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第39話:不穏な足音

 朝、いつものように学生寮の自室で目が覚める。

 ベッドの上で上体を起こし、同じタイミングで起きたバシルと目が合った。


 「……アホ」

 「ボケ」


 うん、いつも通りだ。

 なんだかんだ、バシルとこうやって挨拶を交わすのも習慣となった。

 ただ、変わったことが一つ。


 「バシル」

 「あん?」

 「今日の魔法陣学で使うインク、切らしてしまってさ……ちょっと貸してくれないか?」

 「しょうがねぇな……だったら俺も、応用魔術学で分からないところがあったから、それを教えてくれよ」

 「ああ、分かった」


 それはお互いが少し、素直になったということか。

 今までは意地の張り合いが続いたが、10日前の魔導祭で青組が優勝して以来、俺達の関係は少し変わったんだと思う。


 「で、どこが分からないんだ?」

 「ああちょっと待て、今ノートを見せるから……あーっと、ここだ」

 「どれどれ……なんだよ、こんなことも分からねえのかよ」

 「あ? 何だとこの野郎!」

 「あん? ヤんのかこの野郎!」


 ただまあ、こうやってちょっとしたことで口喧嘩するのは変わらないが……。

 それでも、以前より本気で腹が立つことが無くなった。


 「っと、こんなことしてる場合じゃねえ。早くカーリの所へ行かないと!」

 「あ、待て! 俺も行く!」


 バシルとのメンチの切り合いを止め、俺は急いで朝のトレーニングの支度をする。

 最近ではバシルも毎日一緒にやるようになった為か、コイツも慌てて支度し始めた。

 多分……というかきっと目的はカーリナだ。

 この野郎……汗が滴ってシャツが良い具合に透けてるのを厭らしい目で見るつもりだな!

 そうはさせん!

 なんて考えつつ、俺達はドタバタと慌ただしく部屋を出て行ったのだった。



 _______________________________________________




 「お兄ちゃんもバシル君も弱ーい」

 「……だってよバシル」

 「いやお前もだろうが……」


 朝のグランドで余裕シャキシャキといった様子で立つカーリナに対し、俺とバシルはその場でへたり込んでいた。

 本日のトレーニングの成果:カーリナ対俺&バシル、0勝3敗。

 勿論0勝なのは俺達だ。

 男二人掛かりで情けねぇ……。


 「バシルがあんなとこで蹴りなんかするから……」

 「なんだと? そんなこと言ったって、ベルホルトもあそこで無理やり飛び掛かるから……」

 「うるせえ! お前のせいだろ!」

 「ああん!? お前のせいだろ!」

 「あははは! 二人ともまだ元気だね!」


 なかった。

 ここ最近は……というか魔導祭が終わってからカーリナは、こうして笑顔で俺達の喧嘩を見守っていることが多くなった。

 やっぱりカーリナも、俺達の変化を感じていたのかもしれないな。


 そしてアホだのボケだのと、しばらく益体のない罵り合いをしていた時だった。


 「あっ! いた! おおーい、三人ともーー! たい、大変だーー!!」

 「あ、アール君だ。おはようアール君! そんなに慌ててどうしたの?」


 何やらうるさい声が聞こえてきたと思ったら、アールだった。

 どうやら俺達を探していた様子で、俺達の姿を見るやこちらへと走って来たようだ。

 珍しく必死の形相だ。何かあったんだろうか?


 「お、お、おち、おち、落ち着いてきき、聞いてくれよ!」

 「お前が落ち着けよ」

 「あ、ああそうだねバシル……ひっひっふぅー、ひっひっふぅー……あ、ところで今日の朝ごはんは何かな?」

 「……」

 「…………」

 「ぷっ! あはっはははははは!」

 「あれ? 僕何かおかしいこと言った?」


 ……慌てすぎだろ、とか、何でラマーズ法なんだ? とか、色々突っ込みたいことがあるが……要件を忘れてんじゃねぇよ……。

 アールのせいでカーリナが笑いのドつぼに嵌っちまっただろうが。


 カーリナの笑い声をBGMに俺とバシルはチラッと目を合わせ、バシルがアールから用件を聞きだすことに。


 「要件を先に言ってくれ」

 「あっ! そうだった! 実はね! なんとね! 僕の父さんが国王から勲章を貰うことになったんだよ!」

 「おお、マジか。おめでとう」

 「へぇ……それは凄いな!」


 それって普通に凄いことなんじゃないのか?

 確かアールの実家って、魔道具を作ってたんだよな?

 それで優秀なものを作ったから勲章を貰ったのだろうか。

 だとしたら、本当に凄いことだ。


 「そうなんだよ! さっき手紙が来てさ、今こっちに向かってるらしいんだ!」

 「凄いね! アール君のお父さんも、何でも作れるんだね!」

 「えへへ! 僕の自慢の父さんだからね!」


 笑いの海から帰って来たカーリナからも言われたアールは、心の底から誇らしげな様子で胸を張っていた。

 魔道具や魔法陣の知識から察するに、かなり尊敬しているんだろうな。

 なんだか俺も、ビクトルに会いたくなってきた。


 ……ここで前世の父親と言わない辺り、いつの間にか俺も、この世界にいることが当たり前になったようだ。


 「……なら今度の休み、アールの奢りで飯食おうぜ」

 「いいね~! 僕も奮発して皆に……って、なんでだよベル!?」


 ちっ、騙されなかったか……惜しかったのに。


 「アール君、イリーナやリンちゃん達にも言った?」

 「あ、まだ言ってないや」

 「じゃあさっさと朝飯食いに行って、そこで報告してやろうぜ」


 カーリナに聞かれ、まだ言っていないイリーナとリンマオに報告すべく、バシルを先頭に俺達は寮へと戻ることにした。

 イリーナもアールと幼馴染だから喜ぶだろうな。



 _______________________________________________




 「まあ! それは大変名誉なことですわね!」

 「凄いね……アールのお父さん」

 「いや~、それ程でも!」


 朝食を食べる為に食堂に来て食事を持ってテーブルに着いた途端、アールは早速イリーナ達に今朝のことを報告した。

 食事を食べつつ、二人の可愛い女の子に褒められたアールは、デレデレと嬉しそうに後頭部を掻いている。

 それはもうデレデレだ。

 なんかもう鼻の下とか伸ばしてるし。

 まあイリーナもそれなりに嬉しそうに喜んでいるし、よかったじゃないかアールよ。


 「そんなことより」

 「え? 今そんなことよりって言った? ねえ今そんなことよりって言ったリンちゃん?」

 「バシルに……手紙、預かってる」

 「ん? 俺に?」


 おおっと! リンマオは早速アールの話をぶった切ったぞ。

 これにはアールも困惑した様子だ!


 いやそれよりも、リンマオが預かったっていう手紙、よく見たら花柄の可愛らしい手紙だな。

 というかそれって――。


 「ラブレターじゃねえか」

 「1年生の、後輩から……渡してって」

 「うぁ、バシル君モテモテだねー」

 「そういえば、この間の魔導祭が終わってからバシルやベルホルトのことを聞いてくる子が増えましたわね」

 「え? あの、皆僕のはな……」

 「……」


 俺が思わずついて出てしまった言葉に、皆様々な反応をしていた。

 それまでチヤホヤされていたアールも、いきなりバシルの話に変わったことでちょっとしょんぼりしている。

 バシルなんて眉間に皺が寄って難しい顔になっていた。

 いいんだよバシル君。それを機にカーリナから離れても。

 というかいい加減に諦めろ!


 「それでバシル、貴方、それを貰うのは初めてですの?」


 と、イリーナはニヤリと笑いながらバシルに問いかける。

 それに対してバシルは困ったように答えた。


 「いや……3通目だ」

 「バシルだけじゃない……青組が、結構人気……出てる」


 そうか、バシルだけじゃなくて青組全体が今モテ期なのか……。

 バシルが3通もラブレター貰ってるんだ、やっぱりあの魔導祭の活躍が聞いたんだろうな。

 ……俺は1通も貰ってないけど。


 悲しいかって? いやこれが全然悲しくないんだよ。

 だって俺には……クリスがいるから。


 「それだけお手紙貰ってたら、もう私のことはいいよね?」

 「なに言ってんだ! 俺はカーリナ一筋だ!」


 恐らくカーリナは冗談のつもりで言ったのだろうが、その言葉に過剰に反応したバシルがその場に立ち上がり、大きな声で恥ずかしいことを言い放った。

 やがて周りの視線を気にしたのか、バシルは恥ずかしそうに俯き気味になって座り直す。

 うん、よし。お前後で覚えておけよ。


 「……あはは、ありがとうバシル君」

 「カーリ!?」


 あれ? なんでだろう? カーリナの顔と耳が赤くなってないか?

 なんか満更そうでもないし……え? どういうこと?


 「あ~……これはカーリちゃんがバシルに取られちゃうかも――ってそんなに怖いかをしないでくれよベル」


 それは君が不用意なことを言うのが悪いんだぞアール。


 「お兄さんは……何も貰ってないの?」

 「あらリンマオ。そう言う野暮なことは聞くものではなくてよ?」


 俺がアールを睨んでいたところに、いつも通りの無表情な顔のリンマオが手紙を貰っていないかを聞いてきたが、それをイリーナは揶揄うようにして言った。

 そして何故か二人とも、俺のことを好奇の眼差しを送ってくる。

 いや言いたいことは分かるんだけどさ……。


 「お兄ちゃんにはクリスがいるもんね?」

 「……」


 ハッキリ言っちゃったよこの子は……。

 それも俺達仲間内に聞こえて、尚且つ他の生徒には聞こえない絶妙な声量でだ。

 何とも器用なことをする……。


 「あ、僕もそれ聞きたいなー」

 「ああ、俺も気になるぞ」

 「……ごちそうさん」

 「あ! お兄ちゃん逃げた!」


 失敬な。これは戦略的撤退というものだ。

 とまあ、そんな感じで俺は、空になった食器が乗っているトレイを持って足早にその場を去った。

 このままではカーリナ達のおもちゃにされてしまうからな。

 大人しく撤退しておこう。


 決して決して恥ずかしいとか理由じゃないからね!

 ……多分俺の顔は真っ赤だと思うけど。



 _______________________________________________




 6時間目の授業まで終わり、今は7時間目の選択授業の時間だ。

 7時間目の選択授業ではいつも治療魔術の授業を選択していて、魔導祭以来、同じ時間に治療魔術の授業を受けるようになったクリスと一緒に授業を受けていた。


 魔導祭で優勝して以来、白組が……ブラウが俺とクリスとの邪魔をしてこなくなったのは喜ばしいことだ。

 渋々、と言った様子だったが、約束通りブラウがカーリナに頭を下げてくれた。


 『み、見下すようなことを言って、す、済まなかった……』

 『しょうがない、許してあげよう!』


 あの時のブラウや、後ろに控えていた取り巻き連中の悔しそうな表情が、実に見応え抜群だったな……。


 それだけじゃない。あのメコーニにもちょっとした変化があった。

 あのキノコ野郎、廊下で俺とすれ違う度にギョッとした顔で逃げるようにして去って行き、廊下の端を歩くようになったのだ。

 後で聞いた話だが、あのキノコ、本当に俺が魔法を使うとは思ってもいなかったらしく、それも上級魔法まで短詠唱で使う姿を見て盛大にビビったらしい。

 自分は全詠唱でやっと安定して初級魔法が使える程度だそうだ。

 ま、それぞれ得意不得意があるよ。うん。


 「ベルホルトさん。治療魔術と魔法、この違いとは何でしょうか? 私、未だによく分からなくて……。」


 俺のすぐ左側に座り、一緒に授業を受けていたクリスが可愛らしく首を傾げながら聞いてきた。

 教授は講義に夢中で、他の生徒も話を聞くのに必死だからか俺にしか聞こえないような声量だ。

 因みにテレジアは教場の一番後ろで直立不動で立っている。


 ああ……この透き通るような声を独り占めすることが出来るとは……。

 もう今すぐ抱き着きたいくらい頭に響いてくる。

 カーリナ以外に天使がここにいた。


 こんな可愛い子に頼られるなんて、男冥利に尽きるな!


 「俺もそこまで詳しいわけじゃないけど……治療魔術は傷を治すことに特化しているんだ。上級魔術の『グランドヒール』だと取れかけた腕も綺麗にくっつけることが出来るらしい。治療魔法は、例えば体の中の機能不全を治したり、毒を中和したりするのに特化してるんだよ」


 要は治療魔術が外科的、魔法が内科的な治療を施すことが出来る。

 かなり大雑把な説明だけど。

 あと、治療魔導になってくると切り落とされた腕をくっつけたり、血を増やすことも出来るらしい。


 「成程……じゃあ、お腹が痛いときに使うのは治療魔法なのですか?」

 「ん? う~んどうだろうか? 腹が痛い、の理由にも由るんじゃないのか? 毒とか食中りとかだと魔法を使えばいいのかもしれないが、げ……腹下しの時とかは使えないと思うぞ?」

 「そうですか……ありがとうございます」

 「……うん、どういたしまして」


 そもそも下痢程度で魔法を使うのももったいない気がするが……。

 しかし、そんな俺のハッキリしない答えに一応納得したのか、まるで花が咲いたかのような笑顔を見せながら礼を言ってきた。

 その笑顔を見ていると、本当に転生してきてよかったと思うよ。


 ……これはただの己惚れかもしれないが、クリスは単純に俺と話がしたかっただけじゃないのだろうか?

 こうして二人仲良く座って授業を受けられるようになってからクリスは、前よりも積極的に話しかけてくるようになったと思う。


 というかあれだな、俺達、恋人同士ってことでいいんだよな?

 10日前に告白して、抱きしめて、キスもした。

 クリスは俺の気持ちを受け入れてくれたんだし、俺達は恋人同士でいいはずだ。


 ただ、10日も立った今でもあんまり実感が湧かないっていうか、本当に恋人として認識していいのか? って思ってしまっている。

 いや、俺達は好き合っているんだ、恋人同士っていうことで良いに決まっている!


 しかし今更かもしれないが、こうして俺とクリスが仲良くしている姿を見て周りの人達はどう思っているのだろうか?

 テレジアは複雑な気持ちだろう。俺とは別れて欲しいと思っているかもしれないし。

 カーリナも思う所があるだろうな。

 他の生徒達は――。


 「ベルホルトさん」

 「ん? なんだ?」

 「……いいえ、ごめんなさい。なんでもありません」


 他の生徒のことなんてどうでもいいか!

 だってこんな、一瞬目が合っただけで照れる可愛い子と一緒にいられるのに、周りの目なんて気にしても仕方がないもんな!

 なんだよー、このバカップル感丸出しの雰囲気は!

 あー、ブラウに勝ってよかったー!


 そんなこんなと小さなことで有頂天になる午後の昼下がりであった。



 _______________________________________________




 7時間目も終わり、ホームルームの為に2年の青組の教場へと戻って来た。

 俺の左隣にはアールが、右隣にはバシルが座っていて、三人で今度の休日の予定をどうするか決めるのが最近の流行りだ。


 「でさー、僕この間美味しいお店を見つけたんだよ。お菓子屋さんだけど」

 「おいそれイリーナと一緒に行ったときの話じゃないのか?」

 「え? そうだけど……バシルなんで知ってるの?」

 「そりゃぁ、カーリナから聞いたからだ」


 とまあ、こんな具合にジューダスが来るまで駄弁っていることが多くなった。

 どこそこの店が美味しいから今度行こう、とか、あそこの店のノートが安い、とか、どこかの裏路地ではエッチな店がある、とかそんなしょうもない話だ。

 でもそんなしょうもない話が、俺は好きだけどな。


 「カーリから聞いたってお前、いつカーリと話をしてるんだよ?」

 「……内緒だ」

 「あん? 俺に隠し事するつもりか?」

 「まあいいじゃんベル。カーリちゃんもお年頃なんだし」

 「よくねえよ……」


 以前は、俺とアールだけで会話することが多かったが、魔導祭以来、バシルが自然とこの輪に入って来てそれを俺は自然に受け入れた。

 それだけ俺とバシルは、お互いのことを認め合うようになったのだろうな。


 「じゃあまた今度皆で一緒に――」

 「大変だ! た、大変だ!!」


 いつもの調子で俺達を誘うとしたアールが途中まで話していた時だ。

 教場の扉が突然勢いよく開かれ、そこにクラスメイトが慌てて入って来る。

 それまでザワザワとしていた教場も、そんな彼の様子を見て一気に静かになった。

 なんか事件っぽいな。


 「どうしたんだ? そんなに慌てて……」

 「どうしたもこうしたも! 魔神が復活した!」


 入って来たクラスメイトの様子を見かねたバシルが問いただすと、そのクラスメイトは教場全体に響き渡るようにして言い放つ。

 ……て言いうか、え、マジ? 復活したの? 魔神が? やったじゃんオークス先生。


 「今さっき、学校のラジオの放送でやってて、それでっ――」


 うんうん、それで?


 「それで帝国が……大アレキサンドリア帝国がハルメニアに宣戦布告したんだよ!」


 …………。


 ……は? 何だって?


 「……冗談だろ?」

 「冗談じゃない! 今ラジオで言ってたんだよ! イグナティオス王が!」


 誰も彼もが唖然としていた中、教場内の誰かがポツリと言ったが、しかしすぐに否定され、あまつさえこの国の王様の名前まで出てきた。


 イグナティオス王が、この国の……ハルメニアの国王が直にラジオを通して国民に伝えたのだと。


 そう、か……戦争になったのか……。


 「西の方は……コイノスはどうなったんだ? 俺の故郷は?」


 急に立ち上がったバシルが真っ青な顔で故郷の安否を聞く。

 コイノスって確か、カラノスみたいに国境にある町だってバシルから聞いたな。

 ……心配しないハズが無いよな……。


 「わ、分からない……そういうことは何も言ってなか――」

 「皆いるか? 席に着け」


 故郷を案じるバシルに答えようとしたクラスメイトだったが、その途中で入って来たジューダスに遮られ、慌てて席に着いた。

 ジューダスも今までに見たことのない険しい表情だ。

 彼は教壇に立って教場内の生徒達を見回し、重々しい空気の中、口を開いた。


 「……皆、既に来たと思うが、先ごろイルマタル海で帝国と東部連合による海戦が行われ、その途中、魔神エルメスが復活した。それを受けてかどうかは知らんが、帝国は我が国に対し、宣戦を布告。現在西部では戦闘が行われているものと思われる」


 淡々と説明するジューダスの言葉が教場内に響くばかりで、他の音や声が全く聞こえてこなかった。

 誰も身じろぎもせず、不安な表情で、険しい表情で、或いは今にも泣きそうな表情でジューダスの話を聞いている。

 バシルはまだ顔が真っ青だし、アールは不安でいっぱいな様子だ。

 俺も眉間に皺が寄っているだろう。


 ただ、この時俺は、どこか他人事のように受け止めていた。

 バシルにとっては最悪の出来事なのに、俺は東が戦場じゃなくてよかったとホッとしてしまった自分がいて、この時ばかりは自己嫌悪に陥ってしまった。


 だがそれも、ジューダスの次の言葉を聞くまでだったが。


 「そこで、国王からの命により、この学院から優秀な生徒を戦地に送ることが決まった。今から言う生徒は、これから第3教場で説明を受けてもらう」


 ドクン、と心臓の鼓動が大きく脈打った音が聞こえた。

 優秀な生徒を戦地に送る。

 己惚れるわけではないが、そうなると魔法が使える俺が――。


 「……ベルホルト・ハルトマン、アウグスト・グリントニウス、バシル・ダヴィド――」


 ああ、そんな一番に言わなくても……。

 ……そうか、戦争に行かなきゃならんのか。

 なんか、あんまり実感がわかないな……。


 「――以上だ。今呼んだ5人は今すぐ来てくれ。他の者は、自室待機だ」

 「……おいベルホルト。行くぞ」

 「え? あ、ああ……」


 名前を呼び終えたジューダスが教場のドアを開け、今呼んだ5人が来るのを待っていた。

 そんな中、茫然としてしまったところをバシルに促され、俺は立ち上がる。

 そう言えば、バシルも呼ばれてたな。


 「ベル……」

 「あー……行ってくる……」


 心配そうに見上げてくるアールに、俺は力なく告げると、バシルや他の3人と一緒にジューダスの後に付いて行った。


 ジューダスについて廊下を進んで行く中、俺達は5人とも死んだ魚のような目をしていたと思う。

 そりゃそうだ。誰も嬉々として戦争に行きたいなんて思わんだろうさ。

 ……いや、ただ一人バシルだけは生気の籠った目で前を見ているような気がする。

 人の目なんて見ても一緒のように思えるが、なんとなく、バシルだけは俺達と違う目をしている気がしたのだ。


 「……バシル、お前なんでそんなにやる気なんだ?」


 いてもたってもいられず、俺はバシルにそう問いかけた。

 故郷が侵略されたかもしれないというのに、コイツは何でこんなにやる気なんだ?

 さっきまで青い顔していたのに、何がコイツを駆り立てるのか。

 それが分からない。


 「……家族が無事ならそれでいい。戦地に行って、家族を守るために戦うだけだ。ただ、もう家族が殺されていたら……その時は仇を取ってやればいい。そう、思っただけだ」

 「……そうか……」


 なんて真っ直ぐな奴なんだろうか……。

 俺はそんな真っ直ぐな考え方や生き方なんてできないと思う。

 もし、俺がバシルの立場だったら? カラノスが滅茶苦茶になっているかもしれない、ビクトルやビアンカ、それにアルフレッドが酷い目に遭っていたら? 最悪の場合、もうすでにしん……。


 ……駄目だ。

 そんなこと、想像すらしたくない!

 でも、バシルはそういう最悪のことも覚悟して前を見ているんだ。

 ……強いな。

 まるで物語の主人公みたいだ。


 「ここだ。入れ」


 そうこうしているうちに、第3教場に辿り着き、扉を開けたジューダスと一緒に俺達は教場に入った。

 教場内には既に60人程生徒が集まっていて、皆一様に不安と絶望に染まった表情だ。

 よく見ると白組の生徒も4人程いるが、他のクラスに比べると圧倒的に少ない。

 いや、赤組も見かけないが……白組はあれかな? 親が貴族ばっかりで気を遣ったのか?

 ま、別に俺がどうこう言える問題じゃないがな。

 それぞれ席に着いていたので、俺達も適当に座ろうとした時だった。


 「あ、お兄ちゃん……バシル君……」

 「カーリ……!」

 「カーリナ……君も呼ばれたのか?」

 「あはは……うん、女の子は私だけみたい……」


 俺達が座ろうとしたすぐ近くに、カーリナがいたのでその傍に座ることに。

 そうか、カーリナまで呼ばれたのか……。

 というか、カーリナに言われて気が付いたが、呼ばれた生徒の中で女子はカーリナ一人だけだ。

 これは一体、どういうことだろうか?


 そんなカーリナも、いつもの明るい笑顔ではなく、不安そうに力なく笑っていた。

 流石のカーリナも、戦争に駆り出されれば元気もなくなるだろうさ。

 そもそも何故カーリナが……カーリナだけ(・・・・・・)がここにいるんだ?

 他の女子は呼ばれていないのか?


 「……私、さっきまで不安だったけどお兄ちゃん達がいるなら、私平気だよ?」


 俺の顔を見て何を思ったのか、カーリナはいきなりそんなことを言い出した。

 どういうことだ? 俺はそんなに心配そうな顔をしていたのか?

 いや心配はしてたけどさ……。


 「そもそも何でカーリが呼ばれたんだよ……。戦争に行くことなんてないだろ」

 「……あはは、なんでだろうね……」


 本人に言ってもしょうがないことを言ってしまった……。

 言われた本人も、ただ困ったように笑っているだけだ。

 そこにはいつもの元気で明るいカーリナの姿はない。

 ホント、何でこうなったんだろうな……。


 「おい、教頭が入って来たぞ」

 「ああ……」


 集まった生徒達が、教場の扉を開いて入って来たターナー教頭に注目する。

 ターナー教頭が入って来たかと思うと、その後ろから騎士の恰好をした男が二人入って来た。

 どちらも立派な装飾の防具を着て、腰には剣を帯びている。

 一人は口髭を蓄えたオッサンで、もう一人は青年だ。

 二人の騎士は教卓に立つターナーの後ろに控えた。


 「集まったな。早速だが説明を始めるぞ……では、お願いします」


 最初、ターナー教授が生徒の数を確認した後、オッサン騎士に場所を譲り、説明を促す。

 オッサン騎士は俺達を険しい表情で見渡した後、「ウオッホン!」なんてわざとらしい咳払いをして説明を始めた。


 「諸君! もう報せは聞いておると思うが、昨日イルマタル海にて魔神エルメスが復活した! 大アレキサンドリア帝国はその阻止に動いていたが失敗し、次なる目標として我が国に宣戦を布告! 現地からの情報によると、敵は40万の軍勢で侵攻しておる! 戦地では少しでも戦力が必要であるため、ハルメニア全国から戦力を掻き集め、南西部のアルコン砦、北西部のメノン城塞に振り分けられることとなる! これは国王陛下からの命であり、果たさなければならない任務なのだ! その栄誉ある命に諸君らは選ばれ、栄えある王国の兵士として従軍することとなった! これはつまり――」


 以降、オッサン騎士は長々と兵士になるありがたみを説き、熱弁を振るっていた。


 ふざけんな! 何が栄誉だ! 要は国がやばいから学徒出陣しろってことだろうが!

 そのために俺は、カーリナは呼ばれたのか!?

 そう思うだけで、俺の心の中は怒りで一杯になった。


 「――因って、諸君らには栄光あるこの王国の為に戦ってもらう! 以上! 質問はあるか!?」

 「はい」

 「うむ! では君!」


 長ったらしいお話が終わり、質問を受け付けたオッサン騎士に、真っ先に手を挙げたのはバシルだ。

 バシルはオッサン騎士に指名されるとその場に立ち上がった。


 「先ほど、俺達は南西部のアルコンと北西部のメノンに配属されると聞きましたが、国境沿いのクレイトスの街へは配属されないのですか?」

 「……クレイトスは、早々に放棄された。現在は焦土作戦を行いながら撤退し、防衛線が南西のアルコン、北西のメノンに設定された。そのため、諸君らにはアルコン、メノンに向かってもらう! 質問は以上か?」

 「……はい」


 オッサン騎士の説明を聞いたバシルは、愕然とした表情で座り直す。

 焦土作戦。

 敵に略奪や徴発されないように自分達で最初から村を焼き、町を破壊して敵の進行を遅くする作戦だ。

 流石に自国民まで殺して回ることはないだろうが、それでも自分の生まれ育った故郷が焼かれたのかもしれないと思うと、やっぱりショックを受けるだろうな……。


 「他に質問はあるか?」

 「はい」

 「よし、君!」


 次の質問の受付で俺は真っ先に手を挙げ、指名されたのでその場に立ち上がった。


 「俺の妹が、女子生徒の中で一人だけ選ばれたのですが、どういうことですか?」


 勿論質問内容はカーリナのことについてだ。

 一体何故、カーリナだけが女子の中から選ばれたのか、その理由が知りたい。

 俺は真っ直ぐにオッサン騎士を睨みつけ、その答えを待った。


 「妹……もしかして君達はハルトマン兄妹かね?」

 「はい、そうですが……」


 なんで俺達のこと知ってるんだ?

 俺とその隣のカーリナを見たオッサン騎士は、やや険しい顔付きで続きを話す。


 「君達は国王陛下から名指しされたのだ! ハルトマン兄妹は必ず今回の選抜に指名せよ、とな。陛下に名指しされたのだ、何か悪いことでもしたのかね? 何か心当たりは?」

 「ありませんよそんなの!」


 思わず大声で反論してしまった。

 そもそも何故俺達が国王から名指しで指名されたんだ?

 何も悪いことはしていないぞ!

 隣のカーリナをチラッと見ても、顎に手を当てて「何かしたかな?」なんて首を傾げながら小さく呟いている。


 心当たりも、思い当たる節も、まったくない!

 なのになんで……。


 「なんで俺達が!? 俺達は何もやってません! 国王から指名されるようなことは――」

 「ハルトマン! これはもう決まったことなのだ! もう座っていろ!」

 「っ! ……はい……」


 なおも抗議しようとしたが、ターナー教頭にしっ責され、その場に座り直した。


 なんでなんだよ……。

 俺は別にいいさ。行けと言われたら大人しく行ってやるよ。

 だけどカーリナは行っちゃ駄目だろ。

 女の子で、まだ15歳だぞ? これから色んな事をして、色んな物を見て、恋愛もして、大人になっていくのに、何で戦争に駆り出されなきゃならないんだよ!

 なんで……。


 俺はただ悔しかった。

 悔しくて、泣きそうになりながら、でもそれも堪えてオッサン騎士を睨みつけ、両手の拳を強く握る。

 なんとしてでもカーリナを守らないといけない。

 そう思った時だった。


 「大丈夫だから。さっきも言ったけど、お兄ちゃんが一緒だから怖くないよ」

 「……」


 カーリナは、俺の右手に手を乗せ、まるで子供をあやすかのように言い聞かせてきた。

 視線だけ彼女に送ると、やっぱりビアンカの子供なんだな、って思えてくる。

 なんというか、その微笑み方がそっくりだった。

 いつもは天真爛漫なのに、こうやって微笑む時は慈悲深い顔だ


 その言葉に、その微笑みに気持ちも少し落ち着いたが、それでもカーリナの言葉に応えてやれなかった。

 もしそれに応えてしまうと、カーリナが戦場に行くことを容認してしまうからだ。

 ……何とかして、カーリナをその指名から外さないと……。


 「他に質問が無いようなので、以上で説明を終える! 早速だが諸君らは明日の昼過ぎに出発してもらうので各人準備を怠らないように! 以上! 解散!」


 いつの間にかオッサン騎士の説明が終わったらしく、若い騎士を連れてオッサン騎士は足早に教場を出て行く。

 その後をターナー教頭が付いて出て行ったのだが、教場を出る間際、ターナー教頭は俺の方をチラリとみてから出て行った。

 なんだか少し、申し訳なさそうな表情だったな……。


 彼らが教場を出て行ったのを皮切りに、集まった他の生徒達も次々と自分の部屋に戻って行った。


 「ターナー教頭なりに、バルホルト達のことで食い下がってはいたんだ」

 「ジューダス教授……」


 ターナー教頭を見送っていると、いつの間にか後ろにいたジューダスが声を掛けてきた。

 曰く、俺達のことで抗議らしきことはしてくれたみたいだ。

 結局は覆らなかったようだが……。


 「……心当たり、というか、お前達が指名された理由は、多分、ベルホルトがクリスティアネ殿下と好き合っているという噂が、国王の耳に入ったのかもしれん」


 それが理由なのか? いやそうとは決まったわけじゃないが、もしそうだったとしたら、それだけの理由で俺は……カーリナは戦場送りになったっていうのか?

 俺が戦場に送られるのは分かるが、何故カーリナまで……。

 いや、まだその噂が理由とは決まっていない。

 他に何か理由があるはずだ。

 じゃないと、カーリナまで戦場に送られる理由が説明できない。


 「ベルホルト、カーリナ、ジューダス教授。俺は早速準備をしてきます」

 「おい、もう準備するのか?」

 「ああ、時間が迫っているからな」


 今まで黙っていたバシルは立ち上がり、準備の為にと言って他の生徒と一緒に教場を出て行こうとする。

 その目には覚悟が出来ているようだった。

 いつもならカーリナに一言二言話しかけていくのだが、それもせずにこの場から去って行く。

 それだけ覚悟が出来ているってことか……。

 しかしバシルが教場から出ようとしたところ、急に生徒が入って来たのに驚いて体をのけ反らせていた。


 「おっとと……ってクリスティアネ殿下!」

 「ああバシルさん、申し訳ありません! ベルホルトさんとカーリちゃんはいらっしゃいますか?」

 「ん? ああ、ベルホルトとカーリナならあそこに……」

 「ありがとうございます!」


 その生徒は……というかクリスだ……彼女は俺とカーリナを探していたようで、ぶつかりかけたバシルに気が付き俺達の場所を聞いていた。

 なんか慌てているな。

 まあ無理もないか、想い人や友達が戦場に送られるって聞いたら、中々冷静にはいられないだろうさ……。


 バシルに俺達の位置を聞いたクリスは、やや遅れて入って来たテレジアを伴って俺の所にやって来ると、今にも泣きだしそうに顔を歪め、机越しに俺とカーリナの手をまとめて握ってきた。


 「お二人が戦地へ赴くと聞いて私、居ても立っても居られなくて……」

 「クリス……」


 どうやら相当心配してくれているみたいだ。

 今にも涙が溢れ出しそうになっていながらも、それを堪えている。

 そんな顔、しないでほしいな……。


 「……あー、俺はもう行くから、皆、準備は早めにしておけよ。家族への連絡もな」

 「あ、はい……」


 俺とカーリナとクリスの雰囲気を察したのか、ジューダスは余所余所しく俺達の傍から離れて行った。

 それに続いて他の生徒達が、俺も俺も、とジューダスに続いて出て行く。

 なんか悪いな。気を遣わせたみたいで。


 やがて他の生徒達もいなくなったこの教場内には、俺とカーリナに、クリスとテレジアだけとなった。


 「そんな顔しないで、クリス。私達、もう会えない訳じゃないから」

 「でも、戦争なんですよ? もし二人の身に何かあったらと思うと私……」

 「ああっ! 泣かないでよクリス!」


 カーリナはいつもの調子でクリスのことを元気づけようとしたが、それでもクリスの表情は晴れない。

 それどころか、ついにはその目から涙を流してしまうほどだ。


 「それに、父上……陛下がお二人をご指名されたと聞きました。何故陛下がそう御命じなされたのかが分からなくて、私、本当に申し訳なくて……」

 「……」


 泣きながら謝るクリスに、俺は一瞬、俺とクリスの噂のことを言ってしまいそうになったが、口に出掛かった言葉を呑み込む。

 きっとそれを言ってしまえば、クリスは自分を責めるかもしれないし、まるで俺とクリスが恋人同士となったことが悪いことのように言ってしまうのも癪だったからだ。


 そんな俺とクリスの様子を見て一瞬自分も泣きそうになったカーリナだが、彼女はそっとクリスから手を放すとその場に立ち上がった。


 「え?……カーリちゃん?」

 「……後は、お兄ちゃんと話をしてて。私も準備してくるから」

 「あ……はい……」


 ……どうやら、カーリナにも気を遣わせてしまったみたいだ。

 いや、もしかしたらカーリナは、自分が泣いている姿をクリスに見せたくなかったのかもしれないな。

 もしここで泣いてしまえば、クリスにもっと心配させてしまうかもしれないと、そう思ったんだろう。

 本当に優しい子だ。


 「じゃ、お兄ちゃん。先に戻るね?」

 「ああ……」

 「……私も、廊下で待っています」

 「テレジアまで……」


 教場を後にするカーリナに、テレジアも付いて行った。

 廊下で待っててくれるらしいが、クリスと二人っきりで話していてもいいってことなのか?

 ……ちょっとはテレジアにも認められたのかな?


 やがて二人が教場から出て行くのを見た俺は、クリスを隣に座らせ、その肩を抱き寄せた。


 「……大丈夫だから。俺もカーリナも、無事に戻ってくるからさ……いつもの笑顔で見送って、そして出迎えてくれ」

 「……はい」


 クリスの方を強く抱き寄せ、俺はクリスに囁きかける。

 クリスも体の力を抜いたのか、俺に身を寄せ、赤ん坊のように俺のローブにしがみ付く。

 そしてか弱い声で返事をしたクリスは、涙が溢れているその目で俺の目を真っ直ぐと見つめると、懇願するように言ってきた。


 「約束してください。必ず、カーリちゃんと無事に帰って来ると」

 「……ああ、絶対に戻ってくるよ。カーリナもそうだし、バシルや他の生徒達と一緒にな」

 「約束、ですよ?」

 「ああ、約束だ」


 また、約束をしてしまった。

 でもしょうがないよな、こんな可愛い恋人に言われたら誰だって約束するさ。

 そうでなくても、俺はカーリナや、クリスの為に生き抜くつもりだ。


 そう、心に誓いながら、俺達は真っ直ぐお互いを見つめ合い、クリスの頭を優しく支えて顔を近づけた。

 そしてクリスは目を閉じ、俺になすがされるまま、キスをした。

 今回は長く、お互いを感じるようなキスだ。


 前回したキスとは違い、今回はしょっぱい。

 いや、そんな感想はどうでもいい。

 キスをし終えて離れると、クリスは照れたように俯く。

 そんな可愛い姿を見ていると、このままいつまでも一緒にいたいという気持ちになってきた。

 が、当然このままじゃいけないのは分かっている。 

 俺も準備をしないといけないからだ。


 名残惜しいが、俺はクリスの方から手を放し、彼女の手を取って一緒に立ち上がった。


 「あ、ベルホルトさん?」

 「俺も、もう行かないと」

 「……そう、ですね……」


 ああ、そんな切なそうな顔しないでくれ。

 俺の決心が揺らいでしまいそうだ……。


 「私も、王宮の方へと赴かなくてはなりませんし……いつまでも、こうしてはいられませんね……」


 やがて気持ちを切り替えたのか、クリスもいつもの……とはいかないが笑顔を見せてくれた。

 どうやらクリスにも用事があるらしい。

 というかその王宮に行くのだって、件の噂について問い質されるんじゃないのか?

 なんかちょっと不安になって来た……。


 「ベルホルトさん?」

 「ん? ああ、何でもない。行こうか」

 「はい」


 そんな些細な不安を払拭するかのように、俺はクリスの手をしっかりと握って教場の扉へと向かって歩き出した。

 それにクリスもしっかりついて来てくれる。

 扉まで10メートルもないが、それでも俺達にとっては恋人として一緒に歩く道なんだ。

 この数歩をしっかりと噛みしめて歩こう。


 せめて、何があっても後悔しないように。



 _______________________________________________




 夜。

 学生寮の自室に戻り、戦争の準備の為にバシルと部屋中をひっくり返し、必要な荷物をまとめていた。

 フェリシア達と旅した時に買った防具を取り出し、異常が無いか、ちゃんと着れるかを確認し、いつでも着こめるようにベッドの傍に置いてある。

 他にも日用品やノートも入るだけ詰め込み、道中や配属先で不自由しない程度の金も背嚢に入れておいたからしばらくは大丈夫だろう。

 何か足りなかったらあっちで買い足すか。


 その準備の間も、バシルは黙々と作業を進め、元々無駄口を言う方ではなかったが、それでもいつもよりずっと寡黙だった。

 無理もない、自分の故郷が灰になっているかもしれないし、自分も戦場に行くことになったんだ、明るく振る舞えっていう方が無茶だよな。


 そんなこんなと準備をし終え、あとは寝るだけとなったのだが、ここで扉をノックする音が響いた。


 『ベルホルトはいるか?』

 「はい、ちょっと待ってください! ……っと、どうしたんですか?」


 声から察するに、どうやら寮監みたいだ。

 何だろう、こんな夜更けに……。


 そう疑問に思いつつ、俺は扉を開けて用件を聞きだす。


 「クリスティアネ殿下の侍女の……確かテレジア、って人がお前に用事があるそうだ。玄関口で待ってるぞ」

 「ん? 分かりました。すぐに行きます」


 要件を言い終えた寮監を見送りると、俺はバシルの方へ向き直った。


 「悪い、ちょっとで行ってくるわ」

 「ああ」


 短いやり取りをして部屋を出ると、そもまま玄関の方へと向かう。

 用事ってなんだろう、とか、王宮からもう戻って来たのか、とか、クリスの護衛は良いのか? とか、色々考えていたが、取りあえず会って聞けばいいかと深く考えることはなかった。


 ただ、俺としてもテレジアと話をしてみたいと思っていたし、聞きたいこともある。

 例えば、戦争で活躍すればクリスとの結婚を国王に認めてもらえるのか? とかだ。


 今さら、戦争に行きたくない! なんて叫んでも仕方ないことだし、それなら逆に、戦争で活躍して国を救うことに貢献すれば、少しは俺のことを認めてくれるんじゃないのか?

 逆境をチャンスとして考えれば、少しはこの戦争でもやる気が出てくる。


 だからこそ、そう言う希望が持てることを聞きだしたい。

 ……なんか死亡フラグを建てている気もするが……。


 「お待たせテレジア」

 「来たか」


 あれやこれやと考えていると、寮の玄関に着き、外で待っていたテレジアに話しかけた。

 満月の今日、月明かりに照らされているその表情は普段と変わらずな様子だ。

 そんなテレジアは左手の親指でクイッとある方向を指す。


 「話がある。いつもの場所まで行くぞ」

 「ん? ここじゃダメなのか?」

 「ついて来い」

 「あ、おいっ!」


 どうやら俺とクリスが逢瀬を重ねていたあの場所で話をするみたいだ。

 かなり強引な感じで歩いていくテレジアに、俺は慌ててついて行った。

 なんかあれだな。不良に絡まれて、「お前後で校舎裏まで面貸せや」って言われた気分だ。

 何言われるんだろう……? ちょっと怖いな。


 そしてテレジアに連れられ、俺達がいつも話をしている場所までやって来た。

 大きな一本の木に、俺が設えた小さな丸い机、3脚の椅子。

 ああ、次はいつここでクリスと話が出来るんだろうな……。


 「で? 話ってなんだよ?」


 そうテレジアに問いかけると、彼女はゆっくりと振り返り、俺の顔をじっと見据えてくる。

 その表情は、木陰に隠れてやや分からないが、さっきよりも、悲壮な感じが出ていた。

 テレジアがそんな顔するなんて……と思わず驚く。


 「……お前と姫様は、どう言った関係だ?」

 「どうって……んなもん、聞くなよ」

 「いいから答えろっ」

 「あ、いや、その……俺はクリスに気持ちを伝えたんだよ。好きだ、愛してる、って。それをクリスは受け入れてくれた。そう言う仲だ」


 関係を聞かれて、ちょっと照れくさくてはぐらかそうとしたが、テレジアは問答無用と言った様子だ。

 その鬼気迫る勢いに気圧され、思わずたじろぎながらも答えた。

 俺の返答を聞いたテレジアは……少し俯いてちょっとよく分からないな……。


 「そうか……。好き合っているのか……」

 「あ~、まあそうなるな」


 わざわざ言わんでもいいだろうに……。

 言葉にされると非常に恥ずかしいな。


 「……本気で、姫様のことを愛しているんだな?」

 「ああ、本気でクリスのことを愛している」


 やがて、爛々とギラついた瞳で俺を見据えたテレジアがそう聞いてきた。

 勿論、俺は真っ直ぐテレジアを見つめ返して即答したし、その言葉に嘘偽りなんて無い。

 聞いたテレジアは、どこか葛藤するかのようにまた目線を落とし、押し黙ってしまった。


 こうやって聞いてくる、ってことは、どういうことなんだろう?

 テレジアは俺とクリスの仲なんて分かっていたはずだし、一々聞かなくてもクリスの傍に居たのなら気付いているはずだ。

 それを敢えて聞いてきたということは、テレジアは俺とクリスの仲を認めてくれるのだろうか?


 戦争に行く。もしかしたら、戦場で死ぬかもしれない。もう戻ってこれないかもしれない。

 それでもクリスのことを想って、戦って彼女の許に戻って来られるのか?

 その覚悟を聞きたかったのでは?

 勝手な想像だが、なんとなく、そうポジティブに考えてしまう。


 やがて数秒間押し黙っていたテレジアは、突然、腰を曲げて頭を下げた。

 そして――。


 「すまないベルホルト! 姫様のことはどうか……どうか諦めてくれっ!」


 テレジアは悲壮感の籠った声で、そう言った。

次回は6月11日の投稿です。

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