とにかく腹ごしらえ
ナルディ公爵家の使用人たちは、よくできた人たちみたい。
彼らは、通常の夕食をすぎた時間になっても戻ってこないわたしたちを辛抱強く待っていてくれた。
ぜったいにだれか様子を見に来たはずである。それ以前に、護衛の兵士たちも少し離れた場所からわたしたちの様子をじっと見守っているはず。
そんな彼らの目に、わたしたちの一連のやりとりがどう映っていただろう。
まぁ問うまでもないわね。
奇行か、あるいは滑稽なお芝居にしか見えなかったはずだから。
だけど、だれも何も言ってこない。気が利く人たちでもあるわね。
ナルディ公爵家の料理人たちは、この地方のこの時期に収穫出来る旬の食材を中心とした料理を作ってくれる。肥沃な土地で穫れるのは、野菜や果物が多い。だから、ヘルシーな料理がばかりである。しかも麦類はこの国の七割の収穫量を誇るだけあり、パンの種類がたくさんある。それから、麦酒の種類も。
黒麦酒で乾杯した後、今夜もヘルシーな献立を堪能した。
皇太子殿下もわたしも最初に「乾杯」と同時につぶやいたのを最後に、一言も口をきかないまま脇目もふらず一心不乱に食べた。
そしてやっと視線を合わせ、食べる以外で口を開いたのは食後のスイーツを食べているときだった。
「ああ、うまかった」
「ええ、ほんとうにおいしかったですわ」
二人とも心の底から発した本音である。
思わず、顔を見合わせて笑った。
「以前、きみが言った通りだな。運動も必要だ、と。とくに今日は、かなりハードな運動をこなしたから、よりいっそう食事が美味しく感じられたよ」
かなりハードな運動をこなした?
なるほど。わたしをお姫様抱っこしてふらつきながら百歩ほど歩いたのが、かなりハードな運動になるわけね。
微妙すぎるわ。
「う……ん」
テーブル上のお皿は、二人とも空になっている。
リンゴのワイン煮のバニラアイス添えは、最高に美味しかった。欲を言えば、もう一人前欲しい。
テーブルの向こう側で、皇太子殿下が片腕ずつ伸ばしたり曲げたりしている。
「どうかされましたか?」
「この分では、明日筋肉痛になりそうだ」
それはそうでしょうね。ふだん使わない筋肉を散々使ったんですもの。
「それでしたら殿下、ゆっくりお風呂に入って揉んだ方がいいかもしれませんね。よろしければ、入浴後にわたしが揉みましょうか?実家にいた頃は、農作業後に父や兄の腕や脚や腰をよく揉んでいたんです」
「おおっ、それは気持ちよさそうだ。お願いしよう。では、さっそく」
皇太子殿下は、食堂の扉脇に控えているナルディ公爵家の使用人に視線を向けた。
万事心得ている彼女は、深々と頭を下げて出て行った。
すぐにお風呂の準備が整うわよね。
彼の筋肉痛の元凶のわたしとしては、せめてマッサージくらいはしてあげなくては。
「いい湯だった。バラの花びらの香りは最高だな」
寝室で待っていると、バスローブ姿の皇太子殿下が浴室から出て来た。
急いでバラ園へ行き、レナウト師に頼んでバラの花びらを分けてもらった。
浴槽にぬるめの湯をはってあったので、それを浮かべたのである。
バラの花びらは、身も心も癒してくれる。リラックス出来るのである。
少なくとも、小説の中でヒロインがそう言っていた。彼女は、婚約を破棄される前の婚約者の屋敷に行き、そこで自分の婚約者が見知らぬご令嬢とバラ風呂に入っているのを目の当たりにする。
そのとき、彼女がショックを受けているわりには冷静にバラ風呂の効能について語っていた。
読み手としては、シュールすぎて苦笑するしかなかったのであるが。
とにかく、バラの花びらは癒してくれる。だから、実践してみたのである。