第6話:妹と弟
オークス先生の下で魔術の指導を受け始めて8ヶ月が経った。
今はまだ基本的なことしか習っていないけれど、俺もカーリナもかなり上達してきたように思える。
カーリナなんかはかなり魔力の伝達効率が上がって、今では下級魔術も最初の頃と比べて威力が大分高くなった。
メキメキと成長するカーリナを、俺やオークス先生が褒めちぎるものだからカーリナもすっかり天狗に……とはならず。
むしろ本人としてはまだ不満があるみたいだ。
というのも、俺がカーリナ以上に上手く魔術を使えているので、俺に対抗心を燃やしているらしい。
「いつかお兄ちゃんよりすごくなる!」なんて言っているくらいだ。
そんなことを言われたら俺も胡坐をかいてはいられないな。
なんて思いながら日夜魔術の修行に励んでいる。
ただ、無詠唱での魔術の訓練は、カーリナや、どこで誰に見られているのか分からないので、当面はやらないこととなった。
「まずは基礎をしっかりと体に覚えさせるのじゃ」と先生からのお達しだからね。
それにこの年で命を狙われたくないし、しかたないことだ。
魔術のことは習い始めたばかりだからいいとして、最近ある出来事があった。
ビアンカが子供を生んだのだ。
つい三週間前、ビクトルが出勤する直前に、ビアンカが家で産気付いたことで一家はパニックになった。
俺もそうだが、カーリナは初めてのことだったので、陣痛で呻きながら崩れたビアンカを見て一番取り乱していた。
「お母さんがしんじゃう!」「お母さんっお母さんっ!」 とビアンカに縋り付いていた。
俺も、事前にビクトルやビアンカからこういった場合どうすればいいのかを聞いていたのだが、いざそれが起きると頭が真っ白になってしまって呆然としてしまった。
そんな中、一番最初に落ち着きを取り戻したのがビクトルで、俺とカーリナに指示を出すと、自ら助産師を呼びに行き、連れて戻ってきた。
その時電話で呼べばいいじゃん。とか思ったが、よくよく考えるとこの世界では電話は貴重品だ。
そうホイホイ買うことが出来ないので、助産師が持っていなくても当たり前だった。
むしろ、オークス先生みたいに個人で持っているのが珍しいのだろう。
その後は助産師に任せ、ビクトルはビアンカの手をずっと握って声を掛けていた。
その姿を見てやっぱりビクトルは頼りになるな……。なんて思ったりもしたが、よく見たら顔が真っ青で、足も震えていた。
やっぱりそうなるのか。とビアンカの呻き声を聞きながらしみじみと思ったもんだ。
俺? 俺は特に役に立たなかったよ……。
そうして生まれてきた子供は、男の子だった。
弟だ。俺とカーリナに弟が出来たのだ!
俺もカーリナも、そのことに喜んでいたのだが、やはりというか、一番喜んでいたのがビクトルだった。
『ああっビアンカ! ああ、ああっ! ありがとうビアンカ! 愛してるっ!!』
なんて泣きながらビアンカに抱きついて、ビアンカも『あらあら……困ったお父さんですね……うふふ』とやり遂げた顔でそれを受け入れていた。
そんなわけで、わがハルトマン家に新しい家族が増えた。
アルフレッド・ハルトマン。
ビクトルとビアンカの三人目の子供であり、俺とカーリナの弟でもある。
黒っぽい髪の毛がうっすらと生えた、元気いっぱいな男の子だ。
「アル、アールー」
「う~、あう~ぅ」
「みてお兄ちゃん! アルへんじしたよ!」
「うん。返事したね」
「あぅー」
今では俺もカーリナも首っ丈だ。
だって可愛いんだもの!
一人っ子だった前世で、楽しそうに遊ぶ兄弟を見て羨ましく思っていた。
だから実際に弟が出来て本当に嬉しい!
ビクトルとビアンカの頑張りのお陰だな! ナニが、とは言わないが。
「はいはい二人とも、ご飯が出来たから食べましょう」
「はーい!」
ビアンカがエプロン姿でやってくる。
しかし母親っていうのは強いもんだ。
産後一週間は流石に安静にしていたようでほとんどベッドの上で寝ていたが、二週間もするといつも通りに家事をするようになっていてびっくりした。
流石にビアンカ一人に任せっきりなのはよろしくないので、俺やカーリナが率先して家事の手伝いをいている。
ビクトルは、出産後三日くらいは仕事を休んで二人に付きっ切りだったが、またすぐに仕事に戻った。
どうやら部隊に呼び戻されたらしく、泣く泣く出勤していく姿はなんとも可愛そうだった。
食事を終えて食器洗いを手伝っていると、家の扉をノックする音が響く。
「ベルー、カーリー。ヤコブ先生が来て下さったわよー」
「はーい、今行くよー!」
ビアンカに言われて窓から外を覗く。
すると扉の外側にオークス先生が愛用の杖を持ち、玄関前で待っていたので外へ出る。
ビアンカの出産で大変だろうと、最近ではオークス先生が家に来て魔術を教えてくれるのだ。
家庭教師というやつだ。
ビクトルが休みの日には先生の家まで送ってもらったりもしている。
ちなみに、俺以外はオークス先生の本名を知らないので、皆の前では今でも、”ヤコブ先生”と呼んでいる。
「こんにちは! ヤコブ先生!」
「うむ、こんにちはカーリナ。今日も元気じゃのう」
「うん!」
今ではカーリナも、オークス先生に懐いているようだ。
オークス先生のことを警戒していた時はどうしようかと思ったが、カーリナの人懐っこい性格のおかげですぐに警戒を解いた。
実際、カーリナは人懐っこい。
立って歩けるようになった頃から俺の後をくっ付いていたので、人見知りの激しい子にならないか心配したのだが、むしろ誰にでも分け隔てなく懐く子になった。
近所のおっちゃんおばちゃん、可愛がってくれるお兄さんお姉さん、同じくらいの年の女の子に|男の子(クソじゃり共)や、果ては犬猫にまでだ。
そのうち悪い奴に連れ去られるんじゃないか? と今でもビクトル達と一緒に心配している。
だがそれでも、俺の後を付いて回ることはやめないらしい。
例えば、カーリナが俺と近所の子供たちと一緒に遊んでいた時も、俺が家の手伝いに戻らなければ、と思って帰ろうとすると必ず付いて来た。
その時には必ず、「お兄ちゃんまって!」なんて言いながら袖を掴んでくるのだ。
これも兄としての特権だな。
もし幼馴染だったら恋愛対象になるんだろうけど、残念ながら実の妹だ。
実妹じゃなければ、っていう気持ちは、少しある。
だが、もし神様がいるのなら、こんなに愛おしいカーリナの兄として転生させてくれたことに感謝したい。
ありがとう神よっ!
でも真神教はお断りです。
「お兄ちゃん? どうしたの?」
「え? あ、うん。ごめんなんでもない」
危ない危ない。何の神か分からないのに勝手に感謝している場合じゃないな。
これからオークス先生の授業だ。
気合を入れて取り組まないとな。
「よそ事を考えていると怪我をするぞ?」
「あ、はい。すみません先生」
先生にも注意されてしまった。
急いで準備、といっても庭に出て体をほぐすだけだ。
体をほぐすことは重要らしく、特に子供が魔術の修行をする時はよく柔軟体操をしてから取り組むと、魔術の伝達効率が上がるらしい。
「お待たせしました」
「うむ。では今日の修行を始めようかの」
「はいっ!」
「はーい!」
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「それでは今日の修行はお終いじゃ」
「ありがとうございました」
「ありがとうございました!」
夕暮れ、今日の修行が終わり先生に一礼する。
今日も基本的な内容の修行だ。
魔力伝達効率を上げる為の訓練と、魔力総量を上げる為の魔術に、詠唱の暗記など。
教わったことはビアンカから貰った本にまとめておき、忘れないようしている。
基本をキッチリ教えるのがオークス先生の方針らしい。
「あ、おとうさんだ!」
どうやらビクトルが仕事から戻ってきたようだ。
因みにビクトルは、カラノスの南端にある兵隊の詰め所まで徒歩で通っている。
「ただいま……と、ああヤコブさん! いつもベルとカーリがお世話になっています」
「いやいやなんの。二人は教え甲斐があるからのう。わしも指導に身が入るというものじゃ」
「そうですか! やはりこの子達には才能があるんですかね? いや~、親としては嬉しい限りです!」
仕事から帰ってきたビクトルとオークス先生が、そのまま世間話を始める。
ビクトルは、自分の息子達を褒められて嬉しそうにしていた。
取りあえずドヤ顔しとこう。
「お兄ちゃん、今日も楽しかったね!」
「うん、楽しかったね」
カーリナが袖を引っ張りながら笑顔で言ってきた。
5歳なのに、基本的なことばかりで嫌にならないのだろうか? なんて考えてしまう。
俺は、強くなる為に真剣になれるが、普通の子供だったら、基本ばかりですぐに飽きたり、嫌になってやめたくなるものじゃないだろうか。
決してカーリナが普通でないと言いたいわけじゃない。
ただ、カーリナはなんでも楽しむことが出来る子なんだな、と改めて思う今日この頃だ。
「ところで、イルマタル海のことは聞いておるのかの?」
「イルマタル海ですか? 確か聞いた話では、あの辺りの海水の魔力が急激に上昇しているらしいですが……噂では魔神エルメスが復活するのでは。と、王都の将軍達も慌てているようです」
「成程。世間が荒れるかもしれんのう」
……なにやら世間話に混じって深刻そうな話が出てきたな。
イルマタル海って確か、魔神が封印されているところだよな……。
そこで今異常が起きているのか。
魔神の復活を望むオークス先生としては、そういう情報を聞いておきたいんだろうな……。
「あ、そうだ。少しお待ちください」
ビクトルは何かを思い出した様子で、足早に家に入ってまたすぐに出てきた。
その手には、手のひらに収まるくらいの小さい袋が握られている。
「今月の分です。どうぞお納めください」
「ほっほっほ、すまんのう」
どうやら今月分の授業代のようだ。
オークス先生はそれを受け取ると、懐に仕舞いこんだ。
……なんか、悪いお代官みたいなやり取りだな。
その後、オークス先生とビクトルはまたちょっとした世間話をして、すぐに帰って行った。
それを見送って俺達は晩御飯の準備を手伝に家の中へもどる。
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「ごっはん~ごっはん~!」
芋を洗うカーリナはとても機嫌が良さそうだ。
毎日が幸せそうでお兄ちゃんも嬉しいぞ。
「……ねえ、お兄ちゃん……」
しかしふと手を止めたカーリナが、いつになく不安そうな表情で俺に話しかけてきた。
「どうしたの? カーリ」
何でそんな顔をしているんだい?
はっ! まさか、好きな人が出来ちゃったとか言うんじゃないだろうな!
カーリナのことが好きだ、って言っていたクソガキのことか!?
お兄ちゃんそんなの許しませんよ!
「……今日のあさね、マリアがね、お兄ちゃんのことが好き、っていってたの……。だから、お兄ちゃんはマリアとけっこんするのかな、って……」
「……」
え? マリアが? 何それ、これってモテ期なの? ついに俺のモテ期が来たの?
マリアとは、近所に住む一つ年上の女の子で、俺達に対してやたらお姉さんぶってくる。
赤毛の可愛らしい女の子なのだが、まさか俺のことが……ねえ。ふひひ!
でも大丈夫。俺は好きだと言われて簡単に付き合うような安い男じゃないんだぜ!
まあ、バインバインのエロエロなお姉さんなら飛びつくかもしれないけどなっ!
「うん、大丈夫だよ。そんなすぐに結婚なんてしないよ」
「ほんとう!? お兄ちゃん、マリアとけっこんしないの?」
「うん、しない」
「えへへ~。よかった!」
安心しきった表情を向けてくるカーリナ。
その笑顔は見ているだけでお腹が一杯になりそうだ!
「じゃあお兄ちゃんは、だれのことが好き? メリッサ? それともアリス?」
「う~ん……好きな子はいないかな……」
ま、ロリコンじゃあるまいし、5、6歳の女の子を恋愛対象としては見られない。
まあ成長すれば別だろうけれど、今から唾を付けておこうなんて考えは微塵もないな。
……多分!
それよりも俺は、カーリナのことが気になる。
もちろん兄として。
カーリナは誰か好きな子がいるのだろうか?
「カーリナは? 誰か好きな子はいるの?」
「お兄ちゃん!」
即答で答えてくれた。
うひょひょ~い! カーリナは俺のことを好きって言ってくれたぞ!
俺も愛してるぜ、カーリナ!
勿論兄としてな!
「わたしね、大きくなったらお兄ちゃんとけっこんするの!」
「ブフォっ!」
これは、あれか……、将来パパのお嫁さんになる~、っていうあれだ。
いやそう言われたいとは思ったけれど、実際に言われるとちょっと照れるな。
転生者の俺としては、心の底から本当の妹だと思うのにまだ抵抗があるが、実際に血の繋がりがある以上、本気になることは出来ない。
カーリナのことは、妹として愛するべきなんだ。
しかしそうか……将来は俺のお嫁さんになりたいのか。
「そっか……なら、いっぱい料理とか覚えないとね。」
「うん! わたしがんばる!!」
うんうん、頑張って色んな料理を覚えてくれよ。
醤油は薄口でね。醤油があるかどうか知らんけど。
でもまあ、兄としてはカーリナの将来が不安になるわけですよ。
このまま大きくなってもまだ、お兄ちゃんのことが好き、って言っていたらどうしようなんて考えるわけで。
カーリナが真剣に人とお付き合いできるのかが心配だ。
俺が貰えるもんなら貰いたい。
というか、カーリナが誰かと付き合っているなんて想像できんし、したくもない。
ああ、神よ。我が複雑なる心を救いたまえ。
ま、そんなことを悶々と考えていられるのも兄の特権だな。
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「っていうことがあったんだ。どう思う? アル」
「ああ~ぅ」
夕飯を食べて、カーリナと一緒に風呂に入って、今は寝る前だ。
兄妹だから合法だぞ!
で、ぐずっていたアルフレッドをあやしながら、言葉も理解できない弟に今日のことを相談していた。
まあただのぼやきなんだけどね。
「アルも、大きくなったら一緒にカーリのことを守ろうな」
「う~あぁう~」
「しかしまあ、弟もいいもんだな……」
兄弟で馬鹿をやって、喧嘩して、仲直りして、一緒に親に叱られて、大きくなって、一緒に酒を呑んで。
そうやって色んなことを分かち合えたらどれだけ幸せなんだろうか。
「勿論、お前のことも守ってやるからな」
ちなみに、カーリナはビクトル達によくその日の出来事を言ったりするのだが、今日俺に告白したことを言うと、ビクトル達は複雑そうな、微笑ましいような顔をしていた。
やはり親としてもカーリナの将来が不安になるのだろうか?
「あら、アルを見ててくれたのね。ありがとう、ベル」
「うん。お母さんは大丈夫?」
「ええ、だいぶ体力も戻ったみたい。これもベルやカーリのおかげよ。ほんと、助かるわ」
ビアンカがアルフレッドの様子を見に来た。
さっきの独り言は聞かれていないな。
「は~い、もうそろそろおねむの時間ですよ~」
アルフレッドを抱き上げて寝かせようとするビアンカ。
彼女は歩けるくらいに体力が回復したときから毎日、アルフレッドを寝かしつけることだけは自分でしていた。
まるでそれだけは譲れないと言わんばかりにだ。
俺やカーリナの時もそうであったので、これは彼女なりの矜持というか、自分の子供に対する愛情の表れなのだろう。
母は強し。ということか。
「ベル、あなたももう寝なさい」
「はい。お休みなさい、お母さん」
「はいお休みなさい、ベル」
取りあえず今日のところは寝て、明日にそなえますか!