お姫様抱っこ
「いくらなんでも、このバラ園から屋敷までお姫様抱っこされるとは……。そんなことは、神でさえ成し遂げられませんぞ」
ちょっと待って……。
神でさえ、わたしをお姫様抱っこ出来ないってどういうこと?
神ってどれだけ軟弱なわけ?神だったら、わたしを宙に浮かせることくらいちょちょいのちょいじゃないの?
そりゃあ子どもみたいに小さくて軽いというわけじゃないわ。だけど粗食に耐えてきたこの体は、神が抱っこ出来ないほどブヨブヨってわけでもない。
「うっ……」
レナウトと視線が合った瞬間、彼がよろめいた。
「妃殿下、どうかお許しを。悪意はございません。ただ、バラ園から屋敷まで距離がかなりあると申し上げたかったのです」
やだ……。
わたしったら、無意識の内にレナウトを睨みつけていたのかしら?それとも、小説に出てくる殺し屋みたいに殺気を放っていたとか?
「まぁ殿下の妃殿下への想いと情熱さえあれば、神さえ成し遂げぬお姫様抱っこも成し遂げられるやもしれません」
「そうでしょうとも」
レナウトは、わたしに怖れをなしたのか急に意見をかえた。しかも、いいかげんなことを言いだした。
それに対し、皇太子殿下はすっかりその気になっている。
皇太子殿下といえど、神や神の関係者の言うことは絶対と思っているんでしょう。
「さあ、メグ」
彼は腰を落とし、掌を上に両腕を少し曲げてお姫様抱っこをする準備を整えた。
「殿下、わたしとしても殿下のそのお気持ちだけで充分です。バラ園に来たときと同じように、手をとって……」
「ダメだ。約束を違えたくはない。ほら、はやく」
念のため、最後の説得を試みてみた。が、彼は頑固である。意地になっている。
「わかりました。では、お願いします」
もうどうにでもなれ。
どうなっても知らないから。
彼に近づいた。それから、背中から差し出されている彼の両腕に恐る恐る全身を預けた。
「ううっ……、ゴホンッ!」
何?いま、彼の口からうめき声がもれなかった?それを咳払いでごまかさなかった?
全身が重力にひきつけられたのは一瞬だった。彼は、すぐに姿勢を正して見事に抱っこしてのけた。
彼の右肩あたりからわずかにその顔を見上げると、彼はその視線を感じたのか視線を落としてきた。
目と目が合うと、彼はけっして頼もしいとは言えない、むしろ気弱そうな笑みを浮かべた。
「さあ、行くぞ」
彼は気合いを入れ、一歩一歩進んで行く。二、三歩進んだところで悟った。
これは絶対に無理。彼は、神ではなく人間。当然、人間が神を超えることは出来ない。
そもそも、神だって無理らしいし。
「殿下、神は殿下に茨の道を準備されました。それを乗り越えてこそ、将来この国を統べる皇帝となれるのです。神の祝福あれ」
レナウトの激励が飛んできた。
いまの激励は、いろいろと問い質したくなる内容だった。だけど、いまはやめておきましょう。
バラ園を出てからどの位経っただろう。
だんだんお腹がすいてきた。お腹の虫たちが、抗議の声をあげはじめている。
「きゅ、休憩」
かろうじてバラ園は見えなくなった。何度目かのブレイクタイム。
皇太子殿下はわたしが地に足をつけた瞬間、両腕を伸ばしたり曲げたりした。それから、ぐるぐるとまわした。
彼の表情は、かなり険しくなっている。
最初の休憩は、バラ園を出るまでだった。っていうか、レナウトの姿が見えず、彼の思いっきり他人事の応援がきこえなくなってからすぐだった。バラ園を出るまでに二度、出てから三度目までは数えていた。だけど、四、五歩も歩けばすぐに休憩である。いちいち数えるのが面倒になった。
いまでは、ニ、三歩で休憩。これももうじき一歩になる。ついには持ち上げるだけになるでしょう。
そして、最後には持ち上げることも出来なくなるに違いない。