「ありがとう」をもう一度!
本編最終話直後のお話です。
完結記念のキャラクター投票にご参加下さった方ありがとうございます!
100名以上の方に参加いただけたお礼がしたいと思い、最終話後のワンシーンを書きました。
後日譚は現在連載中の外伝が終わった後に掲載しますが、先に少しだけお届けします!
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「――はい。
わたくしも、アーサー様を愛しています」
言葉にせずにはいられなかった彼への想いが、溢れ出た。
※
今まで自分が”元の世界”に戻っていた事の方が何かの間違いではないのだろうかと思ってしまう。
あの日、王子に書いた手紙を渡そうと決意してから、今の今まで、一気に時間が飛んでしまっている。
騙されて誘いこまれ、刺された自分は死を待つのみのはずで。
だけど意識を失う直前に駆けつけてくれた三つ子の背中に、純白の翼を見た。
この世界が望む事を理解してから先は……
正直、判然としないのだ。
確かにこの世界に新しい名前をつけた事は憶えているのだけれど。
あちらの世界で過ごした『前原香織』としての一月間も、しっかりと記憶に残っているわけで。
体感上一月しかこの世界から離れていなかったことになる。
しかもカサンドラは直前まで自分が『カサンドラ』であったことさえ忘れていた。
……こうしてアーサーが万感の思いを表情に浮かばて自分を見つめているのも、何だか不思議な気持ちである。
でも髪の毛はあの時より少しだけ伸びたような気もするし、雰囲気も一層大人びてしまった。
思わずクラッと眩暈がする程、美しさに磨きがかかっているという現実を目の当たりにし、カサンドラは急に居たたまれない想いになる。
彼は自分を二年間ずっと待っていてくれていた。いや、待つだけではなくそれだけの月日を費やして探し当ててくれたのだということに。
その間自分は全く彼らの想いを知る事無く、仮初の日常生活を大きな疑問なく過ごしていたことに。
自分が物凄く薄情な人間のように思え、胸がズキズキ痛む。
それにしても――と、カサンドラはアーサーの顔を見上げる。
ゲームのスチルでは当然皆『容姿』は変わっていなかった。三年間学生生活を送るのに、彼らの容姿はそのまま。
しかし今の王子は、ちゃんと時間が経過した分の年齢を感じさせる風貌である。
急な変化に心臓がやかましく騒ぎ立てるのも当然だった。
しかしアーサーの反応はこちらの予想とは全く違っていた。
改めてこちらの様子を確認し、急にサッと顔を蒼褪めさせたのである。
それまでの穏やかな表情から打って変わっての顔面蒼白ぶりにカサンドラはぎょっとした。
「……すまないキャシー。
君は靴を履いていなかったんだね。
本当に申し訳ない、全く気づかなかった。
どこか怪我はしていないだろうか?」
正面に立つアーサーが、がばっと勢いよくカサンドラの両肩を焦り掴む。
唐突な行動に、カサンドラは面食らった。
「気になさらないでください、大丈夫です」
彼は自分の行動に恥じ入るように、そろりと肩から手を離す。
完全に「やらかした」表情の彼は、ただの綺麗な”絵”ではなく、人間味に溢れた実在の人物だ。
今まで自分が接してきた、王子その人。
「靴下を穿いていますし、床は綺麗でしたから」
流石に裸足だったら違っただろうが。
体育館などの滑らかな床を靴下で歩いたようなもので、怪我をするようなこともそうそうないはずだ。
室内では靴を脱ぐと言う慣習は元の世界、いや住んでいた国特有の文化かもしれない。
靴を履いていないと気づけなかったのも、あの状況では仕方なかったと思う。
そう言えば自分の恰好は向こうの世界のままで、召喚されてしまったのだなぁ……
この世界にはない技術で縫製された服を持ち込んで本当に良かったのだろうか。
自分の姿を改めて確認しようと、少し前屈みになった。
その瞬間。
プチン! と音を立ててブラウスのボタンが一つ、弾け飛んだ。
えっ、と鳩が豆鉄砲を食ったような顔で、音が生じた個所に視線を遣る。
胸元のボタンが綺麗に消えていた。ボタンそのものは、回廊の上にコロコロ転がっているのだが……
「きゃああああ!?」
思わず悲鳴を上げて胸元を合わせようとあたふたと手を動かす。
この身体は、カサンドラのもの。
着ていた服は、香織のもの。
そう、彼女はとても――豊満な胸部を持っていた。
しかもさっきまでいた世界は九月、残暑厳しいコンクリートジャングルでの生活を余儀なくされていたという事実。
ブラウスの上に何かを羽織ってもいなかったので、弾け飛んだ箇所から鎖骨の下あたりの素肌が僅かに覗いている。ここに至るまでボタンが耐えていた事こそ、奇跡のたまものだったのかもしれない。
まさかの大惨事にカサンドラはその場に卒倒する寸前だったが……
「少しだけ我慢してもらえるかな、キャシー」
同じく時が止まっていたように動かなかったアーサーも、流石にこのままにしてはおけないと即断即決。
動転して言葉もないカサンドラの身体をそのまま抱え上げ、奥の通路へと早足で向かう。
交差させた両手で胸部を覆いながら、この極まった惨状に絶望するカサンドラ。
憧れの人に横抱きで抱えてもらうというレアな経験をさせてもらったというのに、魂が身体から抜け出ていた。
恥ずかし過ぎて 死にたい……。
※
アーサーが連れて入った部屋の中では、数名のローブを纏った人間が待機していた。
小部屋というには広いが、聖なる儀式のための控え部屋なのか。神秘性溢れる備品の多い部屋である。
皆カサンドラの姿を見て、「おお!」と大きなどよめきを発した。
一瞬自分のこの格好を見てのことかと羞恥で発狂しかけたが、アーサーはカサンドラを彼らの視界から遮るような角度で立ち、強く抱え込んでくれていた。
恐らくこちらの状態は彼らには分からないだろう、とやや安堵する。
本当に要らない迷惑をかけてしまったことに冷や汗が流れて止まらない。
勿論恥ずかしさも一向に消えてはくれなかった。
「なんと、本当にカサンドラ様……女神様を喚びもどすことが!?」
は? 女神?
「……。
彼女を広場へ導こうにも、別世界の姿のままというわけにもいかない。
すまないが、着替えの支度をするよう指示を出してもらえないか。
また――用意が済むまで、この部屋を私とキャシーに貸して欲しい」
彼らは神に仕える神官と呼ばれる存在なのだと思われる。
自分を呼び戻してくれた三つ子達が儀式を行っていた場所は、やはり神殿の一角だったのだろう。
「畏まりました」
神官たちが互いに顔を見合わせあい、カサンドラに向かって恭しく頭を下げる。
今まで見たこともない神殿関係者の人たちに、敬虔な態度をとられるのも全く慣れずに頭の中に「?」マークが飛び交うだけである。
一体自分がいないこの二年、一体何が!?
神官たちがそそくさと部屋を後にするのを、カサンドラはしっかりと胸元を押さえたまま愛想笑いを浮かべて見送っていた。
自覚はないが、頬は引きつっていたかもしれない。
「これで落ち着けるかな。
……早く着替えを持って来てくれるといいのだけど」
宗教画が飾られた清廉な空気漂う中、長椅子に降ろされる。
降ろされると言っても、全く衝撃を感じる事もなく、気が付けば長椅子の上に座らされていた。
大切なものを飾るような慎重さで、アーサーが置いてくれたのである。
「め……女神?」
「君が世界を救ってくれたことは皆、知っているからね。
女神の帰還に彼らも浮足立っているんだよ」
アーサーも長椅子に腰を下ろし、カサンドラの隣に座る。
とても近い、一センチも空いていない――すぐそこで、自分をじっと見つめる彼の顔。
しかしその造形に惚れ惚れする隙も無く、彼の言葉に首を傾げるカサンドラ。
さらっと流された説明は、絶句するに十分の威力を持っていた。
世界を救うと言っても、自分はただ……
ただ、この世界に相応しいと思った名前をつけただけで。
肝心な事を今際の際まで忘れていた自分の大ポカを思い知らされるだけで……
不可思議な力など、もう持っていないはずだ。
自分がこの世界に最初に喚ばれた時の望みは叶い、その時点でもう自分はこの世界にとって何の意味ももたない存在になっていたのだろう。
だからこそ、別世界の異物として世界が自分を元の世界に戻したのだと思うし。
一度混ざり合った記憶や意識を完全に切り離すことが出来なかったから、こちらに元々存在していたカサンドラごと持って帰されただけ。
こちらの世界でやるべきことは果たし終わった状態のカサンドラが、今以てそんな風に祀り上げられていることに困惑しか浮かばない。
明確に聖女である三つ子達と違い、奇跡を起こす力なんて無いのに。
「キャシー。
君が女神か神の遣いかなんて今の私にはどうでもいいことなんだ。
………君がこの世界を選び、戻って来てくれた事がとにかく嬉しい。
ありがとう」
そして再び、ぎゅうっと抱き締められる。
彼の頬がカサンドラの額に軽く押し付けられ、再度顔が真っ赤になった。
しかし不意に冷たい感触がカサンドラの肌に触れ、ハッとする。
彼の声は少し上擦り、震えているのだと言うことが分かってしまう。
心臓を鷲掴みされたような痛みが全身を奔った。
「会いたかった。
……会いたかった!」
堪えていた感情が破裂し、こちらの心にまで一気に押し寄せてくるかのようだ。
今までずっと自分を想っていてくれたのかと想像するだけで、自分も泣きそうになる。
二年……。
二年は、長い。
「アーサー様……」
言葉が出てこない。
彼の真摯な想いに触れ、胸が詰まる。
誰かにここまで望まれると言うことは、なんと幸せなことなのだろうか。
カサンドラは幸せだ。間違いなく、世界で一番幸せな人間だと思える。
もう十分、一生分幸せにしてもらった。
だから自分も彼を幸せにしたいと、心から想うのだ。
彼の首後ろに腕を回し、正面から抱き着いた。
綺麗な蒼い瞳に、『カサンドラ』が映っている。
涙の伝った跡の残る彼の頬に、静かに――そっと、キスをした。
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