【11】希望とは肯定の予想である
希望・期待・夢といったものは肯定的な情報が起こる予想をする感情である。
恐怖は危険を回避するためのものであったが希望はより良き未来へ進むための道しるべとするべく脳が描く未来予想図である。
生きる為の活力となるものであるから希望や夢はたくさんあった方が良い。
もちろん現実はすべてが希望通りになるとは限らないのは誰もが知っていることだろう。
しかし希望を持つことで人は目先の多少の否定にも耐えて努力をすることができるのだ。
希望によって大きな肯定を得られる夢を見られるからこそ、否定を伴う道でも進める力を得るのだ。
逆に言えば希望を持っていてもその先に得られる肯定に見合わない大きさの否定を伴うなら努力しない。
どれだけ否定を伴っても得られないと予想している希望に対して努力しない。
現実への予想が甘くて必要な努力が何か理解していない場合も努力しない。
実のところやる気のないやつなんていない。
努力する価値や方法を見出せてないだけに過ぎない。
見合うだけの努力する価値や方法を得る機会があれば誰だって頑張って努力する。
努力しなかったり叶わないと感じていても人は希望を夢見る。
肯定的な予想が立っている間はその人の中ではまだ終わっていないのだ。
終わっていなければ奇跡を信じて生きていける。どんなに恵まれてなくても、前に進んでいなくても、自分を否定せずに生命を維持できる。
希望が自分の中でも完全に絶たれた時、それは絶望だ。
肯定的な未来予想図が描けなくなってしまった状態なのだ。
まだ絶たれた希望が持っている希望の一部だったら生きていくことはできる。
だがその人が持つ大多数の希望が絶たれたと思った時、自主的に生きようとはしなくなる。
それは当然だ。希望は肯定を得る道しるべなのだ。
肯定を得る手段が失われた人間がどうして生きていける。
肯定を得られずに自己否定に転がれば、人は自殺へと自ら向かう。否定する己を死をもって否定することが正しいことだと考えるのだ。
誰かの希望を潰すことはその人を潰すことの第一歩なのだ。
だから人は希望を潰されそうになると怒るし抵抗するのだ。
それが他人から見てどんなにちっぽけでもくだらなくてもその人にとっては生きていくために不可欠なこともある。