ブレイク・スルー
恐る恐る光源を手に取ってみると、それは神々しく輝いていた。
光らせた電球と同じ原理が働いて熱いのかと思ったけどそうでもなく、けれどわずかに温かい。生物の体温のような優しい温もりだ。
光に対して若干細めた目でしばらく観察していると――――殻のある一端に突然ヒビが入り、そこからピキピキと音を立ててゆっくりと亀裂が走っていく。
握っても踏んでも落としても投げても叩きつけても押し潰そうとしても、どんなことをしても傷一つつかずにいたこの卵に、ヒビが入ったのだ。
「まさか・・・」
そのまま今度は殻が次々に破片となって剥離し、破片は卵から分離したと同時に一瞬で湯気のように昇華し、そしてその剥離した部分からはより一層の光が溢れだす。
どう見ても孵化を意味しているに違いないこの状況に、僕の鼓動が過激なリズムを刻みだす。
前々からこの瞬間に期待に胸を膨らませてはいたんだけど、でもフォカロルとかメフィストフェレスとかを見た今となっては恐怖心も少なからずあるわけで・・・なんかちょっと微妙な心境だ。
やがて卵は完全に殻を脱ぎ捨て、今や純白の威光に染まりきっていた。はっきりした輪郭すら覚束ないほどに光が強い。まるで凝縮された太陽のようだ。
そして卵はついに、一気に大爆発するように光を撒き散らした。極端に言えば昼夜逆転と表現しても良さそうなほどに、この夕日が沈んだばかりの薄暗い世界が白くなる。そのあまりのまばゆさについ両目を塞いでしまう。
瞼越しに光が弱まったと感じてからおっかなびっくりで瞼を開いていく。すると、僕の手のひらの上に、卵の代わりに一匹の珍妙な生物がいた。
「・・・は・・・え?」
なんとも情けない声を漏らしてしまったけども、それも無理もないことだとご理解頂きたい。なぜなら、僕のあの卵から生まれたのであろうこの生物は、鷺宮さんのフォカロルや天喰くんのメフィストフェレスの比ではないくらいに小柄で、一見した限りでは五、六十センチくらいの身形をした少女だったからだ。
おおよそ三頭身という肉体構造の少女の手足は短く、それこそ生まれたての赤ん坊に近いものを感じるけど・・・一応、首はすわってる。
髪は銀色で一本一本が極細。それらが豪奢な帯のように束になって垂れ下がり、少女の肩甲骨辺りでようやく纏りを失い毛先が分断されている。
もみあげも同様に長く、前髪は鼻先辺りまであるが両目は窺えるようにM字のようになっていて、幼さゆえかその銀髪の要所要所がいたずらにはねていたりする。
ただ・・・銀髪は少女のお尻辺りまでの長さなんだけど、この少女の身丈が小さいせいで、はたしてこれを長いというのか短いというのかは僕には判断しかねるところではある。
若干桃色が混じった白い肌に紅蓮の炎を結晶化させたルビーがはめ込まれているような、リスのようにクリクリした瞳。鼻は欧米人のように高く(全体比で、だけど)、髪の合間から飛びだす耳は上端部分が尖っており、口はこじんまりとしている。正直、顔だけで言ったらリス――――いや、ハムスターに酷似していた。
ヒゲ、ないけど。
純白の衣であしらわれたキャミソールのようなものを着ていて、それはぺったんこの胸元から膝上くらいにまで及んでおり、膝元には三層のフリルが施されている。けどそれ以外には特に目立ったところもなく、一枚の生地でできてるんじゃないかと思うくらいにいたってシンプルな造りをしている。
両手首には金の腕輪をしているものの、衣から突きだすようにして露になっている二本のちっちゃい足には何の装いもない。つまり裸足だ。
フォカロルとかと比べるとあまりにも雰囲気が違うけど、右の肩甲骨辺りから少女の頭ほどの大きさをした紅蓮色の小さな翼が生えているあたりはフォカロルとかと似ている。
絢爛だが派手ではなく、羽箒のような柔和さを持ち合わせていそうな紅い翼。それを揺らめかせて、この少女は僕の正面でパタパタと揺れるように宙をゆっくり上下していた。よく見ると翼と同じく紅蓮色をした小ぶりな尾も生えている。
っていうか・・・な、なにコレ?
これが――――こんなヌイグルミみたいなのが僕の卵から生まれた生物なの?
鷺宮さんや天喰くんから生まれた生物は、それはもういろんな意味で迫力があった。更に言えばそれぞれが不思議な力まで使えていたけど・・・う、うーん。
そんなつもりは毛頭ないけど、下手したらこの僕ですらデコピンで倒せそうだぞ?
『んもうっ! 失礼ちつれいでチュねっ!』
・・・は?
急にどこからか、幼さを孕んだ声が聞こえてきた。
『こう見えてもアタチはれっきとちた『てんち』なんでチュよっ!』
? また聞こえてきた。僕は首を左右に振る。
『んもうっ、どこ見てるんでチュかぁ! 話ちかけているのはアタチでチュ、アタチ! 目の前にいるアタチでチューっ! 『テレパチー』ってやつでチュよ! テレパチーっ!』
え? と僕が改めて正面を向くと、今卵から生まれたばかりのハムスターのような顔をした少女が、熟した桃のように頬を染めて、宙に浮きながら、幼児がやるような地団駄を踏んでいた。
両腕をブンブンと振り回しているあたり、きっと激高しているんだろうけど・・・なんていうか・・・カワイイ。幼児特有のかわいさが溢れてる。
・・・っておいおい僕、何言ってんの。正気か。
こんな幼児見てカワイイなんてうっとり顔でもしてみろ。今のご時勢、それだけでもう犯罪なんだ。 っていうか変態なんだ。そこんところを忘れてはいけない。
『ムフフフフ。仕方ないでチュよまこちん。アタチはとーってもカワイイでチュもん♪』
少女は腕を組み得意げな顔をして頷きながら、なおも片翼で宙を上下している。
「まこちん? って・・・ま、まさか僕のこと?」
思わず口を突いてでた言葉に少女は『チュ♪』と返事をし、僕の周りを時計回りに旋回しだした。やや長い銀の髪を靡かせながら笑顔で何重もの円を描いている。
な、なんなんだコレ?
フォカロルとかメフィストフェレスとか比べて、・・・まあ、弱そうだなとはさっきも思ったけど、それとは別に・・・あの二匹に感じられた邪気みたいなものがこの子からは全く感じられない。子供ってことが関係してなのか、純粋さと清廉潔白さを持ち合わせている気がする。
口、結構悪いけど。
「えーっと・・・君ってさ、その・・・ずばり、『何』なの?」
『チュ? アタチは『てんち』でチュ。・・・って、さっきもそー言ったでチュよ! それと、名前は『ヘカミヤー』って言いまチュ』
と、少女は旋回を止めて僕の顔の前でパタパタと宙を揺れる。
てんち? てんちって・・・何だろう? 天地? てんち・・・電池? いやペンチかな?
『んもう、だからぁっ! てんちでチュ、てんちっ!』
・・・いや、だから、てんちって何さ? まさか君の造語とかじゃ――――、
『むうっ! ・・・チュウゥゥゥッッツ!』
一向に噛み合わない会話に痺れを切らしたらしく、この子は・・・ネズミ似の外見どおりというかなんというか、怒り顔で、なんと僕の頭に噛み付いてきた。
「いっ、たぁあああああああっっっつ!」
慌てて引きはがしにかかる僕。えっと、ヘカミヤーっていうんだっけこの子? そのヘカミヤーは僕の拘束に必死で抵抗するも振り回す手足が短くて全然抵抗になってない、なんか・・・はたから見たらぐずってる赤ん坊を高い高いして宥めているような光景になってるような気がする。
「何てことすんのさ、いきなりっ!」
『まこちんが悪いんでチュ! まこちんがアタチを馬鹿にちたりするからいけないんでチュ!』
「ば、馬鹿になんかしてないって! ただ君が言ってる『てんち』ってのが何なのかわからないだけで――――」
『だからぁっ! なんべん言えばわかるんでチュかもーっ! てんちはてんちでチュってばぁ! ここまで言って理解できないなんてまこちんの方が大馬鹿でチュっ! バァーカ!』
「・・・・・・・・・」
落ち着け・・・相手は子供なんだ。
落ち着け、相手は子供なんだ。落ち着け、相手は子供なんだ。落ち着け、相手は・・・。
この子がここまで言うからには、おそらく、きっと、多分、僕に落ち度があるんだろう。
ただ、やはり、どうしても、申し訳ないけど、僕には『てんち』としか聞こえないんだ。
・・・・・・ま、いっか。
「わかったよ。君はてんち。そうなんだねよね?」
「そうでチュ! やっとわかってくれまちたか! チュチュチュ♪ 改めまちてよろちくでチュ、まこちん!」
「はあ・・・よ、よろしく・・・」
とりあえず相槌しかできないでいる僕。一方で、僕に理解されたのがよっぽど嬉しかったのか、僕の両手から飛び出してまたまた元気よく宙を泳いでいる。
っていうか・・・あれ? 僕、今までの、全部声にだしてたっけ?
『んーん。声にだちてないでチュよ』
少女は停滞し、目をクリクリさせながら話す。
だけど、その口は弧を描いているだけでまったく開いてはいない。ってことは、じゃあつまりこの独り言も――――、
『ぜーんぶ筒抜けでチュ』
・・・さいですか。
(でも、どうしてそんなことができるの?)
ここで試しに、テレパシーが本当かどうか心の中で質問をしてみた。すると、
『だってアタチはまこちんの心を反映ちた存在でチュもん。だからまこちんの考えはぜーんぶお見通ちなのでチュ! 隠ち事なんてできないでチュよ? チュチュチュ♪』
テレパシーはさておき、僕の予想の斜め上の回答がくる。
「君が・・・僕の心を反映した存在?」
いきなり何を言いだしちゃってんだ、この子は?
そうと言われてはいそーですか、なんて素直に信じられるわけない。
でも・・・確かに、テレパシーはできてるっぽいんだよな。
まあ、あの信じられないことだらけの卵から生まれてきた以上、このヘカミヤーもそれと同等の存在なんだろうけども・・・って、そんな簡単に納得しちゃっていいのか僕? なんか最近その辺の感覚がマヒしてきてる。
「・・・ん? そういえば君、今『僕の心を反映した存在』とかって言ったよね? それが本当だったとして、それじゃあ何かい? 僕の心を形にして現すと――――君みたいだってこと?」
『うん、そーでチュ』
・・・お・・・おいおいおい。
僕の心はこんな舌ったらずの、ハムスター似の幼女みたいなの? うそでしょ?
『・・・…チュ? チュ、チュウーっ!』
そこでヘカミヤーが突然ある方向に顔を向けて、それからチュウチュウチュウチュウ! とうるさくわめきながら急に小バエのようにぶんぶん飛び回り慌てだした。ちょ、ちょっと? 急にご乱心になって一体どうしたの?
耳を塞いで我慢していると――――少し離れたところにある外灯の上に、大鎌を肩に担ぎ僕らを見て直立しているメフィストフェレスを発見した。
相変わらず淡白な無表情で十字の模様の中心にある丸くて黄色い眼は微動だにしていない。遅れて天喰くんが小走りで人混みを掻き分けて姿を見せる。
けれども鷺宮さんの姿はなかった。同様にフォカロルの姿もない。
「ちっ、やっぱ孵化してやがるか! くそっ、鷺宮なんかにかまってたばかりに・・・」
僕のそばを揺ら揺らと浮遊するヘカミヤーを見た天喰くんは厳しい表情を浮かべて握り拳を作る。それがわなわなと震えて・・・しばらくして震えが止まった。同時に天喰くんの全身から滲みでていた強張ったオーラも消えてなくなる。と思ったら、
「・・・クックック、こうなったらもう仕方ねぇ、卵は諦めてやるさ。けどなぁ、だったらその代わりにお前のそのヘンテコな生物の命を頂くまでだ。そいつも殺してメフィストフェレスを更に強くしてやる」
再び邪悪な笑みを浮かべ、ズボンに手を入れながら一歩一歩僕に近づいてきた。
え? ヘカミヤーを殺せばメフィストフェレスが強くなる? またまた何を根拠にそんなことを言ってるんだろう天喰くんは?
・・・いや、そこも気になるけど、今はそこが問題じゃない。
「今、『そいつも』って言ったよね? それじゃあまさか、鷺宮さんは――――」
「あ? ああ、あいつなら逃げたぜ。・・・ったくよぉ、お前の悪魔じゃメフィストフェレスには適わねぇって散々忠告してやったってのに立ち向かってきやがって、そのくせ最後は尻尾撒いて逃げやがったんだぜ? 笑えんだろ?」
鷺宮さんは・・・逃げたのか。
「つっても、もう虫の息だったからまだそう遠くには逃げてねぇはずだし、お前をとっとと片付けてから追いかけりゃぁ――――済むことだ!」
月に向かって吼える狼のように叫び散らす天喰くんは、もはや佐々木くんなんかとは完全に比べ物にならない程に異常な空気を纏っている。
ヘカミヤーとだけ話すべく、僕は心の中で呟く。
(ねぇ、ヘカミヤー。僕の声が聞こえてるかい?)
『あい、聞こえてるでチュ』
(そっか・・・ねぇヘカミヤー。僕達はまだ出逢ってからものの数分しか経ってないよね?卵のときは何日間か一緒に過ごしたけど、その間、僕は君の声が聞こえなかったし)
『・・・そんなこと、ないでチュ』
え? ・・・あ。
今振り返ってみれば、ヘカミヤーが生まれるちょっと前――――男の子が看板に下敷きになりそうになったときにどこからか変な声が聞こえてきたけど・・・そうか、あれは君が――――、
『変な声とはなんでチュかぁーっ! ビビリのまこちんに言われたくないでチュ!』
ビビ・・・んぐっ!
言い返したいのも山々だったけど、ヘカミヤーの言葉は的を得ているのでやむなく口をつぐむ。それにまあ、あのときヘカミヤーの言葉で僕が奮い立ったのも事実なわけだし。
(オホンっ! えーっと、だから僕は、君のことがまだ全然わかっちゃいない。君の好物とか、君がなんで半ネズミ幼女なの――――)
『半ネズミ幼女ってなんでチュかぁっ! アタチを化け物みたいに言わないで欲ちいでチュ!』
(ハハハ、ごめんごめ――――痛っ! ごめんって言ってるだろ、腕噛まないでくれって! ・・・えーっと、なんだったか・・・あ、そう、僕は君のことをまだよく知らない。これからゆっくりと、知っていきたいんだよ。だって、僕は――――)
と、そこで僕はヘカミヤーを見つめる。そしてちょっと照れながら呟いた。
(ヘカミヤー。君に会いたくってずーっと卵を温めたてきたんだから、さ)
『チュ・・・チュウ♪』
ヘカミヤーは照れ臭そうに頬を紅潮させている。なんか喜怒哀楽が激しいね君。
(だから、出逢ってすぐにお別れなんてあんまりだから――――あのメフィストフェレスをやっつけなきゃいけない。そこはわかる?)
ヘカミヤーは過剰に首を縦に振っている。
(うん。どうやらあいつは相当強いらしいけど、もし君が戦ってくれるっていうなら、当然僕は君の勝利を信じるよ。僕の心が君に反映されるんなら、その想いだって力になるはずだしね。だからいくらでも願うよ、君が負けないようにって。ただ戦うかどうか選ぶのは君だ。さあヘカミヤー、君は――――どうする?)
『どうするもこうするもないでチュよまこちん。アタチはまこちんの分身なんでチュよ? 判断をアタチに委ねたってそんなの無意味でチュ』
(あ、そっか。ハハハ、僕って本当にバカだなぁ)
『そうでチュ。バカでチュ』
(ば・・・とまあ、こんな何気ないやりとりを僕は君ともっとしたいんだ。だから――――)
そこで僕はヘカミヤーに心ではなく、言葉で自分の想いを伝えた。
「だからヘカミヤー。あのメフィストフェレスを――――コテンパンにしてやろう!」
『チュウ・・・了解でチュ! まこちん、応援よろちく!』
そうしてヘカミヤーはその小柄な肉体で僕を守る盾のように両腕を水平に広げ、僕に背を向けて地に生足をつけた。