第十七話:河童の逆襲
★恐怖度:1
私は高校卒業を目前に控えていたある日、オカルト好きな友達と二人で、河童の逆襲を待ち構えながらの長い夜を過ごした。
高校卒業を目前に控え、私達は暇を持て余していた。
広い借家に1人で住んでいる友達がいて、そいつの家にいつもたむろしていた。べつに親しくない人なんかもぞろぞろ来て、二階の一室を借りてエッチしてる人もいたし、音楽をかけてギターを弾いて歌ったり、昼間からお酒を飲んでオッサンみたいに昼寝したりと、私達はまさしく暇を持て余していた。
20人以上がその家にたむろしていたが、私は皆の中でも一番大人しく、そこにいるのが不思議なぐらいな人種だった。
「明日、F門院に釣りに行かね?」と、誰かが言い出した。「雷魚釣ろうぜ、雷魚」
市内にF門院という敷地の広いお寺があって、その境内の脇をお城の堀川が流れている。
その堀川に雷魚が棲むという噂があったのだ。
「どうせ鮒か鯉しか釣れんだろ」
「それでもいいじゃん。どーせみんな暇だろ?」
と、いうことで、私も含めて男4人と女3人でF門院へ魚釣りに行くことになった。
私の少ない友達の1人に永井浩子という女子がいた。大柄で肌の色が黒く、機嫌の悪い時には目つきが異様に怖く、頭は鳥の巣みたいにもじゃもじゃで唇はタラコという、見る人によっては女子として見られないようなやつだったが。
彼女は明るく行動的で、クラスの姉御的な存在だった。病気のため2年遅れており、高校三年生のうちに二十歳になっていた。大人しい私が皆の中に混じっていたのは主に浩子に連れられてのことだった。
私は男のくせに男子恐怖症みたいなところがあって、男が怖かった。一年生の頃いじめられていた経験もあり、女子とのほうが話しやすかった。
何よりそのいじめの現場に現れて男子を一喝した浩子の姿に私は憧れていた。
「なんで釣りなんかについて来ちょーや、宇悠。お前、魚嫌いじゃなかったかや?」と、自転車を漕ぎながら、浩子が出雲弁で私に言った。
「うん。魚は嫌いだけど、F門院って俺が育ったアパートの近くにあーけん、懐かしくて……」
「嘘つけや。皆に流されてるだけだろーが。大学行ったらその流される癖、やめれや? 自分をしっかり持て」
「うん」
私は忠告に感謝する表情を浮かべて笑ったが、心では『違う、そうじゃない』と思っていた。
私は浩子のことが好きだった。実を言うと2年生の時には告白もしていた。
私の部屋に遊びに来て、私の描いたマンガを寝転がって読んでくれていた彼女に、
「浩子のこと、俺、へんな意味で好きだ」
と私が言うと、彼女は私のベッドの上で笑いながら震え上がった。
そんな浩子の反応を見て冗談だということにしたので、卒業まで友達関係が続いていた。
卒業してからも付き合いはあった。だが、イラストレーターとなった彼女が、忙しさが理由だったのか、病気を再発してしまったという話を聞き、二時間半を超える長電話をかけたのを最後に、今は行方がわからなくなってしまっている。探す術もない。
話がそれた。高校卒業直前のあの時のことに話を戻そう。
私は浩子がどこかへ行くと聞いたら必ずついて行っていただけだった。
魚釣りに付き合ったのも浩子が行くというのを聞いたからだ。
平日のF門院の境内には大抵誰もいなかった。
お寺の人を見た覚えもない。私達7人はそれぞれの自転車を門の前に止めると、持参した釣竿を手に、寺に入って行き、脇を流れる目的の川へと向かった。
川は濃い緑色に汚れており、いつも通りゴミも流れていた。
そこかしこでジャバン、ドボンと音がする。鯉が跳ねているのだろうが、姿は見えない。
友達は釣糸を垂れると、大声でバカ話を始めた。釣る気があるのかないのか、わからなかった。
浩子も男子に混じってバカ話をし、大声で笑っていた。
私はぽつんと離れたところで兄から借りて来た釣竿を川の上に捧げ、魚がかかるのを待っていた。雷魚は底のほうにいるのでウキはつけなかった。
当時、何をエサにつけてどんな釣り方をしていたか忘れたが、今から思えばそんなんじゃ雷魚はおろか、鮒も鯉も釣れへんやろ! みたいに言われそうなほど私達は無知だったように思う。
当然のように誰も何も釣れなかった。
私は魚は食べるのも触るのも嫌いなので、釣れなくてもべつに構わなかったが、さすがにバカ話をする皆と離れたポイントで何の反応もない釣糸をじっと見つめているのが退屈になって来た。
寺の奥のほうはまるで森のように鬱蒼と木々が繁っており、私はその何やら物の怪でも出そうな魅力的な雰囲気に誘われて、釣竿をほったらかしてそっちへ移動した。
私は産まれた時から小学校2年生まですぐ近くにあるアパートに住んでいた。F門院は幼い私の主な遊び場だったのだが、そんな暗い界隈があったことをその時初めて知った。
地面を見ると小石がたくさん落ちていた。
私はそれを拾うと、退屈しのぎに川へ向かって投げ始めた。
小石が川面を跳ね、ピョンピョンピョンと飛んで行くのが面白く、子供に返ったように私はその行為に耽った。
そうして私が小石を投げ続けていると、川の中からそれが現れた。
最初は何か大きなゴミが浮かんで来たのかと思った。
丸くて緑色のヌルヌルしたそれは、しかし頭にお皿のようなものが乗り、その周りには髪の毛が生えていた。
私が目を丸くして見つめていると、後ろ姿のそいつはこちらをちょっと振り返りかけて止め、そのまままた川の中へとゆっくり沈んで行った。
私は1人、声を上げた。
「河童だ!」
そしてすぐに皆のところへ駆け出した。
「あっ、あっ、あっちに、河童がおった!」
私が報告すると、皆はバカを見るような顔で笑いながら私のほうを見た。
その中で1人だけ、真顔で「なんだってぇー!?」みたいな顔をしてくれたヤツがいた。浩子だった。
浩子は超がつくほどのオカルト好きで、確か雑誌の『ムー』を定期講読していた。
2年生の時の夏休みには私と2人でUFOを探しに山の頂上へ登ったこともある。
実は私は浩子に勧誘されて某新興宗教に入信していたことがある。
浩子だけが私を信じてついて来てくれた。
「どこだ? どのへんに河童、おった!?」
浩子は一大事みたいな顔をして川を凝視した。
「確かあのへん。俺が小石を投げとったら浮いて来た」
何も言わずに浩子が小石を拾った。
180cm近い長身の浩子が、女子とは思えない豪快なスリークォータースローのフォームから小石を放った。
制服の紺色のスカートがライオンの鬣みたいに広がった。
そう。何も部活はやっていなかったが浩子は運動神経が抜群で、野球をやっても男の私よりも速い球を投げた。
その剛球がビシッ! ビシッ! と音を立てて銃弾のように川に突き刺さる。
「河童ぁー!」
浩子は声を上げながら小石という名の銃弾を放ち続けた。
「出てこいやあー!!!」
「待って! それ以上やったら河童さんが死んでしまう!」
私は浩子を止めた。
すると暫くして、濃い緑色の川面に、薄い緑色の何かが浮いて来た。
物体ではなかった。薄い緑色の液体が川面を染めているような、そんな感じだった。
「……血?」
私は思ったことを口にした。
「河童の血か!?」
浩子がびっくりしたような声を上げた。
そしてまた暫く見ていると、後頭部に大きなたんこぶを作った河童が、背中からゆっくりと浮き上がって来たのだった。気を失っていた。
「たも網! たも網持って来い!」
浩子が興奮して言った。
「取るぞ! あれ、持って帰って『ムー』に投稿したい!」
向こうにいる皆を浩子は呼ばなかった。
何を考えていたのかわからないが、確かにこういう謎めいたものはごく少人数で楽しみたがるタイプだった。
私がたも網を取って戻ろうとすると、浩子と河童が格闘しているのが見えた。
川にはまださっきの河童が浮かんでいるので、どうやら新たな河童が現れ、陸に上がって来たようだ。相当怒っているように見えた。
私は一瞬、足がすくんだが、浩子が河童に殺されると思い、たも網をめちゃくちゃに振り回しながら突撃した。
「アホ! みんなを呼べ!」
浩子がそう言うのも聞かず、私はたも網を振り下ろした。
河童は全身緑色のヌルヌルした体を浩子に押しつけるように迫りながら、細い腕を動かして、長い爪を執拗に浩子のスカートの中へ入れようとしていた。尻子玉を抜こうとしていたのかもしれない。
私のたも網が頭のお皿を叩くと、河童は金色の目で私のほうをギロリと睨んだ。
その隙をついて浩子のミドルキックが河童の腰を襲った。甲羅と尻の間の、なんとなく河童の急所っぽいところへ攻撃がモロに入り、河童は逆『く』の字に曲がった。
「よし! 捕まえろ!」
浩子が私に協力を求めながら、河童にタックルをかまそうとした。
しかし河童はそれをかわしてすぐに立ち上がると、憎しみを込めた目で浩子を睨んだ。
「カケロ、キロ、ヒキロ、ネロ」みたいな声を口から吐いた。
そして150cm近くあるように見える大きな体からは想像も出来ないような、カエルのような速さで川に飛び込んだ。
ばっしゃああん! とか音がしないと不自然だったのに、とぷん、とウシガエルが飛び込んだ程度の音を残して、二匹の河童は消えた。
「あの河童、絶対復讐して来よんぞ」
浩子の部屋で床に座って私達は話し合った。
「実は生徒手帳を持って行かれた。来るとしたら、ここだ! ここへ来る!」
浩子は団地の3階に住んでいた。
彼女の部屋は女子の部屋とは思えないほどに男らしかった。
壁には名前は知らないがサッカー選手のポスターが貼ってあり、隅には金属バットが立て掛けてある。
「河童に学生証の住所読めるのかなぁ。日本語わかるのかなぁ」
私が疑問を口にすると、浩子は顔でシャラップ! と言った。
「危機が身に迫っちょー時、想定されることはすべて想定しとかんといけん。ヤツは今夜にでもここを襲撃して来うぞ。宇悠、お前、今夜ここに泊まれ」
「ええ!?」
「戦力が必要だ。幸いお前はオレよりも背が高い。河童がやって来たら、蹴れ。とにかく蹴りまくってくれ」
私は急に浩子の部屋に泊まることになった。何度か遊びに来たことのある部屋ではあったが、女子の部屋に泊まるのは初めてのことだった。
その夜、私は浩子のベッドに寝た。
遠慮したのだが、客を床で寝かせるわけにはいかんと、浩子が長クッションを敷いて床に寝た。
「宇悠、起きちょーか?」
眠ったと思っていた浩子が話しかけて来た。
私は眠れるわけもなかったのですぐに答えた。
「うん。起きてるよ」
「……高校3年間、色々あったよな」
「あ……うん。浩子がいたからいい高校生活だったよ」
「オレもな……。お前に出会えてよかったって思っちょるよ」
「本当に?」
嬉しかった。その言葉が涙が出るほど嬉しかった。
「ああ。お前みたいな何考えちょるかわからんタイプの人間と仲良くなれたのはいい経験だった。色々と知らなかったことを知れた」
複雑だった。どう受け止めていいのか複雑だった。
「お前、音楽やめるなよ? プロになって、有名になって、オレに『こいつ高校の同級生だ』って自慢させてごせ」
私は音楽が好きでギターや作曲をやっていて、文化祭では浩子をボーカルにバンドを組んでステージに立ったこともあった。進んだ大学は商学部で、今では趣味でギターをまだ弾いている程度だが。
「浩子は京都の美大行って、将来はイラストレーターになるんだよね」
浩子はその夢を叶えた。今は行方不明だが、もしかしたらどこかでまだ細々とイラストの仕事をやっているか、あるいはこっそりとエロ漫画家でもやってるんじゃないかと思っている。
「なあ……。宇悠」
「ん?」
「お前、2年の時、オレのこと、へんな意味で好きだとか言ったことあるだろ?」
「あ……。うん」
「あれ……。本当か?」
私は返答に詰まった。
浩子にはその直前まで付き合っていた恋人がいた。恋人とはいっても同性の、つまりは女の子だったが。
浩子はたぶんバイセクシャルだった。男でも女でも恋愛対象として見ることができる。
っていうかあまり恋愛とかには興味がないように見えていたのだが、前述の女の子から告白された時にはめっちゃ喜んでいた。バレンタインデーにチョコを渡されると同時に告白されたようで、ホワイトデーを前に私は浩子に「何をお返ししたらいいかな」との相談を受け、買い物に付き合わされた。恋人のいたことがない私は何のアドバイスもできず、結局浩子は自分で選んだ可愛いキャラクターのマスコットを買っていたが。
「うん。あれ、冗談じゃなくて、本当に好きだよ」とか言ったらまた気持ち悪がられて「帰れ」と言われそうな気がした。
それで私は黙っていた。長い間、黙っていた。とことん黙り込むのは私の得意技だった。相手が何も突っ込んで来なければ一日中でも黙っていることが出来る。
聞いた浩子も黙っていた。浩子は明るくてよく喋る性格だが、黙り込むとこいつがまたとことん黙るやつだった。
私は天井をずっと眺めていた。ベッドの上からそっと窺うと、浩子も目を開けてじっと天井を見つめていた。
河童は結局逆襲に来なかった。
私達はそれを待つのを口実にするように、じっと朝まで眠らないまま、二人とも天井を見つめていた。
河童の血が浮いて来る直前まではすべて実体験です。人物名は仮名です。
このエピソードは以前『私が実際に体験した心霊話』の中の『F門院の怪』でも取り上げました。




