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【1】人間は肯定を求める生き物

 率直に言おう。

 人間は自分を『肯定』するものか『否定』するものかで思考が作られている。

 YESかNOか、快楽か苦痛か、ありかなしか、プラスかマイナスか、表現は何でも良いがここでは今後は肯定か否定かで統一していく。


 そんな単純なものではないだろうと思う人もいるかもしれないが肯定か否定かに強弱があるだけで、それが絡まり合って人間の意識は作られている。


 五感によって得られた情報を肯定か否定かに分類してその強弱とまとめて記憶している。

 ここでいう情報とは言葉や数字などだけではなく物理的に生じる感覚や痛みなども含まれることを念頭に置いて欲しい。


 始まりはきわめて単純だ。

 体が楽か苦痛かを記憶していくだけ。


 胎児の時は極めて楽な状態を保ち、母親の心音をともに記憶する。

 産まれた瞬間は初めての呼吸と初めての外部との接触による刺激によって最初の苦痛を得て、母親の心音が聞こえていないことを記憶する。


 赤ちゃんが母親の心音を聞くと安心するのはその記憶が肯定を示すものであるからだ。

 逆に聞こえない状況は否定を示し不安を呼び起こす。


 最初は五感に頼った実に単純なものであるがそれを積み重ねて人間は今までの記憶を頼りに肯定か否定か判断している。

 もちろん新たな記憶を積み重ねれば以前は肯定だったものが否定に、否定だったものが肯定にも変わることもある。

 最初の判断となるものは五感であるが記憶を積み重ねれば五感では否定していても記憶の肯定が勝れば肯定との判断を下すときもある。逆もまたしかりだ。



 説明するまでもないかもしれないが何故に肯定と否定を判断する必要があるかというと人間などの生物は肯定より否定が上回れば死ぬからだ。


 五感による否定は単純に物理的な危険信号だ。

 触覚や痛覚は外傷や内部の異常告げるものだし、視覚は迫り来る危険を認識でき、嗅覚は食べ物の異常や有毒ガスによる危険を察知するなどといったものだ。

 これらは記憶によって危険信号をより具体的なものとして判断できるようになる。


 しかし記憶による自身の完全否定がなされた場合、死という最大の否定行為を知っている人は自殺に走ろうとする。

 それは本来避けねばならないことだ。

 だからこそ人は自己の肯定を求め続けなければいけないのだ。

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