色、色、いろいろ
彼は団子を作った。
それは肉団子だった。泥団子に見えなくないが、肉団子だった。
サラダもトッピングだ。に見トマトが彩りとして映える。
かき混ぜてみると卵が鮮やかさをもって私たちの前に現れる。卵の黄身はなんでこんなにも黄色いのかな。
泥団子は茶色。当たり前だよ。白、黄色、水色、オレンジ、サクランボ、トマト、サラダ。
何でもかんでも色を付ければいいいってもんじゃないけどやっぱり色がないと物足りないよね。
空気の色、空の色、草の色、砂の色、学校の壁の色、立ち尽くす僕らの色、夜に見える遠い星の色。
いろ、いろ、色々さあるけれど、見えているものの色がずべてじゃない気がするんだ。
見えてない色を探したい。見えない色を見つけて勝手にワクワクしたい。
タイ焼きのクリームの色って学校の壁の色とは違う。でも何が違うのかはわからない。
少しの違いなんけれどわかりずらい。少しの違いがものの区別を生む。
紫、青、青紫、ブルー、少しのニュアンスだけどなにか違いを生む。その違いが分かることはすごいけれど
もっとも区別しようとする行為は人間特有。区別しなくてもそれはそれとして存在して、私たちの目の前に
現れてくれることが趣深いと思う。
もっと窓が多ければいいと思う。窓が多ければ空気も多く入ってきて、空の青さももっと深くまで私の心に
入ってくる。心の窓は閉まっていても普通の窓を開けることはできるでしょ。窓を開けて色を確かめて、
目に見える限界をかみしめて、もっと違う世界を見たいと思うんだ。
家の中は私の中みたい。だったらほかの家はほかの人の心に少し似ているのかな。
そうだとしたら類似点を見つけることも可能かもしれない。そう思う今日この頃。
横断歩道を歩いて手を挙げてみる。誰もいないけれど手を挙げる行為が誰かとつながっている気になる。
公園で泥遊びをする。 こんな年になって何をしているのかといわれそうだが、それでもたまには小さいころに戻ることも大切だと思う。泥遊びした団子が夕飯の肉団子を連想させた。
今日は上手に作れるだろうか。