、あなたたちは下の方を拭いてちょうだい。ほら、グズグズしていると侍女長に叱られちゃう」
出来るだけ高飛車になるよう言いつけると、すぐ側にいる侍女から雑巾をひったくって梯子をのぼってゆく。
彼女たちの驚きの声が下からきこえてくるけど、かまうものですか。
高い梯子のてっぺんに達すると、この宮殿の内部が見渡せる。窓の外を見ると、皇宮内の森が広がっている。
さすがは皇宮ね。ムダに広いわ。
掃除するだけで大変。田舎のわが家なんて、チャチャチャッで終わってしまう。
森に遊びに行こう。森の空気を吸いたいわ。
それにしても、梯子の上段からだと壮大な景色を楽しめる。これは、なかなか癖になりそう。
梯子を下りて次の窓へと移動する。それを繰り返して窓拭きを終えた。
侍女たちがお礼を言っていたようだけど、ムシしてやった。傲慢に見えたはずよね?