【10】安心とは否定予想の無効化
恐怖については前述したとおり否定が起こる予想である。
付け加えると恐怖とまでは行かないが否定が起こる可能性を頭に残している状態が不安という感情である。
恐怖や不安の予想が実際に起こらないようになるか、もしくは起こっても問題がないようにする対抗手段が用意された時に人は恐怖や不安から解放されて肯定を得る。
これが安心という感情である。
安心の感情を作り出す目的は恐怖や不安に対処するために脳や体が起こした行動による疲労を回復する状態に体を移して良いよというサインを全身に出すためである。
安心して腰が抜ける人がいるのは回復のためのリラックス状態になりすぎた結果である。
個人的な意見だが不安や心配は安心とは対義語と言えるかは怪しい。
不安とは恐怖にまでは至らないが安心にまでも至っていないという中途半端な心理状態だからだ。
心理的に考えると安心の対義語は恐怖とするのが妥当だと筆者は考える。
安心を得るためには前提として恐怖か不安を抱いている状態であることが必要となる。
安心が油断を生むとよく言われるが安心するから油断を生むのではない。
油断できるほどに恐怖や不安が頭の中から消えた時に人は安心したと感じるのだ。
逆に言えば大きな恐怖や不安が頭の中を満たしてしまうと他の否定が起こる可能性を予測する余裕をなくしてしまうということである。
笑いや怒りなどでも同様ではあるが何かの感情で頭がいっぱいになっている状態は他のことに注意が払えなくなることが多いので、常に思考の余裕を残しておくことは危険性がある状況においては必要である。
この安心という感情であるが恋愛や創作において非常に有効的に使える手段でもある。
要は強い不安や恐怖がある状態の人からそれらを取り去りつつ肯定感を大量に与えると安心によるリラックス効果による相乗効果で強い快楽へと昇華できるのだ。
創作においても共感により似た効果を得られる。なお、共感については別の機会に触れるつもりである。
前提として肯定感を与える者は好意的に思われていなければならない。また否定的に思っていた相手が不安や恐怖を取り去ってくれたことで好意的な相手に転じるならば問題はない。むしろ否定からの肯定の振り幅により大きな効果を期待できる。
人は誰しも不安を抱いている。
事故や事件に巻き込まれて不幸に遭うんじゃないかという不安、孤立しないかという人間関係の不安、誰からも必要とされていないんじゃないかという不安などなどだ。
愛する人からハグは守って貰える安心感、愛して貰えてる安心感、必要とされている安心感、大事な人が手元にある安心感などが同時に得られるのでリラックス効果を狙う時には特に有効だと考えられる。
それでは恋愛でも創作でも使えそうな一例をご紹介しよう。
例えばデートの帰り際などは楽しい時間が終わって互いに分かれて家に帰らなければならない不安を抱いている状況をイメージして欲しい。
彼女がバレンタインのチョコを渡して彼はその場で中の1つをつまんで自身の口に運ぶ。
だがそんな時間ももう終わりだ。二人はそれぞれ家へと帰らなければいけない。
駅の改札口で彼は彼女を抱き寄せると互いに体の温もりと良い匂いを感じる。
そこで二人は見つめ合い、彼は耳元で愛を囁いて時が止まるように感じるキスをした。チョコの甘みが口の中で溶けるように。
雑な短文ではあるが彼女の視点で考えると不安な状況からハグによる触覚と匂いによる嗅覚による肯定情報、見つめ合いからの視覚による肯定情報、聴覚からの肯定情報、キスについてきた味覚による肯定情報という五感を全て使った肯定情報の洪水である。彼女はこれにより彼による安心感に満たされて一時的とはいえ不安から解消されるとともに幸福感という快楽に包まれるのだ。
肯定情報は多ければ多いほど基本的には良いし、同じ五感は加算だが異なる五感は乗算で効果があると言ってもいい。
つまるところ不安を解消して肯定感を多く高めてあげれば良いのだ。
だが注意点がひとつある。
人は同じ内容の不安からの解消を繰り返すとどうせまた解消されると予想し不安を不安と思わなくなってしまう。
そうなるといくら肯定感を与えてあげても効果は薄くなってしまう。慣れというやつだ。
それを避けるためにはうまく不安や肯定感を小出しにするか、新たな不安を用意するしかない。