【4】笑いとは頭で処理しきれないときの安全装置
人間はどういったときに笑うのか?
それは五感と記憶から発生した情報が脳で処理できる許容を超えたときである。
自動的な笑うという行為は脳をダムに例えると決壊しないように放水するような行為である。
感情を爆発させ頭の中の情報を大量に追い出してパンクしないようにする安全装置なのだ。
ではどういったものが頭が処理しきれなくなるものかというといくつか条件がある。
情報が興味を引くものであるか、避けられないものであること。
情報量が多い、もしくはその情報に関連する記憶が多いこと。
短時間で受け取りやすい情報であるか、瞬間的に理解する情報量が増えるものであること。
笑いが楽しいに限りなく近いのは情報が一時的に頭の中でいっぱいになるからである。
笑いが機能するとそれまでに頭の中にあった情報は洪水のように流され溢れ出てしまうので、笑わすことでいやな事を忘れたり気分転換することができる。
逆に言えば笑いは頭の中をリセットしてしまう為にそれまでにしてきた作業を妨害してしまう欠点もある。
緊張感の高い場面で人が笑いやすいのは緊張するほど脳が集中していて情報が頭の中にある状態であるからだ。すでに水でいっぱいになっているコップに少量の水を加えるだけでも溢れてしまうのと同じである。
笑いやすいかどうかは脳の処理能力の高さと反比例する。
脳の処理能力が高いほど情報が許容量を超える事は少なくなる。知的な人物ほど笑いにくいというイメージは現実的にも正しい。
笑いにくい人は笑いのセンスがないのではなく興味のある情報や関連性のある記憶の有無の違い、脳の処理能力が高すぎて情報の洪水を起こさないだけに過ぎない。
どう面白いのか解説してしまうと面白みがなくなるのは、ゆっくりとした解説により脳もゆっくりと情報を処理するために許容量を超えにくくなるからである。笑いは速度である。ゆっくりとした情報の受け取り方では笑いはおきにくいのだ。
それでは具体的にどういったものが笑いを引き起こすものか考えていこう。
例えば親父ギャグやダジャレといったものだが、本来の意味に加えて別の言葉を溶け込ます事で2つの情報を1つの文章にまとめて瞬間的な情報量を上げる手法である。
しかしこれは使い古されたものが多く、既存の情報では脳の処理が早く済むために効果的ではなく、無知な子供や脳の処理能力の低下した年配者にしか通用しにくい。
先にも述べたが、より笑いを誘いやすくするためには、新鮮で興味のある情報であること、受取手が関連する情報を多く有していること、短時間で情報が頭に入りやすいか瞬間的に脳内での情報量が増加するものを意識する必要がある。
また笑わす人と笑われる人は大きく異なる。
笑わす人は上記の傾向をある程度理解した上で笑わすように他者へ働きかける。
逆に笑われる人は自分にはとって当たり前で新鮮みのない言動が他者にとっては新鮮な情報を多く有している場合である。
故に笑われる人は当人にとっては不本意で笑われることを嫌う。それは周囲とのズレがあることを自覚させられるからである。
笑いは楽しいに限りなく近いとは述べたが楽しくなくても情報量が許容量を超えれば、怒りや悲しみといった負の感情でも人は笑う。もちろんそれによって笑っても楽しくはない。
また人は笑っていなくても笑う。それは作り笑いというものだ。
これは表面上の笑顔の模倣であって脳内で情報の洪水などは起きてはない。
人は笑う時、情報の処理が難しくなるために顔のコントロールを失う。表情を崩したり声を上げたりする暴走状態が本来の笑顔である。
笑顔は非常に無防備な状況であることを表すものなので相手に心を許しているという友好を示すサインでもある。
作り笑いは相手へ友好をアピールするための手段としての笑顔なのだ。
しかしながら笑顔は受取手によっては友好の証を示すものであるとは限らない。
それが不本意に笑われての笑顔をと認識されれば不興を買う。
それが友好なふりをして近づいて不意打ちを狙ったものだと認識されれば恐怖を抱く。
相手の心情や状況を察した上で笑顔を使わなければ意図しない結果になることもあるので注意が必要である。