青年の闇
小さな明かりが点となって現れる。
徐々に光は集まりながら纏まって、やがて閉じた瞼の裏側を白く埋め尽くす。
そこでやっと青年は目を開けられるようになった。
青年は独り床に寝ころんだ状態で目覚める。
先ほどまで全身に感じた多幸感や、ウサギとの一体感は霧散。ただ、温もりや触れた感触はその手に残る。鼻孔にもウサギの体臭を感じ続けて、目の前に今も存在しているかのようだった。
……だけど、現実の室内に誰もいない。
幻想の時間は終わった。
濃密な気配を残したまま、青年が願い、切望した存在は唐突に消え去る。
「ど……どうなっているんだ? どこにいった? 俺のウサギさんは……」
慌てて上半身を起こす。諦めきれない青年は室内を見回す。
その時、軽い目眩が起こり、頭を振って意識をしっかりとさせようとした。だが収まらなかった。だけど気力を振り絞って這いずって室内を探し始める。
「何処に……なあ、出てきてくれ……名前を……せめて……」
クローゼットの中に風呂場、トイレに玄関。靴箱まで開け放つ。だが、何処にもその姿を見つけられなかった。
振り返ると、室内に落ちている物が目に入る。
それは木製の芯だけになった、マッチの燃え滓。素早く近づいて拾う。落ちていたマッチ箱の側薬に当てがい、深呼吸をひとつして力を込める。
再会を願って側薬に擦りつけた。だが、もう黒炎現象は起こらなかった。もうウサギは現れない。そんな現実が青年を絶望へと突き落とす。
「な、なぜなんだぁ?」
狭い室内に青年の孤独が、叫び声となって響き渡った。
時刻は深夜。隣近所に配慮して、普段はテレビの音量も絞っているのだが、今はそんな事も忘れるほどに混乱している。
つけたままのテレビからバラエティー番組の笑い声が響く。それを聞いた青年は、自分を嘲笑する声に聞こえてしまう。幾度となく笑い声が、脳内で繰り返され続ける。
自然と握りしめる手は震えて、額からは汗が滲む。
強く握りしめた拳に爪が刺さって、皮膚を突き破る。血が一筋流れ落ちて、床に丸く赤い点を残す。
……バカにしやがって、そう青年は思う。
「笑うなぁ。そんなにぃ……なにがぁ、そんなに可笑しいしいんだよぉぉ」
マッチを灯して、再びの邂逅を果たしたい。
焦る、苛立つ気持ちが、感情の暴走を引き起こす。
固く握りしめた拳でテレビの液晶を殴り付けた。
画面は大きくへこんで映像が消失し、勢いをつけて台より転げ落ちた。はずみで電源コードが外れる。
これで嘲笑する音も聞こえなくなった。その筈だが。なぜか耳の中では、いつまでも笑い声が響いている。なぜだと青年は呻いて、耳を塞ぐと床に転がった。それでも消えることはない。
「うわぁぁ、あぁあぁぁぁぁ……ち、ちきしょう……」
……理想の女性と出会えた事実。
その身体の温もり、柔らかさを一度味わうと、伝えたいことが沢山沸き上がって脳裏を駆け巡った。
それは、
いつの日か、彼女が出来たら出掛けたいと願って、調べていたイルミネーションマップが、脳内に完成している。
それは、
いつの日か、素敵な彼女が出来たら一緒に泊まりたいと願って、スマートフォンにブックマークしただけの温泉宿があった。その部屋には、宿泊客専用の個室風呂が当然設置されている。
そして、
雑誌で見つけた、お洒落なパンケーキのお店があった。
電車を乗り継いで店舗の入り口まで行ったが、店内を覗き込んで、独りではどうしても入ることが出来なかった。そっと足取り重く店を後にした。
……いつの日か最高の彼女が出来たら、偶然を装って誘う、そう帰りの電車で車窓から見える青空に誓った。
結局その日はどこにも寄らずに真っすぐ帰宅。休日を一日無駄にした。
……そんな数えきれない沢山の想いが、浮かんでは消えていった。
そんな青年のささやかな願いを、ただのひとつもウサギに伝える事もできないままで、理想の彼女は消え去る。
そこで視線は自然とある場所へ向かう……
部屋の隅に、おしゃれスポット満載の雑誌が沢山転がっている。それは何度も読み返して無惨な姿に変わり果てて、最後は想像と興奮のあまり、握り締めて潰してしまった。
一番前にある雑誌が目に入る。
表紙を飾る美女の写真は醜く歪んでいた。その彼女からは、まるで責めるような視線が青年に突き刺さる。そこで聞こえない筈の声が聞こえてきた……
「……頼むから情けないなんて言わないでくれぇ……そ、そんな顔で、僕を見ないでくれ……あぁあぁぁあぁ……」
写真の彼女は笑っているはずだった……
だが今は醜く歪んで、眉間に皺を寄せる。眉は吊り上がっていた。その口は大きく開き、罵倒の言葉を青年に浴びせ続ける。
……能無し、金なし、チキン野郎、童貞野郎、ムッツリスケベ、根暗、デブ…… 暴言は刃となり、青年の身体に突き刺さる、切り刻んだ。
耳を塞いで床にうずくまりながら青年は震える。心を抉る痛みに、ただひたすら耐え続けた。