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8/18

7 agitato

呼んでくださりありがとうございます。

「シェリー様、マクスウェル子爵様、ご婚約おめでとうございます」


 今日はシェリーの婚約パーティーの日だ。

 ルーセント公爵家に到着してすぐ、アビゲイルはユージーンのエスコートでシェリーたちの元へ挨拶に向かった。

 流石公爵家というべきか、ルーセント公爵は王国の芸術分野を広く支援していることで有名なだけあって、アビゲイルがぱっと見ただけでも、高位貴族から新進気鋭の芸術家まで、様々な人たちが集まっているようだった。

 うーんこれは挨拶回りが大変そうね……と、他人事の感想を抱きつつ歩みを進める。


 先日シェリーに釘を刺されたことを漸く思い出したのか、それとも学園でのマリアベルとの密会をアビゲイルが知らないとでも思っているのか、いずれにせよ、まだユージーンにもアビゲイルをエスコートしなければならないという意識は残っていたらしい。両親やマリアベルとは時間をずらして出発したため、別々に入場することが出来てアビゲイルは密かにほっとしていた。


 品よく置かれた調度品が光る公爵家の広間は、伯爵家のものとは比べ物にならない程広かった。天井は高く、会場の至る所にシェリー様の銀糸を思わせる髪色と、マクスウェル子爵の髪色のオリーブグリーンの飾りが揃えて置いてある。アビゲイルはそのセンスの良さに脱帽した。


「どうもありがとうございます、アビゲイル嬢、ユージーン卿。私のことはアンドリューと呼んでもらって構いませんよ。伯爵の兄と紛らわしいでしょうから」

「二人とも、ありがとう」


 シェリーの隣に立ち、にこにこと人好きする笑みを浮かべているのは、シェリーの婚約者であるアンドリュー・マクスウェル子爵だ。

 シェリー様の父親である公爵は、ここではなく別の所で客に挨拶をしているらしい。


 元は伯爵家の三男であったアンドリューとは、年が離れているため同じ家格ながらアビゲイルは殆ど面識がなかった。

 彼の兄であるマクスウェル伯爵は目つきが鋭く、どちらかというと冷たいイメージだが、アンドリューは少しタレ目の優し気な顔立ちと穏やかな雰囲気が、人懐こい犬を思わせる好青年だ。先日子爵位を授与されたとはいえ、王族の一員に名を連ねる公爵令嬢のシェリーとは釣り合いがとれていないと噂するものも多かったが、こうして並んで見ると実に似合いの二人だった。


 実は密かに、憧れのシェリーの夫になる人がどんな人か見極めなくては、と謎の正義感を持って臨んでいたアビゲイルであったが、シェリーの目に狂いはなかったということが分かった。「アンディ」とシェリーに呼ばれる度に相好を崩す彼の声に、嘘や悪意といった淀んだ色は無い。春の日差しのように柔らかな橙色は、愛情に満ちていて、シェリーを優しく包む柔らかな毛布のようだった。


 今日のシェリーは卿の髪色であるグリーンのドレスを身に纏い、ネックレスとイヤリングは彼の瞳の色そっくりなペリドットを着けている。きゅっと細いウエストはとても妊婦には見えないが、コルセットはしていないようだ。

 マクスウェル卿の方は、といえば、流石に銀色の服とはいかなかったようだが、光沢のある白いタキシードにシェリー様の瞳そっくりな色のタンザナイトのブローチとカフスボタンを着けている。

 全身に互いの色を纏い、幸せそうに微笑む彼らは、何処からどう見ても相思相愛のカップルだ。


 先日の夜会では勇ましい姿を見せていたシェリーが、今はどこにでもいる乙女の顔で幸せそうに頬を染めているのを見て、アビゲイルの心は温かくなった。


 アンドリューとユージーンが一瞬よそ見をした隙に、シェリーがアビゲイルを引き寄せ、耳元で素早く囁く。


ユージーン卿(あいつ)、今日はちゃんと貴方のエスコートしているみたいね?」


 いつの間にか「あいつ」呼ばわりされている……と思いつつ、アビゲイルは慌てて御礼を言った。


「招待状までご配慮いただきありがとうございました。お陰で助かりました」

「……ねぇ、あれからどう?」

「どう、とは……」

「あいつ、私との約束守っている?」


 彼女に嘘はつけないが、本当のことを言って問題になってもまずい。

 すっと瞳を細くしたシェリーに、アビゲイルは即答することが出来なかった。それが却って十分な答えになってしまったようでシェリーは眉間に皺を寄せる。


「あ、あの、シェリー様!私のことなんていいんです!今日はシェリー様が主役なんですから」

「でも――」

「籍を入れる前から内緒話されると妬いてしまうな」


 アビゲイルとシェリーのこそこそ話は、横から飛んできたアンドリューの呑気な発言で終了した。軽口に過ぎないと分かっていても、照れているシェリーが可愛らしくて、アビゲイルは思わずその姿を目に焼き付けようとじっと見つめた。


「シェリーがアビゲイル嬢と仲が良かったなんて、知らなかったよ」

「ふふん、この間とある夜会で仲良くなったのよ!」

「ああ、君がウェディングドレスの打ち合わせをサボって後でしこたま怒られた時だね?」

「も、もー!それは言わないで!」


 ぷくっと頬を膨らませるシェリーをアンドリューが蕩けそうな目で見つめる。見ているこっちの体温が上がりそうだ。


「あ、そうそう。今日はこの後すぐ、グレゴリオおじ様たちによる演奏があるから、楽しみにしていて」

「わ、わぁ、それは楽しみです!」


 先日のアルトゥーロとの遭遇を思い出し、内心複雑な気分で喜ぶアビゲイルに、ユージーンは口を開いた。


「そういえば、アビーはデッカー家でマエストロにお会いしたって言っていたよね」

「……ええ、そうなの。シェリー様の予想されていた通り、会う約束をしていた友人というのが母だったようで」

「まあ、やっぱり!そうなんじゃないかと思ったのよ」


 ユージーンの言葉に戸惑ったのを悟られないよう、アビゲイルは笑みを浮かべた。


 グレゴリオやアルトゥーロがデッカー家に来ていたことを、アビゲイルは誰にも話していない。それをユージーンが知っているなら、マリアベルから聞いたということなのだろう。きっとあの、昼食の時間に。


 他の招待客が遠巻きに挨拶の順番待ちしているのを感じ取ったアビゲイルたちは、そっと場所を譲ることにする。


「名残惜しいですが、私たちだけで今日の主役のお二人を独占してはいけないので、一旦失礼しますね」

「また後でね、アビゲイル」


 シェリーが声を掛けてくれたのが嬉しくて、アビゲイルは軽くお辞儀をすると、笑顔で頷いた。



***



 程なくして、シェリーの父であるルーセント公爵による挨拶と、娘のシェリー、娘婿のアンドリューの簡単な紹介が終わると、グレゴリオたちが登場した。

 今日は本格的な演奏を披露するつもりのようで、チェロを持ったグレゴリオの隣にヴァイオリンを持ったアルトゥーロ、そしてアビゲイルの見たことがない男性と女性が一名ずつ、ピアノとヴィオラの前に座った。


 彼らが現れた瞬間、会場中の客が浮き足立つのが分かる。めったに聴けない生演奏だ。グレゴリオたちが公爵家に滞在していることを知っているものなら、楽しみにして来たに違いない。


 会場の温度があがっていく中、グレゴリオの「シェリー嬢とアンドリュー卿の明るい未来を願って」という言葉でスタートした演奏は、素晴らしいものだった。グレゴリオとアンドリューの他の二人は、アビゲイルの知識にない人物であったが、彼らもまた素晴らしい演奏家だった。


 目を閉じて、音の海に浸る。音の波が、暗い気持ちを押し流し、明るい方へと引っ張り上げられるようだ。

 自分にはまだ紡げない色だ。音の海を気持ちよく漂いながらもうっすら目を開けると、不意に視界に母の姿が入る。

 母は自由奔放な人だ。こんな演奏を聴いたら、身体の底がウズウズして、飛び入りで乗り込んでいってしまうのではないかと不安だった。案の定、指先をまるで鍵盤を弾いているかのように動かしていた時にはもう駄目かと思ったが、意外なことに母は最後までそのままだった。


 大歓声と共に締めくくられた演奏の後、招待客たちは思い思いに歓談している。

 アビゲイルの心は終わって暫くの間も、素晴らしい演奏の余韻に痺れていたが、次期伯爵の肩書を背負うものとしては、ぼーっとしているわけにもいかない。こういった大きな夜会は顔を繋ぐ大きなチャンスなのだ。

 ましてアビゲイルはただでさえ社交界の住人の多くから色眼鏡で見られている。こういった場で少しでも母のせいで植え付けられている先入観を払拭するよう動く必要があった。


 しかし――と、アビゲイルは思わず横目でユージーンを見る。

 

 正直、婿入り予定とはいえ、現在のネームバリューとしては伯爵家の令嬢に過ぎないアビゲイルよりも、クラーク公爵家の三男というユージーンの方が高い。謂れなき悪評を受けているアビゲイルに代わり、ユージーンから自然な流れで顔を繋いでもらうのが本来の彼の役目であるはずだが、最近のユージーンは、マリアベルや学友との歓談にかまけ、挨拶回りを疎かにしていることが多い。


 現に今も、会場にいる友人たちの姿を見つけてはそちらに行きたそうにちらちらと視線を送っている。これでは役に立つどころか、却って邪魔になっている。

 生返事を繰り返すユージーンの態度に、挨拶していた侯爵が眉を顰めているのを見て、アビゲイルはユージーンと一緒に会場を回ることを諦めた。


「ジーン、私喉が渇いてしまったから、何か飲み物を取ってきてくださる?」


 アビゲイルの作り笑いにも気付かず、ユージーンは嬉しそうに人波に消えていった。その方向に、普段からユージーンとつるんでいる友人たちの姿を見つけ、アビゲイルはそっと息を吐き出した。



***



 無事に婚約パーティでの演奏を終えたアルトゥーロは、マエストロ・グレゴリオとのコネクションを求める人々に囲まれていた。ひっきりなしに訪れる招待客に挨拶笑いを返しながら、さりげなく会場を見回す。

 演奏している時、確かに人混みの中に妖精たちの光で眩く輝くその姿を見つけたのに、すっかり見失ってしまった。


「素晴らしい演奏でしたわ」


 明るい声に振り向くと、輝く銀の髪を揺らすこのパーティの主役――シェリーが面白いものを見つけた、とでもいうように立っている。


「ところで、誰をお探し?」

「いえ、別に……」

「いいえ、絶対に誰か探してたわ、でしょ?」


 ごり押しするシェリーにアルトゥーロは苦笑いを浮かべる。パーティーが始まって以来、ずっと作り笑いを浮かべていたアルトゥーロの頬の筋肉は限界を迎えている。

 実をいうと、邸宅にお世話になっている身ではあるが、アルトゥーロはこの公爵家のお姫様が少し苦手だった。

 

 アルトゥーロはその昔、隣国で王族の血を色濃く引く公爵家の令嬢と、とある子爵家の嫡男の間に生まれた子だ。周囲の大反対を押し切り駆け落ち同然に婚姻した二人は仲睦まじい夫婦として有名だったが、アルトゥーロが九歳の時、父の子爵が馬車での落石事故に巻き込まれ命を落とした。

 当時、駆け落ち事件の恨みから、子爵家は母の実家の公爵家から圧力をかけられていた。その影響でじわじわと事業が傾き、父が亡くなった時には借金が膨れ上がっていた。

 幼いアルトゥーロに領地経営が任せられるはずもなく、中継ぎとして父の弟である叔父が子爵位を引き継ぐことになった。人の良い叔父は、当初はアルトゥーロが成人次第、本当に爵位を譲るつもりだっただろう。

 それに待ったをかけたのが叔父の妻である義理の叔母だ。叔母の実家は豪商といってもいいほど大きな商会を営んでいて、貴族社会への足掛かりを探していた。思いがけず手に入った一時的な爵位を自分の物にしたくなったのだろう。

 子爵家の借金を商会が肩代わりする代わりに、アルトゥーロは子爵家の継承権を放棄させられ、僅かな金銭と共に屋敷からも追い出された。

 爵位自体にそれほどこだわりはなかったが、それよりも信頼していた叔父夫妻に裏切られたことが悲しかった。今でも時々、力が及ばずすまないと謝罪する叔父と、その隣で勝ち誇った笑みを浮かべる叔母の姿を夢に見る。

 

 見た目は全く似ていないのに、シェリーの常に自信に溢れた強気な態度は、常に自分が正しいという振る舞いを崩さなかった気の強い叔母にどこか似ている気がして、思い出したくない記憶を思い出してしまう。

 アルトゥーロは公爵家に滞在中、それとなくシェリーと距離を取っていた。幸い、シェリーは間近に迫った自身の結婚式の準備で毎日を忙しく過ごしているので、本人は気付いていないようだが。


「貴方の探し人を当ててみましょうか」

「いや、だから私は別に誰も――」

「デッカー伯爵令嬢アビゲイル……でしょ?」

「な、なぜ」


 思わず口を押さえるが、もう遅い。貴族社会の荒波を悠然と泳ぎ切るシェリーが見逃すはずもなく、楽しそうに笑う。


「当たりね!」


 仕方なく、首を縦に振るしかなかった。


「……あの、何故私がアビゲイル嬢を探していると?」

「んーだって、演奏中も彼女のことばかり見てたもの」

「えっ!?」


 アルトゥーロの背中に冷や汗が流れる。人前では話しかけないようにと約束させているプルッカが、密かに肩を震わせているのにも気がつかない。

 

 自分はそこまであからさまに彼女を見ていたのだろうか……。

 いや、でも、物理的にあんなに輝いている人を見ないでいることは出来ないだろう。


「大丈夫よ。そこまであからさまではなかったし、彼女も気付いていないと思うわ」

「そう……ですか」


 ほっと胸を撫で下ろすアルトゥーロに、シェリーがタンザナイトの瞳をすっと目を細める。


「……一応言っておくけれど、実情はともかく、()()アビゲイル嬢には婚約者がいるわよ」


 予想外の冷たい声に、アルトゥーロはシェリーがわざわざ釘を刺すために自分に話しかけてきたのだと、この時やっと察した。

 何がそうさせるのかは知らないが、どうやらアビゲイルは随分このお転婆なお姫様に気に入られているらしい。


「ま、私としては()()が彼女に相応しいとはまっっったく思えないのだけど。だからといって、彼女に悪評がたつようなことはしないでちょうだいね」


 “アレ”の部分でシェリーが視線をやった先を追うと、先ほど演奏中にシェリーの隣に立っていた髪色の派手な青年が幾人かとにこやかに談笑している。どうやら、彼こそがアビゲイルの婚約者であるらしい。その輪の中には、アビゲイルではなく、アビゲイルの妹であるマリアベルがちゃっかり入っていた。


 憎々しげなシェリーの様子に、アビゲイルは母親のこと以外でも問題を抱えているらしい、とアルトゥーロは理解した。


「あの男、婿養子に入る自分の立場を理解しているのかしら……」

「シェリー様、アビゲイル嬢の婚約者があそこにいるということは、彼女はどこにいるのでしょう。先程から姿が見えないのですが」


 なんとなく、嫌な予感がしてアルトゥーロは尋ねた。評判はどうあれ、あれほど美しい彼女を他の男が放っておくとは思えないのだが……。


 アルトゥーロの懸念に、会場を見渡したシェリーも眉を寄せる。


「ね、悪いのだけど念の為彼女を探してきて下さらない?私はこれでもホストだから抜けるわけにはいかないし、彼女他の夜会でも男に絡まれていたから心配なのよね。変な輩は招待していないはずだけど、万一ってこともあるから」


 軽く頷き、アルトゥーロは早足で広間を抜け出した。途中繋ぎをつけようと声をかけたそうにしている者も多かったが、皆アルトゥーロの顔を見て開きかけた口を閉じ道を譲った。


 人気のない柱の影に隠れ、肩の辺りを浮いているプルッカに声をかける。


「おい、プルッカ。彼女の居場所、わかるか?」

『あの可愛い子ちゃんねー』

「そうだ。どこにいる?」

『いやぁー流石の俺っちでもこんだけ人が多いとなぁ』


 プルッカは妖精の中でも上位の力を持つ存在ではあるが、万能の魔法使いではない。


『せめて声さえ聞こえればわかるんだけど』

「……仕方ない、広間にいないとなると庭か化粧室か?とにかく一旦庭に―――」

『待った!』


 ガーデンテラスへ続く扉へ向かおうとするアルトゥーロをプルッカが止める。


『た、大変だ……』

「プルッカ?」

『あっち!アル、早く!あの子が危ない!』


 余程焦っているのか、プルッカの羽がピカピカ点滅している。アビゲイルの危機を察し、アルトゥーロはプルッカの先導で現場まで走り出した。



GW遠出出来ない皆様の暇潰しにでもなれば嬉しいです。

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