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恐怖の少女

 青年は衝動的に暴力的な行動を取る。

 それは相対する少女の外見がそうさせてしまう。小柄な体格に幼い顔立ちを見て、(あなど)る感覚が芽生える。それが少し脅かせば言いなりになると青年に思わせる結果に繋がった。


 男性の持つ力が僅かな優越感となり、本能的に引き起こす(あやま)ち。青年はいったい何と向き合っていたのか、その身を持って知る事になる……


「おいっッ! あのマッチをもっと寄越せ……さもない……と……」


 その剣幕に対する少女は、俯いて震える。

 だが、それは怯えの感情とは無縁。黙ったままの彼女が急に顔を上げる。その表情は無表情だった。

 内に湛える怒りの激情が、瞳の奥底から青年に伝わり、


「なんだ。その目は……」

 

 青年の言葉は途中で途切れる……

 それは想像を遥かに越えて、もっと暴力的な反動になって跳ね返った。


「知るかボケェェ! 汚い手で触れるなぁぁ。触れていいのは、あの方だけなの、です」


 少女は軽く身体を捻る。

 たったそれだけの動作で、倍近い体格の青年は吹き飛んだ。

 面白いくらい中空を舞う。少し長めの滞空時間を経て路面へと落下。それでも勢いは収まらずに雪の降り積もった路面を独り分の除雪痕を残して滑っていく。

 

 数十メートルの移動の末。誰かが放置した雪ダルマがあった。青年は突っ込んで、やっと止まる。


 衝撃を受けたダルマは崩壊し、その身に付けた装飾品が飛び散る。それは、

 木炭、箒、マフラーに、赤いプラスチックのバケツが夜空に舞う。そして頭部を飾っていたバケツが、青年の頭に()まる。


「うあ"ぁぁあ"ぁあぁあぁぁぁぁぁあ……」


 青年は泣き喚き、叫ぶ。

 泣き声はバケツ内部で反響して、くぐもった響きとなり周囲へ伝わる。


 風呂上がりに着た清潔なスウェットは雪まみれ。真っ白な雪の下に溜まった泥水が全身に纏わり付く。

 それはひどい有り様となった。


「……いい大人が号泣とは情けないの、です。さっさと体験した事を話すがいいの、です。聞いて……」


 ゆっくりとした歩みで、少女が近づく。

 やがて転がった青年の横に到達すると、屈んで表情を覗き込もうとした。だが、バケツが邪魔して表情は見えなかった。


「邪魔、です」


 少女は指を真っ直ぐ伸ばして、手刀を形成した。

 続けて腕を一閃(いっせん)。ただそれだけで、被っていたバケツは真っ二つとなって、左右に転がる。

 

 その切り口は鋭利。

 プラスチック製のバケツは、初めからこの形に造られているようだった。

 不思議な事に青年の後頭部で隠された部分までもが斬れている。当然、少女の短い腕が届く筈が無く、青年の頭もかち割れている様子はない。だけど、そんな事はどうでもよかった……


 青年がその身を凍らせる程に味わう、本当の恐怖体験はここから幕が上がる……



「ふぅ、です。これで聞き取りやすくなるの、です」


 流れてもない汗を拭う仕草をした少女は、青年を見下す。

 大きな瞳が僅かに細まる……だだ、それだけだった。


「な、なん、だっ……?」


 雪に半分埋もれた青年は、少女を見上げたままで悲鳴を上げる。


「う、あぁぁ……」


「言葉を忘れたの、ですかぁ? さっさと話しやがるの、です……この屑がぁ……」


 少女の瞳を見た青年の心が、恐怖で覆い尽くされる。

 歯の根が合わないほど音を立て震え、身体中の筋肉という組織は、全てが小刻みな痙攣を起こす。

 

 すぐ隣に立つ、自分より遥かに小さく幼い存在に対し、絶望的なまでに怯えてしまう。

 

 少女の容姿は全く変わっていない。にも関わらず、纏う気配だけが様変わりしていた。それは抑えられていた、ごく一部が解放されただけ。それでも圧倒的な威圧感が、怒濤の津波となって青年に押し寄せる。


「……かはっ。た、たす……け……」


 殺意を込められた視線が向けられただけで、心臓を鷲掴みにされ握り潰される錯覚に襲われる。鼓動は乱れがちになって、早鐘のような脈動を不規則に勝手に刻む。強烈な吐き気を催す。

 呼吸は己の意に反して自由が利かない。過呼吸を何度も繰り返したせいで、息苦しさが増していく。


 顔面は鬱血(うっけつ)して赤黒く変わり、眼球近辺の毛細血管が出血して、視界が朱に染まる。血の涙が流れた。


「う……うぅ。あ……ぁ……」


「……顔を見ながら呻くとは、お前はどんだけ失礼な奴なの、ですかぁ?」


 少女は青年が苦しむ様子を見て、更に不機嫌な表情をする。それだけで、圧倒的な威圧感が一気に増大。

 更なる強大な波が青年を襲う。


「……ちっ、ちっがっ……あがぁぁぁぁ」


 恐慌状態になった青年は、その場から少しでも離れようと、みっともなくもがき続ける。だけど、手足の動きは空回りするばかりだった。


「全くお前は、ひっくり返ったゴキブリなの、ですかぁ……」


 呆れ果てた少女の声が、青年を更に追い詰める。

 むやみやたらに動かし続けた手足が功を奏して、周囲の雪が退けられ始めた。やがて、手が路面に触れて多少の抵抗を生む。しかし、いくら足掻き続けても僅かな距離しか動けない。


 そうしているうちに青年の手足は、感覚が無くなり力が入らなくなった。動きは徐々に緩慢になっていく。


 恐怖が精神の限界を突破し、青年はだらしなくも白目を剥いて失禁してしまう。小水が股間を暖かく濡らす感覚の後。急激に冷え始める。すると、ゆっくり意識が遠のき始めた。


 それは、この状況を抜け出す救済措置となるはずだった。だが、そんなことを少女が(ゆる)す筈などなかった。


「ちっ! このお漏らし野郎がぁ、です。いい加減にぃさっさと話さないと、本当にぃぃぶっ殺す、です」


 少女が恫喝の叫びを発した。

 遠のき始めた意識は、首根っこを掴まれて現実へと引き戻される。

 そこで、ただ一つ幸いな事が起こる。

 一喝を受けて過呼吸が収まり、僅かながらも話せるようになった。慌てて青年は少女の要求に答えようと口を開く。


 もはや抵抗しようなどと青年は思わなかった。まして逃げようなんて考えも起こせない。

 従う以外の選択肢はなかった。痙攣の震えは収まらないが、なんとか口を開いて説明を始める。


「……はっ、はひぃ……マッチを灯すと……」


 青年はマッチを受け取った後の状況を、途切れがちになりながらも事細かに話す。途中で挟まる少女の質問にも、可能な限り丁寧に答えた。

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