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災厄の訪問

新作です。宜しくお願いします

 

 生物の気配が無い、見渡す限りの乾いた荒野。

 そこにぽつんと二つの人影が向かい合う様に立っている。


 片一方は浮浪者の様な姿をした男性だ。

 ボロボロで小汚い布を体にまとい、顔が殆ど隠れるほど伸びた髪と髭から、男がここしばらくまともな生活が出来ていない事が窺える。


 もう片一方は二足歩行である事以外は人間との共通点が見当たらない、異形の怪物だった。

 枯れ木を捻って形作った様な細長く歪な身体に、目鼻の無いのっぺりとした顔。

 その姿を一言で例えるなら、幽鬼や悪魔という言葉がピッタリだろう。


「ハァッ…ハァ、災厄の悪魔め、ここで会ったが百年目だ…!」


「災厄。ハハ、大仰な二つ名だ。今度からそう名乗るのも悪くない」


 息を荒くしながら睨み付ける男に対して、怪物はどこか嬉しそうな軽い口調で答えた。


 瞬間、白い光が一閃した。

 男がボロ布の下に隠した剣を、怪物に向かって素早く振り抜いたのだ。

 剣は怪物の胴を両断し、近場にあった岩に衝突して鈍い金属音を響かせた。


「お見事、素晴らしい太刀筋だ」


「…クソっ!」


 怪物はその身を切り裂かれたにも関わらず、口調すら変えずに平然と賞賛した。

 何故なら刃は確かに怪物の体を捉えたが、霧の様に何の手応えも無くそのまま通り過ぎたからだ。


 男はその後も剣をがむしゃらに振り回したが、怪物は一向に堪える様子も無く、されるがままに切られている。


「うっ、ゲホッ、畜生が…」


 遂に男は膝をつき、剣を放り出して地面に倒れ込んだ。


「もう諦めるのか?最も憎い相手が目の前にいるのに?」


 怪物は身をかがめて男を覗き込みながら、とぼけた様に首を傾げた。

 男は大の字に寝そべったまま怒りに目を見開いた。


「うるせえッ!!このクソ野郎が!!お前のせいで罪も無い大勢の人間が長い年月、終わらない苦しみに悶えている!一体何が目的でこんな事をするんだ!?」


 男は一気に捲し立てると、荒い呼吸を繰り返しながら返答を待った。


()()()()()だ。私は肉体の無い精神だけの生命体で、自分に向けられた強い感情を糧に生きている。だから人間を"適度"に痛めつけ、私を憎む様に仕向けた。怒りや憎悪など強い感情は、私にとって美味な食事になる」


「…じゃあなんだ?お前が豪華な夕餉を楽しむためだけに、()()()が犠牲になったワケか?はは、はぁ…もう全部馬鹿らしくなって来たぜ。あーあ、今すぐお前がこの世から消え去っちまえば良いのにな」


「その願いは、すぐに叶う」


 男は乾いた笑いを止め、怪訝そうな顔で上体を起こした。


「どういう事だ?」


「たった今、地上で最も長く激しい抵抗をしていた君の感情が、遂に諦念に変わった。それは私にとって新鮮味が欠け、あまり喜ばしく無い。…つまり、()()()()()のだ」


 話を聞きながらぽかんとしている男を尻目に、怪物は空を仰いで話を続ける。


「この世界を飽食しても、未だ私は満足していない。よって、新たな世界を目指す事にしたのだ。肉体のある君たちには無理だが、精神生命体である私は別の世界に渡る事が出来るのだ。新たな生命を喰らうために!」


 怪物の語気が初めて真剣みを帯びた。

 それを聞かされている男は喜べばいいのやら、別の世界の新たな犠牲者に同情すればいいのやら分からず、複雑な表情を浮かべる事しか出来なかった。


「という訳だ。さようならベルディン・サースティア。見送りに感謝する」


「…何で名前知ってんだよ、気色悪い、行くならさっさと行っちまえ」


 恐ろしい容姿の怪物が小さく手を振る光景に顔を顰めながら、ベルディンと呼ばれた男は渋い顔でしっしっと手を前後に動かした。


 怪物が肩をすくめて背を向けると同時に、その姿は溶ける様に消えた。


「はぁーー…全く、俺の今までは何だったんだ」


 男は人生における全てのため息をまとめて出した様な盛大な息を吐き、立ち上がって側に転がっている剣を拾い上げた。

 剣にこびり付いた土埃を払うと、剣の柄に刻まれた立派な紋章が浮かび上がる。


「…臣民には格好良く倒した事にしとくか」





 私は今、何時ぶりかの高揚感を感じている。

 世界の境界を跨ぐのは初めてだが、この何も見えない暗黒の闇を突き進む事に不安や恐怖は感じない。

 絞り尽くした世界を捨て、新たな生命の溢れる世界への旅立つ事への期待が大きいからだ。


 長く生きている内に偶然発見した別次元への渡航方法、そしてその先に確かに感じる人間の存在。

 それは私にとって新たな()を期待させた。


 別次元の扉は私といえど簡単には通過出来なかったが、今までに吸収した人間の感情は私の力となり、ついにその強固な扉を突破するに至ったのだ。

 一体どんな手段であちら側の人間から搾り取ってやろうか、今から楽しみで仕方が―


 唐突に、何かに絡め取られる様な感覚に陥った。

 視界が開け、こぢんまりとした空間に出る。

 もう世界の境界を渡り終えたのか?いや、まだ空間の狭間から出た感覚は無い。

 だとしたら何事だ?


「貴様は何者だ」


 不意に問いかけられ辺りを見渡すと、目の前に見知らぬ老人が立っているのに気が付いた。

 おかしい、生身の人間はこの空間に存在出来ない筈だ。

 状況から察するに、この老人が私をここに捉えたのか?


「答えろ。貴様は何者だ?」


「…こんにちは、ご老人。私はただの観光客です。ここを通していただけますか?」


「見え透いた嘘を吐くな。貴様の魂は、数多の人間の苦しみで、どす黒く汚れきっている」


 私の猫を被った物腰柔らかな態度を一蹴し、老人は咎める様に吐き捨てた。

 心当たりは無数にあるが、どうしてそれが分かるのだろう。


「ふむ、魂が汚れているから通せないと?貴方は門番か何かでしょうか?」


「儂はこの世界の管理をしている"神"だ。貴様の様な輩を通す訳にはいかん。大人しく引き返すが良い」


「…神?フフ、ハハハハ!全く、嘘吐きはお前の方だ。神と呼ぶにはお前は余りにも矮小だ!感じるぞ、お前から私に向けられた、恐怖の感情を!」


 神を騙る老人に向かって一歩踏み出した。

 邪魔をするのなら、何であろうと容赦はしない。


「…最後の警告だ、引き返せ」


「死ね」


 私の手が持ち上がると同時に、老人の周囲の空間がぐにゃりと歪む。


「愚か者め!」


 老人が叫ぶと浮遊感が私を包み、瞬く間に何も見えない暗闇へと放り出された。






 目の前にいた筈の老人が、青々とした葉っぱを茂らせる樹木に変わっている。

 いや、ここは先程の空間ではない。

 辺りを見渡すとどうやらここは森の中だ。

 前の世界では植物は私がほぼ全て枯らしてしまったので、完全な森林は残っていなかった筈だ。

 つまり、周囲に無数に生い茂る木々は別世界である事の証明だ。

 あの老人はこの私を持て余すと判断し、苦し紛れに放り出したのだろう。

 何はともあれ、私は別世界への渡航に成功したのだ。



「☆×△○*:〜!?」


 すぐ近くから聞き慣れない言語の悲鳴が響き、そちらの方を向いた。

 見るとそこには人間の女が尻餅をついており、震えながら私を見ている。

 第一異世界人発見、と言ったところだ。

 早速()()するとしよう。


 ゆっくりとにじり寄る私から腰を抜かしたまま後退りする女から恐怖の感情が伝わって来る。

 ああ、やはり新しい世界に来たのは正解だった。

 私は更なる恐怖の感情を求めて手を伸ばし、鋭い指先が女の喉元に触れる。


 ふと、違和感を感じた。

 いつもの感情を吸収する充足感とは別に、自分の内側から不快感が染み出している。

 魂を荒いヤスリで削られる様な、今まで感じた事の無い嫌な感覚だ。

 一先ず食事より先にこの不快感の原因を探るべく、伸ばした手を引っ込めて精神を集中し、自身の内側を調べた。


 そして見つけた。

 自身の魂に絡み付く、別の力の存在を。

 恐らく呪いの類だ。

 そして、こんな事をする存在の心当たりは一つしかない。

 あの自称神の老人だ。


「厄介な真似を…許せん!彼奴め、次会った時は八つ裂きにしてくれる!」


 声に出して恨み言を叫ぶと、目の前の女が怯えを露にする。

 騒がれるのも面倒なので口を縫い付けようとすると、再び不快感を覚えた。

 どうやらこの呪いは僅かでも人間に危害を加えようとするだけで発動するらしい。

 つまり呪いが存在する限り、私は人間に手出しが出来なくなるという事になる。

 こうなったら一先ず人間を襲うのは後回しに、呪いを解く方法を模索する事から始めなければならない。

 全く、忌々しい事この上ない。


「$○〆°^、%*☆〜!!」


 《うるさい、危害は加えないから騒ぐな》


 恐らく命乞いをしている女の意識に直接語りかけると、女は驚愕に目を見開いて大人しくなった

 言語が違うとはいえ、私は精神生命体だ。

 直接相手の脳に意思を伝えるくらいは造作もない。

 しかし、これ以上私の姿に怯えられるのも面倒だ。

 何か別の無害な姿に変身しよう。


 今の姿は恐ろしい印象を与えるために影で形作っているだけで、精神生命体の私に決まった姿形は無い。

 目の前にいる女が怯えないようにするには、華奢で害の無さそうな女が良いだろう。

 まあ、気が変わったらいつでも姿を変えれば良い。


 大地から体の素になる元素を吸い上げ、粘土をこねる様にして形作る。

 側から見れば、何も無い場所からにょきにょきと人間の体が生えてきている様に見えただろう。


 そうしてみるみるうちに急拵えの肉体が完成した。

 我ながら完璧だ、どこからどう見ても人間の小娘にしか見えない。…筈だ。


 《どうだ、これなら怖くないか?》


 震えるのも忘れて一連の過程に見入っていた女に問うと、はっとしたように女は首を縦にブンブンと振った。

 よし、これで容姿の問題は解決した。


「°+○:!」


 背後から何やら叫ぶような声と足音が聞こえてきた。

 振り返ると樹木や茂みの向こうから複数の人影が小走りに近づいて来ている。

 また別の人間がやって来たのだと思い、私は警戒されない様にそのまま無造作に佇んでいる事にした。


 しかし、木々の間から現れた一団は人間ではなかった。

 きちんと鎧や服を着ている辺り、以前の私の姿よりは人間に近いものの、肌の色、目や耳などの顔のパーツが人間離れしていたり、角や尻尾など人間には存在しないものが生えている。

 ちなみにそれらの手には槍や棒など、あまり穏やかではない武器が握られている。


 人間の女がそそくさと私の背後に隠れた。

 状況から察するに、人間とは別の敵対する別の種族に追われてるのだろうか?


「€#^〒○!」


 異形の集団の中から牛と人を混ぜた様な顔をした一人がこちらにずかずかと向かって来ると、鞭の様なヒモがついた棒を振りかざした。


 すると棒の先端のヒモが生きている様にするすると伸び、人間の女と私に巻き付いて拘束した。

 それは技量や技術だけでは説明出来ない、なんとも奇妙で生物的な動きだった。

 まるで仕掛けの分からない手品を見せられた気分だ。


 異形共は拘束した私たちを引っ張り、何処かに連れて行きたい様子だが、態度が気に入らないので従わない。

 頑として動かない私に痺れを切らしたのか、牛頭が舌打ちをすると、私に向かって手を伸ばした。


 次の瞬間には、地面に牛頭の首がごろりと転がっていた。

 周りを囲んでいた牛頭の仲間が驚き混じりの声を上げ、武器の切先を向けてにじり寄る。

 なるほど、此奴らは()()の対象外らしい。


 よし、気晴らしに全員やってしまおう。

 私が笑みを浮かべて一人一人見渡すと、周りを囲んでいた異形たちが僅かに後退りする。


 声を上げる間も無く、異形たちの首が一瞬にして跳ね飛んだ。

 バタバタと地面に倒れた首の無い体から、水の入った花瓶を倒した様に血が流れ出ている。


 全く、虫の居所が悪かったとはいえ、無駄な殺生をしてしまった。

 痛めつけてから恐怖を吸収すれば、少しは腹の足しになったものを。


「〆^○△*…□×☆?」


 私が首を傾げていると、女が体に巻きついたヒモを解きながら、血の気の引いた顔で話しかけてきた。

 そういえば、()()()ながら人間を助ける形になってしまった。

 お礼でも言うつもりなのだろうか?


 《なんだ》


 私は女の頭をわしっと掴んだ。

 掴んだと言っても今は華奢な女の肉体なので、どちらかというと乗せたという方が正しい。


「ひいっ、殺さないで!」


 《落ち着け、思考を読んでいるだけだ》


 そう、私は精神生命体。

 対象に直接接触するだけで、思考を読む事が出来るのだ。

 一方的に念を送るだけなら触れる必要は無いが、言葉が分からないのは不便なので直接通路を繋げたという訳だ。


「あ、は、はい。えっと、助けてくださってありがとございます。貴方様は魔物ですか?」


 《魔物?恐らく違うな。私は私だ》


「はあ、魔人を躊躇いなく皆殺しにするくらいなので、縄張りを侵されて怒った魔物だと思ったのですが…」


 《あの異形共は魔人というのか?詳しく説明しろ》


「はい。魔人というのは人間とは別の種族でして、魔力という人には存在しない力を持っています。大昔に人間から分岐した人類と言われていますが、詳しい事は分かっていません」


 魔人か…私の知る限り、以前の世界では似た存在さえ心当たりが無い種族だ。

 魔力というのも初耳だが、私の存在自体が人智を超越しているので、理解する事にさほど抵抗は無い。


「ちなみに私たち人間と先程の魔人たちは今、戦争の真っ只中でして。まあ戦争と言っても人間が圧倒的に劣勢なので、ほぼ一方的な蹂躙ですが。その所為で人間は絶滅寸前と言っても過言ではありません」


 《何だと!?》


 私が思念を強めると、女がびくりと体を震わせる。

 聞き捨てならない言葉が聞こえた。

 人間が絶滅寸前だと?

 それは人間を主食とする私にとって死活問題になる。

 今でこそ呪いの影響で人間に手出しが出来ないものの、呪いを解除する方法を見つけた後でじっくり甚振ろうと考えていた矢先に、肝心の人間が絶滅していては元も子もない。

 早急に何とかしなければ。


 《おい女、名前は?》


「ヒッ!あ、アニカです…どうか命だけは…」


 《アニカ、助かりたいか?》


「はいぃ!それはもちろんです!」


 唐突な問いに二つ返事で同意したアニカの言葉を聞き、私はニッコリと微笑んだ。





「ま、待ってください!助けて!何でもしますから…!」


 目の前でみっともなく命乞いをする男を無視し、大柄な魔人の男は何やらガラクタの様な物を取り出した。

 そのガラクタを怯える男の頭上に掲げると、怯えていた男はすぐさま眠りに落ちる様に倒れ伏し、そのまま動かなくなった。


「次だ。早くしろ!」


 魔人の男がそう声を荒げると、一箇所にまとめて拘束されている人々は悲壮の声を漏らした。


 ここは人間の王が統治する、ランジルカ王国領の南西の外れに位置する小さな村だ。

 魔人たちの住むヴィンダルドから国をいくつも跨ぐほど距離があるこの村で、魔人による侵略が行われていた。


 先日、この村のすぐ向こうに存在するセレンジット共和国がヴィンダルドの魔人によって崩壊し、事実上完全に滅び去った。

 それを知ったこの村の人間は当然ながら避難しようとしたものの、魔人の侵攻が余りにも早過ぎた為に、逃げ遅れた者たちが捕縛されてしまったのだ。


「どうした、急げ!痛めつけられてから死にたいか!」


 死への恐怖から出渋っていた人々だったが、魔人の怒号を浴びせられてよろよろと一歩前に踏み出した。



 ポン、と何かが魔人の男の目の前に放り出された。

 それはゴロゴロと転がって魔人の男の爪先にぶつかり、ピタリと止まった。


 それは呆気に取られた表情が張り付いた、同族である魔人の生首だった。

 魔人の男は足元に転がる生首を一瞥すると、顔色一つ変えずに生首が飛んで来た方向に顔を向けた。


 こちらに歩み寄って来る、二人の女。

 片方は部下に追わせた筈の見覚えのある小娘だったが、もう一人の女はどこか異質だった。

 淡く光る白髪に端整な顔立ち、すらりとした体に何の装飾の無いローブの様な服を身に付けている。

 ここまではせいぜい身なりの良い女としか思わないが、異質なのはその目だ。

 こちらを見ている目が、獲物を見る猛禽の様に無機質で恐ろしげなのだ。


「ふん、役立たず共が…」


 魔人の男が苛立ちをあらわに足元の生首を踏み潰すと、それは熟れたトマトの様に派手に砕け散った。

 上からの命令で人間は生かして捉えなければならないが、この女は見せしめとして殺す必要がある。

 魔人の男は太い腕に力を込めようとした。


 ふっ、と気が遠くなった。

 それと同時に視点がぐらりと傾き、そのまま地面に叩きつけられた。

 魔人の男は困惑しながらも起き上がろうとしたが、体の感覚が無い。

 意識が薄れ、次第に暗くなっていく視界の隅に、自身の体が地面に崩れ落ちるのが見える。

 敗北と死、それだけを理解して魔人の男は絶命した。





「こんな物か」


 たった今息絶えたばかりの死体から目線を外し、周囲を見渡す。


 アニカに案内されて来た村に居た魔人どもは、今ので全滅したらしい。

 徒党を組んでいるのなら仲間に伝令くらいはすると思ったが、助けを呼ぶどころか逃げも隠れもせずに全員私に向かって来た。

 余りにも馬鹿らしいが、人間相手に連戦連勝の自信があった故の慢心だろう。


「お、俺たち、助かったのか…?」


 生き残りの人間どもが信じられないといった表情で、お互いの顔を見つめ合う。

 現実味が無い光景に呆けてしまったのか、反応が鈍い。

 仕方なく私が軽く手を振ると、後ろ手に縛られている人間たちの縄がまとめて引きちぎれた。


「えーと、皆さん!急いで避難して下さい!また魔人たちの増援がやって来るかも知れません!」


 アニカがそう叫ぶと、我に返った人間たちはいそいそと立ち上がって散らばった。

 この世界の言葉はまだ分からないが、アニカを翻訳機代わりにすれば意味を理解し、代理で発言させる事が出来る。

 私と精神を接続しているアニカが見聞きして脳で理解した事象、その意味だけを私が横から抽出して理解しているのだ。

 今まで人間の中と外を弄り回した悪行の結果、自然と身に付いた私の能力の一つである。


 ふと見ると、一人だけ動きの鈍い人間がいた。

 どうやら怪我をしているらしく、血の滲んだ足を庇いながら必死に歩こうとしている。

 私が魔人を殺したのは、鬱憤晴らしでも誰かに頼まれた訳でも無く、私の呪いを解いた後の食料の確保の為だ。

 これから人間には魔人に殺されて減った分、健やかに増えて貰わなければならない。

 面倒だが、()()()やろう。


「な、何を…」


 私が歩み寄ると、怪我をしている男から恐怖の感情が伝わって来た。

 男の怯えた反応も仕方が無いだろう。

 ここにいる人間たちは、私が魔人を縊り殺すのを間近で見ていたのだ。

 だが、私に気遣うつもりは毛頭無い。

 私は男の肩を掴み、無理矢理地面に座らせた。

 男の怪我している足を掴み、傷口に精神を集中させる。


「ひっ…、?あ、足が動く!治ったぞ!」


 男は驚愕を顔に浮かべながら、自由自在に動くようになった足と私の顔を交互に見た。

 何という事はない。

 自身の肉体を無から作り出せた私が、人間の体を元通りにするくらいは出来て当然だ。

 本来私は殺戮よりも、生かさず殺さず苦しめながら延命させる方が得意なのだ。


「あ、ありがとうございます!」


「すげえ、傷口の跡すら無い…!」


 成り行きを不安げに見守っていた周囲の人間たちが集まり、男の完治した足を不思議そうに見ている。

 そんな中、一人の老婆が口を開いた。


「おお…まさか貴女様は…"聖女様"で有らせられるのでは…!?」


 聖女?私の事を言っているのか?

 それが言葉通りの意味なら、むしろ逆の―


「そうだ!間違いねえ!聖女様だ!」


「遂に聖女様が降臨なさったぞ!これで魔人の奴らもお終いだ!」


 私の意思と関係無く、周囲の人間が盛り上がり始めた。

 そもそも聖女とは何だ?

 翻訳機(アニカ)に聞いてみよう。


「聖女とやらについて説明しろ」


「はい!聖女とは数百年前まで実在した神聖なる力を持つ神に選ばれし者で、人々が未曾有の危機に瀕すると現れ、世界を救うと言い伝えられています」


 成る程。私は救いを求める人間の、都合の良い偶像と勘違いされてる訳か。

 しかし、これは利用出来そうだ。


 人々に対して意味深に、ニコリと微笑んでみる。


「おお!やはり聖女様だー!!」


 私の微笑を深読みした人間どもが歓声を上げる。

 聖女だか何だか知らないが、人間に対して盲信的に言う事を聞かせられるなら利用しない手は無い。

 さて、適当に指示を出して―


 ―ドクン


 何だ?急に内側から何かが込み上げて来るような気がした。

 この感覚、呪いが発動したのか?

 しかし、今の私は人を傷つけておらず、むしろ()()()いる。

 呪いの発動条件とは真逆の筈だ。


 ―ドクン!


「くぅッーー!??」


 不意に今まで感じた事の無い()()が電流のように身体を駆け巡り、私は堪らず身をくねらせた。


「聖女様?どうなさったんですか?」


 突如として痙攣しながら俯いた私を、人間共が不安そうに見つめる。

 この私が人間に余裕の無い姿を見せたのは、長い年月を生きている私の記憶にさえ存在しない。

 何故か気恥ずかしさが込み上げて来た私は、咄嗟に背筋を正して何でもない風を装った。


「な、何でもないと伝えろ」


「あ、はい。聖女様は何ともないそうです!」


 私の正体をほぼ知っているアニカまで私の事を聖女と呼んでいるが、今はそんな事はどうでもいい。

 今の過程でおおよそ理解した。

 私の魂に刻まれた、呪いの本当の効果。


 これは"意図的に人間に危害を加えると不快になり、意図的に人間を救うと気持ち良くなる呪い"だ。


「…あの神もどき、次に会ったら八つ裂きでは済まさん」


 私はそう呟き、神殺しを固く決意した。

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