9 soiree(1)
前回投稿より大変間が空いてしまい申し訳ございませんでした!!(土下座)
本日より更新再開しますので、お時間ある時に読んで下さると嬉しいです。
それからなんと初レビューを頂きました!!とっても嬉しいお言葉を頂き、元気が出ました。ありがとうございます。この場を借りてお礼を申し上げます。
★前回更新より間があいたため、一番上に登場人物紹介を追加しました。こいつ誰やねん、となった時にご覧下さい。
『うっうっうう』
沢山の花が咲き乱れる春の庭園に、必死に声を殺しながらも隠しきれない涙をしゃくりあげる音が響いている。
その音は自分から発せられていた。
――これは、夢……?
泣きじゃくりながらも意識は別のところにあり、冷静に観察している自分がいる。
『アビー?どうしたの』
後ろを振り向くとエメラルドそっくりの髪色をした男の子が心配顔で立っていた。太陽の光に当たってきらきら輝く様は本物の宝石のように美しい。
泣き腫らしてぐちゃぐちゃであろう自分の顔が恥ずかしくなり
『な、なんでもないの……』
慌てて首を振る。
男の子は黙って隣に腰を下ろすと、ポケットから取り出した真白いハンカチを頬に押し付けてきた。
『昨日のお茶会のこと?伯爵さまに何か言われた?』
『…………わたしが悪いの。わたしが悪い子だから』
いつの間にか握られていた手の温もりに心が解けていき、ぽつりぽつりと話す。
――ああ、覚えているわ。この時は確か……。
隣国の公爵家の令息が大使である父親にくっついてやって来ていて、自国の同じ年頃である貴族の子息令嬢を集めて王宮でちょっとしたお茶会が開かれたのだ。
幼いながらも将来は確実に美男子に育つであろう見目麗しい令息に、令嬢たちは色めき立った。
アビゲイル達に年回りの近い令息の数は上の世代と比べて少ない。少し上の世代に王子が生まれたため、男ならその側近、女なら未来の王妃とすべく、高位貴族家を中心にどの家もその時子供を作ったからだ。
まだ婚約者のいない令嬢たちにとってみれば、隣国の公爵家とはいえかなりの優良物件が突如現れたのである。此処で見初められれば隣国の公爵夫人も夢ではないと浮き足立つのも無理はない。
しかし、ギラギラとした熱い視線を一心に受ける肝心の令息の興味が向けられたのは、既に婚約者のいるアビゲイルだった。ふわふわとしたピンクブロンドの髪を靡かせ、銀の星をちりばめた不思議な菫色の瞳を持つ少女は、その場にいるどの令嬢よりも圧倒的に美しかった。
吸い寄せられるようにアビゲイルの隣に肩を並べた令息は、自身に群がる令嬢達を物ともせず、アビゲイルに熱心に話しかけ続けた。
間の悪いことに、婚約者であるユージーンは前を走っていた馬車が事故に遭い、その関係で会場入りが遅れており、助けを求めることは出来なかった。妹のマリアベルも困った様子でちらちらと此方を見てはいるものの、どうしていいのか分からないようだ。
そんな状況が他の令嬢達にとって面白い筈も無く。
やっとの思いで令息を振り切ったアビゲイルは、そのまま他の令嬢や子息たちに会場の隅に連れ込まれ囲まれた。
彼らは口々にアビゲイルを罵り、力任せに髪を引っ張り、ドレスに泥をかけた。
それを目撃した誰かが呼んでくれたのか、直ぐに警備の兵がやって来てアビゲイルは救い出されたが、とてもお茶会に戻れるような状態ではなかった。仕方無くそのまま家に帰り、泣き腫らしてその日はそのまま眠ってしまった。
翌朝、腫れた瞼のアビゲイルを待っていたのは父の叱責だった。
『何故周囲と仲良く出来ないんだ。暴力を振るう人間が悪いのは当たり前だが、アビゲイルももう少しうまくやりなさい。彼、彼女らともっとうまくやっていく方法はある筈だ。お前は将来伯爵になるのだから、社交くらい出来なくては困る。マリアベルは友人を作っているぞ?妹を見習いなさい』
父からしてみれば、茶会に出る度に何かと絡まれ上手くいなせないアビゲイルに苛立ちを感じ、強く注意してしまったくらいのことだったのかもしれない。
けれど理不尽な叱責は幼いアビゲイルの心に大きな傷を付けた。
せめて父の前では泣くまいと、歯を食いしばりながら執務室を後にし、テラスから庭に駆け込んで声を殺して泣いた。
そこに、デッカー家を訪れていたユージーンが話し掛けてきたのである。泣きじゃくりながら話すアビゲイルの要領の得ない話から事情を察したらしいユージーンは、アビゲイルの涙を拭くと優しく頭を撫でた。
『アビーは頑張ってるよ。アビーは悪い子なんかじゃない。いつも周りが勝手に誤解するだけだ』
『うっうう……』
『アビーの良いところをわかってくれる人はきっといるよ』
『そんなの、いないわ……』
『いるよ!少なくともぼくはアビーがいい子だって知ってる』
『うっ……うう……ジーン……ひっく……ジーンだけだもの……』
『そんなことないよ。昨日は間に合わなくてごめんね。次のお茶会はぼくがアビーの側にちゃんといるよ。みんなにアビーがいい子だって、教えてあげる』
『ジーン……』
『それに、ベルとアビーは双子でも別の人間なんだから、違って当たり前、気にすることないよ。空と海はどっちも青いけど、全然違う青さでしょ。それと一緒だよ』
『ジーン………それ、ジョー兄さまの受け売りでしょ……』
『へへっ、バレたか』
恥ずかしそうに鼻の下を擦るユージーンが眩しくて、アビゲイルは目を細めた。
ユージーンの色には淀みが無い。心と言葉が一致しているからか、いつも澄んでいて心地いい。
この人が婚約者で良かった。
幼いながらにそう思っていたのに――。
***
鈍い頭痛と共に目が覚めると、見慣れない天井だった。
「夢………」
懐かしい光景だった。かつてユージーンの心が真っすぐアビゲイルに向けられていた頃の。
ぎゅう、と痛む心臓を無視して、アビゲイルは身体を起こす。
身動ぎするだけで身体のあちこちに鈍痛が走る。ぼんやりした頭で部屋を見回すと、伯爵家の物と比べて一見して高価だと分かる家具が品よく設置された部屋だった。
アビゲイルが三人は寝れそうな広いベッドの上で記憶を辿る。
ここはどこかしら……ふと何気なく視線を落とした先に、自分のドレスを見てアビゲイルの記憶が蘇った。
――そうだ。私……オリバーに襲われて……。
理不尽な暴力の恐怖を思い出した途端、身体がぶるぶると震え出す。思わず自分の腕を自身の身体を抱きしめるように組んだ時、突然部屋の扉が開いた。
「アビゲイル!良かった、目が覚めたのね!」
ノックも無しに慌てた様子で部屋に飛び込んできたのは、アビゲイルの憧れの人――シェリーだった。
「良かった……」
シェリーはアビゲイルの姿を見るなり凄い速さでベッドに近づき、アビゲイルをぎゅうと抱きしめた。開け放たれたままの扉の前には、公爵家のお仕着せを身に着けたリリーと肩を落としたアルトゥーロが心配そうに此方を覗き込んでいる。
「あ、あの、シェリー様……」
おずおずと口を開くと、ハッとした様子のシェリーが慌てて身体を離し、リリーへ振り向く。
「ナイルを呼んできて」
頷いたリリーは数分経たない内に壮年の男性を伴って再び現れた。銀色の縁の眼鏡にブラウンのスーツを品よく着こなした男性は戸惑うアビゲイルの隣、ベッド横に置かれた椅子に腰を下ろした。
「アビゲイル、こちらはナイル。公爵家の敷地内に常駐させている医師なの。腕は確かだから安心していいわよ」
「こんにちは、お嬢様。眠っている間に応急処置はさせてもらったが、もう一度診察させてもらうよ」
そう言うと、ナイルは後ろを振り向き、リリーのみ残して部屋を出るように言った。
「嫌よ。私も此処にいるわ!」
「シェリー嬢。気持ちは分かるが本日の主役だろう?長年婚約していたとはいえ、叙爵したばかりのアンドリュー様ひとりに客人の対応させるのは無理があるんではないかな」
優しく、有無を言わせぬ口調で諭すナイル医師に、すぐ戻るわ!と言って渋々シェリーは部屋を出て行った。
「君も戻った方がいいのでは?」
「……私は診察が終わるまで扉の外で待ちます」
ナイル医師はやれやれと言った様子で肩を竦めると、アルトゥーロを気にせず扉を閉めた。
リリーはいつかの夜会であったパワフルな姿は鳴りを潜め、如何にも侍女然とした佇まいでそっと静かに壁際に控えている。
「待たせたね。それで……何処か痛い所は?」
穏やかなグレーの瞳に見つめられ、アビゲイルは遠慮がちに口を開いた。
「少し、頭痛がします。あとは頬が熱を持っている感じがして、身体を動かすと所々痛みが……」
ちょっと失礼、という言葉と共に、ナイルはアビゲイルの身体のあちこちを診察し始めた。
痛む箇所を聞かれ診てもらうと、オリバーに強く掴まれた腕やあちこち引きずられた足には擦り傷や打撲の跡が生々しく残っていた。
ひとつひとつに軟膏を塗ったり、ガーゼを貼ったりと、一通りの処置を終えたところでナイルは再び息を吐いた。
「何があったか覚えているかい?」
「はい、多分……夜会の途中で間違ってお酒を飲んでしまって、気分が悪くなったところにあの……男に絡まれ暴力を振るわれました。助けが来たところで気を失ったのだと思います」
震える声を絞り出すアビゲイルを落ち着かせるようにそっと背中を擦ると、ナイルはリリーに温かいお茶を淹れるよう頼んだ。
「うん、私が呼ばれた時には君は額から血を流し気を失っていた。外傷はそれほど深くないし、血ももう止まっている筈だけど、頭を強く打っているから二、三日は安静にしていた方がいい。それと、頬を強く叩かれているようだから冷やしておいたが、時間が経つと青痣になるかもしれない。もう暫くの間は発熱も注意した方がいいね」
「そ、ですか……」
「若いお嬢さんには酷なことだが、私は医師だから伝えておくよ。身体の方の傷は毎日薬を塗っていれば痕になることは無いと思うが、頭の方は……ちょうど生え際の辺りが切れていたから、もしかしたら額に傷が残ってしまうかも知れない。こればっかりは経過を診ないと何とも言えないがね」
ナイルは痛まし気な声で言った。その声にはこちらを優しく気遣う色が覗いている。
「傷が……」
徐に額に手をやって、初めて頭にぐるぐると包帯が巻き付けられていることに気が付いた。シェリーに会えるから、と侍女に美しく編み込んでもらった筈の髪の毛はすっかり解けている。
痛ましそうな視線をナイルに送られるが、アビゲイルの心は冷めていた。普通の貴族令嬢であれば、傷が出来るなど一大事だ。些細な傷ですら傷物と口さがない奴らに指差されることになる。けれど、今更額に傷ひとつ出来たところでなんだと言うのだろうか。
謂れのない悪評に濡れてきたアビゲイルは投げやりな気分になっていた。額に傷があろうと無かろうと、悪意をぶつけられることに変わりはない。
それよりも、現在自分が置かれている状況を把握しようとアビゲイルは口を開いた。
「あの……あれからどのくらい時間が経ってますか」
「君が気を失っていたのは一時間程だから、まだそれほど経っていないよ」
リリーから受け取ったカップをアビゲイルの手に握らせながら、ナイルが時計を取り出す。
「そろそろ扉の前の彼を呼んでもいいかな?君と話したいようだから」
躊躇いつつもアビゲイルが頷いたのを確認すると、ナイルはアルトゥーロを招き入れた。
「やぁ、アビゲイル嬢。気分はどうだい……って良い訳ないよね」
失言を悟りアルトゥーロは眉を下げる。
「あの、助けていただいてありがとうございました」
ベッドの上で深く頭を下げようとするアビゲイルを、慌ててアルトゥーロが抑える。
「御礼なんていいから!それより安静にして」
視界に駆け寄ってきたアルトゥーロの手が入った瞬間、アビゲイルは小さな悲鳴を上げた。
「あ、ごめん。あんなことがあったばかりで、怖いよね」
「違います!アルトゥーロ様、その手は……!」
慌ててアビゲイルから距離を取るアルトゥーロに、アビゲイルは真っ青になって叫んだ。
その釘付けになった視線の先――つい先程、夜会で素晴らしいヴァイオリンを奏でていたアルトゥーロの右手には、それまで無かった白い包帯が巻かれている。
アビゲイルの悲痛な声に、しまったという顔でアルトゥーロは慌てて右手を背中に隠した。
「あー……これは、その。気にしないで」
「私の……私のせいですね。私を助けた時に……」
泣きそうになるアビゲイルの脳裏に、オリバーを組み伏せるアルトゥーロの姿が思い出される。
あの時アルトゥーロはあっという間にオリバーを制圧してしまった。意外にも荒事に慣れているのかと痛みに耐えながらぼんやりと思ったが、冷静になった今、落ち着いて考えるとそんなわけないとわかる。
音楽家にとって身体で一番大事な部分である筈だ。その彼になんてことをさせてしまったんだろう……。
自らの失態が引き起こした事態に、アビゲイルは真っ青になった。
「違う!本当に、これは君のせいじゃない!君を助けた時は何ともなかった。これはその後で……俺が馬鹿だったんだ。つい、かっとなって」
「その後で……?」
「アルトゥーロ様」
壁際にいたリリーがいつの間にかすぐ近くまで来ていて声を掛ける。その言葉にアルトゥーロははっとしたように顔を上げた。
「と、とにかく、これは君のせいじゃないから気にしないで。今日はもう休んだ方がいい」
「あの、あの人……オリバーはどうなったのですか」
「ああ……捕まったよ。今頃は牢屋にいる筈だ」
精悍な顔を歪ませたアルトゥーロは、アビゲイルが意識を失っていた一時間余りの間に起きていたことを簡単に教えてくれた。
あの後、駆け付けた公爵家の護衛に取り押さえられたオリバーは、連絡を受けた王都の騎士団の騎士たちに連行された。警備が厳重だった屋敷にどうやって潜り込んだのか、尋問しようにも明らかに正気でない様子から、飲酒だけなく違法な薬物を摂取している可能性もあると判断され、厳しい取り調べが待っているだろう、とのことだ。
「アビゲイル嬢には酷かもしれないが、明日以降、今日のことを聴取されると思う」
「分かりました。あの、お父様たちには……」
今夜の夜会には婚約者のユージーンだけでなく、両親と妹も来ている。尋ねたアビゲイルに、アルトゥーロとリリー、ふたり揃って苦い顔をした。
「……ルーセント公爵から君の家族に話はいっている」
妙に歯切れの悪い言い方に引っかかるものを感じ、アビゲイルは首を傾げた。
「詳しいことは、明日以降にしよう。公爵も今夜はこのまま休んでいくようにと言付かっている」
「え、でも」
戸惑うアビゲイルにリリーが近づく。
「お着替えも用意してございますから、まずはお召替えを」
「有難い申し出ですが、そこまでのご迷惑は掛けられません。このまま家に帰ります」
「それは止めた方がいい。頭を打っているんだ。安静にしているようにと、ナイル医師からも言われただろう」
アビゲイルはふるふると首を振った。折角の祝いの場で問題を起こしてしまったというのに、このままぬくぬくとお世話になるわけにはいかない。幸い動けない程の怪我ではない。きちんとした御礼はまた後日になるだろうが、今日はもうこのまま家に帰りたかった。
「馬車で帰るだけですし……それくらいなら平気ですよね?」
アルトゥーロの背後に控えるナイル医師に視線を送る。
「まぁ、馬車の移動くらいなら問題は無いとは思うが……」
言いながらも、ナイル医師は苦い顔でアルトゥーロとリリーに順に目線を送る。
「駄目だ。君が襲われたことは表に出ないようルーセント公が手を回しているが、騎士団の連中がやって来たのは一部の招待客に目撃されているからな。そんな中を頭に包帯を巻いた君が出ていったらどうなると思う。今夜は此処にいた方がいい」
アルトゥーロの言い分は尤もだった。隣でリリーも頷いている。
アビゲイルは仕方なく頷くしかなかった。
「あの、父たちには……」
「彼らは事情があって先に帰ったよ……君の婚約者も。デッカー伯爵は、君が気を失っている間に一度様子を見に来たから、その時に君が今夜泊まることは伝えてある」
アビゲイルはアルトゥーロの発言に眉を顰めた。
次期当主という立場から、マリアベルに比べアビゲイルに厳しい傾向のある両親ではあるが、流石に襲われて怪我を負った娘が目を覚ますのを待たず、繋がりの薄い家に放置してさっさと帰ったというのは違和感があった。
ここのところなんとなく気まずい状態が続いているマリアベルはともかく、両親がそのような行動を取ったのであれば、それなりの理由があるのではないだろうか。
「事情というのは……?両親に何かあったのですか」
アビゲイルの問いに口ごもるアルトゥーロに痺れを切らしたのか、リリーが横から口を挟んだ。
「あったといえばあったのよ。ご両親というより、貴方のクソ……失礼、妹さんたちにね」
「リリー嬢!」
「はいはい、もう言いませんよ。アビゲイル様、詳しいことは明日にして、今は着替えてお休みしましょう」
リリーは妹たちと言った。アビゲイルに妹はひとりしかいない。ならば、“たち”と表現された中には、ユージーンがいるのだろう。恐らくは……。
不穏な気配にアビゲイルは頭痛が増すのを感じた。
その声の色から、リリーやアルトゥーロが気分を害すような何かがアビゲイルの知らないところで起きたのは明白だ。
しかしながら、有無を言わせぬ笑顔でナイル医師とアルトゥーロを部屋から追い出し、柔らかいリネンのネグリジェを手にぐいぐい迫ってくるリリーを跳ね除ける術をアビゲイルは持たなかった。
そうこうする内、アビゲイルは鎮痛剤の影響もありいつの間にかそのまま眠ってしまった。気がついた時には公爵家の客室で朝を迎えていた。
この後暫く重めの展開が続きますが、その後は上向いていく予定なので、苦手な方は纏め読み推奨です。