【2】快楽とは否定の緩和である
人は本来は五感で受け取るあらゆる情報を脳が受け取ると否定に感じるようにできています。
しかしそれは現在の記憶によって比較され、過去のものより強い部類の否定ならそのまま否定へ、弱い部類の否定なら肯定へと変換されます。
人間は幼ければ幼いほど、強い否定の記憶が少なく強い否定には弱い。逆に言えば年をとればとるほど人は鈍感になっていく。
何故、弱い部類の否定は肯定と扱われるようになるかについてですが、それは強い否定から弱い否定へと状況が変化するとき、人はそれを快楽と感じるので弱い否定の状態を肯定へと分類して記憶するからである。
快楽とは否定が弱まっていく変化を感じている状態の事である。
凝り固まって痛くなった肩を揉んで貰うと気持ちいいという経験は誰しもがあると思う。これは痛みが完全に改善した訳でなくても否定が弱まることで快楽を感じ、揉まれた後の状態が良いときの状態になったという肯定の記憶がなされている。
快楽はより強い否定から大きく変化するほど強くなる。強い否定に慣れてしまった人間は多少の否定に対しては肯定的に受け取るようになったり、強い否定すら肯定的になることすらある。
強い否定に慣れすぎてしまった人間は同様の否定を周りにも強要することもあり、周囲の強い否定に慣れてない人間にとっては害悪となることがある。
快楽に溺れた人間が新たな快楽を求めて中毒化することがあるが、あれは耐性がついて気持ちよく感じにくくいというより否定に慣れたことで更なる強い否定がなければ同等の快楽を得られなくなっているとみるべきだろう。
否定への慣れは外からくる否定が多い環境下においては、自身への否定に至らないために必要なことではあるが、可能であるならば否定を多く受ける環境などないに越したことはない。
人は身や心を守るためにできるだけ否定から逃れるように快楽という誘導がなされているが、度を超した快楽は身を滅ぼす原因になるのは言うまでもない。




