クリスマス特別SS カサンドラ <2/2> 現代パロディ版
食事を終え、カサンドラはアーサーに連れられるまま更に上層へ向かっていた。
カサンドラも旅行に行くときはスイートルームに泊まるのが常だが、この系列のホテルの最上階は初めてかもしれない。
恐らくただお金を出すだけでは使用することができない区域なのだろうと推測できる、特別感がそこかしこに漂っている。
ある一室の前で立ち止まったアーサーは鍵を開け、中に入った。
廊下で鳴っていた靴音が、室内に入った途端絨毯に吸い込まれるように聞こえなくなる。
クリスマスにスイートルームで二人きり――という状況なのは理解しているつもりで、そして一緒に入る以上は何があっても自己責任と言われてもしょうがない。
固めた決意が少しばかり根底から揺れていたが、ここで逃げ出すと言う選択肢はないだろう。
それに彼の言う結婚の条件も気になってしょうがない。
カサンドラは僅かに逡巡したが、そんなこちらの表情を目の当たりにしてアーサーが困ったように笑った。
「別に変な事はしないよ、気を楽にして欲しい。
どうしても二人で話がしたかった。
二人きりになれるからと言って、まさかカラオケボックスに連れて行くわけにはいかないだろう?
君に相応しい場所を用意しただけだからね」
確かに普通の高校生で完全に二人きりという状況を作るなら、自宅の自分の部屋が最も手頃だろうか。
しかしそれだって先方の家族の用事次第だし。
若しくは大音量で話しても全く誰にも迷惑をかけないカラオケボックスが学生なら選びやすいか。
一般常識の単語として知っているだけで使用したことはなく、そこに連れて行かれても困ってしまうのは火を見るより明らかだ。
カサンドラが意を決して部屋の中に入ると、正面の窓ガラスの向こうで煌めく光が飛び込んでくる。寒くて澄んだ冴え冴えとした空気に映える夜景が広がっていた。
思った以上に広い部屋で、調度品や内装もかなり高品質なものだとカサンドラにも分かる。
そのホテルの中で最上級という意味を冠し、ホテル自身の『グレード』を決定づけるスイートルーム。
欧風の部屋に踏み入ると、カサンドラはまるで夢の世界にでも入ってしまったようだ、と感じていた。
すすめられるまま、ソファに腰を下ろす。
ホワイトを基調としたもので、脚や縁は煌びやかにならない程度の金で装飾されている。
色使いや家具のフォルムは上品な仕上がりだ。
高級感溢れつつも、手造りの温かみを感じ少し心が落ち着いた。
クラック塗装を施したソファの肘掛を支える支柱は前脚よりも背の方に下がっている。どこか女性的で色彩や形が柔らかい印象だ、丸みを帯びた優美な曲線使いが美しい様式の家具一式。
ソファの装飾部分はフラワーモチーフとなっており、御伽噺に出てくる貴族の女性が集うサロンにピッタリなのでは? と思える愛らしいデザインだ。
白をメインに造られたクラシック家具は、少女趣味や姫系と言われてしまう先入観が強いのではないだろうか。
しかしこの全面欧風の部屋にはとても良く合う。
フレームをクラック塗装仕上げにすることで落ち着いた雰囲気が出ているのだろう。
全体の調和って大事だな、と普段自分が訪れるホテルなどの内装を想起していたが――いや、ソファがどれだけいいものかなんてこの際どうでもいい。
そんなどうでもいいことで気を紛らわせている自分に気づき、彼に悟られないよう静かに深呼吸だ。
ソファの端に腰を下ろすと、彼も少しだけ間を空けて隣に座る。
少し視線を横にすれば視界の隅に映るキングサイズのベッド。なるべくそちらを見なくてもいいように、身体の向きをアーサーの方へ傾けた。
カサンドラは完全ストレートの金髪だが、アーサーも同じ金の髪なのに柔らかそうな髪質である。
癖っ毛とまではいかないが、毎朝同じように整えるのは案外難儀しそうな髪だとも思った。
「それで、あの……結婚の条件とは、どのような」
「うん、勿論それについては君に説明をする。
その前に、君に伝えていなかった私の進学先のことを話すね」
「進学先?」
カサンドラはきょとんとした顔で彼の顔を見た。
彼ならどの大学だって余裕で合格できるだろうと思っているし、国公立だろうが私大だろうが勉強したい分野のどこにだって進むことは出来るだろう。
親の跡を継ぐというレールが決まっている以上、経済学部に進むのかなぁと思っていたくらいだ。
カサンドラは内部進学でこのまま大学へ進学する予定だ。
アーサーもそのつもりか、もしくは他の大学に行くとしてもそこで学びたいことがあるのだなぁ、という感想しか浮かんでこなかったはずだ。
会話の中で進学先に迷っているという話は聞いたことがある。
だがそれを自分が知ったところでどうにもならないし、何の権利もないと沈黙を選ぶ他なかった。
高校の間だけ、浮かれた夢を見た話だと諦めようとしていた自分に何が言えただろう。
正直に言えば、未来のことを考えたくなかった。
敢えて避けていた話題に今、アーサーは切り込んだのだ。
「海外の大学に進学することを考えている。
高校卒業後すぐそちらに向かい、学びを得ようと考えていてね。
親も賛成してくれている……かな」
海外!?
いや……
時代はグローバルを叫ばれて久しい、国内で終わるような人ではないと思っているのでその向上心も素晴らしいと思う。
「そう……だったのですか……」
今更ショックを受けるのも変な話だ。
つい二時間前まで、アーサーと縁が切れてしまうのではないかと戦々恐々していた不安を抱いて臨んだというのに。
今になって彼と離れてしまうことが辛くて悲しくてしょうがない。
「その件も含めてクラウスさんに話をしていたのだけど……
婚約をしていない状態で私がこの国に帰って来た時、その時もまだお互いに結婚の意志があったら――
”好きにしていい”という言質をやっともらえた」
海外の大学の卒業事情はどうか知らないが、入学するよりも卒業する方が難しいとは良く聞く話だ。
その点はこの国と真逆と言える。
彼がいくら語学に堪能だとは言えすんなり卒業して帰国するのは何年先になるのだろう。何年も、待たないといけない。
「先に婚約をして、後に解消や破棄せざるを得ない状況になった場合のリスクを考えてクラウスさんはそういう提案をしたのだろうけどね」
そして――父に覚悟を試されている、と。
高校時代の一時の惚れた腫れたの感情で、大勢にとっての大きな決断をしていいのか。
頭を冷やして考えて、それでも一緒になりたいなら”好きにしろ”という。
無理矢理引き裂くわけでもなく、全く譲歩しないというわけでもない。
婚約という書面上、社会通念上の繋がりなどなくても長い間離れて待つことが出来るのか。
その想いを互いに守り切ることが出来れば、今後はどんな困難があっても別れると言う判断には至りづらいだろうし。
実家の家督をどうするかという問題を解決するという面倒を父が被らなければいけないが、それでもいい、と頷いてくれたのだ。
違う場所、違う人間関係。
自分をとりまく世界が広がってもなお同じ思いでいられるなら、それ以上ない誠意の表れではないだろうか。
「君と頻繁に会えなくなるのは、確かに寂しい。
でも頑張ってやるべきことを果たせば、この結婚を家族皆に祝福してもらえるんだ。
そう思えば、逆に励みになるよ」
彼にとっては、結婚の許しを得たも同然。
だが勿論それは相手であるカサンドラも同じ気持ちであって初めて果たせることでもある。
双方の信頼に一回でもひびが入ってしまえば、その時点で修正は効かないだろう。
ずっと彼を想っていられるか、だって?
「勿論、私も同じ気持ちです。
貴方と離れて、弟君か誰かと結婚するという将来しか想像できませんでした。
皆上手くまとまり、不幸ではない道なのでしょう。
ですが、私はアーサーさんとずっと一緒にいたいです!」
今まで決められたことに逆らって我儘を言うことは悪いことだと信じて生きていた。
でもその決まりを破って彼を好きになってしまって、自分の意志で楽しい時間を過ごす喜びを知った。
それだけではなく望む未来を自分の手で選ぶこともできるのだと。
力いっぱい、頷いた。
「ただ――
やはりクラウスさんは将来が判然としない状態の中、私と君の関係が周囲に知られてしまうことを嫌がっている。
だからこんなに長く君と会って話が出来る機会、卒業まで二度は持てないかもしれない」
だが卒業後すぐに、彼は進学先の現地へ向かうと言っている。
実質的に、この国でこの関係で長い時間会えるのはこれが最後かも知れない。
娘の将来を考える”親”として、カサンドラの風評を大事にしているクラウスへのけじめなのかもしれない。アーサーは潔癖で、相手の信頼を裏切るようなことはしない人だという事が伝わって来た。
「だから今日、君とどうしても二人きりで話がしたかった。
突然こんな場所に連れて来られて驚いたと思う、ごめん。
いつも――誰か知り合いに会うのではないかと、落ち着かなかったね」
自分達が密かに交際をしていることは、周囲の人は知らない事だ。
それは当然恋人らしいことができなかったから隠し通せたことなのだと思う。
生徒会で役員をしていた時に、お互いに居残りをして少しでも一緒にいたいと時間を気にしていたことばかりを、思い出す。
きっとこれからも、同じような日が続くのだろう。
嬉しい反面、もどかしさも感じる。
しかも卒業してしまえば、彼はこの国から旅立ってしまうのだという。
勿論、何の憂いもなく将来を一緒に過ごせるなら待つ時間だって苦痛ではない。
結婚を許されたも同然という彼の言い分もよく分かるものであった。
だが……
このホテルに辿り着く前に着火させた決意は、決して潰えてはいないのだ。
むしろもっと、強くなったと言っても良い。
彼がこの部屋を用意してくれたのも、本人が言う通り誰にも気兼ねなく二人で話が出来る環境が欲しかっただけなのだろう。きっと他意はない。
凄く近い距離で、自然な形で傍にいることが出来る。
「ええとあの、アーサーさん」
ああ、喉がカラカラだ。
緊張で舌が縺れそうになる。
二人でゆっくりする機会が、果たして後何度――卒業まで残されているのだろうか。
しかもこんな時間に、だ。
彼が不思議そうな顔でこちらを覗き込む。
ここでこんな事を言い出しても良いものか、カサンドラはこの状況だからこそ咄嗟に躊躇ってしまった。
”これで最後”と突きつけられた方が開き直れたのかもしれない。
「実は……
私の気持ちを知って、力添えをしてくれる者がおりまして」
「ああ、そうなんだ。
私もだよ」
彼はにこっと微笑んだ。
アーサーも自分以上に自由に動きづらい立場だ、身内や近しい人間の協力は必須と言えるだろう。
もしかしたら彼の親友達は知っているのかも?
カサンドラ自身が直接確認したわけではないので分からないのだが。
「幼い頃から私の世話をしてくれている使用人なのですが。
もしかしたら今日は、アーサーさんと二人でお会いする最後になるかもしれないと彼女に相談してまいりました」
「不安な想いをさせて申し訳なかったね……。
海外進学のことも含めて、君に打ち明けなかったことは後悔しているんだ。
信用していないのではなくて、もしがっかりさせてしまったり、逆に期待を持たせてしまうのも……と。
どうすれば君のためになるのか、そればかり考えていたよ」
多くの場合、『あなたのために』という言葉は虚飾の言葉だ。
相手のためと言いつつ、全て自分の都合を考え、相手に都合よく踊って欲しいから罪悪感を植え付けるように「あなたのため」なんて言い方をする。
しかし彼はそういう状態を理解し受け入れた上で、カサンドラのためにどう動けば良いのか真剣に考えてくれていたのだと思う。
それが素直に嬉しかった。
「それで……それで。
今日、もし……日付が変わるまで帰る事が出来なかったとしても、何とか誤魔化してくれると……
友人の家のクリスマスパーティに誘われたという話になっています……ので」
顔から火が出る程、真っ赤になってしまった。
自分からこんな事を言い出すなどみっともないの極みである。
しかし、今日勇気を振り絞らなければ――きっと後々後悔するのではないか。
彼とこの先会う事が出来ないのなら、最後に思い出が欲しかった。
その後の事を考えていない愚かな思考ではあったが、墓の下まで抱えて持って行く秘密にすれば誰にも知られない、と。
そして今日彼との未来を描ける話を聞き、尋常ではない程嬉しくて。
でも彼が卒業したら簡単に会えなくなる場所に行ってしまうと聞き、寂しいとも思ってしまう。
彼が国内にずっと留まったまま結婚の展望が見込めるなら、敢えて口にはしなかったかも知れない。
でも――
彼自身の口からあまり会えないと言われ、我儘な感情が終に決壊してしまったのである。
聞いた直後は「?」と首を捻っていたアーサーである。
しかしすぐに意味を呑み込み、彼は驚愕の表情で固まってしまった。
しばらく、互いに顔を真っ赤に染めたまま時計の秒針だけが無慈悲に時を刻んでいく。
恥ずかしくて、高層の窓から飛び降りてしまいたい衝動に駆られた。
まぁ自分が飛び降りれるだけのスペースが空いている窓などどこにもない、大きなガラス窓は填め殺しなのだけど。
要は直球に『抱いてくれ』とお願いしているわけで。
それに動揺しない人間も滅多にいないはずだった。
かなりの間、沈黙が流れた。
実際は数秒だったかもしれないが、カサンドラには何十分にも感じる時間。
「……ありがとう、キャシー。
とても嬉しいし、君の気持ちに応えたいという想いは勿論ある。
……全く全然、欠片もそういうつもりがなかったのかと聞かれればそれは違う……けど。
でも、やっぱり今は無理だ」
ヒヤッと心が冷たく凍る。
一世一代の台詞が彼によって拒否されるという絶望感に俯いたまま何も言えなくなった、けど。
急に、隣に座っていた彼がカサンドラをぎゅうっと抱き締めてきた。
今にも泣きそうなカサンドラの顔を自身の胸元に押し付けるようにして。
「ここで君の言葉に甘えてしまったら、私はこの国から一歩も出たくなくなってしまう。
全部反故にして進学先さえ変えたいと、決まったことをひっくり返したくなるかもしれない。
……離れてしまうことが耐えられなくなるのが目に見えている。
私は君を失いたいわけではない」
まるで幼い子に言い聞かせるように。いや、自分に言い聞かせるように彼は慎重に言葉を選ぶ。
羞恥のあまり小さく呻くように声を出すカサンドラの頭を「よしよし」と優しく何度も撫でながら。
きっとクラウスに対する信用問題のこともあるのだろう、そう考えるとカサンドラの言い方はあまりにも早計だった。
彼の立場上、カサンドラの望みは『父の信用を裏切ってくれ』というも同然か。酷いことを自分は彼に言ってしまったのかもしれない。
ただ、きっと、恐らく、カサンドラの気持ちは伝わったと思う……。
……。そう思っておこう。
「どうか待っていて欲しい。
遠く離れていたって、会おうと思えばいつでも会いに行ける。
同じ地球で暮らしていて、しかも頑張れば帰国の時間も早くなるなんて前に進む意欲しか出てこない話だよ。
それに、どうしてかは分からないけど……
同じ空の下で君が待っていてくれるなら、とても幸せなことだと思えるんだ」
カサンドラがその言葉を不思議に思って顔を上げると、彼の微笑みが真っ先に飛び込んできた。
誰にも遠慮することもなく、当たり前のように抱き締められているのが嬉しくて、でもやっぱり諸々が恥ずかしくて頭の中が大騒動だ。
だが彼は、再び視線を逸らそうとしたカサンドラの頬に手を添える。
リンゴのように真っ赤になった自分の反応を気にせず、彼は優しいキスをした。
※
日付が変わらない間に、家に帰してくれるという約束をして一緒に過ごした。
時計の短針がローマ字の十一を指し示す。
今なら確かにギリギリで約束が守られるという状況の中、窓の外に白い雪が舞い落ちる。
時間が訪れるまで、二人は今までの分とこれからの分を重ねるように
数え切れないキスをした。
======== Merry Christmas! ========
いつもと違う設定の二人が書けて楽しかったです!
たまには積極的なカサンドラもいいよねというお話でした。