【7】可愛いとは肯定感を得られるもの
可愛いとは何か、ほとんどの人は自覚していないのではないだろうか。
人は自分より格下である生存力などといった力が劣ると認識しているものが世界から存在を許されている、もしくはそういった格下のものから必要とされていると感じると、格上である自分はそれ以上に世界から存在を許されているか必要とされていると深層心理で認識し、肯定感を得る。
この肯定感こそ、可愛いという気持ちの正体である。
可愛いと感じるには2つ条件がある。
その瞬間に格下と認識する対象であること。
自身が存在を許している対象であること。
より可愛く感じる要素は格下感が比例する。
格下感の強さとは相手がいかに自分より無力だったり自分に逆らえない、もしくは頼らないといけない関係性などの大きさである。
要素的なものでは攻撃性が高い鋭さがなく丸みを帯びていたり、安定性がなく頭が大きく手足が小さいなどといったものがより格下感を持たせる一例である。
存在を許しているかどうかも重要である。
何らかの理由により不快に感じて存在を許していない対象にはどんなに格下でも可愛いとは認識しない。
自分が存在を許していないのだから世界が存在を許している範疇に入っていないのだ。
例えば容姿的に綺麗ではない女性Aを可愛いと主張する女性Bがいたとする。
だが他の男性Cは可愛くないと反論する。
この場合、女性Bにとっては容姿的に格下である女性Aを友達として存在を許していて可愛いと認識する。
だが男性Cにとっては容姿的にも経済的にも体力的にも女性Aが格下であっても、容姿が恋愛対象として存在を許していなければ可愛くないのである。
一見格上に見えるものでも可愛く感じる時がある。
それはより格の高いものを格落ちさせる時だ。
普段悪ぶっている不良が子犬など可愛い物が好きといったシーンは、格上だった不良に相反する可愛い物好きという弱みを握らせることで優越性を得て格落ちさせる良い例だ。
これは俗に言われるギャップ萌えというもので、より格落ちさせる度合いが高いほど可愛さ、すなわち肯定感を高める。
可愛いと言われることを馬鹿にされていると感じるのもあながち間違いではない。
可愛いと言われた時、自分が格下とみられていることは確かなのだ。
だが同時に相手が自分の存在を認めていることも確かである。問題はどういう扱いとして存在を認めているかなのだが。