砕け散る理想
青年は生まれて此の方。誰かに対して、ここまで真剣に何かを伝えた記憶はない。
恐怖感の影響で痙攣が続く中、最後まで話し切ることが出来た。
そんな必死の説明を聞き終えた少女は、ため息を吐く。すると青年を震え上がらせ続けた、強烈な威圧感が消失する。
「……あ、あれ……?」
負荷の消えた青年の体には、僅かな震えが残る。
それは夢から覚めた直後のような感覚。規則正しく脈打つ鼓動がやけに大きく感じ、心の奥でなにかが蠢く不穏な気配が燻る……
青年が突然の変化に困惑していると、頭上から声が掛かり視線を上げた。
「結果は上々でした、です。……もうお前に用はないの、です。さっさと消えるがいいの、です」
少女はすでに用は無いとばかりに、ハエでも追い払うかのような仕草を取る。
「ど、……どういう……あの、ウサギ……は?」
微かな震えを声に残しつつ、諦めきれない青年は呟くように聞く。すると、
「そんなの単なる幻覚なの、です」
少女は切り捨てるように言い切る。
青年はほんの僅かな憤りを感じた。目を合わせずに明後日の方向を向いて反論を行う。
「……げっ、幻覚なもんか。確かにウサギさんと触れ合ったんだぞ。あの柔らかい身体の感覚は……覚えている……んです……」
幻覚発言に対する勢いは続かない。
青年は話している途中に恐怖感が湧き起こり、声が自然と小さくなった。それは心に刻まれた体験が色濃く残っている証拠。
ただ、少女は青年の言葉に、何かを感じたようだった……
「お前は幻肢痛を知っているのか、です?」
少女は無表情で青年に問う……
「げ……んし……」
思い当たらなかった青年は、ただ繰り返すだけ。
急な発言の意図を読み取ろうとして見つめる。だけど目に映る少女の表情は、変わらずの無表情。しかし嬉々としているように青年は感じた。
それは勘違いではなかった。少女の血色が良い口唇が動くと、流暢な説明を始める。
「……どうやら知らんよう、ですねぇ。要は失った手足の痛痒を感じ続ける症状なの、です。……例えば催眠術を使って、焼けた火箸と信じさせて木の枝を皮膚に当てるだけで、火傷のような症状を示す場合もあるの、です。……人の感覚なんて、そんなあやふやなものなの、です」
「……はぁっ? なにを言って……」
「だから、お前の体験なんて触覚を含めて、ただの幻覚以外の何物でもないの、です」
それはウサギを、夢幻の如く扱う発言だった。青年は口を大きく開けて、呆然と少女を見つめる。
「見た感じだけでなく本物のアホなの、です。いい、ですかぁ? ……お前なんか相手にするメスなど、この世にいるわけがないの、です」
少女の言葉は、青年の心を深く抉る。
「……そんな言い方……いえ、なんでもありません。ただ、……ウサギが幻覚? そんな、確かに触れて、今もあの柔らかい感触が手に残るんですよ? ……そうだ他にも、彼女の匂いだって嗅いだ……んです……」
諦めが悪いと呟きながら、少女は対話を続けた。
「臭いだって単なる感覚のひとつなの、です。そもそも、脳内で再現される五感とは、神経を伝わるただの情報なの、です。だいたいお前の話にあった黒い炎も、現実では絶対に起こり得ないの、です。……夢見がちな大人は始末が悪いの、です」
少女の言っている内容は青年に理解できない。だけど、意味だけは伝わる。納得させる力があった。
それは最後に言われた夢見がちの部分だ……
ウサギは、完全に青年の理想が形として具現化された存在だった。
……そう、あまりにも都合が良すぎるのだ。
いきなり自分以外に誰もいなかった部屋に、好意を寄せる理想的で魅力的なバニーガールが現れるなど、幻覚や妄想以外の理由はないという事に……
「……ぁあれが、夢だったのか? ……全部が……あ、は、ははっははははははははッははははっは……」
乾いた笑いが、青年の耳に聴こえる。
周囲には青年と少女の二人以外に誰もいない。見つめる先の少女は無表情のまま。当然口を動かしている様子はなかった。
そこで気づく……
笑い声の発生源は、自分自身だと言う事に。そこで冷静な思考が脳裏を駆け巡り、疑問が沸き上がる。
……それは、あの体験は一体なんだったのか? というそんな謎だけが残る。
「……ま、幻……だったのか? ……あんなにはっきりと触れ合ったのに……どうして……あんなことが……起こったんだ……」
誰に聞かせるでもなく、独り言のように青年は呟きを漏らし続けた。すると、
「わかったら、さっさと消えるがいいの、です。被験体として役に立ったので、金は免除してやるの、です。感謝するがいい、です」
少女の話す、ある単語が青年の耳に残る。それが気になった……
「……被験体? ……それって僕を実験台にしたのか……」
「聞いてどうするの、ですかぁ? ……まあ、早々に結果が出て気分がいいのでぇ、特別に教えてやるの、です……」
……それは目前の少女が、ある童話を読んで思った事。
それは火を灯すと、願った物が目の前に現れる。そんな不思議な話だった。
……少女は疑問を感じる。
なんで、マッチを灯すと幻覚が見えたのか?
なんで、あの子は最後に死んでしまったのか?
他にも色々と気になる内容があったが、先の二つに焦点を絞り検証を行う。すると、ある現実に存在する方法を使えば、可能なことに気づいた。
……少女はそう話す。
「その童話は僕も知っている……それがどうしたという……んですか?」
「……だから、せっかく思いついたので、再現をしようと思ったの、です……」
「再現……ですか?」
青年が疑い深く見つめる先で、少女の話しは続く。それは、ある恐ろしい実験だった。
……少女の紅く可憐な小さな口が開いて、経緯が紡がれる。