しあわせの終身雇用
き、気まずい。
第三皇子が去ってから、二人で元の場所に腰をおろした。
視線を合わせるのも気まずいし、かといってどこかよそに向けるのも白々しい。それをいうなら、だまっているのも気まずいし、何か当たり障りのないことを話題にするのも不自然な気がする。
ど、どうしよう。
「すまなかった。何度謝罪しても、きみは許してはくれないだろうな」
めずらしく気弱になっていると、皇太子殿下がまた謝罪してきた。
「先程は、彼の手前ちゃんと告げなかったんだが……」
向かい側で、皇太子殿下はわたしをまっすぐ見据えている。
ほんと、カッコいわよね。
小説に出てくる皇子様だって、こんな美形は表現しきれないわ。
「一目惚れだったんだ」
「はい?」
彼のその一言の意味がわからなかった。いいえ。言葉自体の意味はわかる。そうじゃなくって、いまここでこのタイミングでわたしにその一言を発した意味がわからなかった。
「フレデリクからきみのことをきいた瞬間、なぜかきみのことが気になって仕方がなかった。会ったこともないのに、だ。彼からきみの様子をきくにつれ、きみこそがおれの探し求めている女性だと確信した」
「ちょっ……」
口を開きかけたけど、手をあげて止められてしまった。
「ラウラをきっかけにして、おれを狙う連中をあぶりだす為にきみを呼びよせ利用する、とフレデリクには言った。だが、ほんとうは違う。連中をあぶりだすのなら、きみでなくってもいくらでも手段はあるからね。連中をあぶりだすことを言い訳に、きみを呼び寄せたかった。そして、きみはそれに応じてくれた。内心、うれしくて仕方がなかった。会うのが楽しみでならなかった。そして、きみと婚儀のパーティーで初めて会った。一目惚れだった。理性や冷静さがぶっとんでしまったほど、きみにまいってしまったよ」
衝撃的すぎる。衝撃的すぎて、思考が追いつきそうにない。
彼は、ほんの一瞬だけ視線をそらせてからまたそれを合わせてきた。
「覚えてるかい?きみは、あのパーティーでじつに如才なくやっていた。田舎でその日の生活もままならないほど生活が困窮しているときいていたのに、きみはまるで貴族社会で生きているかのように周囲にとけこんでいた」
当然よ。どれだけ恋愛物の小説を読んだことか。
わたしの作法は、実生活のものじゃない。すべて架空のお話の受け売りなの。
「貴族子息たちが、きみに挨拶をした。きみは、最高の笑顔で答えていた。おれは、それが気に入らなかった。きみの素晴らしい笑顔は、おれにだけに向けてほしかった。ほかの男どもに拝ませたくなかった」
なんですって?
恋愛物の小説では、ヒロインや悪女たちはあんなふうに振る舞っていた。
それがダメだったわけ?
っていうか、皇都に出てくる前にお父様やお兄様たちの前で笑顔をふりまく練習を何度も重ねた。だけど、三人ともその都度「まるでヒロインをいじめる悪女か、殺そうとしている魔女にしか見えない」、なんて言ってバカにしたり笑ったりしていた。
もしかして、都会の男性たちの間では「悪い女」が流行っているのかしら。
「あのときまで、おれは自分自身が嫉妬深いだなどとは気がつきもしなかった。嫉妬のあまり、きみに意地悪をしたくなった。だから雇用結婚だなんてバカなことを思いつき、きみに突き付けた。周囲から嫌われでもすれば、きみはおれを頼ってくるかもしれない。そのときに、きみを守っていいところを見せよう。そんな子どもみたいなかんがえを思いついたんだ」
彼はいっきに告げてから、溜息をついた。
「まったく逆の結果になってしまったけどね。きみは、何をやらせても素晴らしいというわけだ」
な、なんなの?
正直、信じられないんですけど。
わたしってば、ただの田舎者なのに。
「ほんとうにすまなかった」
彼は、頭を下げた。
「ここしばらくきみと行動を共にし、自分が最低な男だったということを痛感したよ。同時に、自分の中できみの存在がさらに大きくなっている。謝罪をするだけで許されるとは思ってはいない。だからこの先、どれだけ時間がかかろうとも償いをするつもりだ。もちろん、あらためてきみの父上や兄上たちに挨拶に行き、きみとの結婚を認めてもらうつもりにしている。だから、おれにチャンスをくれないだろうか。夫となるチャンスを、あたえてくれないだろうか」
どうやら、嘘ではないみたい。もちろん、罠でもないわよね。
「きみの父上と兄上たちには皇都に移ってもらい、要職に就いてもらうつもりだ。きみの父上や兄上たちが、もしも故国モンターレ王国に戻って国王や王子としての地位を奪還されたければ全力で協力する。もっとも、きみは故国に戻ってもらっては困るが」
要職に就いたり国王の座を奪還したり、なんて大それたことはともかく、すくなくとも日々の生活は保障される。
その日の糧を心配せずにすむ。
わたしが「イエス」と言えば、お父様もお兄様たちもこれからわずかでも生活がラクになる。
どうせ結婚している、という事実にかわりはない。
なにより、ここ最近の皇太子殿下との付き合いで、わたしも彼に興味を抱き、気になっていることは否めない。
もう少し、彼に付き合ってみてもいいかしら。
人生は長い。もしもダメなときは、すっぱり諦めて違う道を歩めばいい。
それだけの時間と心の余裕はあるはずだから。
もっとも、わたしの方が彼に愛想をつかされるかもしれないし。
そもそも、どうするか迷う必要なんてある?
ついいましがた、結婚しているんだからと結論をだしたわよね。
ってグズグズしている内に、いつの間にか彼が立ち上がってこちら側に来て隣に座っていた。
「気がおさまらないのなら、おさまるよう何でもするよ。たとえば、土下座とか……」
彼が手を握ってきた。
そういえば、視察中にずっと同じ部屋で寝泊まりしていたにもかかわらず、彼は一度も手をだしてこなかった。
それは、わたしに興味がないからだとばかり思いこんでいた。
それ以前に、各領地における不正やごまかしを暴くのに必死だったこともあるけれど。
「我慢していたんだ。せめてジェントルマンであれ、とね」
彼は、こちらの心を読んだかのようにささやいてきた。わずかに声がかすれているように感じるのは気のせいね。
「さきほどの『何でもするよ』、という言葉に嘘偽りはありませんか?」
「あ、ああ、ああ、もちろんだとも。でっ、何をすればいい?」
「その前に、わたしたちの関係は雇用主と雇用者であって、わたしは終生あなたに雇われ続けるというわけですね。では、お給金は実家に送らせていただいても?家族は、いまさら皇都で暮らしたり都仕えしたり、なんてことに興味はありません。田舎でまったり暮らすのが性にあっています。ましてや国王や王子の座、なんてことも。ですが、気にかけていただいていますことは父や兄たちにかわってお礼申し上げます」
彼は、一つうなずいた。その青色の瞳にはっきりとわたしが映っている。
「それでは、あらためましてよろしくお願いします。雇われた以上、お給金以上の働きをするつもりです。悪妻でも良妻でも、演じてみせますわ」
「メグ……」
「わたし、じつは子どもの頃から伴侶にやってもらいたいと思っていることがあるのです」
彼に満面の笑顔で望みを打ち明けた。
「お姫様抱っこ、なのです。素敵な婚儀の後、お姫様抱っこをしてもらって寝室に連れて行ってもらうのです」
そう。子どもの頃に読んだ挿絵入りの児童小説のワンシーンである。あの挿絵が素敵すぎて、いまだに憧れているのである。
「そうだったな。婚儀の後、おれは嫉妬してしまってその腹いせに皇宮の階段の踊り場で、きみに雇用関係のことを告げたんだった。『愛などない』などと、よく言えたものだ」
皇太子殿下は、自虐めいた笑みを浮かべた。
「ここには、素晴らしいバラ園がある。どうだい?二人っきりで婚儀のやり直しをしよう。それから、きみをお姫様抱っこして寝室まで運ぶよ」
「ですが、バラ園から寝室までって遠いのではないですか?」
わたしをお姫様抱っこし、遠距離を移動出来るのかしら?
「まあ、死ぬ気でがんばれば……」
彼は、わたしを上から下まで見てからつぶやいた。
「し、失礼な」
「冗談だ。おれも一応鍛えている。きみくらい、屁でもないよ。じゃあ、さっそく行こう」
微妙だわ。鍛えてなきゃ無理だったわけね。
心の中で溜息をつきそうになった瞬間、彼が顔を寄せて来た。
あっという間だった。
軽く口づけをされた。
「お姫様抱っこという苦行のゴールは寝室だ。ということは、初夜というご褒美が待っているわけだな」
彼に手を取られ、立ち上がった。
バラ園へ意気揚々と歩きはじめた彼の横顔は、とっても美しくってやさしい。
「そんな元気があれば、ですけど」
「えっ、なんだって?」
「なんでもありません」
バラ園はかなり遠い。そして、わたしは見た目よりかなり重い。
彼は、ぜったいに途中でばてる。
初夜はお預けかしらね。それに、初夜というにはまだ時間がはやすぎるし。
今日がダメでも、これからいくらでも機会はあるんだし。
まぁ、せいぜいがんばってもらいましょう。