ゴムの知らせ
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
うわあ、懐かしいなあ。
見て見て、こーちゃん。これ、大昔に半紙で作った気球なんだよ。
うは〜、すんごいボコボコだ。いかにも子供のハンドメイドって感じ。今だったらもう少しかっこよく作れるかなあ?
僕も、一度空に浮かんでみたいと思ったことがあってね、風船をかき集めたことがあったっけなあ。
一応、ものすごくたくさん集めたりすれば、可能らしいよ、空に浮かぶこと。
本当に浮かぶことだけはね。強度の問題とかで、飛行には適していないようだし、かなり危険な行為なのは確か。実現させることができなかった、当時の幸運に感謝しとくべきかも。
風船ってさ、本当に色々な想像を膨らませてくれるよね。僕のお父さんも風船をめぐって体験をした、不思議な話があるんだよ。
耳に入れておかない?
お父さんが小学生くらいの時。
その日は、お父さんの学区内を使った大規模な鬼ごっこをしていたんだって。だいぶ時間がかかるから、たいていは鬼と逃げ手に分かれての一本勝負。お父さんは逃げ手のひとりとなって、指定された範囲の中へと繰り出した。
規模が広いから、かくれんぼ的な要素もある。鬼は最初から複数人いるし、見つかって触れられたら、その逃げ手も鬼になってしまう。見つかって挟まれたりすれば、とたんに苦しくなる。
鬼の姿や気配を感じつつ、場所を移し続けるお父さん。その途中、民家の間を縫っていく中で、ふと妙なものに気がついた。
赤い屋根を持つ、広めの平屋。屋根には電波受信用のアンテナが立っているんだけど、それに紫色の風船がくくりつけられていたんだ。
一本のたこ糸で結ばれた風船は、そよそよと風に吹かれて揺れている。その図体は、子供の身体くらいはあるんじゃないかという長さで、管を思わせる見事な楕円形だったみたい。
それだけだったなら、さほど驚くことはなかった、というお父さん。わずかに足を止めただけですぐ動こうとしたんだけど、それに合わせて、ひときわ強く風が吹いた時。
先ほどまでパンパンに膨れていた風船が、急激に縮み始めた。それだけじゃなく、普通ならばしぼむと同時に、膨らんでいたゴムが戻ることで、紫色が濃くなっていく程度の変化がせいぜいのはず。
それが、縮んでいく間で、風船の色が何色にも変わったんだ。赤、青、黄色、緑、ピンク……紫に近い色彩から、そうでない色彩まで目まぐるしく変化しながら小さくなっていく様は、見ているお父さんまで、くらくらとめまいがしそうなくらいだったとか。
ものの数秒で、すっかり縮んでしまった風船は、もう屋根の下からだと、小動物のフンにしか思えない大きさに。
――あの風船、膨らませる時も、同じように七変化するのかな。
素朴な疑問を感じたものの、鬼の声がかなり近くから響く。あまりここには留まってはいられない。その時はさっさと逃げたんだってさ。
二日後。祖母の用事に連れられて、たまたま例の家の近くまで来た時のこと。
ところどころに、お通夜の案内看板が立っている。その看板をたどっていくと、例の風船がくくりつけてあった家が、その場所だということが分かったんだ。玄関に白い布をかけた机を用意している人がいる。
一緒にいた祖母も、それを見やって少し驚いた顔をした。普段はあまり面識がないが、自治会の会計さんの家だという。どうも亡くなられたのは、会計さんの父親とのこと。
アンテナにはもう、しぼんだ風船の姿はない。
「そりゃあ二日も経ったら、ゴミとして捨てられるか、風に吹かれたかでなくなって当然だよなあ」と、その時のお父さんは思っていた。
ところが、例の風船はそれからも、しばしばお父さんの前に姿を現したんだ。
屋根のアンテナ以外にも、雨どいの端、戸袋の脇、庭に立っている木の枝とかにも。そいつらは、お父さんの見ている前で、またカラフルに明滅しながらしぼんでいく。
それだけでも驚くには十分だったけど、それ以上に気味が悪いのが、それらを掲げた場所では、近く人が亡くなるということが、分かったんだ。
家にくくりつけられているパターン以外も、見受けられるようになる。
ある日、道路沿いの街路樹に、青色の風船が結び付けられているのを見たお父さん。すぐ近くにある本屋さんに入り、窓際で雑誌を読むふりをしながら、風船の様子をうかがっていたらしいんだ。
しばらくすると、道路から急ブレーキの音。それに続いて「ダシャー!」と、地面に叩きつけられる音が響いたんだ。明らかに衝突している。
店の中の人たちが「何事か?」と、外へ顔を向け、お父さんもしっかりと見ている前で。
バイクが地面の上を滑って来た。やや勢いがついて半回転する車体には、誰も乗っていない。そこから中央分離帯にほど近いところに、真っ赤なダウンジャケットとヘルメットをかぶった人が、半身になって倒れているんだ。
店員さんが窓の外を見つめつつ、カウンターの裏手に置いてある電話へ手を伸ばす。お客さんたちも何人か店を出て、現場へと向かっていった。
お父さんも一緒に出ていくが、方向は少しずれて、例の街路樹に結ばれた風船の近くへ。
――僕の予想が正しければ、きっとこの風船は、もうじきしぼむはず。
やじ馬たちが、お父さんの脇を通り越して現場へ集まってくる。ほどなくして救急車のサイレンの音が響き、道路にある車たちが路肩へ寄って、その動きを止めていく。
そしていよいよ、救急車が倒れている人のすぐ近くで停車し、担架が取り出され始めた時。
お父さんの目の前で、何も手を触れていない風船が、急激にしぼみ始めたんだ。やはり元の色とは思えない、様々な色に変わりながら、図体を小さくしていく。
すぐそば、かつ、生で見るのは初めてだったこともあり、お父さんは吐き気を覚えそうなくらい目をチカチカさせながら、その経緯を見届ける。
救急車がライダーと思しき、倒れた人を収容し終わった時には、すでに風船はしぼみきっていたのだとか。
しかも、風船はただしぼむばかりか、傷んだバナナの皮を思わせる色に落ち着くと、ぐすぐすと音もなく形を崩して粉になり、植え込みの中へ落ち込んでいってしまったんだ。
その無残な崩れ具合に、お父さんは一抹の不安を覚え、それは的中する。
翌日。あの事故を知る人を探して聞いてみたところ、あのダウンジャケットの人は即死だったことが分かる。
――あの風船は、死神だ。死神が目印として、これから死ぬ人のところへつけてまわっているんだ。
お父さんはそう確信して、自分の身近に風船が現れないかと気が気でなかったらしい。
だが、ついにその時が来てしまう。
学校帰りのお父さんは、自分の家の雨どいに、赤い風船がくくりつけてあるのを、見つけてしまったんだ。
一階の壁近くを通る管に結ばれ、風になびく風船は、壁にぽんぽんと触れては離れるを繰り返し、危なっかしく漂っている。
――放っておいたら、誰かが死んじゃう。
この時お父さんは、自分が死んでしまうかも、という考えには不思議と思い至らなかったって話している。
元気にあふれていた時期だったし、風船の事情も個人的には把握していたつもり。その自分がやられるはずなんかない、と無意識に思っていたんだろうってさ。
風船のひもを外し、家の敷地を出ていくお父さん。
ひとまず家から離さなきゃいけない。手放せば飛んでいくだろうけど、これが死神の手による目印か何かだったら、ヘタに拘束を解いたりすると舞い戻ってくる恐れがある。
――どこか目立たない場所に閉じ込めて、監視するのが一番かな。家族の誰にも死んでほしくないもん。
かといって、お父さんはまだ、家の外に大した行動半径を持っていない。
その中で、曲がりなりにも自分の空間と思っているのが、当時、学校の裏山に作ってあった秘密基地くらいだった。
裏山に差し掛かったお父さんだけど、基地が近づいて、わずかに気を抜いちゃったのかもしれない。うっかり途中にある木の枝に、風船を引っかけてしまう。
風船はなすすべもなく割れてしまったけど、とたん、お父さんの目の前に山以外の風景が、わっと広がった。
見知らぬ学校の教室で、作文を読み上げているところ。
暗い穴の中から、飛行機を見上げているところ。
白無垢姿の女の人と、目の前に大中小と三つの盃が並んでいるところ……。
いずれも見たことのない光景が、次から次へと浮かんでは消えていく。
やがて、先ほどまで白無垢姿だった女の人が、赤ちゃんを抱きあげている姿がうつり、お父さんは「あっ」と思ったらしい。
流れていったそのワンシーン。お父さんは家で見たことがあったんだ。
お父さんのお父さん。僕にとってのおじいちゃんが生まれた時を記念して、撮られた古い写真。そのアングルにそっくりだったんだ。つまり、おじいちゃんを抱いている女の人は……。
それからも知らない映像が目の前で流れ続け、最後にお父さん自身を含めた、家族が集まった景色を最後に、ぷっつりと途切れてしまう。
お父さんは悟ったんだ。風船がもたらすものの正体と、自分がしでかしてしまったことの大きさを。
家に帰ると、大騒ぎになっていた。
一緒に暮らしていた、僕にとってのひいおじいさんが、亡くなったということだった。苦しんで苦しんで、息が止まるその時まで、顔はゆがみ、身体をよじらせ続けたとのこと。
――あの風船には、ひいおじいちゃんが本来見るべき、走馬燈が入っていたんじゃないかと思う。
お父さんは、そう僕に語ったよ。
あの風船は死を導くものじゃなく、人生を振り返らせることで、今わの苦しみを和らげようとする配慮だったんじゃないか、とね。
きっと今まで風船を結ばれた人は、事故に遭った人も含めて、安らかに逝けたんじゃないかと思う。
もし、いつかひいおじいちゃんに会ったなら、謝らないといけないかもね、と話していたよ。




