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15 lamentazione

読んでいただきありがとうございます。

大分間が空いてしまってすみません(再びの土下座)他の方の作品を読むのが楽しくて、ついなろうの膨大な海を漂ってしまいました……ρ(。 。、 )

『暫く領地で過ごせ』――一週間ぶりに呼び出されたと思えば、父親から自分は既に伯爵家にとって邪魔者でしか無いのだと突き付けられたアビゲイルは、心配顔で引き留める家令に、寮に残して来た荷物を取りに行くからと言って伯爵家を出た。

 侍女のアンが自分も着いて行くと食い下がってきたが、大丈夫だから、と微笑みながら拒絶すれば、主家の令嬢に逆らうことは出来ず、渋々諦めた様子で見送ってくれた。


 王都の貴族街にある伯爵家のタウンハウスから学園までは、それほど離れていない。ふらふらと徒歩で出ていくアビゲイルの姿に門番は目を剥いて引き留めてきたが、学園まですぐだからと静止する声を振り切り門の外へ出る。


 明日から自分は使わなくなった家具を屋根裏へ押し込めるように、デッカー伯爵領へ送りつけられるのだ。父は口では否定していたが、領地へ行ったところで屋敷に閉じ込められるだけだ。それは実質幽閉と変わり無いのではないだろうか。

 不貞したのはマリアベルの方なのに、何故被害者の自分がこれ程の扱いを受けなければならないのか、アビゲイルには理解出来なかったし、したくもなかった。

 

 重い足で学園の門をくぐる。この学園に次足を踏み入れるのはいつのなるだろう。

 試験だけは受けられるように取り計らうと父は言っていたが、あの口ぶりだと学園を卒業出来なくても構わないとすら思っていそうだ。家を継ぐことも無く、嫁の貰い手も無くなった娘にこれ以上無駄な金を掛けたくないということだろうか。

 伯爵家がそこまで逼迫しているとは思わないが、音楽をやっている母には大層お金がかかるので、母を溺愛する父としては出来損ないの娘より母にお金を回したいと思っているのかも知れない。


 仲の良い友人のひとりもいないアビゲイルには、学園に良い思い出など無い。こんな場所、たとえもう来れなくたって何ともない、と心の中で呟いてみるけれど、心からそう思えないのは何故なんだろう。


「ね、デッカー家の馬車が朝来てたの見た?」


 女子寮へ入り、ふらふらと歩いていると、突然自身の家の名前が聞こえてドキリとする。

 自室へ向かう途中の廊下、ちょうど談話室の前だ。中からは女子たちの姦しい声が聞こえてくる。放課後や休日、一部の寮生はお菓子や飲み物を持ち込んで談話室でおしゃべりやカードゲームなど、ちょっとした遊びに興じているのは知っていた。勿論、入寮してから一週間経つがアビゲイル自身は参加したことは無い。


 こうして、自身の陰口を聞いてしまうのは初めてでは無い。聞いたって碌な話では無いのだから、いつも通り早く立ち去ろう。

 そう思うのに、脚は動かない。

 女子寮という限られた人間しかいない空間だからなのか、随分明け透けに話している。


「え、見てなーい」

「貴方寝坊していたものね」

「実家に呼ばれたってことは、いよいよ婚約破棄!?」

「貴方、人の不幸を楽しむなんて性格が悪くてよ」

「お互い様じゃないですか」

「ふふっ、まあね。人の不幸は蜜の味って言うじゃない」

「あの女、いつもお綺麗な顔で澄ましていて気に入らないのよ」

「そんなだから妹に寝取られちゃって、かわいそ~う!」

「ぶっ!可哀そうとか思ってもないでしょ」

「まーねぇ、正直、いい気味?」

「でもさ、噂が本当なら婚約者寝取られた上に後継の座も危ないんでしょ」

「危ないっていうか、ユージーン様の父親って()()クラーク公でしょ?マリアベルと結婚したって二人揃って平民コースなんだから、何が何でも伯爵家へ婿入りさせるのは確定よ」

「うわ~アビゲイル様ってどうするんだろ。邪魔者じゃない。私なら死にたくなる」

「折角恵まれた容姿に生まれたのにねぇ。全く生かせない上に妹にぜーんぶ盗られるとか、生きてる意味ある?って感じ」

「生まれてこなければ良かったのに」

「きゃはは、それはいくらなんでもひどくない」


 ……目の前がチカチカする。

 

 ――生きてる意味ある?って感じ。


 生きている意味……。

 私……何のために生きているんだろう。


 自分の立っている地面が、急に崩れ落ちたような感覚が襲う。

 ドブのような色の音が漂う空間から去っても、先程聞いてしまった彼女たちの毒のような言葉が耳にこびりついて離れない。


 父は母にしか興味が無い。

 母は音楽にしか興味が無い。

 妹は私を嫌っていて、()婚約者は私ではなくて妹を選んだ。


 私にはもう、何も無い。

 誰も私を必要としない。

 誰にも愛されない。

 ……だったら、もう、いいかな。


 頭の中で、いつかユージーンと交わした言葉が蘇る。


『ジョー兄に聞いたんだけど、学園の裏手の森に常世の湖って呼ばれる湖があるんだって。運が良いと妖精が見えるとか。恋人同士で行って妖精が見れたら、永遠に幸せになれるって言われているんだ。危ないから立ち入り禁止らしいんだけど、カップルは皆こっそり行ってるんだって。ジョー兄もパトリシア義姉様と行ったってさ!入学したら絶対一緒に見に行こう。アビーとなら妖精にも会える気がするんだ』


 もう随分と昔に感じるその約束は、結局果たされることは無かったけれど。

 最期を迎えるなら、その場所こそ相応しいのではないかと思えた。


 部屋に戻ったアビゲイルは、机の引き出しから便箋を取り出した。

 伯爵家の家紋が入った物を使おうと手を伸ばし、やっぱり止めて花が一輪描かれただけのシンプルな便箋を取り出す。

 幸い、というべきか、伯爵家から寮に住まいを移して間もないため、荷解きは殆どしていない。

 だから、手紙さえ残して置けば後は寮母か伯爵家の使用人辺りが()()()は引き受けてくれるだろう。


 心残りと言えば、親切にも鍵を貸し出してくれたアントニオに直接返却出来ないことと、アンを泣かせしまうだろうことくらいか……。


 振り返った自らの人間関係の希薄さを自重しながらも、アビゲイルの筆は進む。



***



 エイミー・カーティス伯爵令嬢が()()を目にしたのはたまたまだった。

 あれ程親しくしていたにも関わらず、かつて身勝手にも自分から一方的に距離を置いた友人の姿を、日暮れ時の学園で見かけた。


 それなりに距離は離れていたが、エイミーにはそれが誰だか直ぐに分かった。

 オレンジの夕日に染まり、きらきらと光りを反射する美しい髪に華奢な体躯。後ろ姿だけで美しい女性だと確信出来るその姿は、紛れもなくアビゲイル・デッカー――現在学園中、否、社交界中で悪意ある噂に晒されている少女に他ならない。


 エイミーはその日、学園で出来た友人に朝から街歩きへ誘われたものの、此処の所派手に噂されている友人とかつての親友――デッカー伯爵家の姉妹のことが気に掛かって、どうしても遊ぶ気分になれなかった。

 自室に籠っていても気分は晴れず、学園内の図書館に足を運んだのが昼頃。本を片手にぼうっと考え事をしている間に気付けば閉館時間を過ぎていて、慌てて荷物を纏めて出てきたところだった。


 エイミーの実家であるカーティス伯爵家は、元々成り上がりの商人だ。カーティス家の血筋は商才に長けていることで有名で、国内外に広く支店を持つ商会を運営するカーティス家は男爵位から年月と共に徐々に爵位を上げ、伯爵位を賜り、遂に上位貴族の仲間入りをしたのが先代のこと。

 豊かな財力に集る貴族は多いが、裏では短期間で陞爵を繰り返したカーティス家を成金と蔑む貴族も多い。伯爵家の次女であるエイミーに課せられた使命は、貴族の子息令嬢が集まる学園で、家の発展に繋がる幅広い人脈を形成することにある。

 そのため、エイミーは一年の時から王都に屋敷がある貴族には珍しく学園の寮で生活している。


 ルーセント公爵家での騒動の後、アビゲイルが女子寮に入寮してきたのは知っている。時期外れの入寮、しかも話題の中心人物となれば、注目を集めない筈が無い。誰ひとり伴わず、小さな鞄ひとつ手にやって来た彼女の姿を、寮生は全員遠巻きに眺めていた。

 何度も声を掛けようと思って、けれどエイミーには出来なかった。関係を切ったのはエイミーの方だ。自分には今更アビゲイルに声を掛ける資格など無い。

 けれど、いつか窓から覗き見た陸にいるのに溺れているような、苦しそうなアビゲイルの表情がずっと頭から離れなかった。

 

 あと数十分もしない内に、日は完全に落ちて辺りは真っ暗になるというのに、彼女はふらふらと心許無い足取りで学園の裏手――鬱蒼と茂った森の中へ向かっていく。

 学園の裏手にある森は名目上は王家の持ち物で、薬草学に使う薬草の採取や農学の授業に使われる作物が生えている。生徒や教師が立ち入るのは主に手前のエリアで、森の奥深くは立ち入り禁止になっている。


 こんな遅い時間に森の中へ手ぶらで入っていくアビゲイルの姿に、エイミーは嫌な予感を覚えた。

 夜の森に、一体何の用があるというのか。


 迷いながらも、気付けば足はアビゲイルの後を追っていた。

 

 立ち入り禁止の森の奥には、美しい湖があるという。

 恋が叶うというジンクスがあるとかで、度々生徒が立ち入っているが自己責任の名の元に学園側も見逃していると同じ寮の先輩から聞いた。なんでも、厳しく取り締まった際に余計禁止エリアに立ち入る生徒たちが増えてしまったかららしい。


 じっとりとした汗が噴き出し肌着を濡らす。

 今日のエイミーは富裕層の平民が着るような比較的簡素なワンピースにブーツを合わせていた。生い茂る草に足を取られるものの、前に進めない程ではない。動きやすい服装で良かったと思うと同時に、遠くに見えるアビゲイルの服装に目を凝らす。


 シンプルではあるが、ドレスを着ているのが遠目でも分かる。足元までは見えないが、エイミーの履いているような、足首まで覆うブーツをドレスに合わせたりはしないだろうから、この森の中は相当歩きづらい筈だ。生い茂る草の中には毒を持つものや、鋭い葉を持つものもある。あの調子で歩いていたら足は傷だらけになってしまうのでは。エイミーは思わず眉を顰めた。


 水分を含んだじめっとした森の空気が纏わりついてくる。

 エイミーは見失わないよう必死でアビゲイルの背中を追い続けた。


 その間にも陽はすっかり沈み、森の中は完全な暗闇が支配している。足場の悪さから慎重に足を運んでいるせいで中々アビゲイルには追い付けない。それどころか今にも後ろ姿も見失いそうだ。

 焦りから足を速めたのが災いして、あっ!と思った次の瞬間には木の根に躓いていた。咄嗟に地面についた手が痛い。


「う、うそ……」


 なんとか身体を起こすと一気に血の気が引いた。

 アビゲイルの姿が何処にも見えなくなっている。言い様のない不安が襲い、心臓がどくどくと脈打つ。

 此処にきて急に恐怖を覚えたエイミーは深呼吸をすると鞄を探り、飴の入った瓶を逆さにして空にすると、近くの木の根元に密集している光苔を中に詰め、ランタン代わりに掲げた。

 ランタンと比べれば余りにも弱い光だが、月明かりのだけを頼りに歩いていた先程までよりは随分マシだ。


 ――落ち着け。落ち着くのよ、エイミー。

 

 挫けそうな自分を叱咤し、地面に目を凝らす。

 折れたばかりの草の後を辿りながら更に数分程歩くと、急に視界が開けた。噂に聞いた湖に到着したのだ。夜空を反映した黒い水には、空に浮かぶ星や月が輝いていた。


「アビー、いるの?いるなら出て来て。此処は危険よ」


 震える声で襲る襲る口にするが、返って来る言葉は無い。

 常世の湖、なんて名前で呼ばれているだけあって、目の前に広がる湖はその名の通り、水の向こうにそのまま異世界でも存在していそうな得体の知れない妖しさがあった。


 踵を返し掛けた時、視界の端で小さな光が瞬いた。

 恐る恐る湖の縁まで近づき、中を覗き込んだエイミーは声にならない悲鳴を上げた。

 

 水の中で揺蕩いながら沈んでいく金の糸。

 その正体に気が付いたからだ。


 気付けばガチガチと歯の根も合わぬほど震えていた。

 

 ――こんなの、無理よ。私にどうしろっていうの。

 今すぐ此処から立ち去ろう。私は何も知らない。何も見てない……。


 へたり込んだその場でずるずると後退し掛けた時、エイミーの脳裏に先日の夜会の出来事が蘇った。


 今現在、社交界を賑わせているデッカー伯爵家の醜聞が起きたあの夜。

 エイミーは、体調を崩していた母に代わり父伯爵と共に出席していた。夜会の開始から暫く経った頃、アビゲイルがひとりで広間から出ていく姿を見た。

 ある時からアビゲイルに話しかけるタイミングを探していたエイミーは、少し迷った末に後を追った。

 声を掛けるタイミングを計っている内に、エイミーより先にアビゲイルに声を掛けた男がいた。

 よく見知った筈の男の、しかし自分の知る男の姿とはかけ離れた荒々しい態度に本能的に恐怖を覚えた。


 アビゲイルは自身に纏わりつく男に毅然と対応しようとしていたが、顔色は悪く、明らかに体調が悪そうだった。


 そして――エイミーの目の前で、アビゲイルに恐ろしい暴力が振るわれた。

 自分の知る幼馴染とはまるで別人の、獣のように荒ぶる男が恐ろしくて、エイミーは柱の陰に隠れ、只管震えることしか出来なかった。

 見慣れない美しい男が必死の形相で止めに入り、そこで漸く息を吸うことができ、慌てて衛兵を呼びに行った。


 それまで裕福な伯爵家で蝶よ花よと育てられたエイミーは、理不尽な暴力を体験したことは勿論、見たことすら無かった。

 未知の恐怖が過ぎ去った後、エイミーに押し寄せたのは押し潰されんばかりの罪悪感と後悔だった。


 自分が早くアビゲイルに声を掛けていれば。

 オリバーとアビゲイルの間に割って入っていれば。

 どうして動けなかったのだろう。

 何度自問したか分からない。


 そして今――自分はまたも、逃げようとしている。辛いことや不都合から目を逸らして。


 また、逃げるの?

 また、同じことを繰り返すの?


 今此処で逃げたら、もう二度とアビゲイルには会えない。

 ずっと謝りたいと思っていた。

 話しかけようと思って、出来なくて、それでもいつかは、と思っていた。

 此処で逃げたら、それすら叶わなくなるのだ。


 怖い。途轍もなく怖い。だけど。

 もう、後悔するのは嫌だ。


 震える足を叱咤し、光苔の入った瓶を掴むとエイミーは走った。そのままの勢いで暗い湖に飛び込む。音が奪われた暗闇で、アビゲイルを探す。

 呼吸が苦しい。もう駄目だと思った瞬間、水中でもがくエイミーの手に金の糸が触れた。

誤字報告、感想下さった方ありがとうございます。感謝してます。

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