七枚の翼
「どうし、て・・・ここ・・・にっ」
駿河さんは土曜日の――――昨日の朝のHRで二人の警察に連行された。
ここにいる辺りから察するに、どうやら証拠不十分やら何やらで無事釈放されたんだろうけど・・・なんで駿河さんがよりにもよって今こんな場所に?
「フッ。そりゃ、あたしの出番だからさ」
「・・・でば、ん? ・・・駿河さん・・・の?」
「ああ。・・・ん? なるほど、毒でも喰らったのか」
言動から僕の容態に気付いたらしい駿河さんは踵を返し後頭部を向けた。すると突然、何が起因してこうなったのかわからないけど、蝉時雨が耳障りな真夏という季節において決して目にすることのないはずの、降雪という現象が起こりだした。僕も鷺宮さんも天喰くんも、この予想だにしない光景に思わず目を奪われ天を見上げる。
陽も沈み徐々に漆黒に染まっていく空に点々と無数に存在する雪は、よく見ると、白くはなかった。それ以上に、そもそもそれは雪ではなかった。
雪と見紛うほどに優しく深深と揺らめき舞うそれは鳥の羽毛のような物で、実際それは薄い黄色とも呼べるカリヤス色をしている。
その羽毛は地に降りるとどうしてか雨水のように瞬時に弾け、形を崩してしまう。
本当に不思議な、そして幻想的な光景。
横たわるヘカミヤーにも当然その謎の羽毛が見舞われる――――と、しばらくして気付いた。
あれ? 急に体が動くようになってるぞ。痺れも完全に抜けてる。え、なんでだろう?
「ほら、これで動けるようになっただろ?」
事態をうまく飲み込めないでいる僕に駿河さんはまた顔だけ後ろに向けて、口の片端だけを吊り上げてささやかな笑みを浮かべている。
『まこちーん!』
この不思議な羽毛の力によってヘカミヤーも自由になったようで、蝶のようにふわふわと羽ばたきながら、地べたに座る僕の懐に飛び込んでくる。
それが、肋骨が折れそうなくらいの突進だった。
「んがっ! が、は、あ、・・・っ、だ、大丈夫かい、ヘカミ、ヤー・・・っ」
『チュウ・・・あのピエロ野郎の蛇に噛みつかれたせいでアタチ、毒が回ってたはずなんでチュ。けど急に動けるようになったでチュ。なんででチュかね?』
「そ、それは――――」
と、ヘカミヤーを抱きかかえた僕は何となく、視線を駿河さんに移し変える。
それに気付いた駿河さんは、はっきりした口調でこう呟いた。
「ザフキエルの力の一つ、『真実の羽根』さ。この羽は天使を癒して悪魔を蝕む」
「・・・は?」
ザフキエル? 天使? ・・・悪魔?
変な言葉の連続に一体どこから突っ込んでいいものかと困惑していると、遠くから人ではない物の悲鳴が生まれたのを聞きつける。
目を凝らしてよく見てみれば、羽に塗れたメフィストフェレスやフォカロルが濃密な酸性雨でも喰らっているかのようにもがき苦しんでいた。それに連動して主達も苦しそうな声を上げている。それを駿河さんは厳しい目付きで静かに見入っている。
・・・って、あれ? あまりにも普通にしていたから気づくのに遅れたけど、駿河さん、フォカロルとかメフィストフェレスとかそれにヘカミヤーも――――見えてる?
「も、もしかして駿河さんも、その――――卵を?」
「まあね。っつっても卵を手に入れたのは――――まあ、今そんなことはどうでもいい。どうやらヘカミヤーも回復したようだし、このくらいにしておこうか」
僕の懐にいるヘカミヤーを見てそう呟くと、駿河さんは空を見上げた。
するとどうしてか、駿河さんが上を向いた途端に降り続けていたカリヤス色の羽の雪がどこからか急に吹き荒れだした風に飲まれて今までとは逆に空へと乱舞しだし、羽は風もろともたちまち上空のある一点に密集しだした。
羽の影響で薄黄色をした旋風は球体を描くように渦巻きつつも凝縮していき、それにつれて羽の濃度があがったせいか次第に色濃くなっていく。
やがて完全な黄色の球になると旋風は内から水色に近い色の光を伴って弾けた。さっきヘカミヤーが生まれた時のような眩い閃光に辺りが埋め尽くされる。――――と次の瞬間、さっきまで旋風があったその位置に、朧月のように優しくもあり力強くもある光を放つ光源が現れた。
抱きかかえたヘカミヤーとともに天空を見つめると、右に四枚、左に三枚と、合計七枚のカリヤス色の翼を背中に有する人の形をした何かが、七枚の翼をゆっくりと羽ばたいて宙に滞在している姿があった。
二本の鋭い牙を生やした獅子の頭を髣髴とさせる兜を深くかぶり、兜のせいで目元は確認できないが顔の下半分はまさに人間そのもの。首から下は西洋の甲冑に酷似した、しかし兜と同様に獅子の体を連想させるような装飾がなされた不思議な尊厳みのある鎧を着込んでいる。騎士という言葉がしっくりきそうな外見だ。
鎧は兜も含めて大部分が薄藍色を基調としていて、各々の部位のそれぞれの輪郭とわずかばかりの装飾にだけ灰色にやや黒みが強いような鈍い銀色が施されている。謎の紋様も刻み込まれていたりする。
こんな格好をしていると腰に剣を携えていそうだけど、そんな物はどこにもない。
その代わりといっては変かもしれないけど、赤、橙、黄・・・と、虹の七色を一色ずつ宛がわれた七つの刺々しい棘を円周上に持ち合わせた不思議な一輪(と言っても針は輪に一つもくっついていない。どういう原理かはわからないけど七針と輪はそれぞれ独自に適度な距離感を保って離れている)が両肩に備わっている。余談だけど、その輪もそれぞれ何らかの力で肩と距離を保ち浮いている。それこそ天使が頭上に持つとされている黄金の輪のように。
揺らめく七翼の更に背後には後光が見られ、この蒼い獅子の鎧を着込んだ何かが僕には崇高な存在に感じられた。それこそ、天使そのものに見えた。
こ、これが・・・駿河さんの卵から生まれた生物、か。
神々しい生物の降誕に思わず目を奪われてしまい、何もそれは僕だけでなく鷺宮さんも同じだったようだ。けど――――、
その中で一人だけ、反応が違う者がいた。
「ば、ばか・・・な。な、七枚だとっ! そ、んな・・・っ」
どうしたことか、ここで天喰くんが今日初めての狼狽を見せる。
表情から察するに、なんていうか・・・恐怖感を抱いているようにすら見える。
そんな風に激しく動揺している天喰くんを意に介することなく駿河さんは呟いた。
「・・・鷺宮。まずはお前からだ」
ザフキエルに見入っていた鷺宮さんは名指しされたことで体を強張らせる。その心に連動してかフォカロルは臨戦態勢に入るが、メフィストフェレスとの戦闘、加えて『真実の羽根』とやらで限界まで消耗しているらしく、構えが哀れなまでに弱弱しい。
ザフキエルは両腕を交差して両肩にある七つの棘がついた輪をそれぞれ手に取ると、そのまま腕を真下に垂らして掌を開き、今掴んだばかりの輪を手放す。だが輪は地面や掌と平行になるように面を向けつつ、しかしまたしても両掌と若干の距離を保っていた。つまり宙に浮いた状態になっている。
「フォ・・・フォカロル、『禁断の果実』よっ!」
ザフキエルの所作に何やらただならぬ雰囲気を感じたらしく、鷺宮さんは先手必勝と言わんばかりにフォカロルに命を下す。
そんなフォカロルは鷲の生首を用意しにかかるが、その動作が如何せん遅い。
震える右手を構え、鷲の嘴にゆっくりとガラス玉を装填し、光が募っていく・・・が、一つ一つの行程が今までとは比べ物にならないほど鈍足で、鷺宮さんの指示からこの時点まででもう軽く十秒は経っている。
これは見方によっては隙だらけの十秒間と言って差し支えない。けれどどうしてか駿河さんはザフキエルに何も指示をせず、そしてザフキエルも宙に浮かんだまま何もしない。
その佇まいはまさに様子見そのもの。あるいは余裕なのか。若しくはこれから何が起こるのか――――まさか知らない?
「っ、だ駄目だ駿河さんっ! その光を見ちゃ――――」
「もう遅いわよっ!」
最後の力を振り絞ったのか、フォカロルは片翼を駆使して駿河さんの目前にまで万全の時と同等の素早さで移動し、駿河さんの目と鼻の距離に鷲の生首を用意して、回避できない至近距離で禁断の果実を放った。
不名誉ながら二度に渡ってこれを喰らっちゃってる僕はもう事前に予測できるようになっていてどうにか目を瞑り回避できた。けど・・・駿河さんは?
不安げに窺ってみると・・・さっきまでと変わらないその鋭い目付きで凛とした佇まいのままだ。洗脳された様子は激しく皆無。もろに喰らったのになんでだろう?
「血迷ったのか? 男でもなければお前のことを好きでもないこのあたしにそんなもん、効くわけがないだろうが」
それだけ言うと駿河さんは自分の腰にある十手を手に取り、その先端をフォカロルに向ける。それに応じてか、ザフキエルは息もつかぬほどのわずかな時間でフォカロルの真左に降り立ち、開いた左掌をフォカロルにかざす。それに連動して七つの棘を持つ輪がフォカロルとザフキエルの掌の中間に位置した。瞬間、それぞれが独自の色を帯びた七つの棘が、それぞれの色で閃光を灯しだした。
棘の光は徐々に輝きを増していき、ある程度までいくと今度は七色の光が輪の中心に向かって一点に注がれ、徐々に混合し、シャボン玉に見られる不思議な七色の光に近づいていく。その過程、まさに未知なるエネルギーを大気から取り込んだかのような雰囲気だ。
すると輪は歯車のようにゆっくりと動き回転しだし、徐々に加速。周囲は火花、そして歪に折れ曲がった電流のようなものが迸りだしてさえいる。その光景はまるで過剰なエネルギーを注ぎ込まれて暴走を始めた機関を彷彿とさせる。
「・・・さあ、仕舞いだよ。『フォカロル』という惑溺に、終止符を」
駿河さんが別れの手向けのような不思議な言葉を呟いた途端、輪の中心から虹色の光線が放たれ、直進し、それはフォカロルの体躯――――メフィスト・フェレスの大鎌の猛攻を凌いでいた鷲の生首にいとも容易く巨大な風穴を開けてみせた。
「ギャアアアアアアアアアッ!」とフォカロルの断末魔が響く。
光線が貫通した部分から蒸発するように腐敗が侵食し、徐々に肉体が朽ちて消えていく。そして驚くことに、なんと数秒も経たない内にフォカロルは跡形もなく消滅してしまった。同時に、鷺宮さんが琴切れたように地面に横たわって、眠っているように静かになった。
・・・って、い、いやちょっと待って。フォカロルが消滅したってことは、それに連動して、鷺宮さんは――――鷺宮さんも、もしかしたら・・・。
「まさか・・・まさか鷺宮さん、し、死んじゃったの?」
「いや、浄化の反動で気絶しているだけさ。フォカロルの方は今の『唐獅子牡丹』で消滅したけどね」
「・・・・・・じょーか?」
「悪魔――――この場合はフォカロルのことだけど、フォカロルは例の卵が鷺宮の内に潜む『悪意』を糧に成長して孵化した存在なんだ。言い方を変えればフォカロルは鷺宮の悪意の分身に代わりない。じゃあそのフォカロルが消滅すればどうなるか? 話は簡単さ。フォカロルの消滅にリンクして鷺宮の中の悪意も消滅する。つまり『浄化』ってのは悪魔を消滅させて主の心から悪意を消し去る行為を指してる。んで今の鷺宮は心から悪意が消滅したわけだから、欠如した分を心が整理するために鷺宮本人は気絶状態になっている、ってわけさ」
・・・。
・・・えーっと?
要約して、『フォカロルが消滅したことで、鷺宮さんから僕をもてあそんで笑ってたあの残忍な部分が消えた』ってことでいいのかな? いいんだよね? ね? だとしたらそれはいいことだと思う。うん、いいことだ。生きてるってわけだしね。
それにしても・・・あのフォカロルを難なく一撃でやっつけてしまうとは。
駿河さんのザフキエルはとんでもない強さだ。いや本当に。口ばっかのヘカミヤーとは大違いだ。
『チュウーっ! なんでチュかまこちん! アタチはほんのちょーっと油断ちてただけでチュもん!』
よく言うねー。あり? とか言ってかなり動揺してたくせに。
僕が呆れ果てているとヘカミヤーは真紅の両眼にもおとらないくらい頬を染めてチュウーっ! 叫んだあと、あろうことか右耳に噛みついてきた。
ハムスターそっくりの顔をしたヘカミヤーはこれまたネズミのような頑丈な前歯を持っているようで、これがもうかなり強烈。火光獣よりも噛みついた方がよっぽど強いんじゃないか、と半ば本気で思ったりもする。
「さてと。次はお前の番だよ、天喰」
「あ、あ、・・・っ、くそぉっ!」
今のフォカロルとザフキエルの戦闘を、そして瞬く間に敗北した鷺宮さんの末路を見て、天喰くんはさっきまでとは一転して恐怖に慄いた表情で後ずさりすらしだす。そして・・・、
あ。逃げた。
あの天喰くんが維持やプライドを捨てて背中を見せて逃げ去っていく。駿河さんは十手をしまうとゆっくりと追いかけだし、
「比護、あたしは天喰を追うから鷺宮はお前に任せるよ」
「え、ええっ! いやそんなこと急に言われてもっ! 任せるってその、具体的に何をどうすればいいのっ?」
「鷺宮を連れてここから安全な場所に避難すればいい。そいつはまだ当分目を覚まさないだろうからね。あんたはそのまま帰んな。あいつはあたしがかたをつけるから。それじゃ頼んだよ」
それだけ言うとそのまま天喰くんが向かった遊園地の奥へと姿を消していった。




