ほんとうの意味での婚儀
「妃殿下、ありがとうございます」
そして、レナウトはうれしそうに笑った。
「ああ、そうだ。レナウト師、じつはいまから二人で婚儀をとり行うのです。と言っても、簡単にですけど。事情があって、おれたちは今日、これから本当の意味で夫婦になります。どうか立会人になっていただけないでしょうか」
皇太子殿下の願いをききながら、皇宮でのおざなりの婚儀に聖職者が招かれていなかったことを思い出した。
「事情はよくわかりませんが、わたしでよろしければよろこんで。ただ、わたしはこのように泥だらけですが」
レナウトは、自分の服を見下ろし苦笑した。
「土は大好きです。生き物を育む大切なものですから」
その彼が可愛くってつい口をはさんでしまった。
だったら、というわけで、彼は東屋に案内してくれた。
木製のデッキ仕様の東屋もまた、バラが這っていたり巻きついたりしている。
彼は、手を洗いに行って戻って来た。それから、さっそく神の祝福をあたえてくれた。
ほんとうに簡単だけど、さすがは皇宮付きの司祭ね。
祝福をあたえられている感が半端じゃないわ。
わたし自身、そこまで神に頼ったりすがったりしているわけではない。神にお願いをするのは、数日間草の根一本見つからず、餓死しそうなときだけである。
もっとも、お願いするだけじゃない。散々悪口や恨み言を言ってもしまうけど。
だけど、いまは神のパワーみたいなものを感じる。
わたしってば単純だから、元司祭が「神の祝福を」と言ってくれただけで、神がすべての災難から護り、毎日何かしら食べ物を恵んでくれそうな気になってしまう。
「では、お二人とも誓いの口づけを」
敬虔な気持ちに浸っているわたしの耳に、レナウトのそんな言葉が飛び込んできた。
誓いの口づけ……。
そうだった。すっかり失念していた。
それこそが、式のメインと言っても過言ではないわよね。
それにしても、そもそも口づけって何?神や結婚する相手に対する誓いなのかしら?どうして口づけなの?
そんな素朴な疑問は、この際おいておきましょう。
さしあたって、いま、ここで問題にしたところでどうしようもないのだから。
「あー、メグ、ほら、おれたちは夫婦だし、口づけをしても問題ないと思うのだが。もちろん、きみの気持を尊重するよ。もしもきみが嫌なら……」
二人でレナウトの前に並んで立って彼の厳かな言葉をきいていたけど、皇太子殿下は体ごとわたしの方に向いている。
彼は、わたしを気遣ってかそう提案してくれた。だけど、彼の美形には口づけする気満々の色が濃く出ている。
それにしても、遠乗りから戻ってきてすぐに第三皇子を加えてラウラを弾劾し、そのままここにやって来た。だから、二人とも乗馬服姿である。
フツーなら、白いドレスにベール姿で、花婿がベールをめくって口づけするものよね。
すくなくとも、小説の婚儀のシーンではそうだった。
いけないわね。そんなふうに、他に気をそらしている場合じゃないわ。
「望むところです」
彼としっかり視線を合わせ、先程の彼の問いに応じた。
「望むところ?」
レナウトがつぶやいた。
しまったわ。いまのだと、口づけを待ちに待っていたみたいじゃない。あるいは、勝負をけしかけられて受けた、みたいな感じよね。
「あ、いえ、大丈夫。どんと来い、です」
すぐに言い直したけど、なにかいまのも違っていた気がする。
レナウトがプッとふいた。
「そ、そうかい?じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて」
皇太子殿下の美形が一瞬にして真っ赤になった。彼ってば、血圧がいっきに上昇したんじゃないかしら。
同時に、彼がわたしの両肩に手を置いて自分の方に向かせた。
彼が一歩踏みだしてきたから、距離がかなり近くなった。と思う間もなく、彼がわずかに上半身をかがめて顔を近づけてきた。
睫毛がなんて長いんでしょう。それから、なんてきれいな青い瞳なの。
いくらなんでも、こんなに間近で彼を見たことがなかった。だから、じっと見つめてしまう。
青い瞳に吸い込まれてしまいそう。
彼のその瞳に映る自分の姿は、ただただ滑稽でしかない。
わたしの黒い瞳に、彼の美形が映っているだろうか。
彼は、その自分の姿をどう捉えているだろうか。
そこまでかんがえた瞬間、彼の動きがぴたりと止まった。