クリスマス特別SS カサンドラ <1/2> 現代パロディ版
自動車の後部座席に座ったまま、カサンドラは腕時計を一瞥した。
――時刻は午後五時四十分。
約束の時刻まであと二十分、このままトラブルが発生しなければ待ち合わせに遅れる事無く到着できるだろう。
ひとまずはその事実に安堵するが、未だに緊張でドキドキが止まらない。
今日は十二月二十四日。
クリスマスイブである。
高校最後の、クリスマス。
※
カサンドラが同級生のアーサーに『好きだ』と、所謂告白を受けたのは今から丁度一年前。
まさにクリスマスだったことは忘れられない思い出である。
十二月に入って早々にクリスマスの予定を聞かれ、約束をした時点で「もしかしたら」という期待に毎日そわそわが止まらなかった。
カサンドラは入学当時からアーサーに一目惚れし、いつのまにかすっかり彼の人柄や為人全てを慕うようになっていた。
同じクラスだったアーサーは勿論女子生徒から大人気で中々話をするのも難しい状態で。
でも何故か向こうの方からカサンドラに話しかけてくれる場面も多く、自然と親しくなっていった。
彼がこの国のかなり有名な旧財閥系の御曹司だと言うことは知っていたが、なんと彼のお父さんが自分の父と友人で今でも付き合いがあるのだ――という話を会話のは流れで知って驚いたものだ。
父の顔が広いと言うより、アーサーの父の顔がこの国中を網羅しているということだろう。
カサンドラは地方に本家を構える旧家の総領娘である。
世が世ならうん十万石のお姫様だとか何だとかよく聞かされたものだが、今の時代では全く意味のない話としか思えない。
本家や分家に連なる家に生まれた”娘”は一生地元から出ずに生きていくものだという慣習があった。この現代に、時代錯誤も甚だしいが地方の慣習とはそういうものだ。時代の流れの中でも変われない部分がある。
しかしカサンドラは一人娘で、次期当主として婿を取って跡を継ぐ――という予定が既に立てられている。
そのため首都圏のことを全く知らない井の中の蛙では問題がある、と特別に女子ながら中央で有名な私立高校へ入学することになった。
やんごとなき血筋のお嬢さんお坊ちゃんが通う高校と言えば多くが「ああ、あの高校ね」と名を挙げるようなところだ。
だが女だてらに本家を継ぐなど、と。分家の根強い反対もあったりして、都会に行くことを全く歓迎されてはいなかった。
中々難しい立場だが、しっかりとした後ろ盾のお婿さんを父が選べば済む話だ、と深く考えないことにしていた。
――だというのに……
アーサーという好きになってはいけない相手を好きになってしまったのだから、もう今更どうしようもない。
彼への叶わぬ思慕を抱え、毎日悩み続けることになった。
アーサーに常日頃親しくしてもらえるのはいい。
しかし彼は自分の伴侶にはなれない。長男だ。
しかも超有能完璧スペック、満場一致で親の跡を継ぐと目されているザ・長男。
いくら好きになったところで、彼と結婚できるわけもない。
この個人主義のご時世に、と思われることも多いが、今までそういう世界で生きてきた。
自分勝手に恋愛など許されるわけがない。
ただ、せめてもの抵抗をカサンドラも試みる。
一方的な片思いならこの想いも罪にはならないと半ば開き直り、アーサーと良好な関係でいられるよう精一杯努めた。
彼と楽しい時間を過ごせることを楽しみに、高校生活を送って来たのだ。
まさかアーサーから告白されるなんて、とカサンドラは夢のような気持ちだった。
『私も貴方の事を、心からお慕いしております』
感無量で彼の告白に応えた後。
『ありがとう、カサンドラ嬢。
だけどもう一つ、君に話しておかなければいけないことがあるんだ』
更にカサンドラはとんでもない真の意味での『告白』も聞かされることになったのである。
その衝撃もまた、忘れられない思い出として記憶に刻まれている。
アーサーとカサンドラの父親は学友で仲が良かった。
そして縁があったら、自分達の子どもが結婚すればいいなぁ、と酒の席で気楽に笑って話をしていたそうだ。
ただの冗談で終わる話だったはずだが、カサンドラの父が娘一人しかいない、という事実は大変憂慮してアーサーの父に相談を持ち掛けたのだとか。
――そこでアーサーのお父さんは、こう言ったのだ。
『うちの次男をそっちのお嬢さんと結婚させればいいのでは?』
自分の子どもを彼の意志なく譲り渡すような発言には違いない。
だが相手がカサンドラかそれ以外の女性かは分からないが、結局『家』のためになる相手と次男君も縁組させられる可能性は高い。
それくらい結婚相手には親の意志が強く介入するものである。まさに家同士、当人だけでは終わらない。
軽い口調で言ってのける友人を父クラウスは全く相手にしない……と思いきや。
案外、父も乗り気だったという。そりゃあ、旧財閥本家の息子が入り婿に来てくれたらこれ以上ない縁談だろうな。
折よくカサンドラが上京して高校生活を送ると言うタイミングでもある。
実際に会って、お互いに気に入ったらそのまま婚約をすればいい。
気に入らないなら別に無理にとは言わないから、選択肢の一つとして考えるのはどうだろう、と親の方で話がまとまっていた――らしい。
カサンドラはそんな話は全く聞いていなかった。
勿論次男君にも余計な情報を与えず、フィーリング次第で決まったら万々歳だね、と。
現実的にまとまる話なら、双方ともに最高の良縁であるということは事実だ。
カサンドラの家にとっても、そしてアーサーの家にとっても。
最初は話半分だったはずの父達も、条件やら今後の展望などを語り合っている内に結構乗り気になってしまった。
だが――本当に次男君に相応しい人物なのか、カサンドラは遠く離れた地方出身なので実感としてアーサーの父にも分からない。
そこでアーサーの父は、彼女がどういう女性なのか見極めて欲しいと密命を長男に下す。
アーサー自身も、可愛がっている歳の離れた弟が地方出身のお嬢さんと上手くいくのか、ちゃんと幸せな縁談になるのか心配だったので言われなくても自らそうしただろう。
親同士がここまで乗り気なら、余程の悪条件がなければとんとん拍子に婚約までこぎつけるだろうが。
何は無くとも、接触してみなければ相手の本質など知ることはできない。
釣書を見ただけで全てが分かるわけではないのだ。
そこでアーサーはカサンドラの実情を知り自分の家族に報告するため、入学直後からカサンドラに何かとコンタクトをとってきたというわけだ。
なるほど、普段女生徒に囲まれているアーサーが何故かカサンドラに頻繁に接触をはかってきた理由も頷けると言うものだ。
しかしアーサーは何も知らないカサンドラと一緒に高校生活を送っている内に、別の感情が芽生えたのだと言う。
最初は弟にとって良縁かを見定めたいという一心だったはずなのに、逆に彼の方がカサンドラに思い入れを強めてしまった。
こう言っては難だが、カサンドラが実際に彼の弟君に会ったのは文化祭に遊びに来た時、たった二回だけだ。
好きな人の弟君、嫌われないようにしなければ! という感想以外出てくるはずがない。
弟君がどうこうという話ではなく、カサンドラはすっかりアーサーに一目惚れしてしまっていた後なので、彼の心の変遷は幸運としか言えない状態だった。
今まで一緒に過ごしていた日々が報われたのだと天にも昇る気持ちになり、うれし涙を流したものだ。
だがそこまでの前段階を経ている以上、アーサーとの交際は困難を極めるものであった。
自分がアーサーと結婚できるわけもないのに、好き合って交際しているという噂が流れるのは非常に不味い。
アーサーのお父さんだって、次男だから婿にやれると放言しただけで、長男を婿にやる気はさらさらない。
跡目教育を受けてきたアーサーも、まさか地方の旧家に婿入りなんてありえない話だ。
かと言って一人娘のカサンドラがアーサーの家に嫁ぐことはもっと許されないはずだ。
いずれ、家の事情で別れなければいけない。
その際に過去に恋人がいた、なんて……
男性であるアーサーはまだしも、今後改めて縁談を進める際にカサンドラにとって大きな傷となってしまうのではないか。
手に手を取って駆け落ち?
そんな自分達の幸せ以外どうでもいい、という自分本位な人であれば、カサンドラは彼に惹かれることはなかっただろう。
真面目で誠実な人だから、既に引き返せないくらい好きになってしまったのだ。
責任をとると言えない事情に一番苦しんだのはアーサーだと思う。
でも”好きだ”と言わずにはいられなかった。
その気持ちだけでも嬉しかった。
例え誰かに知られてはならないような密やかな想いであっても、高校生活を彼と過ごした思い出は――きっと忘れられない宝物になるだろうから。
片思いも楽しかったが、お互いの気持ちを知った学校生活はそれ以上に面映ゆくくすぐったく、幸せな日々だった。
あれから一年。
交際しているということを知られないよう、慎ましく行動していた……と思う。
でもその期限も、あと三年三学期を残すのみ。
しかも受験などのスケジュールの関係で、クラスの全員が出席する日は始業式や卒業式だけではないか。
誰からも知られずひっそりと付き合い始めた交際が、誰にも知られないまま終わっていく。
好きだと言われて、幸せな日々だった。
そして今日、彼とクリスマスイブにディナーをして、そこでこの先のない関係も終わるのだろうな……
彼に会えることは嬉しかったが、それ以上に不安が綯い交ぜになって心が苦しかった。
せめて最後まで、お互い良い思い出で終わりたいものだ。
指定されたホテルのロータリーに車が停車する。
運転手が恭しく頭を下げ、ドアを開いてくれた。
クリスマスイブに、恋人と二人。
夜景の見える、高級ホテルでディナー――
シチュエーションだけ考えればこれ以上望むべくもない状態なのに。
「……。」
……カサンドラはこの時密かに一つの決意を固めていた。
※
ホテルのロビーで、やや俯きがちに佇んでいたカサンドラ。
時間は約束の時刻、五分前。
「メリークリスマス、キャシー」
すぐ横から声を掛けられ、反射的に顔を跳ね上げる。
にこにこと微笑むアーサーの変わらない姿に、心底ほっとした。
いや、普段学生服で会う彼とは違う。
大人っぽい濃いブラウンのロングコートの裾を揺らすアーサーの存在にホッとした。
しかし装いが違うのはアーサーだけではなくこちらも同じだ。
「今日は髪を一つに纏めているんだね、余りにも綺麗だったから声を掛けるのに戸惑ってしまったよ」
いつも背中を覆うようなハーフアップで通学しているカサンドラだが、ドレスコードを指定される本格的なホテルディナーに招待されたわけで。
金色の髪を一つに纏め上げ、大き目のイヤリングをつけている気合満タンの状態だ。印象は全く違うかもしれない。
「さぁ、レストランに行こうか」
自然な形で差し出される彼の腕にカサンドラは掌をそっと添えた。
自分達の事を知っている学校の皆の前ではとてもできない事である。
今この瞬間は彼の”恋人”であることは間違いない――はずだ。
ホテルの上層にあるレストランでコートを預け、普通に食べに来たのでは絶対に使用する事のないであろう奥のVIP席に案内された。
冬は陽が落ちるのが早く、まだ六時だというのにすっかり眼下には薄暗がりの夜が広がっている。
彼と一緒にいる時間はとても楽しい。
ふわふわと夢見心地のような気になるが、もしかしたら今日で恋人気取りでいられるのも最後かも知れないという不安に押しつぶされそうになった。
「今日は誘ってくださってありがとうございます。
今年もクリスマスを一緒に過ごすことが出来て嬉しく思います」
「そうだね、去年のクリスマスも思い出深い一日だったことを覚えているよ」
彼に好きだと言ってもらえた日。
そして――この想いは期限付きなのだと言う現実を改めて突きつけられた日。
彼の弟君の話がきっかけでアーサーに興味を持ってもらえたことは運が良かったのだろう。ただ、最初から叶わぬ恋だったというだけ。
運ばれてくるコース料理はどれも場に相応しい凝った美味しいメニューなのに、カサンドラはにこにこ微笑んで取り繕うのに必死だった。
もっと素直に、未来のことなど何も考えないような性格だったらもっと楽しめていたかもしれないのに。
「キャシー。
実は今日、君に話したいことがある」
ほらきた!!!
カサンドラの胸がドキーン、と大きく弾かれる。
彼は相変わらずどこから見ても美形な青年で、いつも彼の姿を追っているはずの自分でも真正面に彼が座っていると眩しくて仕方ない。
彼の存在に結局最後まで慣れる事無く、関係が終わってしまうのかと口の端が少しだけ引きつった。
しかし「関係をこれまでにしよう」――という予想を覆す、彼の言葉が待っていたのである。
「やっと、クラウスさんから私達の結婚に対して前向きな返答をもらうことができたんだ」
「え……ええ!?」
吃驚し過ぎて、手に持っているナイフを危うくとり落とすところだった。
彼はいつもの何割か増しの爽やかな笑顔で、とんでもない発言をカサンドラに向けて放った。
「え? 父が、ですか?
……そんな……」
厳格で常に自分の抱える一族のことを考えて行動する父が、とても自分とアーサーの結婚話を真面目に検討してくれるとは思えなかった。
父に隠し子でもいれば話はややこしくなる一方だし――まぁ、真面目なあの人に限ってそんなこともないか。
いや、そんなアホなことを考えている場合じゃない。
父の許可?
アーサーが結婚の話をクラウスに申し入れていた事さえカサンドラは知らなかった。
もしも自分の想いを身内に知られてしまえば強引に引き離されるのではないかと恐れ、ずっと黙ってきたというのに。
まさか飛行機に乗って父の居住する地方まで足を運んでくれたのだろうか。
水面下で彼がそんな行動をしていたとは、全く寝耳に水だった。
「去年のクリスマスで君の気持ちを知ってから、私は父やクラウスさんに相談を持ち掛けていたんだ。
最初は『話が違う』と、クラウスさんから門前払いだったけどね。
……何度も話をしていく内に、やっと譲歩というか前向きな返答をもらうことができた。
ごめんね、本当は君も一緒に行動してもらうべきだったのだとは思う。
事を大きくして、君の将来に傷を残すような事態になることだけは避けたかったから」
カサンドラ一人が彼との未来を望んだところで、父と対等に話が出来る関係ではない。
そしてアーサーに対する何の権利も持っていないのだから、騒ぐだけ彼を困らせるだけだと現状を受け容れていた。
いや、この一年の思い出さえ身に余る幸運だと思っているほどだ。
対する彼の行動力に、感情が込み上げてきてカサンドラは肩を震わせる。
「勿論、無条件というわけにはいかなかった。
私にとっては許可に等しい条件と思っているけれどね。
ただ――当然、君にも協力を求め、了承を得なければいけないことだから。
今後のことについて、食事が終わったら二人きりで話をしたいと思っている」
そう言って彼がテーブルの上にそっと置いた『もの』は――部屋番号が刻印された、ホテルのルームキーだった。
数字から考えて、ここより更に上の階。
およそ高校生には不相応で不適格としか言いようのないシチュエーションが、カサンドラを待っていた。