第45話:敗走
「ハァ、ハァ、ハァ……どれだけ走った?」
「ハァ、フゥ……分からないわ。陽が登って来たけど……」
「そうか……おし! オメーら! ここで一回休憩するぞ!」
アルコン城塞での敗北を受け、俺達は森の中を王都に向けて走り続けた。
フェリクスを先頭にフェリシア、俺と続き、そのほかに四人の兵士が付いて来ている。
四人とも強化魔術が使える兵士で、その内の一人は俺と同じ学院のローブを着ていることから、学生隊の仲間ということが分かった。
先頭を走っていたフェリクスが立ち止まり、一度休憩することに。
空は既に白んでいた。
「ハッ……ハッ、フゥー……『我が一握りの魔力を用いて水を生み出さん』」
俺は堪らずその場に座り込み、魔術で水を作るとそれを浴びるように飲んだ。
あれから走り通しで、喉も乾き、足も限界だった。
「ベル、大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ……」
そんな俺の隣にフェリシアが座り、俺の肩に腕を回してそっと抱きしめてきた。
チラリと彼女を見ると、その顔には所々細かい傷や敵の返り血で付いていて、髪に巻いた青い布も赤黒く汚れている。
ただ、大した傷を負っていないようで安心した。
「フェリこそ大丈夫か? 傷なら俺が治すから」
「わたしは大丈夫よ。傷くらい、自分で治せるわ」
「そうか……」
そう言うフェリシアは、どこか疲れた様子だ。
それでも笑みを浮かべている辺り、現状に一杯一杯な俺とは全然違う。
「……フェリは強くなったよな」
「そんなことないわ。わたしなんて全然……」
「いや、強くなったよ……俺なんかより……」
「そんなことないわよ……」
そんなことあると思う。
だって、あれだけ戦って、あれだけ人を切ったのに、俺みたいに憔悴していないじゃないか。
フェリシアは戦いの技術的なことで謙遜しているのかもしれない。
剣術の腕も上がっているのも分かったが、それ以上に、精神力が上がっているように感じた。
あの戦闘の中で、最後まで自分を保っていられたんだから。
なのに俺は……。
「俺はこのザマだ……」
「ベル……」
フェリシアに肩を抱かれたまま、俺は膝に顔を埋める。
俺は、戦争というのが分かっていなかった。
戦って人を殺した時に初めて、本当の意味で戦争を知ったんだと思う。
敵を殺して仲間が殺されて、その中で生き残った方が死んだ方の命を背負って生きていく。
それがこんなに辛いことだったなんて……今になってやっと理解した。
「大丈夫よ。大丈夫だから……」
「ああ……ああ……」
体が小刻みに震え、情けなく泣いている俺を、フェリシアは優しく撫でてくれた。
ただそれだけなのに、気持ちが少しずつ軽くなってくる、
あの戦闘が始まって以来、フェリシアには助けてもらってばかりだな……。
いつかお礼をしよう。
そんなことを考えていると、どこからかフェリクスと壮年の兵士の会話が聞こえてきた。
「それで、これからなんですが……王都まではどの道で行くのですか? 剣皇様」
「ああ、あの大きい街道か、川沿いの支道を行くかだな……」
。
どうやら今後の予定について話しているようだ。
「なら、支道をの方を行きましょう。ミエザ街道はもしかしたら敵がいるかもしれません」
「確かにな……だが支道を行けばファラスまでどれくらいで辿り着く?」
「徒歩でなら3日かと」
「そうか……メノンを落とした敵の動きが気になるが……よし! 川沿いの支道を通るぞ!」
「分かりました」
話が纏まったみたいだな。
俺は涙を拭きながら顔を上げると、丁度フェリクスがこちらにやって来ていた。
「そう言うことだ。これからまた走るか歩くかしてファラスへ向かう。だから今のうちに休んどけ」
「はい……」
「えぇ、分かったわ」
それだけ言って、フェリクスは近くの木の傍にどっかりと座り、剣の手入れを始める。
彼と相談していた兵士は、固まって座っていた他の三人の所へ行き、俺と同じように落ち込んでいた学生を励ましていた。
何だろう……皆一度は俺とフェリシアの様子を見るんだけど、何か遠慮した空気を醸し出している。
いや、遠慮させる空気を醸しているのは俺達か……。
……まいいや。今くらいはフェリシアに甘えていよう。
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しばらく休んだ後、俺達は王都ファラスに向けて歩きだした。
今度は強化魔術を使って走るのではなく、徒歩で。
フォルトを使って走らないのか? と聞いたのだが、他の兵士達や、フェリクス、フェリシアも魔力をかなり使ったらしく、流石に短いスパンであれだけの疾走は出来ないと言っていた。
確かに、総魔力量的なものだったら俺もまだまだ余裕はあるが、肝心の足が限界だ。
付いて行けるのかも怪しい。
俺達七人の行進は、とにかく静かだった。
先頭はフェリクスだ。
彼は今、森の中で周囲を警戒しながら歩いている。
そのやや後ろを歩くのは、さっきフェリクスと相談をしていた壮年の兵士……アンゲロだ。
このオッサンは自分の身長と同じ長さの槍を持っていて、彼も油断無く周囲を警戒していた。
「ベルホルト」
「なんですか? ニコル先輩」
アンゲロの後ろをフェリシアが歩き、その後ろを俺ともう一人の学生隊の生き残り……ニコルが並んで歩いている。
ニコルは小柄でソバカスが目立つが、これでも俺の3年生だ。
俺達は魔術師、魔法師として全体のカバーを任されていた。
そのニコルがおもむろに話しかけてくる。
「俺達、どうなるんだろうな?」
「……さぁ。王都についても、まだ戦うのかもしれません……」
「もう、戦いなんて……」
そうだよな。俺も戦いなんてもうゴメンだ。
戦う度に大切な何かを失う気がしてならない。
結局、バシルが死んだだけじゃなく、ビクトルの安否も分からなかった……。
「ぞんなごど、言うもんでね゛ぇ。お国のだめさしっがり働がね゛ぇど」
「ゼノさん……」
ニコルとの話を聞いたのか、後ろを歩いていた兵士が会話に入って来る。
バツの悪そうに振り返るニコル。俺も同じように振り返るとそこには身長2メートルは有りそうな巨躯の兵士がいた。
彼の名前はゼノ・ゴッツ。
口の右端が裂けたような傷跡にもじゃもじゃの髪の毛が目立つが、一番目立つのが肩に担いだ大きな戦斧で、俺の背丈と同じ位大きい。
そしてさっきから無言で地味に気遣ってくれる優しい人だ。
「おらだづは王都で戦って次は勝たね゛ぇど、も゛うなんもがんもなぐなんど」
「そう言ったってよぅゼノ。頼りの夜神も、あそこの耳長も役に立たなかったし、次勝てるって可能性はあんのかよ?」
ゼノは傷の所為でしゃべり辛いのか、或いは訛りが酷いのかは分からないが、とにかく活舌が悪く、所々聞き取り辛い。
ただ、そんなゼノの言葉を聞いた最後尾の若い兵士が、どこか斜に構えたような態度でゼノに意見していた。
「アンタっ、今なんて言ったの!?」
「フェリ、落ち着けって……」
案の定、自分の父親をバカにされたフェリシアが、怒りを露わに振り返る。
取りあえず制止するが、彼女は怒り心頭と言った様子だ。
「ハッ、お前の親父は役立たずだ、って言ったんだよ」
しかしそんなフェリシアの様子にも動じず、さっきの男……フレデレク・ニアルコスがさらに挑発的な発言をした。
流石に今のは俺もカチンときたな……。
俺も歩みを止め、フェリシアと共にフレデレクに詰め寄る。
「アンタ、さっきからなんなんだよ! フェリクスさんだって十分に戦ったんだろうが!」
「だけど結局勝ってねぇだろうが。”剣皇”なんて呼ばれてるくせに、全然役に立ってなかっただろ」
「アンタねぇ……!」
人を喰ったような態度でフェリクスをバカにするフレデレクに、俺も我慢の限界に至ってきた。
フェリシアも同じようで、腰の剣に手が伸びている。
「よせよ……仲間割れしようってのか?」
「アンタがその気にさせているんでしょうが!」
フレデレクもそんなことを言っているが、胸に装着したナイフに手を掛けていつでも抜けるように構えていた。
一触即発の状態だ。
援護は任せろフェリシア。
と、次の瞬間――。
「なーにやってんだテメェら!!」
「痛ッ!?」
「あがっ!!」
後ろから突如、フェリクスの叫び声が聞こえたかと思うと、頭頂部から強い衝撃が襲い掛かった。
俺とフェリシアが揃って頭を押さえながら振り返ると、そこには般若の形相を浮かべたフェリクスが立っている。
……どうやらフェリクスの拳骨を喰らったらしい。
「フェリクスさん、アイツが――」
「うるせぇ! 黙れ!」
「ひっ! すみません……」
「オメェら……喧嘩して俺にボコボコにされるか、黙って歩くか、選べボケ」
『黙って歩きます……』
俺、フェリシア、フレデレクの三人は、フェリクスの剣幕にすっかり萎縮し、揃って返事をする。
アンゲロを含む他の三人は唖然とことの成り行きを見ていただけだった。
フェリクスはフェリクスで、かなりストレスをため込んでいるんだろうな……。
そういったことがありながらも再び俺達は歩き出す。
今度こそ皆黙ってだ。
しばらくそうやって森の中を歩いていると、どこかへと続く田舎道に出た。
恐らくフェリクスとアンゲロが言っていた支道だろう。
途中で昼食を食べる為に小休止しに入った。
皆で手分けして食べられる物を探し、それを焼いて食べる。
俺の隣には当然のようにフェリシアが座り、肌と肌が触れ合う距離で小鳥の肉を食んでいた。
ニコルがやや羨ましそうに見てくるが……知らん振りだ。
またフェリクスの怒りを買うまいと、皆静かに食べ終え、そしてまたしばらく休憩をしていた。
ただ、どれだけ休憩していても疲れが取れた気が全くしない。
小休止が終わり、また王都への行進が始まる。
相変わらず、足取りは重い。
こうして歩いていると、段々とあの戦闘のことばかり考えるようになった。
バシルが死んだ時、どうして俺はあんなにも弱っていたんだろうか。
それまでの積み重ねなのだろう。
俺の覚悟が足りなかったのだろう。
楽観的に考え過ぎたのだろう。
そういう様々な要因が、俺の心を弱くしたんだ。
だから、バシルは……。
……もうよそう。
……そう言えばビアンカから貰った大切なノート、あれ兵舎に置きっぱなしだったな……。
思い入れのある品だったのに。
ビクトルから貰ったペンは……あ、あった。ローブの胸ポケットに入ってた。
これも大事なものだからな。
……ビクトルは無事だろうか。
あの投げ込まれた死体の中にいた、ってことだけは、絶対にあって欲しくない。
ただそれを願うばかりだ。
ビアンカは……アルフレッドは元気だろうか?
カラノスにいるから大丈夫だとは思うけど、何かあったら心配だ……。
そんな、陰鬱な思考ばかりに耽っていると、ただでさえ重い足が、更に重くなってきた。
ああ、カーリナに会いたい……。
会って抱きしめて、あの時打ったことを謝りたい。
ごめんね。って一言言いたい。
ただそれを思うだけで、目からボロボロと涙が溢れて来た。
もうそれも叶わないのだろうか?
そう思った瞬間、突然足の力が抜け、その場にガクッと崩れ落ちてしまった。
「おいベルホルト!」
「どうすだベルホルド?」
「ベル?」
「おいおい、これだからガキは……」
ニコルが、ゼノが、フェリシアが、フレデレクが、その場に崩れ落ちた俺に気付き、フレデレク以外の三人が心配そうに声を掛けてくる。
ああクソ! なんで力が抜けるんだよ!
……でも、正直もうこのまま蹲っていたい衝動に駆られてしまう。
もう、考えるのも疲れた……。
「おいどうしたベルホルト?」
「お父さん。ベルがもう歩けないみたいだから、この辺りで休憩を――」
「ふざけるなベルホルト! さっさと立てっ!」
そのまま蹲ってしまいそうになった俺に、フェリクスの怒声が響く。
俺を気遣ったフェリシアが何か言おうとしたが、それもフェリクスの声にかき消された。
彼の声にビクリとしながらその顔を見上げる。
そこには、憤怒の形相で俺を見下すフェリクスが仁王立ちになっていた。
「疲れただの辛いだのはオメェだけじゃねぇんだぞ! 戦争に負けて誰もが必死になって逃げ帰ってる中で、自分だけが甘えるなんて俺は許さねぇ!」
「そうは言っても、ベルはもう限界で……!」
「うるせぇ! 限界だからってその場で諦めるような奴なんざ放っておけ!! 辛ぇ時に自分の足で立てない奴なんぞ、弟子に取った覚えはねぁんだよ!」
俺に寄り添い、同じようにフェリクスを見上げるフェリシアが必死に庇おうとしてくれたが、フェリクスはそれを許さない。
ただ、俺は彼の言葉を聞いて如何に今の自分が情けないのかを思い知らされた。
フェリクスの言う通り、辛いのは俺だけじゃない。
チラリと他の四人を見ると、彼らは自分の足で立っている。
なのに、俺だけこうして駄々をこねていた。
フェリシアだって、あの戦闘の中でずっと戦い続けていたのに、こうして俺のことを気遣ってくれている。
そしてフェリクスは、厳しい言葉で俺を責めていても、俺が立ち上がるのをジッと待ってくれていた。
「……すみません、今立ちますから……」
「ベル……わたしの肩をつか――」
「フェリ。一人で立たせろ」
「でも……!」
「フェリ、俺は大丈夫だから」
「……無理はしないでね?」
フラつきながらもしっかりと立ち上がり、フェリクスを見つめる。
フェリシアが手助けしようとしてくれたが、フェリクスに言われた通りに一人で立ち上がれた。
そんな俺の様子をフェリシアは心配そうに見つめてきたが、もうこれ以上迷惑はかけられない。
そう思ってフェリクスや他の四人の顔を見ながら言い放った。
「ご迷惑をおかけしました……行きましょう」
俺がそう言うと、フレデレク以外の人達は少し安心した様に頷き、フレデレクは鼻を鳴らす。
そしてフェリクスは――。
「よし! なら行くか!」
と、顔を破顔させて言った。
ああ……こんな笑顔、なんか久振りに見た気がするな。
なんてことを考えつつ、再び前を向いて歩き出したフェリクスの後を付いて行った。
生き残る為に……。
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その後も俺達は歩き続けた。
ニコルの代わりに俺の隣を歩くフェリシアに励まされながら。
そのお陰か、俺はもう挫けることは無かった。
何度か休憩や昼食を挟み、今は陽が沈みかけている。
空の半分は夕焼けが覆い、宵の部分には一番星が光りはじめて綺麗だ。
そんな中、フェリクスの決定により森の傍で野宿することが決まった。
「ベル。はいこれ」
「ああ、ありがとうフェリ。フェリクスさんは?」
「お父さんは少し周りの様子を見てくるって」
「そっか」
野宿をするにあたり、まずは夕食を、と言うことで俺は焚火の管理をしていた所に魚を取って来たフェリシアが戻って来る。
近くにあった池でフェリクスと取って来た物だ。
それを受け取り、既に用意していた木の串に刺して火に炙る。
全員分で7匹だ。
どうやらフェリクスは周囲の警戒にでたらしい。
俺に魚を渡したフェリシアは、そのまま俺の隣に座り込むとスススと身を寄せて来た。
……なんでだろうか? ちょっといい匂いする。汗や返り血の匂いもキツイが。
「……そういえばさ」
「何? どうしたのベル」
そう言えば、俺はフェリシアに何の感謝の気持ちも伝えていなかった。
あの戦闘が始まってからフェリシアに守られっぱなしだ。
フェリクスには「フェリを頼むぞ」なんて言われたのに……。
そう思った俺は、薄く微笑みながら俺の言葉を待っているフェリシアと向き合い、思いのままに告げた。
「俺、フェリシアにお礼を言えてなかったよな……今まで助けてくれて、本当にありがとう」
「え……? あ、えと――」
ちょっとした照れ臭さもあったせいか、少し短い言葉になってしまったな。
ただ、それを聞いたフェリシアは一瞬キョトンとしていたが、慌てた様子で取り繕うとそっぽを向いた。
「ふ、フンっ! わたしがいないとベルはホントに駄目なんだから……」
「ああ、そうだな」
そっぽを向くフェリシアの顔が真っ赤だ。
なんかいいな。このやり取り。フェリシアや俺にも余裕が出て来たのかもしれないな。
こうやってツンデレっぷりを発揮してくれていると、俺の心も晴れてくる。
いつかは、言葉だけじゃなくて他のことで何かお礼をしよう。
「……あのさぁ。俺の目の前でイチャつかないでくれよ……」
「あ、いたんですかニコル先輩」
「さっきから一緒にいただろ!」
そう言えばそうだった。すっかり忘れてたよ。
ごめんねニコル。
「くそぅ、そんな可愛い子と……羨ましい奴め!」
「へへ!」
「か、可愛いって……」
何やら悔しそうに俺を睨むニコル。
そんな彼に俺は笑って誤魔化すが、隣のフェリシアは恥ずかしそうにしていた。
それでも俺の隣から離れない辺り、フェリシアは俺のことを……。
「ベルホルト、これも一緒に焼いてくれ」
「あ、はい。これは……肉? 何の肉ですか? アンゲロさん」
「ウサギの肉だ。さっき仕留めてきた」
「ウサギ肉! ありがとうございます!」
フェリシアのことを考えて、少しドギマギしていると、既に血抜きして皮を剥いだウサギ肉を手に、アンゲロがやって帰って来た。
それを俺は余っていた木の串に刺し、早速火で炙る。
本当は調味料で味付けとかしたかったが、今はそんな贅沢は言ってられない。
肉が食えるだけでありがたいことだ。
フェリシアもニコルも嬉しそうにウサギ肉を見つめていた。
「……ベルホルト、お前はもう大丈夫なのか?」
嬉々として肉を炙っているとアンゲロが俺の顔色を窺うように聞いてくる。
無精ひげが似合う精悍なおっさんだが、歳は50歳らしい。
「はい。その節はご迷惑をおかけしました」
「いや、ここまでよく頑張ったな」
「……」
アンゲロの目を見ながら謝辞の言葉を述べるが、アンゲロは俺を労ってくる。
その労いの言葉を聞いて、俺は本当に頑張ったのだろうか? と自分に疑問を持ってしまった。
だからか、折角労ってくれたアンゲロの言葉に、俺は何も言えずに少し俯く。
戦争とは言え、人を殺して、仲間を死なせてしまったんだ。
俺は何も頑張れていないと思う……。
「勿論、フェリシアやニコルもだ。よくここまで頑張ったな」
「はい」
「俺は、出来ることをしただけです」
無言で俯く俺だったが、アンゲロは気にした様子もなく、フェリシアとニコルにも労いの言葉を掛けた。
多分、俺のことはそっとしたほうがいいと判断したんだろう。
このオッサン、結構いい人だな。
……オッサンと言えば、オッサン騎士のことを思い出す。
あの人とは短い付き合いだったが、それでもあんな姿は見たくなかった……。
「お! 肉があるじゃねぇか! いっただきイテッ!? 何すんだよゼノ!」
「がっでににぐに手をづけるの、よぐね゛ぇ。我慢すろ」
「わーったよ、ったく……」
一人哀愁に浸っていると、どうやらフレデレクとゼノが焚き木を両手に抱えて帰って来たようだ。
フレデレクは焚火でウサギ肉を焼いているのを見ると、焚き木をその場に落とし、いきなり肉に手を伸ばそうとしたが、焚き木を脇に置いたゼノによって阻止された。
よくやったゼノ!
「よいしょっと……で? 俺達はせっせと働いてたのに、ガキ二人は焚火の傍でお休みか? いいゴミブンだなぁおい」
「ちょっと! 何よその言い方!」
焚火を挟んで俺の向かい側に座ったフレデレクがネチネチと嫌味を言ってきた。
案の定、それに反応したフェリシアが食って掛かる。
なんか科学反応みたいだ。
「何もクソも、若いからってなんでコイツら二人を甘やかしてんだよ。甘えんな、ってさっきあの耳長が自分で言ってただろうが」
「なっ! アンタねぇ……!」
「フレデレグ! やめね゛ぇが!」
「あんだよもう……はいはい、俺が悪かったですよー」
尚も暴言を吐くフレデレクに、フェリシアは立ち上がって睨みつける。
だがゼノがフレデレクに対して怒鳴りつけると、フレデレクは肩をすぼめて適当に謝った。
「ッ……! もうっ!!」
一応それで納得することにしたのか、フェリシアは顔を背けながら座り直す。
そりゃぁ誰だって自分の親をバカにされたら怒るよな。
俺もこのフレデレクの態度には腹が立つ。
ただ、聞けばこのフレデレク、実は真神教徒らしい。
今も首には、五角形に十字のシンボルがぶら下がっている。
だからあれだけ称号付のフェリクスのことを嫌っていたのか?。
「取りあえずこの辺りをざっと見て周ったが、敵らしいのはいなかったぜ」
「ああお帰りなさいフェリクスさん」
と、どうやら件のフェリクスが帰って来たようだ。
特に何もなかったらしく、「どっこいせ」なんて言いながらフェリシアの隣に座り込む。
「なんだ? またお前ら喧嘩したのか?」
「あ、いえ。そんなことないです」
「ほ~ん」
また怒られそうだからな。さっきのことは黙っておこう。
フェリシアもフレデレクもちょっとバツの悪そうな顔をしている。
「……まいっか! 陽も落ちたし、飯にしようぜ!」
ほっ……取りあえず不問にしてくれたようだ。
思わず胸を撫でおろす。
その後、俺達は敗走1日目の夜を迎えた。
夕食は魚一人1匹とウサギ肉が少し。
後は木に生っていたイチジクみたいな果実をアンゲロが持って来たのでそれを食べ、少し満足のいく夕食になった。
昼食の時とは違い、今度は皆色々なことを話し合いながらだ。
ニコルは俺と同じ学生隊として戦い、仲間が死んでいく様子を見ているだけで何も出来なかったと泣き始めた。
ゼノは北側で戦っていて、なんとビクトルの部隊と一緒にいたらしい。
ただ、ゼノもビクトルの安否は分からないようだ。
アンゲロは中央部にいたらしく、初めから敵の攻撃が激しかったと語っていた。
フレデレクは、第一城壁が落ちたところで一度は降伏をしようとしたらしいが、瀕死の仲間を第二城壁へ連れて行ったお陰で機を逃したらしい。
嫌な奴でも仲間想いな所はあるんだな。
フェリクスはひたすら敵を斬りながら、戦神がどこかに潜んでいないか探していたらしい。
ただそれでも戦神が現れず、何が目的か分からずに内心焦っていたのだとか。
フェリシアは……俺に守られるだけじゃなく、どうしたら俺を守れるかを考えていたと言っていたな。
そう語った時の顔は、とても恥ずかしそうだった。目は合わせてくれなかったけど……。
「友達が……俺を庇って死んだんです」
そして俺は、バシルのことを喋った。
他の六人は黙って俺の話を聞いてくれている。
「そいつとは……バシルとは、王立魔術学院で出会ったんですけど、最初は凄く仲が悪かったんです。会う度に喧嘩をしてて……」
バシルとは、いつも喧嘩ばかりしていて、口を開けば罵り合い、カーリナを巡っては譲らず、とにかくぶつかってばかりだ。
「でも、ある行事がきっかけで、俺達はお互いを認めるようになったんです。それでも口喧嘩とかはしていましたけどね」
そんなバシルとも、魔導祭を切っ掛けにお互いを認め合うようになって、そして一緒にアルコン城塞まで来て助け合いながらも一緒に帰ろうと約束したのに…・…。
「そんなアイツが、俺を庇ったんです。俺を守って、敵の槍に刺されて……俺、訳が分からなくなって……」
気づけば、俺は大粒の涙を流していた。
俺の話を聞いたニコルも涙を流している。
フェリシアもだ。
その時の様子を見ていた彼女も、その目から静かに涙を流していた。
フェリシアも悲しんでくれているんだな……。
「何も言わなくなって死んだアイツに、俺は結局、何もしてやれなかった……」
泣きながら、俺は胸に仕舞っていた感情を吐き出した。
誰もが静かに聞いてくれている。
アンゲロも、ゼノも、あのフレデレクでさえも……。
俺はただ、こうして聞いてくれているだけで、あの時何も出来なかった俺自身の心が、少しだけ晴れてくるのを感じた。
「……なら、バシルの分も生きてやれよ。ベルホルト」
「……はい゛」
話を聞き終えたフェリクスは、そう静かに言う。
静かに、優しく。
その言葉に俺は、生きる目的が増えたがした。
バシルの分まで生きる。という目的が……。
それが、俺に与えられた贖罪である気がしてならない。
話が終わると、夜が深まる前に寝ようということとなり、不寝番を交代で立てて寝ることとなった。
まず最初は、俺とフェリクスの番だ。
暖のを取るための焚火の管理をしつつ、俺とフェリクスは初めポツポツと取り止めの無い会話をしていたのだが、ある時フェリクスが真面目な顔で言い放った。
「なぁベルホルト」
「なんですか?」
「俺があの戦いの前に言ったこと覚えているか?」
「戦いの前にですか?」
何のことだろうか?
覚えていることと言えば……。
「……『フェリを頼む』ってことですか?」
「ああそうだ」
あ、やっぱりそのことか。
「フェリは多分、お前のことが好きなんじゃねぇのか?」
「……」
「ま、俺の勘だけどな。もしお前もフェリのことを真剣に考えてくれる、って言うなら、俺はお前に、フェリのことやってもいいって思ってるぞ」
真剣にならな。と念を押してくるフェリクスに、少し戸惑ってしまう。
確かに、フェリシアの態度からもしかしたら、って思う所があるし、真面目に向き合わないといけないのも分かっている。
だけど俺の中では、まだクリスのことを想う気持ちが大きかった。
もう、彼女とは会えないのに……。
「……まぁもし本気で考えてくれるならの話だ」
「……すみません、煮え切らない態度で」
「気にすんな。まだ前の娘のことが忘れられないんだろ?」
フェリクスは俺の曖昧な態度に気を悪くするどころか、むしろニカッと笑った。
だが次の瞬間にはまた真剣な顔に戻り、しかも今度は少しドスの利いた声で告げる。
「でもオメェ、浮気とか二股とかはするなよ? 俺達エルフは、伴侶を裏切る行為は絶対に許さねぇ。それだけは肝に命じとけ」
「わ、分かりました……」
怖い……。
しかしそうか……エルフやエルフが相手の場合は浮気とかしちゃいけないんだな。
よし、フェリシアの気持ちと向き合う時には誠実に向き合おう。
まぁ、人として当たり前の話だがな。
「話はそれだけだ。もうフェリシアを起こしてお前は寝ろ」
「あ、はい……っと、フェリ、フェリ。交代だ、起きて」
「んぅ……」
どうやら話は終わりのようだ。
またいつもの調子で言うフェリクスに返事をし、俺はフェリシアを起こした。
あんなこと言われた後だからか、フェリシアの顔を見ただけで少しドキッとしてしまう。
というか、寝ていてくれてよかった……。
……あー、これは俺も、フェリシアのことを意識し始めているのかな?
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これまでの疲れからか、あの後すぐに眠りについたみたいだ。
翌朝にはフェリクスに叩き起こされ、皆で朝食を食べてまた王都へと出発した。
途中で川沿いの道に合流するとその道を通ることに。
今日の先頭はアンゲロで、彼を先頭にゼノ、フレデレク、ニコル、俺、フェリシア、フェリクスの順で一列に並んでの行進となった。
道はさほど険しくなく、なだらかな上り坂が続くくらいで特に問題は無い。
地形としては左手に森、右手には谷だ。谷底には川が流れている。
「ねえ、ベルのその指輪って、オー……ヤコブさんから貰ったものよね?」
「ん? ああ、これか?」
「そうそう。綺麗な指輪ね……」
右手を持ち上げ、中指に嵌めた指輪を見せた。
オークス先生から借りた、”残機の指輪”だ。
後2回死ねるらしい。
アルコンで戦闘が始まった日の朝に嵌めたもので、そのままずっと嵌めっぱなしだったのだが……。
バシルに貸してやれば……いや、こんな不毛な考えはやめよう。
とにかく、この指輪を見たフェリシアの反応がなんかこう……プロポーズ待ちの恋人のようなソレになっている……。
これはアレかな? 私もケの付く指輪が欲しい、ってことかな?
……いや、ただ単純に思ったことを言っただけかもしれん。
「さっきこの先に滝があるって言ってたな! そこで休憩にしようぜ!」
「了解した!」
お、どうやら休憩に入るらしい。
殿を務めるフェリクスが周囲を警戒しつつ、先頭のアンゲロに対して声を張り上げた。
アンゲロもそれに応える。
「もう少しね。頑張りましょう、ベル!」
「ああ!」
休憩と聞いたフェリシアが笑顔で言ってきたので、俺も笑顔で返した。
うん。アルコンでは色々あったけど、こうしてフェリシアが隣にいてくれたお陰でいつもの調子が戻ってきそうだ。
本当に、フェリシアには感謝してもしきれないな……。
「あ、ヤベ。靴紐切れた。ちょっと先に行っててくれ」
「替えの靴紐ありますか? フェリクスさん」
「いや、ねぇから適当に結ぶわ」
「じゃぁわたしも一緒にいるわ。先に行ってて」
「ああ、分かった」
「悪いなフェリ」
どうやらフェリクスの靴紐が斬れたみたいだ。
その場にしゃがみこんだフェリクスは、右靴の紐をアレコレと直し始め、それをフェリシアが手伝い始めた。
彼の言う通りに、俺は前を歩く四人に付いて行く。
「フェリクスさん、靴紐切れたって?」
「そうなんですよニコル先輩。だから先に行っててくれって」
「もう滝の近くだぞ? あそこで紐を直しゃぁいいだろうが」
「そうは言ってもだな……っと、あそこに誰かいるぞ?」
「ね゛でるな……」
フェリクスが靴紐を直している間、俺達は件の滝の傍までやって来た。
しかしそこには、アンゲロが指さした所には人が倒木を枕に寝転んでいる。
そいつの傍には小さめの背嚢と、一振りのスティングが置いてあり、旅装束であることから旅人なんだろうと思った。
「おい、君」
「ん? くぁ……なんか用か?」
アンゲロが槍をいつでも構えられるように持ちながら、寝転がるその男に近づいて声を掛けた。
警戒しているんだな。確かに、敵かもしれんからな……。
ゼノもフレデレクも警戒していつでも得物を振るえるようにしているし。
相手の男はどこか気だるそうに上体を起こすと、不健康そうな顔の男がぼんやりとした目で俺達を見やる。
灰色の髪に、ブラウンの瞳。痩せこけた頬が印象的な奴だ。40歳手前くらいだろうか?
しかし随分肝の据わった奴だな。
敗残兵とはいえ、起きたら武器持った兵士に囲まれているのに全く動じていない。
……その豪胆さが羨ましい。
「いや何、君はこんなところで何をしていたんだ?」
「あー……実は人探しをしていてな……ところでアンタらはハルメニアの兵士か?」
「ん? ……ああ、そうだが……」
男は、アンゲロの質問にも淡々と答え、更には質問も返してきた。
質問できる状況じゃないと思うけどな……。
それでもアンゲロは、一瞬答えるのを戸惑ったものの、俺達と男の人数差を考えたのか、正直に答えた。
すると男はボンヤリと、しかし感情の感じない無表情な顔で何度か頷くと、また口を開く。
「そうかそうか、成程……じゃぁよ、”ベルホルト・ハルトマン”ってやつ知ってるか? そこのガキ達みたいな歳の」
「ベルホルト……?」
……ん? 俺?
男はどうやら、俺を探していたみたいだ。
男の口から俺の名前が出たことで皆の注目が集まる。
……え? なんで俺?
でもまぁしょうがない、何で俺を探していたのかは知らんけど、取りあえず名乗っておこう。
怖いから距離を離して。
「お、俺がベルホルト……ですけど」
「おお! お前がか! いやーこんなとこで会えるとは思ってなかったよ。ラッキーラッキー」
控え目に手を挙げつつ名乗ると、そいつは「よっこらせ」とオッサン臭いことを言いながら立ち上がる。
そして近くにあったスティングをなんでも無いような顔で手に持ち、その手が消えた。
「じゃぁ悪いけど、そいつ以外死んでくれ」
…………は?
今なんて言った? 死んでくれ?
なんて思う間もなく、アンゲロとゼノの首がいきなり飛んだ。
……いや腕が消えたんじゃない、剣を振ったんだ!
そう思った瞬間から男と距離を取り、戦えるように剣を構えた。
既にフレデレクも同じように距離を取ってナイフを構えていたが、ニコルだけはその場で突っ立っている。
なにをしてるんだ!
「ニコル先輩! 早くそいつから離れて!」
「ぁ……ひ、ひ、ひぁああああ゛ぁっ!」
「まぁそう逃げるなって」
俺の声を聞いたニコルが弾かれたようにその男から逃げようとした、あっさりと背中から剣を突き立てられ、あっという間に絶命した。
その動きには全く淀みが無く、逃げる手助けをしてやる暇もなかった程だ。
……いや、そうじゃない。
コイツはヤバイ。マジでヤバイ!
アルコンで見た敵の動きと全く違う!
あんなに無駄の無い剣捌きをするやつなんて、フェリクス以外に知らない。
もしかしたら、フェリクス以上に……。
「お、おお、俺は知らねぇ! 俺は関係ねぇからな!!」
一瞬の惨劇を目の当たりにしたフレデレクは、恐怖に慄き、戦慄の表情を浮かべて一目散に逃げだした。
その姿が情けないとか、見捨てられたとか、そんなことは思わない。
こんなキチガイじみた強さの男を目の前にしたら当然の反応だと思う。
だが――。
「背中なんて向けるなよ。『トルネード』」
「ぐぎゃああああ!!」
今度は魔術……いや魔法だ!
またあっという間に短詠唱をしたかと思うと、次の瞬間にはフレデレクが……。
「よし。余計な奴らはいなくなったな」
そいつはなんでもないかのような……まるで掃除でもしたかのような様子で俺に向き直り、軽い足取りで俺の目の前までやって来た。
取りあえずコイツから逃げなきゃ!
逃げて、フェリクスさんを呼ばないと!
「じゃぁ悪いが――」
「ベルホルトーー!!」
「ふぇ、フェリクスさん!」
どうやら騒ぎを聞いてフェリクスが駆けつけてくれたみたいだ。
フェリクスは俺とその男との間に剣を振るいながら割って入って来た。
勿論男はフェリクスの剣をバックステップで避け、距離を置く。
「ベル! 何が……ぁ……」
後からやって来たフェリシアが、一面の惨劇を見て絶句している。
絶句するのも当たり前だ。皆、さっきまで生きて、話もしていたのに……。
ただ、そうやっていつまでも絶句しているばかりもいられない。
男はつまらなさそうにフェリクスを見据えると、つまらなさそうに呟いた。
「なんだ……お前かフェリクス」
「フェリ、ベル……お前達は逃げろ」
「お父、さん……?」
「コイツは……コイツはなぁ……」
スティングを手にだらりと立つ男と対峙しながら、フェリクスは大量の脂汗を掻き、俺達に逃げるように促す。
それでも俺は動けなかった。
だってさっき、逃げようとしたらどうなったのか……ソレを見てしまったから……。
「コイツは、”戦神”レオナルド・ソロモンだ! お前達じゃ相手にならねぇ! だから逃げろ!」
「せ、戦神!」
「お、お父さん!」
「またメンドクサイことになったな……」
最大限の警戒を持って剣を構えるフェリクスに対し、男は……戦神、レオナルド・ソロモン、は至極面倒臭そうに俺達を見据えていた。
ここにきて俺達は、とんでも無い奴と出会ってしまったみたいだ。
次回は7月26日の投稿です。