バラ園の管理者ブルーノ・レナウト師
「すごいだろう?庭もさることながら、ナルディ公爵家のバラ園は皇都にあるバラ園よりもすごいんだ」
そう自慢げに語る皇太子殿下の美形は、キラキラ輝いている。
「ここに来る楽しみの一つがこれさ。さあ、行こう」
「ええ、殿下」
立派なバラのアーチをくぐり、皇太子殿下の案内でバラ園を巡ってみた。
「皇太子殿下」
赤いバラの花壇と青いバラの花壇の間に、麦わら帽子がぴょこんと現れた。
「こんにちは、レナウト師。お元気そうですね」
驚いてしまった。皇太子殿下の態度があらたまったからである。
彼に手を握られ、麦わら帽の人物の前へと導かれた。
つなぎの青色のズボンに白いシャツ姿。だけど、どちらも土でドロドロに汚れている。
年齢は五十代かしら?老人というにはまだちょっと早い年齢に見える。
陽に焼けた小顔は温和でやさしい。いまも満面の笑みが浮かんでいる。
近づくにつれ、シャツの袖をおっているむきだしの腕が傷だらけであることに気がついた。
「殿下、あなたも元気そうだ。いらっしゃっているのなら、わたしの方から挨拶に……」
「レナウト師、どうかお気遣いなく。それよりも、こちらは妻のメグです」
ええっ、妻?
ああ、そうだった。わたしってば、皇太子殿下の妻だったんだ。
まーったく自覚も実感もないから、そんなふうに紹介されてびっくりしてしまった。
「メグ。彼は、ブルーノ・レナウト師。以前、皇宮で司祭を務めてもらっていたんだ。現在は、ナルディ公爵家の庭園やバラ園の管理をしている」
泥だらけなのと、それからむきだしの腕が傷だらけの理由がわかったわ。
皇太子殿下の態度があらたまったのも。
「殿下、妃殿下。これはこれはおめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。それにしても、美しい妃殿下だ」
彼は、花壇から出て来た。そして、わたしの前まで来るとわずかに前傾して手を差し伸べてきた。
その手も傷だらけで、マメもたくさん出来ている。
田舎の司祭も、町や村の人たちといっしょに農作物を育てたり家畜の面倒をみたり、土木作業や建築作業をしたりしている。だから、「え?ほんとうに司祭?」って疑いたくなるほどたくましい。
彼もそんな感じなのかしら?
でも、皇宮付きの司祭となったら、田舎の司祭と違って裕福に暮らせるんじゃないかしら。
ああ、そうよね。以前はってことだから、いまはこうして花や木々と戯れているわけよね。
ふふふっ。それにしても、レナウトったらさすが皇都にいただけあっておべんちゃらが上手だわ。
「そうでしょう?フレデリクが見つけ出してくれたのですよ。彼から彼女の話をきいた瞬間、『ビビビッ』と頭の先から爪先にかけて電気が走ったのです。彼女だ。わたしの探し求めている女性は彼女だって確信しました。だから、すぐに皇都に呼びよせたのです」
なんですって?頭の先から爪先にかけて電気が走ったって……。
皇太子殿下、それってば感電したのではないかしら?
田舎でも、誤って電気魚とか電気ネズミとかに触れてしまったり、それらのすぐ近くに接近したりしたら、「ビビビッ」ってきてしまったものよ。
それってば、大人だったらいいけど乳幼児だったら命が危ないことがある。
あとは雷、よね。まぁ、雷なら感電とか「ビビビッ」っていうよりも、「ドカーン」で終わっちゃうけど。
「はじめまして。メグ・オベリ、いえ、メグ・ランディです。お会い出来て光栄です」
思わず旧姓を名乗りそうになって、慌ててしまった。
やはりまだまだ慣れないわ。っていうか、まだスタートラインに立っている気もしない。
「素晴らしいバラですね。バラのことはよくわかりませんが、見た目の美しさはもちろんのこと、こちらのバラからやさしさとあたたかみが感じられます。たっぷりの愛情が注ぎ込まれている証拠ですわね」
おべんちゃらでも何でもない。ほんとうにそう思っている。
植物だって人間や動物と同じである。育てる人の愛を感じ、一生懸命さが伝わる。
色とりどりのバラから、レナウトの愛情を一心に受けていることをひしひしと感じられる。
バラを見渡し、視線を彼に戻した。
彼の顔に意外な物でも見るような何かが浮かび、すぐに消えた。