14.多分冬場は結構辛い
その後大急ぎで全ての部屋のシーツを集め終えた私は、山のようになったカートを押してティタニアさんの元へと向かった。幸い他の部屋は全て無人でスムーズに回収することはできたんだけど、何せそのシーツが重い。一枚二枚だったらまだしも何十枚も集まったとなれば相当な重さだ。
「お、重い……!」
カートの取っ手を握って渾身の力で押しても車輪の転がり方は酷くゆっくりだった。それでも必死でごろごろとカートを押し続けて兵舎の入り口まで戻ってくると、もう既にシーツを集め終えていたティタニアさんが私を待っていた。
「お疲れさま。大丈夫だったかい?」
「は、はい……なんとか……」
「ははは、結構重いだろう?」
ぜえぜえと肩で息をする私の姿を見てティタニアさんはけらけらと笑う。疲労困憊の私とは対象的に疲れた素振りをみせていないのだから凄い。
「さ、次はこれを洗いに行くよ」
労るように肩を叩いてくれたティタニアさんは、私よりもこんもりとシーツが積み重なったカートを難なく押していく。顔色一つ変えずに歩き出したそのスピードは空の時と同じくらいで、その頼もしい背中を慌てて追いかけた。
「いいよいいよ、転ばないようにゆっくりおいで」
「そ、そういう、訳には、行きません……!」
時折擦れ違う兵士の人達がぎょっとした顔で見てくるのにも構う余裕なんてない。うううと唸りながらカートを必死で押す私に合わせてか、ティタニアさんは歩く速度を少し緩めてくれた。優しい。
ひいひい言いながらもリネン室の裏手へ辿り着いた頃には立っているのもやっとだった。何より腕が震えて力が入らない。
「ちょっと準備してくるから少し休んでていいよ」
「す、すみません……」
カートにもたれかかっているとティタニアさんは一度その場を離れていった。少し向こうの方にある納屋へ入っていく背中を見送る。その姿が見えなくなる頃、はあ、と大きく息をついて私は自分の手を眺めた。
袖から覗く手首は枝のようにか細い。公爵令嬢ともなれば身の回りのことは全部侍女がしてくれただろうし、筋力体力共にないのも仕方ないことだった。
しかし、これからはそうも言っていられない。何せ今まで私が侍女にしてもらってきたことを、今度はララにしてあげなければならないのだ。
「頑張らないと……!」
ぱちんと自分で両頬を叩いて気合いを入れ直す。すると、納屋から大きな金タライを抱えてティタニアさんが戻ってきた。
「お、やる気だねえ。もう大丈夫なのかい」
「はい! できます!」
地面にタライを置いたティタニアさんは、すぐ横にある水道からホースを引っ張ってくる。ホースの先をタライの中にいれて水を溜めると中に石鹸を入れて泡立てていった。
「それじゃあ靴脱いで足の裏をこれで拭いておいてね」
はい、と差し出されたタオルを受け取って私は首を傾げた。
「足の裏って、どうしてですか?」
「大きい洗濯物は踏んで洗うんだよ」
「えっ」
驚いた私にティタニアさんはからからと笑った。手洗いはともかく足で踏むなんて聞いたことがない。ほらほらと急かされて戸惑いながらもブーツを脱いで足の裏を拭いていると、ティタニアさんはカートに乗せた山盛りのシーツを何枚か取り出してそのままタライの中に放り込んだ。
それから私の手を取るとタライの中に導いていく。
「ほら、支えててあげるから中に入ってごらん」
「ほ、本気ですか……!」
「本気も本気。他に仕事もあるんだからちゃっちゃとやるよ」
仕事のことを言われて私はうっと詰まる。そう、これは仕事なのだ。愚図っていい訳がない。
思えば何かの本で見たことがあった。中世の人々は桶の中に入れた洗濯物を足で踏んでいたらしい。確かに洗剤も洗濯機もないこの時代に全て手洗いは骨が折れるだろうけど、でもまさか自分がやるなんて思わなかった。
「あ、ちゃんとスカートは捲っておくんだよ」
ティタニアさんに言われて私はスカートを太腿の辺りまで捲った。きゅっと裾を結んで落ちないようにすると、素足で恐る恐るタライの中に足を入れる。瞬間、ひやりと冷たい水の感覚が一気に足を駆け巡った。
あ、でもちょっと気持ち良いかもしれない。
じゃぶじゃぶと泡立った中で濡れたシーツを何度も踏みつけていく内に、最初はティタニアさんに支えてもらってた手も離してもらい、一人で出来るようになると段々楽しくなってきた。
左右交互にステップを踊るように踏むと、足の裏で柔らかいシーツの波打つ感触が分かる。最初こそ恐々としていたのを段々速くして、結構簡単だなと、油断したのがいけなかった。
「あっ!」
びしゃっと跳ねた水滴がスカートを襲う。広範囲ではないけれど、それでも生地の色が変わってしまって傍から見ればすぐばれてしまうはずだ。
「あはは、盛大にやったねえ」
「……すみません」
はしゃぎすぎた自分が恥ずかしくなって縮こまると、その頭をティタニアさんがよしよしと撫でてくれる。
「みんな通る道さ。今タオル持ってくるからそのまま続けててくれるかい?」
「お手数お掛けします……」
ティタニアさんがリネン室の中へと入っていくのを見送って、正直ちょっと調子に乗ってたのを反省する。
とはいえ、呑気にティタニアさんを待っている訳にもいかない。濡れたものは仕方がないのでそのまま足踏みをして洗濯を続けることにした。
天気の良い青空の下。ちゃぷちゃぷと水の跳ねる音に一定の速度で足を動かすと、なんだかリズムゲームをしているような気分になる。加えてちょうど周囲には誰もいなかった。となればやっぱり楽しくなってきてしまって、ついつい鼻歌を口ずさんでしまう私がいた。
曲はもちろん『セブンス・ジュエル』のオープニング曲だ。
(カラオケできないのが残念)
音源はなくとも頭の中で再現は可能なのです。でも失敗はするまいと足は慎重に動かしております。
「ふんふんふふーん」
脳内でイントロを流しながらサビへ突入しようとしたその瞬間、私が息継ぎしたのと同時に垣根の裏でがさりと物音がした。
(聞かれてた……!)
職場だったら間違いなく羞恥心で死んでいた。
はっとして音がした方向を見ると、垣根の間からふわふわとした金髪が見え隠れしている。こんなところにいるなんてメイドの誰かだろうか。足踏みするのを止めて覗き込むとあちらからも私の方を覗き込んでいたらしく、ばちりとアメジスト色の瞳と目が合った。
「り、リアム様……!」
リアム・アメトリン。宮廷音楽家の一人だ。くるくると柔らかそうな巻き毛は金髪で、私よりも濃い紫の瞳が印象的だ。あらゆる楽器を使いこなし、その声は綺麗なボーイソプラノで聴くもの全てを魅了する。何よりその小柄な体躯と愛らしい容姿はまるで天使のようで、いわゆるショタ要因として『セブンス・ジュエル』の中でも熱烈なファンを持っていた。
(なんだけど……)
垣根の奥にいるのはリアム一人ではない。その腕の中には小柄な女性の影が見え隠れしている。頭の上につけられた白いフリル、紺色のクラシックな服は私と同じメイド服だ。
鼻と鼻がくっつくほど、否、実際はさっきまで唇がくっついていたのだろう。それほど近い距離で抱き合っている姿を見れば二人が何をしていたのかは想像がつく。
呆然と二人のことを見ていると、不審に思ったのかメイドが顔を上げてリアムの視線を追った。そして私に気付くと顔を真っ赤にする。
「きゃっ……!」
なんとも可愛らしい声をあげて慌てて彼女は走り去っていった。職場に馴染む前からとんでもないものを見てしまった私の方が走り去りたいくらいなのに。
「あーあ、行っちゃったじゃないですか」
全くもって残念そうには聞こえない声でリアムは呟くと、垣根を越えて私のところまできた。
「お楽しみのところ失礼いたしました」
「本当ですよ。これからだったのに」
くすくすと笑うリアムの顔は相変わらず天使で、でもその性根はとんでもない女たらしだったことはプレイヤーの皆様ならご存知だろう。俗にいうお姉さまキラーである。
「ところで随分と面白そうなことをしてるんですね」
リアムは私の姿を眺めてそう言った。
「仕事です」
「鼻歌歌ってたのに?」
「……仕事です」
「へえ」
そう言い張るとリアムは愉快そうに微笑んだ。そんな目で見るのはやめて下さい。だって仕事歌とかあるじゃないですか。作業効率をあげるために必要なんです。主に私のモチベーションに関わります。
「聞いたことのないメロディーだけど、一体何の歌なんですか?」
私の足元でしゃがみこんでリアムはそう聞いてくる。なんて答えたものか。乙女ゲームの主題歌ですと正直に言ったところで伝わるはずもないだろう。
私は水に浸した足元を見つめながらぽつりと呟く。
「――――思い出の、歌です」
そう、あの画面越しにはしゃいでいたのが遥か昔のことのようだ。
ふっと遠い目をした私を見て、リアムはぱちりと瞬きをした。
「そんなに、好きな歌なんですか」
「ええ、忘れられません」
そう、忘れられない歌だった。初めて『セブンス・ジュエル』を起動した時。滑らかなアニメーションと溶け合うように流れ出した音楽を聴いた時の私の感動は言葉では伝えられない。これから始まるストーリーや切なくなるようなシーンの数々に胸が高鳴ったものだ。
その時の感動に浸っていると、リアムは不思議なことを言い出した。
「カイル様と同じくらいに?」
「え、違います」
「え」
リアムはきょとんとする。こっちの方がきょとんとしたわ。
「……カイル様のことがまだ好きだから、メイドになってまで城に残ったんじゃないんですか?」
「凄まじい誤解ですわ」
「だって皆そう思ってますよ」
なんてこった。酷い誤解である。
確かにカイル様のことは好きだけれどそれは推しに対する感情であって、流石の私でも今この悪役令嬢の立場で恋愛する気は毛頭ない。
しかしリアムはまだ信じてないようだった。
「私はあくまでもララへ謝罪するためにここに来たのです。婚約破棄された身で殿下に追いすがるなんて致しませんわ。それに……」
ちゃぷんと足を揺らす。濡れたスカートが太腿に張り付いて気持ち悪い。
「――――殿下のお心はもう私にはないでしょう」
そう、それは明白な事実だった。
大団円エンドであっても、皆少なからずヒロインに恋が芽生えた状態である。今までプレイヤーとしてちやほやされてきた身には辛いけれど、仕方がない。遠目から眺めるだけで十分だ。
「……ふうん」
その時、俯いていた私にはリアムの目がすうっと細まったのに気が付かなかった。