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第三十六話:髪

 愛実が死んだ。

 大学から帰ってみると、玄関でうつぶせになり、息をしていなかった。今朝のままの姿だった。僕がハンマーで後頭部を殴ったせいだ。まさか死んでいるとは思わなかった。

 殴った場所を見ると、そこが陥没して、白い脳味噌がはみ出している。不思議と血は流れ出てはいなかった。

 台所から包丁を持って来て、浴室で解体しようとしたが、こんなに難しいものだとは思わなかった。結局途中で諦め、ゴミ袋に入れようとしたが、大きすぎて何枚も袋を使わされ、ガムテープも一本使い、工夫苦労をしてようやくラッピング出来た。深夜になって車に乗せて峠道を行き、谷底へ投げ落とした。切断しかけの左腕がぶらんぶらんと揺れながら、途中でちぎれて飛ぶのが見えた。


 アパートに帰ると、トレーナーの胸に愛実の髪の毛がいくつか付着しているのに気がついた。僕のと違って色が薄いのですぐにわかる。彼女の可愛かった笑顔を思い出す。僕はそれを一本取ると、唇で触れた。一体、愛実とは何だったのだろうか。この髪の毛は愛実だろうか。浴室で解体出来ていたとしたら、どの部位が愛実だったのだろうか。首だろうか、それとも僕の胸をいつも優しくさすってくれた掌だろうか。


 部屋のあちらこちらから愛実の髪の毛が出て来た。僕は丁寧にそれを一本一本、かき集める。まとめて細い紐で縛ると、藁人形のようになった。とても愛らしい藁人形だ。ここに愛実の魂を入れればこれが愛実になるのだろうか。


 その夜、夢に愛美が出て来た。愛美の、目だけだった。喋れないのでただ恨めしそうに、僕を様々な角度から睨めつけて来た。僕はお前が憎かったから殺したわけじゃない。大好きなお前が顔を歪ませて、この部屋を出て行くというからお仕置きをしただけだ。でも大好きだったお前が一体何だったのか、わからなくなった。今、ハエのように、俺の前を飛び回っているこの眼球は、愛美だろうか? 確かに茶色がかった瞳は愛美のものだ。しかしあの垂れ目を形作っていた瞼はない。これは愛美ではない。ただのハエだ。僕は両掌でそれを叩き潰した。


 朝、起きると茶色の髪が僕の布団を覆い尽くすように絡みついていた。首にも巻きついていたが、人を殺せるほどの力はなかったようだ。僕は溜息を吐きながら一通り手で片付け、あとは掃除機をかけた。僕の愛する愛美はもういないのだ。嗚咽が漏れた。自分でハムエッグを作り、味気なく食事をすると、荷物をまとめ、大学へ出かけた。


 愛美のことを思い出しながら、車を走らせた。思い出の中の彼女こそが、僕にとっての愛美だった。



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