第40話:別れ
「すまないベルホルト! 姫様のことはどうか……どうか諦めてくれっ!」
…………え? は? 何だって?
今、クリスのこと諦めろ、って言ったか?
明日、戦場に送られる、っていうのに、夜遅くに呼び出されて、いきなり頭下げられて、そして言われたことがこれか。
あ! 分かったぞ! これはアレだな、テレジアが俺を試すために言ってるんだな?
まったくもう……そんなことしなくたって俺はクリスのことを一生大事にするさ!
「おいおい、そういう人を試すようなことは――」
「国王陛下は、お前の妹を……カーリナを投獄するか処刑するつもりだ!」
「……は?」
血の気が引いた。
いや待て、何でそこでカーリナが出てくるんだ?
しかも、投獄とか処刑って……え? どういうこと?
「じょ、冗談……だよな?」
訳が分からず震える声で問いかけると、テレジアは尚も頭を下げたまま粛々と説明しだした。
「……国王陛下は、お前と姫様が想い合っていることをお許しになられなかった。
それどころか、どんな手を使ってでも、姫様からお前を遠ざけようとしている。
陛下直々に名指しされて戦場に行くことになったのも、そのためだ。
そして、お前が姫様のことを諦めると約束するのなら、カーリナを戦場に送らないと仰せになられた。
しかしそれでも、お前が諦めないというのなら……国王陛下は、カーリナに有らぬ罪を被せて処罰されるおつもりだ。
それに、姫様を他国へと嫁がせるつもりでおられる。
恐らく、お前達とはもう会うことも……」
…………ああ、そう言うことか……。
王様に嫌われたのか。
俺がクリスに相応しくないからか?
家柄が低いからか?
何にしても、俺は目も掛けてもらえない有象無象だってことだ。
それにクリスを他所の国に嫁がせるって正気か?
嫁がせた程度でどうなるんだ?
……ああそうか、そうするためには俺が邪魔なのか。
しかもご丁寧にカーリナを人質に取って……。
どうする? 直談判は……直接会わせてはくれないか。会った所で交渉する余地なんてなさそうだし。
クリスとカーリナを連れて逃げるか? いや、そんなことして生き残れる自信がないし、カラノスの家族を人質に取られたらお終いだ。
従う振りして、カーリナやビクトル達家族を国外へ避難させて、あとでクリスを迎えに……そうか、そんなことしているうちにクリスはどこかへ嫁いでしまうのか……。
…………。
もう、どうしようもないのか……。
「……俺が、クリスを諦めたら……本当にカーリをあの指名から外してくれるのか?」
「ああ、約束する!」
ホント、上手い手だよな。
選択肢を与えておいて、逆らったら人質を殺すってか?
俺みたいなシスコンの扱い方をよくご存じだ、国王ってやつは。
本当にクソッたれだな。
「……分かったよ。クリスのことは、諦める」
「すまない! すまない!! ……すまない……」
力なく答えた俺に、テレジアは頭を下げ続け、何度も謝った。
実際、俺に残された選択肢なんて無いも同然だ。
俺がクリスを諦めることで、カーリナが助かるというのなら、俺は……。
「……カーリのこと、頼むぞ……」
「……ああ……すまない……」
俺も、テレジアも、声が震えてた。
相変わらず頭を下げ続けるテレジアを後にし、俺はフラフラと自室へ戻る。
なんでこうなっちまったんだろうな……。
そんなに俺は、クリスにとって邪魔な存在なのか?
なぁ、王様。
足取りが重い。
何も考えたくない。
早く部屋に戻って寝たい。
嫌だ。
クリスと別れるなんて、嫌だ。
でも、クリスと別れるか、カーリナを見殺しにするか、どちらかを選ぶとしたら?
……ああ、駄目だ、目の前が歪んで何にも見えない。
「おうベルホルト、戻ってきて……ってお前どうした!? なんでそんなに泣いてるんだ?」
「え? あれ?」
どうやらいつの間にか部屋に戻って来たみたいだ。
バシルに言われて頬を拭う。
……成程、俺は泣いていたから目の前が歪んで見えたのか。
というかいつ戻って来たのか自分でも覚えていない。
「……取りあえずそこに座れよ。何か飲み物持ってくるから、そこで待ってろ」
バシルは有無も言わさず、俺をベッドに座らせると部屋を出て飲み物を取りに行った。
さっきより元気になったみたいだな、バシル。
……。
待っていろと言われてじっとしていると、何故かクリスとの思い出が思い浮かんで余計に辛い。
涙もボロボロと出てくる。
こうやって待ってるだけ、っていうのも辛いな。
……。
「待たせたな。ほら、ジンジャーティーだ。あったかいうちに呑め」
「ああ、ありがとう……」
やがて二つの紅茶カップを持って帰って来たバシルから、カップを一つ受けとり、一口飲んだ。
あったかい。
バシルは椅子に座り、チビチビとジンジャーティーを飲みながら横目でチラチラと俺の方を見てきた。
俺の様子を見て、どう話を聞き出せばいいのか、機をうかがっているんだろう。
……。
「さっき、テレジアに言われたんだよ」
「ん? ああ」
「クリスを諦めろ、ってな」
「……そうか」
だから俺は、自分からことの顛末を話すことにした。
体ごと向き直ったバシルに、俺はさっきの話を聞かせることに。
クリスを諦めるように言われたこと。
カーリナが人質に取られたということ。
クリスが帝国に嫁ぐということ。
俺がクリスを諦める代わりに、カーリナを戦場に送らないと約束したこと。
ありのままにだ。
「クソッたれ! カーリナを人質にとるなんて!」
話を聞いたバシルは、案の定怒り心頭と言った様子だ。
無理もない、好きな子の命が脅かされそうになったんだ、そりゃ怒るよな。
「……辛い決断だったよな。妹か恋人かを選べ、なんてな……」
「……」
「でもその決断のお陰で、カーリナの命が守れたんだ。お前は……あー、凄い奴だよ」
そう言うとバシルは、椅子から立ち上がって俺の傍まで来ると、遠慮がちにポンポンと俺の肩を叩いた。
凄い奴、か。
凄い奴なら、どっちも守れたんじゃないのか?
そう思うと、余計に無力感に打ちのめされる感覚を感じてしまう……。
「……お前、励ますの下手くそだな」
「はあ!? い、今の駄目だったか?」
「いや、あれは駄目だろ……」
「そうか……」
何とも締まらない感じだな。
励ましたつもりのバシルも何故か落ち込んだ。
そんな様子を見ていると、バシルは本気で俺のことを心配してくれてたんだな、としみじみ感じた。
故郷のこともあるだろうに、コイツは俺のことまで気に掛けてくれたんだ。バシルこそ凄い奴だよ。
なんだかんだ言って、少し元気が出てきた。
バシルに感謝しないとな。
窓から空を見ると、明るく輝く満月に、一筋の雲が掛かっていた。
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翌朝。
朝一から放送があり、状況が状況ということもあって授業が無くなった。
そのため日課のトレーニングを止めて皆で一緒に朝食を食べようとカーリナに伝えるため、一人学生寮を出て女子寮に向かっていた時だ。
「お兄ちゃーん!」
「カーリ!」
偶然カーリナが女子寮側から俺の所に走って来た。
どうやらカーリナも俺のことを探していたみたいだ。
「お兄ちゃん! 私もう戦場に行かなくてもいいって言われちゃった!」
「……そうか」
「ねえ、お兄ちゃんは何か聞いてる?」
「いや、聞いてないな」
カーリナが言いたかったのはそのことか……。
テレジアが早速手配してくれたんだな。
カーリナは少し納得していない、って様子だが、これで彼女が戦場に行かなくてもよくなった。
後は、俺が約束を守らなければならないのか……。
ただ、カーリナにはあの事は黙っておこう。
嘘をつくのは心苦しいが、教えたら、きっと気を遣わせてしまうからな。
知るとしたら、全部終わってからでいい。
「じゃあ、お兄ちゃんは戦場に行っちゃうの? お兄ちゃんも行かなくていいとか言われてないの?」
「ああ、どうやら俺は行くみたいだな。何も連絡を聞いてないから、国王からの指定はそのままだと思う」
「なんで? なんで私だけ行かなくてもよくなったの? お兄ちゃんが行くなら私も行く!」
「バカなことを言うな!」
折角戦場に行かなくてもよくなったのに、自分から行くなんて言わないでくれ。
カーリナが危ない目に遭う姿なんて見たくない。
俺はカーリナを安心させる為に彼女の頭に手をのせて撫でた。
「いいかい? カーリナはもう戦場に行かなくてもよくなったんだ。だから安全なところで俺の帰りを待っていてくれ。そうじゃないと、俺は安心して戦えないんだ」
「で、でも!」
「いいな?」
カーリナにはどこか安全な場所で待っていてほしい。
そう願いながら、食い下がろうとするカーリナを強く説得した。
やがて分かってくれたのか、寂しそうな顔で小さく頷くと。
「……うん。わかった」
と返事をしてくれた。
これで、カーリナについては大丈夫なはずだ。
国王の気が変わって、カーリナが捕まった、なんてことにならなければいいが……。
ま、そんなことまで心配していたら、何も出来なくなるからな。
今は安心しておこう。
「じゃあ、後で皆と朝ご飯食べよう。朝のトレーニングは無しだ」
「うん……」
俺の用事を伝えても、カーリナはどこか悲し気な、或いは悔しそうな様子で俯いたままだ。
そんな様子を見ていると、そこまで俺と一緒にいたかったのか? と少し嬉しくも思える。
……うん、こんなに俺のことを想ってくれている妹のことを、守ることが出来て良かった。
カーリナの為に、絶対帰ってこよう。
ただ、もうちょっとゴネてくると思っていたが、あっさり受け入れてくれたことが意外だった。
カーリナなら、「絶対に付いて行くから!」なんて言いそうだったのだが……そりゃあ、誰だって戦場には行きたくないだろうさ。
段々と、雲が出てきたな。
雨、降るかな?
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「ベルホルトさん!」
朝食をいつもの皆と食べ終えた後、食堂の外で俺を呼ぶ声が聞こえ、声のする方に振り向いた。
そこには必死な様子のクリスがいて、脇目もふらず真っ直ぐ俺の許に小走りでやって来る。
綺麗な亜麻色の髪は少しバサついていて、服も少し乱れていた。
碌な準備もせずに慌てて出てきたのだろう。
その後ろにはテレジアがバツの悪そうな様子で付いて来ていた。
「クリス……」
「はぁ、はぁ……おはようございますベルホルトさん。今お時間はありますか?」
「ああ、大丈夫だけど……」
と、走って来たことで呼吸が少し乱れているクリスを余所に、俺はカーリナ達の方にチラッと視線を送る。
時間はあるけど、皆のいる前で話をするのもなー……。
なんて迷っていると、バシルと目が合った。
「……俺達、先に戻ってるぞ」
「ああ」
どうやら、バシルは空気を読んでくれたみたいだ。
クリスの用件は分からないが、俺からはこれから辛い話をしないといけないからな。
こういう時に気を遣ってくれて本当に助かる。
ただ――。
「フヒヒ! 後で詳しい話を聞かせてよベル君!」
「オホホ! しばらくの間クリスティアネ殿下とは会えなくなるから、その分甘い時間をお過ごしなさい!」
「……」
「いい加減にしろお前ら! さっさと行くぞ!」
何を勘違いしたのか、アールとイリーナはニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべて俺の肩をペシぺシと叩いてきた。
……こんなに人をぶん殴りてぇ、って思ったのは初めてだよ……。
そんな二人を引っ張っていくバシルに感謝しつつ、クリスに再び向き合おうとしたところに今度はリンマオがスッと近づき、そっと耳打ちしてきた。
「お兄さん……避妊は、しないといけない、よ?」
「やかましいっ!!」
「……じゃあね……カーリ、行こう」
「うん……じゃあまた、お兄ちゃん」
「ああ……」
いきなり何を言い出すんだこの猫っ子は!?
あれか? 獣人族はそういう思考しかしないのか?
思わず怒鳴ってしまったが、それでも尚、リンマオは相変わらずのボンヤリとした表情で何事もなくカーリナを連れ、バシル達に付いて行った。
リンマオに限らず、皆いつもの調子だったが、カーリナだけはどこか元気のない様子だ。
食事中も上の空だったし、話を振っても一瞬反応が遅れたりと、バシルやリンマオ達からも心配されていた程だったが……そのわけは恐らく、朝のカーリナとの話だろう。
バシルを始め、リンマオ達も、カーリナが戦場に行かなくてよくなったことを喜んでくれた。
リンマオもイリーナも、大事な友人が戦場に行くことになって不安だったのだろう。
昨日の晩には、自分も行く! と言っていたくらいだからな。
それだけ、カーリナのことを想っていてくれたんだ。
ただ、そんな中でもカーリナの気持ちは沈んだままだったが……。
生まれてこの方、離れることなく一緒に過ごしていた双子の兄妹なのに、俺だけが戦場に行き、カーリナは指名から外された。
そんな状況が不安なのだろう。
俺が戦場に行くという不安。
兄と離れ離れになる不安。
だからカーリナは元気が無いのかもしれない。
大丈夫だよカーリナ。俺は絶対に戻ってくるからな!
「……あの、ベルホルトさん?」
「ん? あっ! 悪い」
アールとイリーナを引っ張るバシルを先頭に寮へと戻る五人を見送っていると、背後からクリスが遠慮がちに声を掛けてきた。
慌てて振り返ると、困り顔のクリスが俺のことを見上げている。
ほったらかしにして悪いことしちゃったな……。
「申し訳ありません、折角皆さんといる所を……」
「あ、いや。気にしなくていいよ……ここじゃなんだし、いつもの場所に行こうか?」
「……はい」
食堂の近くということもあってか、他の生徒達の視線も気になっていた。
戦争が起き、この学院内でも慌てた雰囲気が醸し出されつつも、人の色恋には目ざといようだ。
今さらな感じもあるが、話をするならいつものあそこしかないからな。
俺とクリス、テレジアは足早にその場を離れ、いつもの場所に向かった。
「……さて、と。何か用か?」
いつもの場所に着くと俺達は立ったまま向き合う。
手を伸ばせば、相手の体に触れあえる距離だ。
クリスの後ろにいるテレジアは、両目の下に凄い隈が出来ているが……あれから頑張ってくれたんだな。
それにしても、何故か少し冷たい聞き方になってしまった。
……ま、これからクリスには辛いことを言わないといけないからな……自然と冷たくなったのだと思う。
クリスはそんな俺の心境を知ってか知らずか、自身も涙目になりながらポツポツと話し始めた。
「はい……実は先ほど、国王陛下が仰られたんです……他国へ嫁がせることに決めた、と。それで私……私は、そんなこと耐えれえなくて……それでっ、わた、私……!」
言葉と共に、クリスの目から涙が溢れ、我慢できずに両手で目を覆って泣きだした。
小さく嗚咽を漏らしながら話を続けようとしていたが、しかし言葉になっていない。
そんなクリスの泣いている姿を、俺はただジッと見ていることしか出来なかった。
あんまりいい話ではないだろうとは思っていたが……。
国王は、テレジアを使って俺をクリスから遠ざけ、自らは政略結婚の話を聞かせてクリスに俺を諦めさせたのだろう。
その政略結婚の何の意味があるのかが分からない。
「ベルホルト、姫様はお前に会いたくて王宮から抜け出してきたんだ。国王陛下がもうここに戻るなと命じたにも関わらずだ」
「……そうか」
未だに嗚咽を漏らしながら鳴き続けるクリスの後ろから、疲れた様子のテレジアが補足を入れてきた。
というかクリスは王宮でちょっとした軟禁状態だったとは……。
本来ならもうクリスと会うことすら出来なかったんだな。
テレジアも、本当は止めないといけないハズなのに、それを見逃して自分も付いてきたのか。
やがてクリスは指で涙を拭いながら、潤んだ目で俺をジッと見つめてきた。
「ベル、ベルホルトさん……お願いが、あります」
「……なんだ?」
「私を……私をどこかへ連れて行って下さい!」
「なっ……!?」
それは、衝撃的な願いだった。
俺のローブにしがみ付き、懇願してくるクリスの姿は必死だ。
勿論、それは俺も考えたよ。
でもそれは……。
「……それは出来ない」
「え? ……ど、どうしてですか!? あ、も、勿論カーリちゃんも一緒に逃げましょう! テレジアも一緒に四人でこの国を出て、それから――」
「そういうことじゃないんだよっ!」
「っ!」
ある種狂気的な程に縋ってくるクリスに、俺は思わず怒鳴ってしまった。
俺の声に驚き、ビクリと肩を震わせるクリスの両肩を掴むと、ローブにしがみ付いたその体を少し話して今度は優しく話しかける。
「そういうことじゃないんだよ、クリス。俺は、もう、君とは一緒にいられない」
「何故ですか!? 皆と一緒に戦争から帰って来るって約束してくれたじゃありませんか! 一緒に旅に出てくれるって、言ったじゃないですかっ!」
俺の言葉にクリスはイヤイヤと横に首を振り、泣きじゃくっていた。
そんな彼女を、俺は今から突き放さなければならない。
「クリス……それはただの夢だ。俺と君とでは、住む世界が違ったんだよ」
「っ!? そ、そんな……」
「姫様……」
クリスは、ヨロヨロと力なく後退り、崩れ落ちそうになったところを後ろにいたテレジアに支えられた。
目は見開き、信じていたものに裏切られた……そんな様子だ。
実際、俺は裏切ったようなものだからな……。
「もう、クリスのことを愛することが出来ない……ごめん」
「……っ!!」
言ってしまった……。
もうこれで後戻りはできない。
俺の言葉を受けたクリスは、テレジアに支えられたまま大きく息をのんで涙を流し、そして――。
「さ、さようならっ! どうかご無事で……!」
と、テレジアの手を振り払うように走り去ってしまった。
流れる涙を拭うこともせず、校門へ向かって……。
「……」
残ったテレジアは、俺に正対し深く頭を下げ、そしてクリスを追うように走って行く。
その目からは涙が滴っていた。
ああ……こんな最後になるなんてな……。
出来ることなら今すぐ追いかけて、クリスを抱きしめて一緒に逃げよう、って言ってやりたい。
カーリナやテレジア、それにビクトル達も一緒にこの国を出て、静かに暮らそう、って。
でも、俺にそんな力なんて無かった。
下手なことをして、皆が危険な目に遭うようなことは出来ない。
でも、俺がクリスを諦めれば、俺が戦場に出ることに変わりないが、それでもカーリナの命は守られるし、望まない結婚だと思うがクリスも危ない目に遭うことはないだろう。
そう、無理やり納得するしかなかった。
でもなんでだろうな。
そうやって無理に納得させようと思えば思うほど、心が虚しくなってくる。
……空からは、今にも雨が降りそうだ。
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昼前、もうあと1、2時間程で出発という時間だ。
あれからクリスと別れた後、寮に戻り、戦争のための最後の準備をしていた。
と言っても荷造りは既に終わっているし、他にやることと言ったら家族への手紙を書くくらいだ。
それと世話になった教授や他のクラスメイトに別れの挨拶をしたりするくらいか。
そうやって挨拶周りをしていても、心は沈んだままだ。
そりゃそうだ、クリスとあんな別れ方して明るく振る舞えるわけがない。
ま、これから戦争に行く、っていうのもあるけど……。
「それで、僕達も疎開することになったんだ。自分の実家が無事な人はそこに、実家が帝国に侵略されちゃったって人達も、東か南、北の方に疎開するみたいで、これから僕らも準備をしなくちゃいけないんだ」
俺が他の生徒達に挨拶する前、戦争に行かない生徒を大講堂に集めての説明会があって、それを聞いてきたアールが言うには、皆安全な場所への疎開が決まったらしい。
俺は教授やクラスメイト達に挨拶を交わした後、こうして俺とバシルの部屋でアールの話を聞いていた。
「そうか……確か、アールの実家はパトロスだったよな?」
「うん、そうだよ。イリーナも一緒に帰るんだ」
バシルが荷物の最終確認をしながらアールと話をしている。
確かパトロスってイリーナの所の実家が治めてるんだっけ?
「イリーナと言えば、実家がクラスニコフ侯爵家だったよな。東部連合と……ドラグライヒとの交易で財を成したとか」
「そうそう。でもイリーナん家ってそのことで翼竜族とよく揉めてたからね~」
「そんなことでよく交易が成り立つな……」
「嫌いだから相手に妥協しない取引が出来たんじゃないの?」
アールもバシルも、お互い穏やかな雰囲気の中で会話を続けていた。
戦争が始まった当初は、バシルもショックを受けていた様子だったが、今ではいつもの調子を取り戻している。
きっと、考えていても仕方ない、って思ったんだろうな。
そんな切り替えの早さが羨ましく思う。
俺は……今もクリスのことで頭がグルグルだ。
こうすればよかったかもしれない、ああすればもっとマシな結果になったのでは、何てことばかり頭に浮かんでは消えていく。
それこそ、今更考えたってしかないのにな……。
「……どうしたのベル? さっきから元気ないけど……」
「そりゃぁ……元気だって無くなるだろうが」
「あー……それもそうだね」
クリスと別れて、戦争に行かなければならない。
そんな状況で元気になれるはずがないだろ。
「でもまぁ、よかったじゃん。カーリちゃんは戦争に行かなくてもよくなったんでしょ? 後はクリスちゃんの為に無事に帰って来るだけじゃん!」
確かに、カーリナが戦争に行かなくてもよくなったのはいいことだ。
きっとカラノスに疎開するだろう。
ただ、クリスのことは……なぁ?
「……クリスとは、もう別れた。どっかの誰かと結婚するんだってよ」
「あぁ~~……うん、まぁ、うん……」
おいヤメロ! なんだその本気で憐れむ目は!
言っとくけど俺は本気で落ち込んでるんだからな!
あ、思い出しただけでまた涙が……うっ。
「おいバカ! 何やってんだアール! 今はそっとしておいてやれよ!」
「だ、だって僕知らなかったんだもん! ご、ごめんよベル! 泣かないでくれよ!」
「う、うるせぇ! 泣いてねーし……」
目から汗が出てるだけだ!
……でも、アールの相変わらずさに、少し元気が出てきた。
次にこんなやり取りが出来るのは、いつになるだろうな……。
「そ、そうだ! ベルに言っておきたいことがあってさ……ほら、前にベルと作ったカメラ。アレをさらに小型化する目途が立ったんだよ! 僕ん家に戻った時に頑張って完成させてみるよ!」
「お前それで完成してなかったら両腕へし折ってやるからな」
「酷くないっスかそれ!?」
「ベルホルトが腕なら俺は足だな。任せとけ」
「足も!? っていうかなんでバシルが!?」
アールをいじっているうちに、段々いつもの調子が出てきたように思える。
なんだかんだとアールとはいい付き合いが出来たと思う。
ここまで一緒にいて楽しい友達なんて、そうそういない。
フェリシアくらいだな、他には挙げるとしたら。
本当に、いい友人に恵まれたな。
その後も、俺達は他愛のない会話を続けた。
バシルが如何にカーリナのことを想っているのか、とか。
アールの父親が今日にも今日にもこのファラスに到着するらしい、とか。
俺が旅の途中で買った防具を見せたり、とか。
それぞれ思い思いに言いたいことを言い合っていた。
……悔いの残らないように……。
「……さて、そろそろだな」
「ああ、もうそんな時間か……」
昼を告げる鐘が鳴り響いた。
それを聞いて、俺は立ち上がり、バシルがそれに続く。
忘れ物は……無し。
オークス先生から借りた指輪もしっかり首に下がっていな。
「そっか……もう行くんだね……」
アールは座ったまま、寂しそうにポツリと言ってきた。
そんなアールの言葉を聞きつつ、俺は防具を着てその上から学院のローブを着こみ、用意しておいた背嚢を背負って部屋を出る。
俺、バシルに続き、アールも立ち上がって俺達に付いて出てきた。
俺達は無言で校門に向かい、歩き出す。
途中、俺はどこかにクリスがいないか辺りを見回していたが……彼女はどこにもいなかった。
もう王宮に戻ったのだろう。
せめて最後くらいは笑顔で……いや、もう何も言うまい。
やがて校門に辿り着くと、200人程が集まって既に集まっていた。
戦場に行く生徒がまだ30人に対し、残りが見送りの生徒と教授、と言ったところか。
昨日のオッサン騎士を中心に、20人くらいの騎士が10台くらいの幌馬車の前に集まっている。
また馬車か……。
少しざわついているものの、別れを惜しむためか騒がしいと言うほどではない。
そのためか、他の生徒や教授達と一緒に別れの挨拶をしていたジューダスが俺達に気付いた。
「おお、来たか。アールは見送りか?」
「はい、二人を見送りに」
「教授も見送りですか?」
「ああバシル。俺も見送りだ。もう少し若ければ一緒に付いて行ったのだがな」
結構年だもんな、ジューダスって。
確かオークス先生と同い年だったよな?
「ベルホルト、バシル」
と、不意にジューダスが俺達の名前を呼んだ。
呼ばれた俺達は、その真剣な眼差しに気圧され、その場で居住まいを正して聞く姿勢を取った。
「お前たちがこれから行くのは、戦場だ。俺は戦争の経験なんてないが、それでも危険な場所であることは知っている。だから年若い学生のお前達は、余り無茶をせず、危ないと感じたら逃げろ。自分の命を優先に戦え。いいな?」
「はい」
「分かりました」
どうやら、ジューダスは俺達の身を案じてくれているらしい。
似たような忠告、オークス先生も言ってたよな……。
流石は級友だ。
「ま、お前達なら無事に帰って来れると信じているがな。帰って来たらまた皆で飯でも食いに行こう」
やがて破顔したジューダスが俺達の方を叩き、他の青組の生徒の所へ向かう。
その後ろ姿を、俺とバシルは感謝の念を込めつつ一緒に頭を下げて見送った。
「……そういえば、カーリちゃん達来ないね?」
「……ああ、確かに……どうしたんだ?」
「おいベルホルト、お前カーリナに何かしたのか?」
「してねえよ」
ややもして、頭を上げた俺達にアールは周りをキョロキョロと見まわしながら言うと、俺もそれに倣って周りを見渡した。
確かに、戦場に行く生徒、それを見送る生徒がいるし、赤組の女生徒の姿もちらほらと見るが、何故かカーリナ達三人娘の姿が無い。
カーリナなら真っ先にここへ来ていると思ったのだが……。
バシルの言うように、実はカーリナに嫌われることしたのかな?
「諸君! 全員集まったか!? では点呼を開始する! 呼ばれたものは返事をせよ!」
そうやってカーリナの姿を探しているうちに、オッサン騎士が声を張り上げ、全員の注目を集めると点呼を始める。
一人、また一人と名前が呼ばれ、返事をしていく中、俺とバシルも返事をし、今回徴用された生徒63名全員の確認が取れた。
視界に映る範囲で呼ばれた生徒達の顔を見ていくと、皆様々な表情を浮かべている。
普段通りの者、青ざめる者、既に泣いている者、やる気に満ち溢れている者。
本当に様々だ。
俺? 俺はまあ……カーリナの為に頑張るか、って顔してると思う。
「では全員の確認が取れたので、前の馬車から順に乗り込んでもらう! 乗車せよ!」
オッサン騎士の指示で63人の生徒達は最後の挨拶をしながら、馬車に乗り込んでいった。
「べ、ベル! バシル! ぶ、無事に帰って来てくれよ!」
「ああ。アールも元気でな」
「お前も無事でいろよ、アール」
「うん……うん!」
いつの間にか泣いていたアールに、俺、バシルとそれぞれ応えた。
アールもさっきまでいつも通り振る舞っていたようだが、いざ別れとなると込み上げてくるものがあったんだろうな。
ボロボロ泣いてら。
「……またな、ベルホルト、バシル」
「はい、また」
「必ず戻ってきます」
アールと別れの挨拶をしていた傍にジューダスがやって来た。
それをまた俺とバシルが応え、いよいよ馬車に乗り込もうと背嚢を背負い直す。
……結局、カーリナ達来なかったな……。
見送ってくれても良かったのに……。
なんて思いながら馬車に乗った瞬間だった。
「待って! 待ってお兄ちゃん!」
「お待ちなさいなカーリナ!」
「待って、カーリ……!」
校舎の方からカーリナの声が聞こえ、俺とバシルが慌ててそっちの方を見ると、カーリナが明るい表情で手を振りながら走って来る。
しかし何故か、その背中にはフェリシア達との旅で使った背嚢を背負っていて、カーリナの腕や肩を掴んで止めようとするリンマオやイリーナの姿もあった。
カーリナの姿は何故か、旅装束に防具姿だ。
……悪い予感しかしない。
「カーリちゃんどうしたのその格好!?」
「アール! カーリナを止めて下さいまし!」
「え? どういう……」
カーリナのその姿に驚いたアールだが、カーリナの代わりにイリーナが叫ぶ。
そのイリーナの声に、カーリナの姿に周りは騒然とし、何事かと注目を集め始める。
しかしそんな周りの状況など知ったことではない。
俺は背嚢を置いて馬車から降りると、俺の目の前までやって来たカーリナの両肩にそっと手を添えて向き合った。
「カーリ、何でそんな――」
「やっぱり私も行く! お兄ちゃん達と一緒に行くから!」
「は!?」
俺が聞き終える前に、カーリナはそう言い放つ。
それを聞いた瞬間、俺は頭をガツンと殴られたような衝撃を受けた。
「カーリ……さっきから、そう言って……お兄さん達と、行くって……」
「わたくし達も必死に止めたのですけど、聞かないのですわ」
「リンマオ……イリーナ……」
リンマオの泣きそうな顔なんて初めて見た。
イリーナもどこか焦った様子だ。
ただ、止めようとしてくれた二人よりも、カーリナのことが気になる。
……何でそんなに晴れやかな表情なんだ?
「何か変だと思ったんだよねー。お兄ちゃん何かしたでしょ? 今さらもう聞かないけど、私を置いていくなんて酷いよ!」
「そうは言っても、国王からの指名は外されたんだ、カーリが行くことはないだろ」
「なんで? 今まで一緒にいたじゃない! 修業も、旅も、危ないことも一緒に乗り越えてきたでしょ? だったら今回も一緒に乗り越えていこうよ!」
何だってこの子はこんなに……!
真っ直ぐに俺を見つめながら訴えるカーリナに、俺は焦燥感に襲われた。
このままカーリナが戦場に付いてきたら、カーリナまで危ない目に遭ってしまう。
なんとしてもそれだけは避けなければ!
「何事かね!?」
「待ってくれ、今準備させている……」
「……フム、早くせよ! もう出発するぞ!」
どうやら騒ぎを聞いた馬上のオッサン騎士が俺達の様子を見に来たようだが、それをジューダスが押しとどめてくれた。
ジューダスも遠目から俺に早くしろと訴えかけてくる。
「……とにかく駄目だ。今回ばかりは駄目だ。いくら一緒にやってきたからって……今回は戦争に行くんだぞ!」
「そうですわ、貴方が一緒に行けば、ベルホルトの負担にもなりますわ!」
「お兄さんが、安心して……戦えない!」
「違う! 違うよ! お兄ちゃんに守られてばかりじゃない! 私もお兄ちゃんを守るの! 魔法だって使えるし、格闘ならお兄ちゃより強いし、剣だって振れるよ! だから――」
「それが駄目なんだよ! 俺を守るようなことをしなくてもいい! カーリはカラノスに帰って、自分の身を大事にしろっ!」
「そうだ、今回は俺とベルホルトに任せて、カーリナは安全な所に避難してくれ!」
「み、皆の言う通りだよ! カーリちゃんが行くことはないんだって!」
尚もカーリナは食い下がるが、それを俺達は必死に説得する。
俺も、イリーナもリンマオもバシルもアールも、皆カーリナに戦場に言って欲しくないんだ。
だからこうして必死に説得しているんだが……どうして分かってくれない?
どうすれば……。
…………。
「でも! お兄ちゃんが行くのに私だけ安全な所で――」
「いい加減にしろカーリナっ!!」
「ぅぁっ! ……ぅ……」
乾いた音が鳴り響く。
皆の説得を聞こうともせず、意地でも付いて来ようとするカーリナに、俺は、平手打ちをしたからだ。
やってしまった……カーリナをぶつなんて……。
やった俺自身がショックを受けてしまった。
この世界に生まれてきてからずっと、カーリナとは些細な喧嘩をすることもあったが、本気で殴ったり罵倒したりするようなことは絶対にしてこなかったのに……。
ぶたれたカーリナは、左手で左頬を押さえると一瞬唖然とした様子で俺を見る。
やがてその目から大粒の涙を流し、顔をゆがませ、そして――。
「な、何で……? 私はただ、お兄ちゃんと一緒に、い、行きたかったのに……」
カーリナは小さく呻くように言ったかと思うと、次の瞬間にはキッと俺を睨み、叫んだ。
「お兄ちゃんのバカ! お兄ちゃんなんて大っ嫌いっ!!」
大っ嫌いっ! と、そう叫んだカーリナは、背負った背嚢もそのままに寮の方向へ走り去ってしまった。
そうか、大嫌い……か……。
「あっ! ちょっと待ちなさいカーリナ! カーリナっ!」
走り去って行ったカーリナを、イリーナは追いかけていく。
「お兄さん……カーリを守ってくれて、ありがとう」
「……ああ……」
それだけ言って、リンマオもイリーナに続いて走って行った。
そうだよな……これでよかったんだよな……これで……。
「……ベルホルト、もうそろそろ……」
「ああ」
やがて、馬車の中にいたバシルに促され、俺は再び馬車に乗り込んだ。
馬車の最後尾に座り、また寮の方を見る。
そこへアールが近づいて来た。
「カーリちゃんのことは僕達でフォローしておくよ。だから気に止まないでくれ」
「……ああ」
頼むよ、アール。
そう続けようとしたが、その言葉すら出てこなかった。
言う気力すらなくない。
もう、意識を保つだけで精一杯だ。
「もう、出発しても構わん」
「……そうだな。では出発する!」
全てを見守っていたジューダスが、オッサン騎士を促し、オッサン騎士は馬を先頭に向け、出発の合図を出した。
オッサン騎士の合図を聞いてどこからともなくラッパの音が鳴り響き、やがて馬車が動き出す。
残った生徒は皆手を振って見送り、馬車に乗った生徒達もそれに応えて手を振り返している。
中には馬車を追いかけて見送る生徒もいた程だ。
学院の校門が、見送る生徒が段々と小さくなっていく様を見つつ、俺はボンヤリと考えていた。
カーリナを守るためにクリスのことを諦め、付いて来ようとしたカーリナを、ぶってでも押しとどめた結果、カーリナに嫌われてしまったようだ。
いや、あの子ならきっと分かってくれると思う。
頭のいい子だから。
でも……やっぱり大嫌いなんて言われたら流石に堪えるな……。
馬車が走り出してから、空から雨が降って来た。
やがてその雨足は強くなり、雨の音が強くなる。
まるで、泣いているみたいだ。
いや……泣いているのは……。
次回は6月18日の投稿です。




