8.弟が世界一可愛いです
パーティー会場となっている王宮から退出した私は、そのまま入口で控えていた馬車に飛び乗った。『シンシア』としての記憶があるため、どれがクリスティアラ家のものかはすぐ分かる。水晶を模した家紋がそれだ。
「お、お嬢様?!」
「早く出して下さい!」
「は、はい!」
御者の人が目を丸くしながら、それでも私の剣幕に押されたのか手綱を取って馬を走らせてくれた。ひひんと馬が啼くと馬車が走り出す。がたがたと揺れる振動の中、後ろの窓をこっそり覗いてみたけれどサフィールが追ってくる気配はない。
それにほっとした私はそのままふかふかの椅子に体を沈める。流石公爵令嬢の馬車。内装も椅子も高級だ。
「サフィールってあんな性格だったかしら……」
漸く一息ついてさっきのことを思い返して首を傾げる。
サフィールは基本的にララしか見ていない。乙女ゲームとしてはまあよくあることだが、それにしたって負の感情が大きすぎる気がした。
(ゲーム中は悪役令嬢に自分から話しかけたりはしなかったはずなのに)
悪役令嬢からサフィールに話しかけることはあっても、その逆はありえなかった。しかも『シンシア』をだいぶ嫌っているようにも見えた。
何か気に障ることをしてしまっただろうか。
とはいえ、『セブンス・ジュエル』の世界にきてまだ一時間も経っていない。その前の時間軸のことまでは流石に責任が取れなかった。
(ま、いっか)
嫌われているのは少し切ないが、恐らくもう関わることもそんなにないだろう。何せこれから私はララのメイドになるのだ。誰よりも一番近くで可愛いララを眺めていられるのは嬉しい。
けど、難関が一つあった。
「お嬢様、屋敷に到着致しました」
「……ありがとう」
馬車から降りた私の前にそびえたつのはクリスティアラ家の立派なお屋敷だ。普段であれば心安らぐ我が家であるはずなのに、今は暗雲立ち込めるお化け屋敷みたいにおどろおどろしい空気を纏っているような気がしてたまらない。
(家族にも、迷惑をかけることになるのよね)
今回のことは『シンシア』一人だけの責任とはならないかもしれない。
断罪の時、カイル様は公爵令嬢としての身分を剥奪といった。王子であるカイル様にそこまでの権限があるのかは不明だが、もしそうならば少なからずお父様の仕事に影響が出てくるはずだ。
(……申し訳ないな)
玄関の前で思わず俯いてしまった。
今はまだ身分の剥奪だけで済んだからいい。これがゲーム通りの処刑であったなら、その後のクリスティアラ家は悲惨なものになっただろう。
そこまで考えてぞっとした。本気で笑えない。
途中でフェードアウトする役どころだとはいえ、中々残酷な結末だと今更ながらシナリオライターの人の業の深さに今更ながら気付いてしまった。
「とりあえず、話さなければならないわね」
ふう、と深く息をついて私は玄関をくぐる。締め出しくらいは覚悟していたが、すんなり中には入れた。そして入ってすぐのエントランスには、いつも通りメイドと執事が左右に並んで出迎えてくれている。
「おかえりなさいませ、お嬢様」
「ただいま、セバス」
白髭がトレードマークの執事長であるセバスが代表して声をかけてくれる。いつも穏やかでにこにこと優しい彼は、お父様が子供の頃からクリスティアラ家に仕えてくれていた。誰よりも一族のことを理解していて、誰よりも頼りになる存在だ。
そんな彼がいつにも増してにこにこしている。もう嫌な予感しかしない。
「お父様は?」
「執務室でお待ちです」
「……そう」
ですよね。もうお耳に入ってますよね。
俄然この屋敷がラスボスダンジョンみたいに思えてきた。それでもここは避けて通れない道でもある。腹を括るしかない。
「ああ、それと」
お父様の執務室へ向かおうとした私の後ろでセバスが不意に声をあげる。振り返った私がその続きを聞く前に、二階から騒がしい足音が響いてきた。
「姉上!」
エントランスへ続く階段を駆け下りてきたのは、『シンシア』そっくりの美少年だ。さらりとした淡い空色の髪に紫色の瞳はクリスティアラ家の特徴でもある。
「ラルフ様がとても心配されておいででしたよ」
「そのようね」
ほ、とセバスは微笑ましくラルフを眺めている。
ラルフは『シンシア』の弟だ。
ゲーム上では隠しキャラとして攻略対象になっているこれまたイケメンで、でもそのクリアまでの道のりが非常にえぐい。まず他の全キャラクターの親密度を最低にしなければならないのだ。その上でラルフと交流を深めていき、最終的にはシスコン気味の彼と『シンシア』を決別させなければいけない。
今思うととんでもないルートだ。
制作陣はそんなに悪役令嬢が憎かったんだろうか。
「姉上、婚約破棄とはどういうことですか!」
「静かになさい」
「落ち着いてなんかいられません!」
「ラルフ」
めっと窘めるとラルフはぐっと口を噤む。それでも怒ったような顔で私をじっと見つめた。我が弟ながらイケメンである。
「まずはお父様へのご報告が先です」
「ですが……!」
それでもまだ食い下がるラルフは捨てられた子犬みたいな目をしていた。滅茶苦茶可愛い。今すぐ抱きしめてわしゃわしゃと頭を撫でまわしてやりたい。
しかし今は悪役令嬢の身。欲望をぐっと堪えて私は彼の敬愛すべき姉として微笑んだ。
「ちゃんと後で説明しますから。待っていられますね?」
「……はい」
渋々ながらもラルフは頷く。その素直さに愛しさが溢れて思わず頭を撫でてしまった。するとラルフはきょとんと目を丸くして、それからぼっと顔を真っ赤にさせた。
(かっわいい! 何この可愛い子!)
恥ずかしそうにしながらも頭を撫でて貰えて嬉しいのか、私よりも高い背を折り曲げて大人しくしている姿が堪らなく可愛い。語彙力がないけどとにかく可愛い。
五分ぐらいそうしていたらセバスにやんわりと引き離された。はい、すみません。