強者の忠告
何かに集中していると時間の流れってのはとっても早く感じるようで。
気付けばもう昼休みだ。
朝の密会で判明したいくつかのことについてあれからざっと、じっと、ずっと、自席で外を眺めながら授業そっちのけで考えていたわけなんだけども、正直、僕なんかじゃ、なんにもわからない。
ただ・・・ただ、天喰くんが口にした壮大な憶測―――宗教の勧誘の一環っていうのは、どうにも違う気がする。
だって、あのとき僕らは忘れていたんだ。
卵が他の人には見えもしなければ触れることもできず、割れもしないという大前提を。
その辺を念頭に入れてもう一度天喰くんの憶測を検証してみると―――やっぱりおかしい。
たとえば、天喰くんの憶測からするに『あの卵は善良な心を持つ人間を抽出するための道具みたいな役割を果たしていて自ら人助けのために動く人間には卵が見える』みたいなことになるわけだけど、それだったら『どうして妹の香澄には見えないのか?』ってことになるわけだ。
僕と香澄は善良具合(?)でいったらさほど違いがないと思う。むしろ周囲の評判なんかを考慮すれば僕なんかより香澄の方がよっぽど善良と言えるんじゃないかとすら思う。
となると、天喰くんの憶測は間違っている気がしてならないわけで。
だから僕としては『なんで重さがなく、普通の人から見えず、そして割れないんだ?』ってことの方が解決すべき優先順位が高いと思うんだ。だってさ、今こうしてこの手にあるから僕も鷺宮さんも天喰くんでさえも常識のネジがだいぶ緩んでるみたいだけど、そもそも常識で考えてこんなもの、この地球上に実在しているはずがないんだし。
だとすると―――まさかこれは宇宙人か何かの卵かな? なんて思っちゃったりして。
で、思うわけだ。
万が一、億が一、兆が一そうだとして、ともすればあのおじいさんは何者? って。
こんなふうに、考えれば疑問が生まれて、疑問が次なる疑問を生み出して、の繰り返しで今に至るわけで。賑やかな教室の片隅で僕は左手で頬杖をつきつつ右手に卵を持って半ば恨めしそうにそれを見入る。
今更だけどこの卵をくれたあのおじいさんにもう一度会いたいなぁ。そうすればいろいろと聞けるだろうし。今日の放課後にダメ元であの交差点を少しうろついてみようかな? ・・・なんて思っていると、
「おい、誠」
うげ。
やれやれ。でたよ、でましたよ。
「・・・や、やあ、佐々木くん」
「今日こそちゃんと昼メシ買いに行けよな?」
「え? あ・・・えっと・・・」
「行・く・よ・なぁ?」
「あ、ハハハ・・・うん」
佐々木くんは例によって例の如く僕の胸倉を引き寄せて凄んでみせる。この暴君め。
僕にとって君はまるでジャイアンのようだよ。もちろん、僕がのび太だけどね。
・・・いや、ジャイアンの方がまだ男気があるってもんだ。
彼はああ見えて案外のび太を助けるからね。今のはジャイアンに失礼だったよ。
それに、のび太だって普段こそダメ人間だけど極稀に勇敢になる。
極稀にでも勇敢になる、なれるのび太は、腐っても男。
いつ如何なるときでも勇敢になれない僕は、腐った男。
我ながら情けなくって本当しょうがないや・・・本当に。
「おら、とっとと言ってこいよボケ!」
昨日のことで幾分機嫌が悪いらしい佐々木くんは気付けのつもりかそこで軽く一発頭を叩いてきた。そんな僕を佐々木くんの取り巻きの二人が嫌らしい顔して笑って見ている。
教室に残っていた若干のクラスメイトはいつもどおり見て見ぬフリだ。それこそ僕がこの卵になったかのようにまるで透明扱いだよ。
このぶんじゃ、逆らおうものなら今度こそボッコボコにされるな、多分。
―――と思っていると、佐々木くんの背後から突然、
「ねえ比護。今ちょっといい?」
僕と佐々木くん達の輪を割って入る、どうにも空気の読めない残念な声が聞こえてきた。たまらず佐々木くんが声を上げて振り向くと、
「ああっ? 誰だ邪魔すんじゃ―――っ! す、駿河、さん・・・」
空気の読めない声の持ち主は、なんとまたしてもここら一帯の女帝こと駿河さんだった。こんなときだけはみんな手のひらを返したように僕の方を凝視してるし。まったくなんてゲンキンな人達なんだ君らは。いや本当に。
「ん、取り込み中だった?」
「あ、いや、その・・・こいつに何か用なんすか?」
「まあね」
ん? どういうわけか駿河さんは、僕に早急な用件があるらしいけど・・・え、用件?
す、すす、す・・・すいませんけど、どうにか勘弁してもらえませんか?
君に呼び出されるような用件作った覚えなんか僕にはないし、むしろ佐々木くんすら恐れる駿河さんとなんか正直こっちは一生関わりたくもないんだってば。
「いや、俺の用はそんな大したもんじゃないんでいいっすよ、別に」
佐々木くんはかしこまった態度で自分よりも権力の強い人間に僕というエサを献上する。佐々木くん・・・君って、縦社会だけはわかってるんだね。縦社会だけは。
っていうか、大したもんじゃないって言うくらいならそもそも絡んでこないでくれよ。僕は叩かれ損だよ。
「そう? 悪いね。じゃあ比護、ちょっと着いてきな」
「あ・・・え、えーっと・・・」
「駿河さんが行けっつってんだろうが! 早く行けよコラっ!」
急変した事態にためらっているところに、佐々木くんの拳がまたしても僕の頭に直撃した。
あ痛たた・・・。頭をさすりながら、詳しい詳細も教えられず口出しもできないまま女帝に連行される。僕はまるで飼い犬か奴隷のようだ。もう、本当・・・これなんて罰ゲーム?
オドオドと歩いていると、進行方向にいる人がみな横に退いて駿河さんの進む道を作り上げていく。その様を彼女の背中からまさしくトラの威を借る狐状態でうかがった僕は呆然とする。
これが女帝の、『女帝』というだけで存在する、不可侵で絶対的なオーラってやつか。
こんな光景を見ると改めて思うよ。駿河さんがどれほど恐れられている人物なのかって。
そんな駿河さんが、僕なんかを呼びだした。
・・・も、ももも、もしかしてやっぱ、僕を金ヅルか何かにするつもりなのかな?
いや、そりゃあそうなったら佐々木くんの執拗な要求には応えなくて済むようになるかもしれないけどさ、まさに毒をもって毒を制すってやつだろうけどさ、でもその代わりに駿河さんからの凶悪な要求に応えなきゃいけなくなるわけでしょ?
ゆゆゆ、由々しき事態なんじゃないのこれ?
「・・・外にでなくてもいいか」
駿河さんの声でふと我に返ると、僕らが今朝方遭遇した、屋上と階段の中間地点にある適度なスペースにいつのまにか来ていた。言うまでもないけど、人気がまったくない。
「? 何をそんなに脅えてるのさ?」
そりゃ脅えるでしょーがっ!
「いや、別に・・・その、駿河さんが、この僕なんかに、い、一体何の用があるのかなー、とか思っちゃって、それで・・・はい」
「用なんかないよ」
「ははは、そう・・・・・・・・・ひぇ?」
やば、恐怖と意外性が混ざって舌噛んじゃった。
「今、なんて?」
「だから、これといった用はないって言ったのさ。ただ呼びだしただけ」
・・・なん、ですと?
「佐々木に絡まれて大変そうだったから連れだしたんだよ。嫌だったんだろ?」
「・・・え」
僕は耳を疑った。
つまり駿河さんは、僕を救済するためにわざとこんなことを、ってことになる。
縁もゆかりもなければ本来極悪なはずの駿河さんが、まさか助けてくれるとは・・・。
「あんたさ、昨日もあいつらに絡まれてたよね?」
「・・・う、うん」
「嫌なんだろ? 嫌なら嫌って言いなよ。ああいう奴らは相手が何もしてこないとつけ上がるんだからさ。堂々と嫌って言わない限り、いつまで経っても佐々木に付き纏われるよ?」
今のセリフから、佐々木くんと偶然ぶつかったと思われていた昨日のアレもまた、どうやら意図的だったんだということが推測できる。
そして不思議なことに、極悪の不良として恐れられている駿河さんが今、あろうことか不良にいびられている僕を救済し、助言し、あまつさえ激励してすらいる。
え、なにこれ? なんでこうなったんだろう? 全然わからないんですけど。
まあ・・・うん。そうだね、君の言うことはごもっともさ。正論だと思うよ。
でもね、駿河さん。君は酷い勘違いを犯してる。それこそ残酷ってもんだよ。
駿河さんに対する恐怖心が抜け落ちたせいか、そのまま、小声ではあるけど僕の本心がつい口を突いてでてしまった。
「確かに・・・確かに駿河さんの言う通り、僕は佐々木くんにパシリにされてるよ? でもね、みんながみんな、駿河さんみたいに自分の思ってることをはっきりと言えるような強い人間なわけじゃないんだよ」
「・・・へぇ」
「え? あっ! いやっ、その―――」
自分が誰に対して何を言ったのか遅れて理解した僕は、咄嗟に両手で口を塞いだ。
そんな僕を見た駿河さんは何を思ったのか口元だけを動かしてフフッと微笑する。
「な、何?」
「いやね、『思ってることをはっきりと言えない』って、はっきり言えてるじゃないかと思ってね。周りに極悪だの何だの言われて怖がられてるこのあたしに向かってさ」
「え?」
「その調子で佐々木に言ってやりな。その胸の内をさ。あたしには言えてあんな一端の不良気どってる佐々木なんかには言えないなんて道理、ないだろ?」
「そ、それは・・・その」
「まあ、あいつに反旗を翻そうがどうしようが最終的には比護、あんたの好きなようにすればいいさ。ただし、あたしはもう口出ししない。仮にさっきみたいな場面を見かけてもこれからは助けたりしないよ」
「・・・はあ」
僕としてはそもそもなんで駿河さんが助けてくれたのか、それ自体がもう結構不思議だったから、もう助けないと言われてもそれほど悲観的にはならなかった。
いろいろと意外なことが起きて頭が処理できず棒立ち状態の僕をよそに、駿河さんはスカートのポケットをまさぐると銀色のとある鍵を取りだした。
どうやらそれは屋上の扉を封じる南京錠の鍵らしく(一体何処で手に入れたんだろう?)、それでごくごく普通に南京錠を取り払い、扉を平然と開け、「昼休みの間は教室に戻らない方がいい。きっと見つかったら佐々木の奴がさっきの続きを始めるだろうからね。・・・なんならあんたも来る?」と奇妙にも僕を誘ってきたけど、もう結構な時間だったしさっさと昼食を済ませたかったので申し出を断った。
っていうか、君は屋上で僕に何する気ですか? そういうのがいちいち怖いんだけど。
そんな感じで僕が駿河さんに背を向けたとき、彼女は―――妙なことを言ってのけた。
「ああ、一つだけ言い忘れてた」
「?」
「今朝ここでお前、鷺宮と天喰と一緒にいただろ?」
「えっ! あ、う、うん。いたね」
「悪いことは言わない。もうあの二人に関わらない方がいい」
「あ・・・え?」
あの二人には関わらない方がいい?
いきなりどうしてそんなことを言うのかがわからず、詳しく話を聞こうとしたところで駿河さんは「んじゃ」と屋上に姿を消してしまった。
・・・本当、この卵を手に入れてから変なことばっか起こるなぁ。