第十二話:空飛ぶおばあちゃん
★恐怖度:2
私が中学生だった頃、実際にあった話です。
おばあちゃんのことを思い出しながら書きました。
中学校の遠足帰りにおばあちゃんの家に寄った。
大きな公園で解散した後、ぼくはとんでもなく喉が乾いていた。水筒のお茶を早くに飲みきってしまい、それから何十分もひたすら歩いていたからだ。
ちょうどおばあちゃんの家の近くで解散したので、ぼくは頑張って歩いておばあちゃんの家にたどり着いた。
ぼくのおばあちゃんはすごく古い大きな家に一人で住んでいる。
江戸時代、ぼくのご先祖はお城の殿様の主治医をやっていたそうで、おばあちゃんの住んでいるこの家は、その頃は藩で一番の病院だったらしい。
おじいちゃんが元気な頃までは、ここはちゃんと病院としてやっていた。とても古い木にガラスをはめた受付の中に看護婦さんがいて、おじいちゃんが患者さんを診ていたのをぼくも覚えている。
でもお父さんがずっと赤十字病院に勤めていて開業しなかったので、遂にここは病院じゃなくなってしまった。おじいちゃんも死んでしまったので、今ではおばあちゃん一人が住む広すぎる家になっていた。
古くて重たい黒い木の扉を持って力を入れると、中からかんぬきは掛かっていなかった。ドラドラみたいな音を立てて扉を開けて、ぼくは中にいるおばあちゃんに声をかけた。
「おばあちゃーん! 喉乾いたー!」
テレビの音がしていた。それ以外には何も音がしなかったので、ぼくは靴を脱いで玄関から上がった。
開いたガラス戸から覗いてみると、テレビを見ているおばあちゃんの後ろ姿が見えたので、ぼくは怒って声をかけた。
「なんだ、いるじゃん! おばあちゃん、喉乾いた!」
耳が遠いおばあちゃんはテレビのボリュームを爆音にしていた。だからぼくが声をかけてもまだ聞こえないみたいだった。
ぼくが前に回り込んで「ねー、おばあちゃん」と言うと、いきなり現れたぼくにびっくりしたようで、おばあちゃんは入れ歯を口から落としそうになった。
「なに? 草ちゃんか。びっくりするがね」
「喉乾いたー。なんかない?」
「冷蔵庫にファンタオレンジが買ってあーよ。あんたがいつ来てもいいようにね」
ぼくはたっと走って廊下へ行った。おばあちゃんの部屋から出てすぐの廊下に冷蔵庫が置いてあって、それを開けるとファンタオレンジの大きな缶が1本だけあった。
何しろ広い家なので、台所までは長い廊下をずっと行かないとたどり着けない。おばあちゃんがここに冷蔵庫を置いてるのは正解だと思った。
ぼくはこたつにあたるおばあちゃんのところへ戻ると、ファンタオレンジを開け、一気に飲み干した。
よく冷えていた。甘いけどすっきりした液体が喉をするする通っていって、炭酸があとからぼくの口から逆流するようにぶはあっと出た。
「その格好、遠足だったんかね?」おばあちゃんが聞いた。
「うん。楽山公園まで歩いて来た。水筒のお茶、早くなくなったけん、喉乾いてさー」
ぼくがそう言うと、おばあちゃんはリモコンでテレビの音量をちっさくし、ニコニコと笑った。
「おばあちゃん、一人で住んでて寂しくない? ぼくのアパートで一緒に住めばいいのに」
ぼくがそう言うと、おばあちゃんは笑った顔のまま、またテレビのほうを向いた。
「ありがと、草ちゃん。でも、あんたのお父さんはそう言ってくれんからね。それに、先祖代々のこの家に誰もいなくなーのは避けたいからね」
「じゃ、ぼくが一緒に住んであげる」
「そりゃーいい。賑やかになるよ」
ぼくは本気だった。こんなに広い家におばあちゃんをひとりぼっちにしているお父さんのことが許せなかった。
ぼくは幽霊を見る力がある。昔から怖い幽霊をたくさん見ていた。この家にももちろん、幽霊は出る。でも怖い幽霊をここで見たことがなかった。二階の昔ヒロユキおじさんが学生の頃に使ってたらしい部屋で、一人の女の人がぼそぼそと何か一人で会話をしているのを見たことがあるけど、綺麗で優しそうな女の人だったので怖くなかった。だから平気だった。
「夏休みになったらぼく、ここに住むよ。お父さんに相談してみる」
ぼくがそう言うと、おばあちゃんは「おー」と驚いたように口を開けた。
「無理してくれんでもいいよ。ここには何もないからね」
「音楽さえ聴けたらいいよ。ぼく、それだけ持って来る。毎日一緒にご飯食べようよ」
「本当に? それは楽しみだねぇ」
おばあちゃんはなんだか照れたような顔で笑った。
今日はこれで帰ると言うと、おばあちゃんは腰が曲がってるのに、玄関まで出て来てくれた。
「玄関に鍵かけとかないと危ないよ? ちゃんとかけときなよ?」と、ぼくが言うと、
「誰か来ても鍵を開けに歩くのが面倒でね。勝手に入って来てくれたらいいと思ってかけてないんだよ」おばあちゃんは呑気な笑顔でそう言った。
「うーん。でも危ないよ? かけときなよ」
「盗られるものなんかないよ。ありがとね」
おばあちゃんはそう言うと、広すぎる土間には下りて来ずに、広い廊下に立ったまま手を振った。小さなおばあちゃんが、広すぎる家で、もっと小さく見えた。
ぼくが扉を閉めても中からかんぬきが掛かる音はしなかった。
アパートに帰って、晩ごはんの時にお父さんにその話をすると、是非そうしてくれと言われた。
ぼくはお兄ちゃんと仲がよく、よすぎるので、しょっちゅう激しい喧嘩をしていた。
それがうるさくて嫌だったようで、ぼく達兄弟をなんとか隔離したいと思っていたようで、ぼくはあっさりと夏休みをおばあちゃんの家で過ごすことが決まった。
ヤッカイバライされるわけだけど、そんなことどうでもよく、ぼくは何を持って行こうかなぁと頭の中でおばあちゃんを楽しませるものの選択をし、ワクワクしていた。
その夜、ぼくがベッドで寝ていると、なんだか窓の外が明るいのに気づいた。
部屋はアパートの四階なのに、下のほうから白い光がゆっくりと上がって来る。
ぼくはベッドから下りて、おそるおそる窓に近づいた。
窓の下のほうは磨りガラスになっていて、そこに白い影が浮かび上がった。
天使の輪を乗せた白髪頭が、ゆっくりとせり上がって来た。
おばあちゃんだった。
ぼーっとした顔でぼくを見ていた。
ぼくがただびっくりして見つめ返していると、おばあちゃんは少し寂しそうな顔をしてから、すーっと下に下がっていった。
光も消えたので、ぼくが窓を開けて見ると、見下ろしたところにおばあちゃんはいなくなっていた。
ぼくは慌てて走り、玄関のところの電話を取った。
おばあちゃんの家の電話番号にかけて、出るのを待った。
まさか?
まさか?
ぼくはおばあちゃんに電話に出て、元気な声を聞かせてほしかった。
夜の1時だった。
おばあちゃんは電話に出ず、お父さんも眠ってしまっていた。
どうすることも出来ず、ぼくはベッドに戻った。悪い予感を胸におさえながら、朝が来るのを待った。
遠くで救急車のサイレンの音が聞こえていた。
次の朝、お父さんにそのことを言うと、バカを見る目で見られた。
おばあちゃんに何かあったかもしれないから確認してほしいとお願いしたけど相手にされず、そのまま赤十字病院へ出勤してしまった。
お兄ちゃんは反抗期真っ盛りの高校一年生で、悪い友達と遊ぶのに夢中だった。通学途中におばあちゃんの家の前を通るんだけど、その時に見て来てほしいと頼んでも無視された。
ぼくの中学校はおばあちゃんの家とは方角が全然違って、仕方なくぼくは学校の帰りに遠回りをしておばあちゃんの家に行ってみることに決めた。
授業なんか頭に入って来なかった。早退しようかとも思った。でも叱られるのが嫌で、ずっと学校が終わるのを待った。
ぼくはおばあちゃんの家の重い扉に手をかけた。力を入れると、開いた。やっぱり鍵、かけてない。
「おばあちゃん!」
息を切らして靴を脱いだ。テレビの音がしていなかった。
ガラス戸が開いていた。慌てて部屋を覗くと、おばあちゃんがこたつに座っていた。項垂れて、動かない。
「おばあちゃん!」
ぼくが叫ぶと、おばあちゃんが顔を上げ、「あら」と言った。
「生きてた!」
涙を流す勢いで喜んでいるぼくを見て、おばあちゃんはまるで恐ろしいものを見るような顔で驚いた。
「どうしたの?」
喜びの理由を聞かれ、ぼくは昨夜のことを話した。
おばあちゃんが死んで天使になって、ぼくに会いに来たのだと思ったことを。
おばあちゃんはぼくの話を聞くと、笑った。夜中に電話が鳴っても、布団から電話は3メートルも離れてるし、寝てるし耳も遠いしで聞こえないよと言った。
「でもそう言えば、夢の中で草ちゃんを窓の中に見た気がするねぇ」
「やめてよ幽体離脱とか! 帰って来れなくなったらどうするよ!」
ぼくが肩を両手でポカポカと叩くと、おばあちゃんは「効くねぇ」と言った。
テレビもつけずに何をしていたのかと聞くと、おばあちゃんは俳句をしたためていたのだった。
昔は地方では有名な俳人をやっていたらしいおばあちゃんが、久々になんだか創作意欲をかきたてられて、書いたばかりの自作の句を繰り返し読んでいたらしい。
どんな俳句だったか忘れてしまったが、それが孫の私のことを歌った句だったことだけ覚えている。
あれから私は約束通りに中学2年の夏休みをおばあちゃんの家で過ごし、おばあちゃんは7年後に肺癌でこの世を去った。
89歳だった。九州の叔母の家族に囲まれ、最後に撮った写真の中で幸せそうに笑っている。
おばあちゃんの葬式後、おばあちゃんの幽霊に会いたいとずっと思っていたけど、遂に会えませんでした。
天国で元気でやってる証拠かなぁ。
文中の『ぼく』がまるで小学生みたいですが、実際に私はこんな感じの幼い中学生でしたので(^_^;)




