1.いきなりエンディング
かくんと頭が揺れる。
そのまま落下してしまいそうな感覚に体がびくんと生理的に跳ねた。それまで眠たかった頭が一気に冴えて、慌てて私は口元を拭う。
いけない、いけない。
仕事中に居眠りしてたなんてばれたら先輩に怒られる。
あまりのブラックさに四ヵ月連続で退職者が出た職場はすさまじくピリピリしているのだ。人手が足りないのに繁忙期。おまけに上司は現場を離れて暇してるせいでいらない仕事ばっかり増やしてくる。
結果、職場の空気は最低最悪。
苛々した矛先は一番下っ端の私に向けられて毎日半泣きになりながら仕事をこなしている。正直辞めたい。でも来月新作のゲームが発売されるからそれに向けたお金は欲しい。
(転職したいなあ)
くあ、と欠伸を噛み殺して目尻を拭うと、やたら手触りのいい感触がした。
なんかハンドクリーム塗ってたっけ。
寝ぼけ眼で手を見ると、手タレもびっくりな綺麗な手がそこにあった。
「えっ」
華奢で細長い指。その先には形の良い爪がくっついていて、上品な淡いピンク色のネイルが施されている。
(誰の手?!)
うち病院だからネイルなんてここ何年もしてないのに。
恐る恐る手を開いたり閉じたりするとちゃんと動く。間違いなく自分の手らしい。
あまりの綺麗さに惚れ惚れしていると、頭上からごほんとわざとらしい咳払いが聞こえてぎくりと肩を強張らせる。
やばい先輩にばれた。
「この状況で居眠りとはいい度胸だ」
ばっと顔を上げて、私は言葉を失う羽目になる。
「――――カイル様!?」
「うおっ!」
急に叫んだ私にびっくりして目の前のイケメンは後ずさった。
さらりとした金髪にビー玉みたいな綺麗な青い瞳。すらりとした長身は式典用にあつらえた深紅の軍服みたいなのを身にまとっている。
間違いない、カイル・アレキサンドライト王子だ。私の大好きな乙女ゲーム『セブンス・ジュエル』に出てくるメイン攻略キャラクターの一人。
(えっ、何これ夢!? すごいリアル!)
いつもはテレビの画面越しでしか拝んだことがないから、滑らかな動きや奥行きのある色彩に手が無意識の内に拝むポーズを取っていた。
ありがたい。夢でもなんでも推しキャラが目の前にいるのが尊すぎる。
きらきらした眼差しで拝んでいると、若干引き気味にカイル様は後ずさった。
「い、今更懇願したところでもう遅い! お前への処罰は覆らない!」
「懇願? 処罰?」
何を言っているのか分からなくてぽかんと見上げると、切れ長の瞳が冷たく私を見下ろしていた。どういうことなの。
そこでようやく私はここが職場じゃないことに気付いた。
天井にあるのは煌びやかなシャンデリア。足元はふかふかの絨毯。どこか外国のパーティーを開くような広いサロンのど真ん中で、どうやら私は座り込んでいるようだった。足元に広がるふわっとしたスカート、じゃないドレスだこれ。少なくとも私のお給料で買えるような値段ではないだろう。
周囲では映画の撮影みたいにドレスを着た人達が沢山いて、ひそひそと遠巻きに私のことをみていた。
「とぼけるのもいい加減にしろ、シンシア」
状況が把握できずに首を傾げていた私に、怒気を孕んだカイル様の声が降ってきた。
「シンシアって、誰ですか」
「この期に及んでまたそんな戯言が通じるとでも?」
割って入ってきたのはカイル様の後ろにいた茶色い髪の騎士っぽい人だ。短い短髪に屈強な体格。騎士団長を務めているゲオルグが凛々しい眉を吊り上げている。
そこで私はようやく気付く。
座り込んだ『私』の前に立つカイル様と、その背後に控えるゲオルグ。その横には黒いローブをまとった銀髪の魔法使いや眼鏡をかけた神経質そうな男、くりくりの金髪の愛らしい少年、燃えるような赤毛の青年。
どれも『セブンス・ジュエル』の攻略キャラクター達だった。
「カイル様、もう……」
そして、おずおずと可憐な声を響かせた少女。柔らかな薄桃色の髪とそれよりも少しだけ濃い色の瞳。華奢で守ってあげたくなるような愛らしい顔をカイルの後ろから覗かせていた。
『セブンス・ジュエル』のヒロインにしてプレイヤーキャラクター、ララ・コーラルだった。
(天使!)
ゲームのジャケット等で顔出しはしているものの、プレイヤーに感情移入させるためかスチルでは後ろ姿とかどこか体の一部だけであまり目にする機会は多くないのだが、現物はめちゃくちゃ可愛い。
心配そうにこちらを眺めているその大きな瞳に感動したのも束の間、ずきんと頭が痛んだ。
「あ――――」
私は、この光景を知っている。
これは断罪イベント。
ヒロインに散々嫌がらせをしたカイル様の婚約者である悪役令嬢を、パーティーの真っ最中にメインキャラクター達が糾弾するエンディングだ。
(ちょ、ちょっと待って。これ、もしかして……)
だらだらと背中に冷や汗が流れる。
カイル様を始めとするメインキャラクター達の冷ややかな目。それが向けられてのが自分だとすれば、『私』の立ち位置は一つしかない。
「シンシア・クリスティアラ。今、俺はこの場において婚約破棄を宣言する!」
(嘘でしょ――――!?)
突き付けられたのはゲームと一言一句違わない決別の台詞。
悪役令嬢である『私』への断罪だった。