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第十一話:怪僧蚩尤坊

★恐怖度:6


昔々のお話──

口の聞けない少年は、隣村の少女にそれは悲しく痛みを伴う恋をした

 私の懺悔をここに捧げる。



 あれは私が十歳(とお)の頃。

 雨の降らぬ日はいつも、村から近い小山に入り、林の中で()ェを待っていた。

 一際高い一本杉の右側が丸く欠けて見えるところ。会えぬ日もありはしたが、その人はいつもそこにやって来た。


 松の樹の(たもと)に珍しい花を見つけた。

 何という花なのかは知らなかったが、摘んだそのままを贈り物として渡せるほどに整った大きな花で、私は形が崩れぬよう丁寧に掘り出すと、撫でるように土を払って綺麗にし、それを背中に隠し持った。


 人がやって来るのが物音でわかった。

 私は期待した。私を甘酸っぱい気持ちで満たしてくれるそのひとが現れることを。

 すると期待の通り、低木の枝を掻き分けて、白いほっかむりを被ったさや()ェが姿を現し、私を見つけて笑顔を見せてくれた。


「坊、また会ったねぇ」


 涼やかなその声が世界を明るくし、私を小走りにさせた。

 その日のさや()ェは桜色に白い桔梗の花模様の入った服を着ており、背負っている竹籠の中は半分ほど山菜で埋まっていた。


 私は駆け寄ると、手を前に差し出した。

 その手に自分に似合わぬ清潔な白い花が握られているのが照れ臭くはあった。

「あら、くれるの? 嬉しい」と、さや()ェは本当に嬉しそうに首を横に傾け、私の気持ちを受け取ってくれた。

 そしてひんやりとした優しい手で私の頭を撫でた。


 小山を挟んで私の村とは反対の方角にある村からさや()ェは山菜を採りに来るのだった。小山の利権を巡って双方の村は仲が悪いようだったが、子供の私には関係なかった。

 自分の村にも同じぐらいの年頃の娘はいくらでもいたが、さや()ェはそいつらとは何かが違っていた。今になって思えば、違う村で生まれ育った彼女の背景を知らぬことで幻想を見ていたとも言えるが、自分より7ツ年上の彼女を、私は天女のように見ていた。

 村の同じ年頃の男の子がコマ回しやメンコに夢中になる中、私は林でさや()ェに会うことを最たる楽しみとしていた。


「じゃ、坊にはこれあげる」

 そう言ってさや()ェが懐から包み紙を取り出した。

 中から現れたのは小さな一個の飴玉だった。虹のように綺麗な色を浮かべていた。

 私はそれを見て大層感動してしまった。()ェから貰えるものなら何でも嬉しいと予想していたが、それ程までに嬉しいとは思ってもみなかった。()ェはこれを、私に渡すために持って来てくれたのだ。それはまた私と会うことを楽しみにしてくれている()ェの気持ちが丸い飴玉の形になったもののように見えた。

「はい、口開けて」

 さや()ェに言われるまま、私は大きく口を開けた。そこへ白くたおやかな手が飴玉を放り込んだ。

 私の上唇に()ェの人差し指が、下唇に親指が、軽く触れた。

「美味しい?」

 さや()ェが私に聞いた。私が小さく右頬を膨らませ笑顔で頷くと、その涼やかな顔が私の目の前で、嬉しそうに笑った。


 ()ェは私の名前を知らなかった。今では自分も覚えておらぬ。

 私は生まれつき口が聞けなかった。本当は喋れはするものの、喉の奥から絞り出すような低い声で、言葉もうまく形にならない。村のみんなは私の聞き取りにくい言葉を根気強く聞き取ってくれ、それを理由に私をいじめるようなことはしなかったが、代わりに私に忠告をしてくれていた。


 村の外の人の前で喋るんじゃないよ? 正直お前の声はオバケみたいな声だからね──


 さや()ェの優しさがそんなことで消えるなどとは思わなかった。しかし、私は彼女の前では決して声を出さなかった。身振り手振りと笑顔のみで会話をしていた。字を知らぬ私に名を名乗る術はなく、彼女は私のことをまったく声を出せない子なのだと思い込んでいた。



 がさりと葉を揺らす音がした。

 振り返ると、林の入口の少し高いところに立って、編笠を頭に伸せた三人の侍が私達を見下ろしている。


「あら? お武家様だわ。こんなところに何の御用かしら?」

 そう言いながら、さや()ェの腰は引けていた。守るように私の肩を両手で掴み、侍達の動きを窺っていた。

 私も何か嫌な予感にさや()ェの着物の袖を掴み、やつらから目が離せなかった。


「からはんでぃや」

「うれク」

 そんな言葉でやつ等が会話するのが聞こえて来た。


 私達は声が出せなかった。

 さや()ェがまず私を抱いて後退り、私の足は逃げ出す準備を既にしていた。

 それを見て侍達は走り出した。兎を狩る狼のように殺気を背中から漂わせ、私達に真っ直ぐ向かって来る。


 さや()ェが小さく叫ぶ声が聞こえた。私は彼女の袖を引っ張ると、全力で逃げ出した。


 やつ等はどう見ても我々を弄んでいた。

 三人横並びになり、斜面を駆け下りて来るのだが、こちらが障害物を避けるためにまごついているのを見ると足を緩め、悠々と歩いて近づいて来るのだ。

 さや()ェの顔は恐怖で別人のようになっていた。やつ等はそれを楽しむように余裕のある足取りで追って来る。いつの間にか彼女のほうが先頭に立ち、私の手を引いて逃げていた。


 ()ェの足が蔦に絡まり、転んだ。絡まり方が複雑で、二人がかりで解こうとしても、それは仕掛けられていた罠のごとく、解こうとするほどに余計に固く()ェの足を締め付ける。

 やつ等は私達を追い詰めたというように並んで立ち止まり、被っている編笠に手をかけた。

 やつ等が編笠を脱いだ。林の木立を透かしてそれまで隠れていたその顔が陽の光のもとにさらされた。やつ等は人間の顔をしていなかった。


「グれり」と、鶏のような黒い顔をした男が言った。

「がらキ」と、灰色の蜥蜴(とかげ)の顔の男が言った。

 薄汚れた白い豚の顔をした男は何も言わず、ただ食欲を剥き出しにして私達を凝視していた。


 私は()ェの体を必死で引っ張った。10歳の子供の力で引っ張ったところで、()ェの着物がただ伸びるだけだった。

 それでも泣きながら引っ張った。()ェはそれを突き放した。

「逃げなさい!」

 ()ェが私に向かって叫んだ。

「二人とも食われることない! あんただけでも逃げて!」

 私は激しく首を振った。

 声は出なかったが、()ェも一緒でなければ嫌だった。


 すると()ェはそこに落ちていた小石を拾い、私に向かって投げつけて来た。


 私は両手を前に出し、顔を引いた。

 小石は今から思えば明らかに私を狙っていなかった。()ェは私に当てるつもりのような顔で睨み、何もないところをめがけて小石を投げつけていた。


「行けッ! 早く行け!」

 泣き喚くように叫びながら、()ェは繰り返し小石を拾い、私を憎むように睨んで投げつけて来た。

「今度は当てるよ! 痛いことになるよ!」


 大好きなさや()ェに睨まれ、小石を投げつけられ、私は悲しいような気持ちになっていた。

 小石が当たった時の痛みを予想し、足が後ろへ下がった。


 やつ等が近づいて来た。

 腰に差している刀に手をかけ、顔はそれぞれに邪悪な笑いを湛えていた。

 私はその姿に恐怖した。


「行け!」

 さや()ェが投げた小石が頬をかすめた。

 私は後ろを向いた。

 駆け出した。


 さや()ェに背を向け、私は一人で、逃げ出したのである。



 全速力で駆け出してすぐのところで私はもう一体の化物に遭遇した。

 赤茶色の毛むくじゃらで覆われた牛の顔をした醜い化物で、僧衣に身を包んでいた。首からは(すこぶ)る大きな黒い数珠をかけ、長い錫杖(しゃくじょう)を手にしていた。

 ブナの陰から出て来たそいつは私と出会うと驚いたような顔をし、「ぼい!」と声を出した。

 私を脅すような、地の底から振り絞ったような声だった。

 私が慌てて走る方向を変えると、そいつは「みねるヴぁ!」と怒鳴って来た。


 私は必死で逃げて、逃げて、走り続けた。

 幸い、牛の化物は私を追って来ないようだった。

 斜面をずっと駆け下り、川辺の平地を駆け、見つけた杣道(そまみち)を駆けていると、古寺を見つけ、そこのお堂に隠れ込んだ。


 扉を閉め、中へ入り込むと息を整えた。

 汗が黒い木の床を激しく濡らした。

 私は仰向けに転がり、ただただ息を整えた。

 暫く何もすることが出来なかった。

 やがて上体を起こすと、ようやく息が整っていた。

 口の中に、さや()ェのくれた飴玉があった。



 頬と歯茎の間に固まっていたそいつは、気が緩んだように舌の上に転がり出て来た。

 口の中で飴玉をころころと転がしていると、己の卑怯さが染み出て来た。

 扉の隙間や小さな窓から入り込む弱い日の光が私の前方に長い影を作っていた。

 飴玉の甘さが感じられず、それは(はなみず)のようにしょっぱかった。


 暫く膝を抱いて座り続けるうち、私は死にたい気持ちになっていた。

 喋れぬ口を持つ己のことは以前から好きになれずにいたが、それほどまでに嫌いになったことはなかった。

 黒く冷たい床にずっと座り続け、死ぬのを待とうかと考えた。それならばなぜ、()ェの盾となってやつ等の前に立ち塞がり、さや()ェのために死ななかったのかと、それを思うと、体が震え出した。

 私は蛇を見ていた。

 目の前にいつの間にか白い大蛇が現れ、蛇も私を見つめていた。

 私は止まらぬ涙を流す目で蛇を睨みつけた。

 蛇は睨み返しては来ず、声のない言葉で私に語りかけた。


 お主は地獄に落ちるべきだ、と蛇は言った。

 地獄へ落ちる手助けをしてしんぜよう、と。

 私は望んだ。蛇の名を問うた。

 蛇の名は彩虹蛇(さいこうじゃ)老師(ろうし)と言うらしかった。

 よく見れば名の通り、白い鱗がそれぞれに七色の光を浮かべて闇の中で光っていた。

 地獄へ落ちよと老師は言った。

 是非、と私が頷くと座っていた黒い床が抜けた。底のほうから業火が姿を現し、私は落ちて行った。悲鳴を上げる己を軽蔑した目で見ている冷静な私がいた。


 私はすぐに燃え盛る火に包まれた。しかし死にはしなかった。

 老師が体に巻きついており、私が死なないよう、私を守っていた。私は死ねぬまま、炎に生身を焼かれ続けた。

 皮がめくれて黒く焦げ、肉が水分を失おうとする()に老師が新しく皮膚を作った。眼球が火を見つめたまま眼窩から抜け出ようとするのを老師が押さえ込んだ。私は叫び声を上げ続けた。殺してくれという言葉がずっと頭の中で響いていたが、言葉となっては出なかった。逃げ場のない痛みと苦しみが永遠のように与えられ続けた。

 それが11年続いた。




 彩虹蛇(さいこうじゃ)老師(ろうし)は巻きついていた体から離れると、11年が経ったことを私に告げた。

 私は炎を受け入れた。受け入れると私は炎になった。

 炎になった私は力を振るい、周りの炎をすべて消し去った。

 炎が消えると四方から無数の鬼が現れ、私を襲って来たが、炎に比ぶればそれらは蟻のごとくに他愛がなかった。手にしていた錫杖を振り、太陽が塵を飲み込むごとくに鬼をすべて葬ると、私は己の顔に触れた。

 11年振りに触れる己の顔は変わりきっていた。巻いた剛毛が顔中を覆い、頭を触ると短い角が二本、そこにあった。

 老師が着せてくれたのか、大きな体に僧衣を纏い、首からは岩のごとき玉に紐を通した黒い数珠がかかっていた。


 時は戻る、と老師は言った。

 戻り、己を救うのだ、と私に命じ、それだけ言うと老師は私に白い尻尾を向けた。

「待ってください!」と私は老師を呼び止めた。「私が救いたいのはさや()ェなのです。彼女を救う方法は、ありますか?」と、問うた。

 老師は告げた、彼女を救うのは私であると。扉を開くとあの時に戻れるのだと。

「老師! 感謝します!」最後に私はもうひとつだけ、問うた。「自身の名を忘れました。私の名は?」

 蚩尤坊(しゆうぼう)、それだけ教えると老師は壁の穴に身を引き摺る音を立て、消えた。

 私は急いで振り返ると、手も触れずに勢いよくお堂の扉を開けた。

 小山に一際高い一本杉がすぐ目の前にあった。右側が丸く欠けていた。


 11年振りに出た外の空気は嘘のように平和だった。血生臭い物語などどこにも存在してはおらぬように澄み切っており、ただ蚊がたくさん飛んでいた。

 私が一本杉をめざして小走りに進んでいると、向こうから子供が駆け下りて来た。

 いつも水鏡に映してその姿を見知っていた少年だった。私はその子をよく知っていた。

 少年は私の姿に気づくと、明らかに怯えを見せた。

「おい!」と私が呼び掛けると余計に怖がらせたようで、少年は方向を逸らし、私から距離を取って逃げて行った。

「逃げるな!」

 私は怒鳴ったが、少年は遂に逃げて行った。


 少年に背を向け暫く行くと、女の悲鳴が聞こえた。私は全力で坂を駆け上がり、そこへ辿り着いた。

 鶏の黒い顔、灰色の蜥蜴(とかげ)、薄汚れた白い豚の顔の侍達が、桜色に白い桔梗の花模様の服を着た少女を手込めにしようとしているところだった。

 私からは少女の後ろ姿が見えた。恐怖に身をガクガクと震わせ、腰を抜かし、足は蔦に絡まり捕らえられている。

 豚頭の侍が手を伸ばし、少女の腕を掴もうとした。


「やめろ!」

 私が声を投げると、やつ等は私に気づいた。


 少女も気づき、遅れて振り向いた。


 その顔が無事なのを認め、私は心が晴れて行くのを感じた。


「何だ貴様は」と、蜥蜴侍が私の姿を見て、言った。「獲物を横取りする気ではあるまいな?」


 豚頭が腰の刀を抜き、私を突き殺しに来た。私が錫杖を振ると、容易く豚の頭が飛んだ。


 蜥蜴頭と鶏頭が揃って刀を抜いた。私の先程の怪力を見て、用心したようだった。二人がそれぞれに別の方向へ別れ、じりじりと迫って来る。

 私は構わず錫杖を振った。地獄の業火で作られたその武器は間合いを問わず、まだ離れている二人の侍の体を粉々に砕いた。

 侍の臓物がその場に飛散し、千切れて空をまだ舞っている狼侍の上半身を私はさらに砕いた。


 林の中に静寂が戻って来た。私の口の中には飴玉の甘い味が戻って来た。私が振り返ると、さや()ェがそこにいた。

 地面を小便で濡らし、絡まった蔦を必死で解こうともがきながら、恐怖に顔を濡らしながら私を見ていた。

 足の蔦を除こうと私が近寄ろうとすると地面の小石を取って投げつけて来た。それは私の胸を直撃したが、痛みはなかった。

 離れた場所から錫杖を振り下ろし、地面ごと蔦を除くと、自由になったさや()ェは飛び退くように立ち上がり、腰が抜けていたのでまたその場に倒れた。

「さや()ェ、僕だよ」

 私は言った。

「僕だよ。ほら見て、()ェがくれた飴玉だ」

 口を開けて見せたが、もうそこに飴玉はなかった。

「白い花をあげたろ? 僕だよ、蚩尤坊(しゆうぼう)だ」


 私はそう喋ったつもりだった。

 しかし彼女にはどう聞こえていたのかわからない。

 さや()ェは戦慄(わなな)く体を地面に引き摺り、大きな石を私に向かって投げつけると、憎しみを込めた目で私を睨み、ようやく立ち上がると逃げ去って行った。




中国のデスメタルバンド『零壹 - voodoo kungfu -』の曲『MONGOL』のMVに多大な影響を受けました。

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