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【9】恐怖とは否定の予想である

 否定が多ければ多いほど強ければ強いほど人は死に近づく。

 痛みは身体に異常がある警告だし、自身の存在価値を見いだせなければ自身を(ないがし)ろにしていき自滅しかねない。

 それ故に脳は本能的に否定の逆である肯定を求めるのだ。

 仮に遺伝子の異常などで否定を恐れない生き物が誕生したとしてもその生物は否定に走った結果に自滅するので生存競争では生き残れない。


 恐怖とは記憶や経験からこの後に起こりうる否定を予想した時に鳴らされる脳からの警告である。

 予想できる否定は避けた方が良いというのは生き残るために当然である。


 この後発生すると考え得る否定が強ければ強いと予想するほどより恐怖は強くなり、否定の強さが予想できないほどになると最大級の恐怖を抱くことになるか、恐怖について考えることそのものが強い否定の情報になり泣いたり笑ったり怒ったりと様々な感情へと繋がる。


 だが必ずしも恐怖という警告に従うわけではないのが人間だ。

 予想している否定よりもそれに伴って発生する肯定というメリットが大きければ恐怖に反して行動することができる。

 これを人は勇気と呼ぶ。


 例をあげるとカップルで肝試しをする際に男は幽霊に恐怖を抱くが女から頼られ信頼を勝ち取るなどというメリット、すなわち肯定の方が大きければ恐怖に負けずに率先して行動することができる。


 自己犠牲の精神が強い勇者は単に『自分の命』と『世界や愛する者の平和』を天秤にかけた際に後者の方が肯定感が強いと考える思考の持ち主で自分の命を危険に晒す恐怖よりも皆の平和を得るメリットの方が大きいのだ。


 選択肢がどれを選んでも恐怖伴う内容の場合、最も恐怖の弱いものを選ぶのは当然ではあるがこの時に選ばれた恐怖に立ち向かう姿勢や気持ちを勇気と言えるかは怪しい。


 勇気のない者というのは単純にその恐怖に立ち向かうことに大きなメリットを見出せていないのである。


 勇気と無謀はよく違うと言われるがまさにその通りで、無謀は否定をまともに予想できていない者でしかないからである。

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