口下手の神頼み
ひそひそと窓際の一番後ろにある自分の席について午後一の授業の用意をしながら、なんとなく、そーっと、教室の中央の席に座る駿河さんを斜め後ろから遠目に見る。
駿河さん、か・・・。
あの佐々木くんにだって物怖じせず、それどころか逆に物怖じさせてしまうほどの人。
何人たりとも寄せ付けない、無双とも女帝とも呼べる人。
今さっき、僕を嘲るかのように一瞥した人。
確かに、そんな絶対的な存在の君から見たら僕なんか本当にちっぽけな虫みたいな存在だろうね。
・・・あ。でも一応、お礼は言ってこうかな。
ありがとう、駿河さん。
君はそんな気なんか全くなかったんだろうけどさ、君にとっちゃ、これから自分がいたぶるおもちゃを奪い返したみたいなものなんだろうけどさ。
でも結果的に、今僕は殴られずに済んだんだ。君のお陰で。
・・・放課後のことはさておきだけどね。君との今後のこともさておき、だけどね。
そんな微妙な感謝の言葉を間もなく始まる授業の準備をしている駿河さんの背中に送った。少し前にも述べたように意外にも駿河さん、授業はおおむね真面目に受けてるんだよね。聞いた話によると転入試験も好成績だったとか。
服装や十手はさておき、その辺の遊び呆けている生徒なんかよりもずーっとまっとうな学生だ。っていうかもうわけわかんないよ。本当に不良なの?
正直なところ、勉強も運動もからきしダメで外見もよろしくない僕からしてみれば、駿河真琴って存在は・・・ある意味、理想なんだ。
偶然にも下の名前が一緒ってこともあって、一方的に、勝手に意識しちゃっている。
言っておくけど、異性としてではない。人として、だ。
噂の真偽云々、女性なのに堂々とした、凛とした佇まいに目を見張るものがあるから。
性別による差別をするわけじゃないけど、僕が暴力に屈服してしまう弱弱しい男なだけに、相乗効果でそう感じてしまうんだ。そして僕は劣等感の塊に成り果ててしまうんだ。
正直憧れる。駿河さんの、その心の強さに。
周りにどんな風に思われていようとも、いかにも自分より腕力がありそうな体格のいい男に凄まれても、決してぶれることのない、揺るがない芯の真なる強さ。
とらえ方によってはそれは自分勝手とも傲慢とも受け取れちゃうけど、でも彼女のはそういった安っぽいものじゃない。少なくとも僕はそう感じる。
人は、それを『勇気』って呼ぶんだと思う。
・・・勇気、か。
さっきの僕は、佐々木くんに抗いたかったのに、怖くてできなかった。
それは言う気が――――じゃなくて、勇気がなかったから。
腕力がどうとか相手が三人だとか、自分を諦観させる言い訳ばかり心の中で呟いて、言いたいことも言えず、それでいて心の中で依然として、ちゃっかりと不満を抱いてるときたもんだ。
そして、いつもこのままじゃダメなんだと思いつつもただ思ってるだけでさ、最終的には怖気づいてその壁を乗り越えずに楽な方に逃げちゃうんだよね・・・。
情けないにも程がある。
そういえば昔、有名人の誰かが言ってたっけ。
『楽しい人生を送りたいなら、楽をしてはいけない』って。
困難から逃げて楽を選ぶことの繰り返しの人生が楽しいわけがない、ってさ。
今でこそその言葉の意味が痛いほどわかるや。皮肉なことにね。
勇気が・・・欲しいなぁ。
せめて自分が思っていることを声にして言えるくらいのささやかな勇気が。
しばくして普段と変わらず穏やかに始まった授業に耳を傾けながらも、僕は窓の向こうに広がる灰色に濁った薄暗い世界を眺めながら、『勇気を下さい』と、
神に祈った。




