11.ミイちゃんお元気ですか
ゲオルグ・ベルンシュタインという男は超がつくほど真面目な男であるというのは、『セブンス・ジュエル』をプレイしたことのある皆さんであればご存じだと思います。融通が利かなくて頑固で鈍感で。ヒロインのアプローチにも中々気付いてくれなくて全国の乙女をやきもきさせたお堅さでも有名だった。
例えるなら、授業で分からないところがあると答えが出るまでひたすら考え込む勉強熱心な学生という感じなのだが。
「ゲオルグ様?」
「――――……」
御覧の通りである。
さっきの話以降、何か考えこんだままむっつりとゲオルグは黙り込んでしまったのだ。目の前で手を振っても名前を呼んでも反応がなく、仕方がないので私は椅子に背中を預けて息をついた。
(イケメン鑑賞できるから私はいいんですけど)
窓の外は段々と都市部に近付いてきている。
幸い車内は私とゲオルグの二人だけだったし、精悍な顔つきを間近で眺める機会なんて早々ないしと自分に言い訳をしてイケメン鑑賞タイムに突入することにした。
茶色い髪は短く切り揃えられていて爽やかさが感じられる。琥珀の瞳は甘い蜂蜜みたいに蕩けそうな色合いだ。
(実際に蜂蜜を被っちゃって舐めとるっていうイベントもあったのよね)
見た目スポーツ青年っていう潔癖さがあるだけに、ちょっとした背徳感があってあのスチルは中々にときめくものがあった。
そんなこんなで目の前の男らしさをたっぷり堪能して半刻が経った頃、ようやく馬車の揺れが止まる。するとそれまで微動だにしなかったゲオルグが顔を上げた。
「着いたようだな」
「あら、起きてらしたのですね」
思わずそんなことを言ってしまったらじろりと睨まれた。
「そんな悠長なことを言っていられるのも今の内だけだぞ」
まるで悪役のような台詞を吐いてゲオルグは馬車の扉を開ける。先に外に出た彼に続いて私も降りようとすると、すっと目の前に大きな手が差し出された。きょとんと目を丸くしていると、早くしろと言わんばかりにずいっと更に手を出してくる。
「降りないのか」
「あ、降ります」
「足元に気をつけろ」
「え、あ、はい」
思わず手を重ねるとそのまま手を引かれた。ふわりとスカートの裾が広がって、爪先から地面に降り立つと反動で揺らいだ体をゲオルグの大きな手が支えてくれる。
馬車くらい一人で降りろと言われるかと思ってたからちょっとびっくり。
「……ありがとう、ございます」
「行くぞ、殿下がお待ちだ」
当たり前のように私の荷物を持ったゲオルグがマントを翻す。はっとして慌てて追いかけるも、ゲオルグは既に王宮の門の前に進んでいた。これだから足の長い人間は!
「ま、待って下さい。荷物くらい自分で持てますわ」
「お前の足に合わせていたら日が暮れかねん」
奪い返そうとするもすたすた歩いていかれて私は追いかけるだけで精一杯だ。まさかこの間サフィールから逃げた時のようにスカートの裾を持ち上げて全力疾走する訳にもいかないし、ましてやここは王宮だ。婚約破棄の件は多くの人に知れ渡っていてあちこちから視線が集まっている状況で、流石の私も目立つ行動は控えたい。
(城内の皆様違うんです誤解なんです!)
見張りの兵士達からはゲオルグ様に荷物なんぞ持たせやがってみたいに見られているような感じがして気が気じゃない。何度か手を伸ばして荷物を奪い返そうとするも、悲しいかな、リーチの長さでそれは一回も叶わなかった。
そうこうしている間にある部屋の前でゲオルグがぴたりと立ち止まった。その扉は見覚えがある。私だって、伊達に婚約者をしていなかった訳ではないのだ。
「殿下、連れてきました」
「入れ」
ゲオルグがノックをすると、中からカイル様の声が聞こえてきた。扉を開けたゲオルグが先に入れと言わんばかりに体を引いたので、心の準備をする間もなくカイル様とご対面することとなる。私はふうと息をついて、それから一歩踏み出した。
「――――失礼致します」
ここはカイル様が好んで使う談話室だった。婚約者として『シンシア』が訪ねてくると、よく並んでお茶をしたものだった。
日当たりの良い広い部屋。豪華な調度品に囲まれた中心にはふかふかのソファーがある。ティーテーブルを挟んで向かい合って紅茶を飲みながら一緒にカイル様と同じ時間を過ごしていたのに。
「シンシア様!」
ララの嬉しそうな声が響く。
かつて『シンシア』が座っていたソファーに、今はララがちょこんと収まっていた。その向かいには変わらずカイル様が足を組んで座っている。
しかしその光景に胸は全然痛まない。むしろお似合いの二人に窓から差し込んだ光が後光のように見えて眩しいくらいだ。スクショ撮りたい。
「お久しぶりです。あの、私……!」
ララが立ち上がって私の方へ駆け寄ろうとしたけれど、それを片腕でカイル様は制した。冷たい視線に、言われなくともちゃんと分かってますって。
「この度は温情を賜りまして誠にありがとうございます」
二人の前ですっと膝をついて臣下の礼を取る。ララは驚いた顔をしていたけど、今の私は公爵令嬢ではない。ただのシンシアとして参上したから仕方のないことだ。
そんな私にカイル様はふんと鼻を鳴らした。
「礼ならば俺に言う必要はない。ララがどうしてもと懇願したから馬車をやったまでのこと」
歩いてくれば良かったのにと心の声が駄々洩れですよカイル様。私もそう思いますけれども。
しかしララはカイル様の言い方が不満のようで、少し怒ったように詰め寄る。
「もう、カイル様はどうしてそんなことを仰るんですか!」
「これはけじめだ。でなければ他の者に示しがつかないだろう」
カイル様はそう告げると、跪いたままの私に向き直った。
「これからお前にはこの王城で働いてもらう。公爵令嬢として扱うつもりはない。覚悟してくんだな」
「承知しております」
「そ、そうか」
胸に手を当てて頷くと、カイル様はなんだか戸惑ったようだった。確かに今までの悪役令嬢の振舞いからはとても信じられないだろう。ツンツンしてて高飛車で。なんならなんで私がそんなことをしなければならないんですの!と怒りそうなものである。すみません中身は二十代社会人なんです。
「精々励むんだな」
カイル様はこほんと咳払いをすると、横に控えていた眼鏡の男性に向き直る。
「クロード。後は頼む」
「かしこまりました」
それまで無言でいた男性は恭しくカイル様に礼をすると、今度は眼鏡の奥の神経質そうな細い目で私を鋭く睨みつけた。
深い森のような緑の髪に、それよりも少し明るい翡翠の瞳。この国の宰相、クロード・ネフリティスだ。頭脳明晰で冷たい印象を受けるが、平民のヒロインが何か分からなくて困っているとどこからともなく現れて色々と教えてくれる先生みたいなイケメンなんです。あと意外と涙脆い。
「ではこれからあなたの仕事場を案内します」
「ララに仕えるのではないのですか?」
先日通達された書面の内容を思い出して首を傾げると、クロードは鼻で笑った。
「公爵令嬢がいきなりメイドを務められるとは思っておりませんよ。まずは他の下働きの方々のところで仕事を学んで頂きます」
つまり扱かれるということだ。
クロードは眼鏡のツルをくいっと上げて冷たく言い放つ。
「言っておきますが、私はララのように優しくはしませんからね」
丁寧な口調は、何も知らなければより一層恐ろしさを感じさせるものとなっただろう。
とはいえ、この間ララの優しさに号泣してたのを覚えているので然程迫力はなかった。おまけに貴方が庭に住み着いてる野良猫に餌あげているのも知ってます。