転移して孤児を拾ったから世話してやろうとしたら逆に世話されて今では幼女をママって呼んでる
「おかえりなさい。まってたよ」
彼が家に帰ると、エプロンをつけた幼い女の子が出迎えてくれた。
銀髪に緑色の目。
どことなく目つきは鋭いけれど、まだまだ幼い女の子だ。
彼は着ていた上着を女の子にあずけながら、「ただいま」と言う。
ここは、彼の家だった。
女の子は、最近、家の前で倒れていたので拾った孤児だ。
孤児自体は、珍しくもない――少なくとも、この世界において、幼い子供が放り出され一人で生きていかねばならないという事例は少なくなかった。
二十一世紀の日本から、このファンタジーな世界に転移してきた彼は最初戸惑ったが、今ではもう慣れている。
「……おふろ? それとも、ごはん?」
彼が一日の仕事を終えて帰ってくると、彼女はいつもこのように質問してくれる。
いつだったか、彼が冗談で『帰ってきた人にはそういう質問をするんだよ』と教えたことを忠実に守っているようだった。
彼は『食事』を選択する。
女の子は――どことなくかたい表情をした女の子は、不器用にちょっとだけ笑った。
「うん。……そうだと、おもってたよ?」
予想が当たって嬉しいらしい。
彼女は感情表現が苦手なのだ。
どうやらあまり、笑ったり泣いたりするような人生を送ってこなかったらしい。
けれど、彼は彼女の過去を詮索しない。
今の幸福な生活に、彼女の過去は重要ではないからだ。
リビングにあるテーブルには温かな食事が並んでいた。
彼は導かれるまま所定の席に着く。
その対面に、彼女は「よいしょ」と座った――リビングの椅子は大人用なので、彼女にはちょっと高いのだ。
彼は「新しい椅子を買おうか?」と言う。
彼女は首を横に振る。
「のぼれるし。そのうち、おっきく、なるから」
遠慮深い子なのだ。
ひょっとしたら、拾われ、こうして世話されていることに、引け目を感じているのかもしれない。
食事をしていく。
「あ、くちに、ソース……もう」
彼女はテーブルに乗り出すようにして、彼の口元をハンカチで拭いた。
そのぐらい言ってくれれば自分でやるのだけれど、彼女の行動は素早いのだ。
そうこうしているうちに食事が終わる。
彼がおいしかった料理の余韻にひたっているうちに、彼女がテキパキと食器を流しへ運んでいった。
とにかく行動が素早くって、気付けばいつも甘えてしまっている。
すまないなあ、と彼が思っていると――
「おふろ、できたよ」
彼女が言う。
彼は「うん」とうなずいて、風呂場に向かう。
この家は彼が以前過ごしていた、日本の家をモデルに作製している。
とにかくお金を稼ぐことに長けていたので、無駄かと思われるほど凝ったつくりだった。
お風呂に入ろうとすると、脱衣所に彼女がいる。
「せんたく、するから」
そう言って、彼女は彼の服を脱がせて回収していった。
このスキに彼はお風呂をさっさとすませてしまうことにする。
のろのろしていると、彼女がやってきて背中を流そうとするのだ。
まだ幼い女の子とはいえ、拾った子と洗いっこするのはなんとなくマズイ気がするので、なるべく避けるようにはしている。
まあ、いつもいつも、避けきれるわけではないのだけれど……
風呂からあがる。
リビングでぼんやりして、彼女に言われて歯磨きをして――
いよいよ、就寝だ。
寝室に向かえば、整えられたベッドの中に彼女が待っていた。
彼女はどうにも一人で眠るのがイヤらしいので、このようなことになっている。
まだ幼いのに親から捨てられ、ボロをまとい、外で風雨にさらされながら眠っていた子だ。
温かい布団と人のぬくもりが彼女を癒やせるなら、彼女の好きにさせたいと彼は考えている。
「きょう、あったこと、きかせて?」
ベッドに入ると、すぐ目の前で彼女が言う。
洗いたてだろう、いいかおりのするさらさらの銀髪。
優しくこちらを見詰める、ちょっとだけ鋭い緑の瞳。
彼は、望まれるまま『今日あったこと』を話していく。
それは彼にとって、そうおもしろくもない話であった。
なにせ、普通に仕事をして、普通に苦労して、普通に人と会話をして、たまに普通じゃない、けれど決して歓迎できないような出来事が起こったという、話である。
もともと、彼女が『一般的な生活』に興味を持ったから始まった、『ベッドで今日あったことを語る』というこの催しだが――
今ではすっかり、仕事がどんなにつらかったか、どんな苦労をしたかを語る、愚痴みたいなものになってしまっている。
「うん、うん。がんばった。えらい」
彼女はそう言いながら、小さく、柔らかな手で彼の頭をなでる。
いつしか彼は彼女の胸に抱きしめられていた。
その日一日、苦労はあったけど――
彼女の心音と柔らかな感触、香りに包まれて眠りに落ちるこの時は、その日の苦労すべてがどこか遠くに解けて消えていくような気分になる。
「ごめんね、くろうさせて。もっと、つよいちから、あげたらよかったね」
彼女は語る。
でも、彼の耳にはただの優しい音の波にしか聞こえない。
眠りの中で、なぜだろう――
彼はいつも、彼をこの世界に転移させた神様の声を聞く。
「ぜんぶ、わすれて、おやすみ、まもってあげるからね。ずっと……ずっと……」
舌足らずで、甲高くて、でも慈愛あふれる音の波。
彼は口の中で小さくつぶやく。
たった二文字。
ボロボロの姿で家の前で倒れていた彼女を拾ったから世話してあげようと思っていたが――
今では毎日こんな感じで。
ついつい彼女を『ママ』と呼んでる。