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第三話:腐り桜

★恐怖度:8


桜は来年も美しく咲くための生け贄を探して、歩く。

 花は眼窩から垂れ下がった眼球のように、溶けてぼたりと落ちようとしている。枝は剥かれた骨の色をして、銀色に鈍く光っている。

 見る人の去った桜はひっそりと、来年また咲き誇るため、根元に隠した男の死体から養分を吸い尽くしてしまったので、新しい死体を求めて歩き出そうとしている。



 中年商社マンの金子定春(かねこさだはる)は疲れ果てていた。元々内向的な性格でありながら、他人を持ち上げる才に長けていたためにこれを天職と思い込んでしまっていた。

 接待花見の連チャンが漸く済み、次に待ち構えるゴルフ接待の続くスケジュール帳を見つめていた彼は、ふと顔を上げた。

 殺風景な町の風景だった。賑やかさのないことが忙しい胸をほっとさせた。


『風が気持ちいいなあ……』

 金子は久しぶりに景色というものを見た気がした。眺めのよい小山の上で花見に参加していても、彼の目はずっと人間の中を駆けずり回っていた。

 風が頬をくすぐり、ネクタイを締めた首筋からも入り込んで来て体中を優しく撫で、汗ばんでいた胸を爽やかにしてくれる。

 金子は心地よさに歩きながら一瞬目を閉じ、次に開けた時、目の前に少女が立っていたので驚いて声を上げてしまった。


 少女は(とろ)けたような白の和服に身を包み、右目には眼帯をしていた。ほんのりピンク色の唇から粉のように、香気のようなけむりが漂っており、うつろな左目でまっすぐに金子の顔を見つめて来る。


 びっくりしながらも金子は少女の横をすり抜けて通って行こうとした。しかし足はその場に止まってしまう。

 じっとこちらを見つめるその少女に話しかけてしまう。

「君は誰?」

「私はさくら」と、少女は静かな声で答えた。

「この世のひと……?」

 金子は思わずそう聞いた。

「帰れなくなってしまったのです」と、少女は申し訳なさそうに、しかし無表情に、言った。

「道に迷ったの?」金子は優しい声で聞く。「家はどこ?」

「あの小山の上です」と、少女はすぐそこに見えている公園のある丘を指し、言った。「私をおぶって行ってくれませんか」


 少女の足を見ると、草鞋(わらじ)を履いたその指が軒並み(とろ)けたように()んでいる。

 金子が辺りを見回すと人影はない。

 金子は呪文にかけられたように少女に背中を差し出していた。



 気がつくと小山を上りきっていた。何日か前、接待で花見をした公園だった。

 背中にはやたらと軽い少女の感覚がある。腕は確かに少女の細くひんやりとした生足を掴んでいた。

 おそるおそる振り向いてみると、少女は無表情に金子を見つめている。澄んだ銀色の瞳がじっと金子のうなじの辺りを見つめていた。

「つ、着いたよ?」

 金子がそう言うと、少女は花びらのように背中から降りた。

「ありがとう」

 静かな声でそう言うと、少女はすぐに歩いて行った。

 どろりと溶けたように地面に広がる桜の花びらの海を歩いて、桜の木を一本曲がると、急に姿が見えなくなった。


『なんだ、何もないのかよ』

 金子は安心すると同時にがっかりした気分になった。

『悪いこともなければ、いいこともないのかよ』

 仕事中だったことを思い出し、踵を返して訪問先への道を歩き出す。時間はまだ余裕があった。


 べちゃべちゃと音を立てて蕩けた花びらを踏み、歩いていると、ふいに、理由もなく、怒りが込み上げて来た。

「なぜ俺は?」

「ちくしょう」

「ふざけやがって」

「俺をばかにするな!」


 春の陽気にくらくらして気がおかしくなったのだろうか? などとも思わなかった。とにかく目に入ったのは、前方の柵に立て掛けてある大きな(くわ)だった。何故そんなところにそんなものが置いてあるのかなどとも考えなかった。

 何かに操られるように金子はそれを手に取ると、周囲を見渡した。口から粉のような黒いけむりを吐いた。

 花見の季節を終えた公園には誰もいなかった。いや、1人だけ、いた。

 前方の桜の木の陰から、先ほどの少女が現れた。蕩けたような白色の着物の裾を風にぶよぶよと揺らし、眼帯に隠れていないほうの左目を笑わせ、手招きをして金子を導いた。


「ふざけんな」

 金子は歯軋りをすると、声を上げた。

「てめえ、俺がなんにも出来ないとか思うなよ?」

 鍬を持つ手に力を込め、それを振り上げ、駆け出す。

「ばかにしやがって」

 振り下ろした。

「死ね!」



 桜の花びらの舞い散る公園に、一際大きな桜の木が一本、ある。

 若々しく細い枝を生やす他の桜と違って、太い幹から禍々しい枝を無秩序に伸ばしている。

 白昼、その根元を鍬で掘っている1人の男がいた。その傍らに死体がある。頭を割られて横たわるのは、公園管理の仕事をする初老の男だった。

 湿った花びらを鍬で叩くと根元の地面が裂けた。

 中から無数の白骨が姿を現す。カラカラに干からびている。


 初老の男が埋められるのを木の陰から見ながら、白い着物の少女が立っている。

 桜の木が血を吸い上げると、少女の着物がほんのりと赤みを帯びる。

 やがてそれは綺麗に桜色となり、来年に備えて少女は嬉しそうに眠りについた。


 これで来年も美しく咲ける。

 これで来年も人間を喜ばせることが出来る。



 桜の木の根元に人間を埋めたことなど忘れ、金子は仕事に戻る。

 誰も見ていなかった。来年も彼はあの木のたもとで、花見を開くだろう。



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