亡き無死ロボット
これは、あるロボットのお話。人間が大好きで、大嫌いなロボットのお話。
なんで自分が作られたのかわからない。どうして自分が存在してるのかわからない。気がついたら、動いていた。
そんなロボットがいたんだってさ。
ただ漠然と、他のロボット達と同じように、何かのために動いて、燃料を足して、誰かに決められた仕事をこなして、動き続ける。
そんなロボットがいたんだってさ。
動いている間、色んなものを見てきた。色んなものを聞いてきた。色んな人間と知り合った。
人を見るたびに、ロボットは思ったんだ。
人は、どうしてこんなに色んな顔ができるんだろうって。
大きな口を開けて、笑う。
目を真っ赤にして、泣く。
どうしてだろう。
どうしてだろう。
ロボットはね、そのうち、人間になってみたいと思い始めた。正確に言うと、人間と同じように、笑ったり、泣いたりしてみたいと思ったんだ。
笑えることが羨ましいのは当たり前のように思えるけど、ロボットは、泣けることも羨ましい。なんでもいいんだ。何かに、何かを感じられるようになりたい。
つまり、感情を持ちたかったんだ。
そんな機能、ロボットに必要なわけがない。仕事をこなす邪魔になるからね。
ある日彼は、捨てられてしまう。ロボットが作業以外のことにエネルギーを使うことは、欠陥だからだ。
突然毎日与えられていた「しなければならないこと」がなくなって、彼は、どうしたらいいのか考えてみた。
自分は、不必要。
ゴミと一緒。
なら、動かなくていい。
ただ淡々と、ロボットは賢い頭でそう考えて、自分の機能を停止した。
少しも震えず、彼の機能を停止するスイッチを押した。
何もないんだ。
暗闇すらない。
本当に、何もない。
どれ程時間が経ったのだろう。
急に彼は目が覚めた。電源を入れられたんだ。
彼は、一人の女の子にごしごしと体を磨かれていた。
なぜ、もう何の価値もない自分の電源を入れたのか。ロボットにはわからなかった。
「なぜ、また私を動かしたのですか?」
そう聞くと女の子は、
「寒そうだったから」
と答えた。
わけがわからない。理解できない。
ロボットだから。
寒いなんてことはないし、寒いから動かされたなんて、わからない。
彼は、彼の機能のままに、聞いた。
「何か、仕事はありますか?」
女の子は、少しうつむいて、それから、恥ずかしそうに言った。
「友達になって。」
「それは、何をすればいいんですか?」
「ただ…ただ一緒にいるだけで、いい。」
「それだけですか?」
「それだけ。それだけで十分、私達は、友達。」
それが仕事?
そう思ったが、ロボットは嬉しかった。まだ、自分は必要とされている。
それからロボットは、毎日少女と一緒にいた。少女は、今まで出会った人間の誰よりも、よく笑って、よく泣いた。
ロボットは、人間に憧れていたことを思い出した。
でも、口には出さなかった。
また、捨てられるかも知れない。
少女は、よく、詩というものを書いた。ロボットに登録されている言葉達、つまりデータとは全く違う世界がそこにあった。
例えば、月。
「月はね、太陽が嫌い。自分ばかりあんなに目立って、色んな命を助けて、威張っている。
自分はいつも、真っ暗な夜に、誰かに見て欲しくて、誰かに認めて欲しくて、淡い光を放つだけ。
月はね、本当は昼も照らしてみたいの。けれど、自分の光には、太陽みたいな力なんてない。
だけど、だけどね、私は思う。
人が夜に眠るのは、月が優しく見守っててくれるから。
ずっと太陽に、ほら頑張れー、って言われてたら、疲れちゃう。
月がいないと、私達は疲れちゃう。
だから、私は朝起きると、もう見えなくなってしまった月に、一晩中優しく私達を包んでいてくれた月に言うの。
おやすみなさいって。」
少女の言葉で優しく組み立て直されると、世界は途端に色んな姿を見せ始めた。ロボットは、まだ言葉を覚えていない子供のように、少女の詩を読んで、世界を覚えていった。
色んな表情をするのは、人だけじゃない。あぁ、世界はなんて素敵なんだろう。
そう感じられるようになっていくのが、すごく楽しかった。
これが楽しいか。なんだかいい気分だな。人間はやっぱりいいものなんだな。だって、少女が笑っていると、ほら、こんなに幸せだ。
彼自身気づいていないのだけど、彼は感情を持ち始めたんだ。
ある晩、いつものように少女と話をしていると、少女が聞いてきた。
「どうして止まっていたの?」
彼は、賢い頭で考えて、答えてはいけないと結論した。答えたら、捨てられる。でもなぜだろう?
頭ではわかっていても、言いたい。
すごく聞いてもらいたい。
少女に、自分を知ってもらいたい。
彼は、話し始めた。
「私に欠陥があるからです。欠陥の無いロボットはいくらでも作れます。だから、私は不必要です。だから、私は、私を止めました。」
ふ~ん、と目をぱちくりしながら言ったあと、少女はにこっと笑って、ロボットに飛び付いた。
「じゃあ、その欠陥のおかげで私達は出会えたんだね。それなら、私は、あなたの欠陥も含めて、全部大好き。ずっと、友達。もう、自分で自分を止めなくていいんだからね。」
ロボットは、彼が作られてから初めて、自分が自分でよかったと思った。
その晩、二人は、ずっと手をつないでいた。
寒くない、とロボットは思った。
ロボットは、次の日、眠ったままの少女をベッドにそっと運んだ後、自分の機能を停止するスイッチを壊した。もう、そんなスイッチはいらない。一緒にいるだけで少女が喜んでくれるなら、彼は自信があった。だって、彼はロボット。燃料さえあれば、いつまでも動き続ける。
いつまでも、少女と一緒にいてあげられる。
すごく嬉しくなって、すごく自分が好きになって、この気持ちを、また少女に聞いて欲しくなった。
ロボットは少女を起こしに行った。
でも、彼女は起きなかった。
いつまで待っても、起きなかった。
考えてみれば、そうだ。すぐに、わかることだ。年頃の女の子が、毎日家でロボットと一緒にいられるはずはない。友達が一人もいないはずはない。
少女は、重い、重い病気だった。
その日からロボットは、ただ動いていた。
何もせず、ただそこにいた。
話がしたい。
少女と、話がしたい。
自分の気持ちを、聞いて欲しい。
ロボットは、花に、石に、星に、いろんなものに話をした。だけど、答えてくれない。
笑いかけてくれない。
少女は、もういない。
何日か、彼は何も語らないもの達に話をし続けた。
それは、少女と出会って丁度一年経った日。
彼は、少女の部屋で、少女との思い出が詰まったものを、全て眺め直した。どこかに、少女がいる。きっとまた、一緒に話ができる。
ロボットは、見つけたんだ。
いや、もちろん少女ではない。
少女の世界がたくさん詰まった、少女の詩がたくさん詰まった、くすんだ赤い表紙の、ノート。
ロボットは、一枚一枚、丁寧にページをめくった。
少女の、儚い字で綴られた、素敵な世界。
ロボットは、思い出した。
世界が、色んな表情を持つことを。
丁度、めくったページの厚さが、ノートの半分になる頃。
少女の世界は、そこで終わっていた。
ロボットは、そこから先に書かれるはずだった素敵な世界を想像した。
その時、彼は気付いたんだ。
ノートに、何か挟んであることに。
それは、一枚の絵だった。
とても優しい顔をしている少女と、大きな口を開けて笑うロボットの絵。
「私があなたのスイッチを入れた日。私があなたに出会った日。この日に、精一杯のありがとうを贈ります。」
絵の上には、そう書かれていた。
それを見た途端、ロボットは自分の中から何かが溢れてくるのを感じた。
ロボットは、涙を流したんだ。
あんなに憧れていた、悲しい気持ち、知ることができた。
そして、悲しさを味わってみたいなんて思っていた自分をバカだと思った。
悲しい。悲しい。
苦しい。苦しい。
こんなにつらいなら、悲しみなんて知らなければよかったと思った。
感情なんて持たなければよかったと思った。
感情というもの自体の存在を、ひどく恨んだ。
少女がいないなら、私はもういらない。でも、もう、スイッチはない。
ロボットは、世界でたった一枚の、大切な、大切な絵が滲んでしまうのにも気付かず、涙を流し続けた。
一晩中泣いて、やがて朝がきた。
ロボットは、ノートと、滲んだ絵を持って、よろよろと外に出た。
…誰かが、泣いている。
誰か、いる。
話ができる。
自分の悲しい気持ちを、聞いてもらえる。
ロボットは、泣き声のする方へ、ゆっくり近づいていった。
それは、小さな花だった。
「もう、あの子はいない。私みたいな小さな花、きっと誰にも気付いてもらえない。私の悲しみを聞いてくれる人は、いない。私のことを綴ってくれる人は、いない。」
花だけじゃない。
少女がいなくなったことだけじゃない。世界が、色んなことに、悲しんでいる。
ロボットは、世界の泣き声が聞こえ、涙が見えるようになっていた。
だけど、笑い声は聞こえない。
大きな口を開けた、笑顔は見えない。
ロボットは、花を見下ろして考えていた。
私には、君の声が聞こえる。
私は、君の悲しみに気付くことができる。
私に、できることがある。
ロボットは、少女のかわりに、世界の悲しみを綴ってみようと思った。
少女の、あの優しい字で埋まるはずだったページを、埋めてみようと思った。
今は悲しみしか綴れないけど、いつか笑顔も見えるかな。
いつか、私も笑えるのかな。
そんなことを思いながら、ロボットは、ノートをしっかりと握って、歩き出したんだ。
これは、あるロボットのお話。
大きな口を開けて笑えないまま、泣けるようになってしまったロボットのお話。少しだけ、世界の悲しみに敏感なロボットのお話。
笑顔を教えてくれるはずだった、大切な人を亡くした、死ね無いロボットのお話。