表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鬼灯紋ノ太刀  作者:
第一章 齢七つの女童 
9/45

何者でもない者

 彼女の可愛らしく美しい姿に、朧は目を逸らす事が出来なかった。

 紺碧の色の着物に白藤の模様がとても鮮やかで、より一層彼女の顔立ちの良さを引き立てている気がする。年の頃は朧よりも少し上、和泉と同じくらいであろう。だが美貌とも呼べるその見た目の為か、もう少し上に見えなくもない。

 だが彼女の見た目でもっとも目を引いたのは他のところであった。

「ごめんなさい、お話中だったのね」

 そう言って小首を傾げる彼女の肩からぱらりと絹糸のような滑らかな髪が落ちる。光を浴びて深い鉄色にも見える彼女の長い髪に、朧は見惚れていたのだ。


「いえ姫様、これはもう下がります」

 和泉が言い捨てた事ではたと気を取り戻す。何を、と思って和泉の顔を見遣った朧だったが、反論の言葉が出てこなかった。それというのも和泉が、あの冷淡で口の悪い和泉が、頬を赤らめていたからだ。

「え、何」

「何がだ」

 聡いとはいえ朧はまだ七つ、恋だの愛だのいった意味での行間を読む事の出来なかった彼女は、思わず和泉の顔を指差した。だがその指は顔を一層赤くした和泉に圧し折る如き力で掴まれてしまったのだが。そして投げられた視線の鋭さに、自分の行動の軽薄さを自覚した。

 だが姫はというと、くすくすと微笑ましいと言わんばかりに笑いながら言うのだ。

「まあ、仲が良いのね」

「まさか姫様、ご冗談を」

 和泉が間髪入れずに吐き捨てた事で、姫は仕事ではない雰囲気を悟ったのだろう。楚々と襖を閉め、文机に向かう和泉の隣に腰を下ろした。

「へえ、こんなに可愛らしい黒衣の子がいたのね」

 黒一色の格好の所為で、姫も朧が黒衣であるとすぐに分かったらしい。興味深げに朧の顔をじっと覗き込む。

 女でも赤面をしてしまう程の器量の姫に、朧は口が利けないでいた。

「姫様が気に掛けられる程の者ではありません」

「あら、酷い言い方。わたしには紹介して下さらないの」

「必要ありません」

 姫が口を尖らせて和泉をねめ付ける仕草をする。だが和泉の方もいつの間にやら普段の怜悧な表情に戻り、素っ気なく言うのだ。

 そしてしゅんと肩を落とす姫に追い打ちをかけるように、和泉が言葉を続けた。

「赤提灯は忌むべき民族。姫様はお近付きになりませんよう」

 黒衣である朧の前で、敢えて蔑称で言う和泉。何度となく彼が放ってきた言葉だ、朧は別段反応しなかったが、姫の方は違ったらしい。和泉の言葉を責めるように、綺麗な眉をぎゅっと寄せて声を上げた。

「そんな、和泉!」

「いくら姫様といえど、俺の仕事のことに口を挟まないで頂けますか」

 あんまりな言葉だった。ただでさえ和泉の口調は冷淡で鋭い。可憐な姫に返す言葉が出てくる筈もない。先程おろしたばかりの腰を静かに上げて、姫は襖へ向かう。

「御免なさい。お邪魔してしまったわ」

襖が敷居を擦る音、柱を叩く音がやけに静かに響いた。


「酷いな」

 ぽつりと呟けば、和泉が眉を吊り上げて朧を睨む。

 何を言われても平気だと思った。此度非があるのは和泉だけなのだから。

 だが和泉は煩しそうに目を瞑って小さく言った。

「姫様の為だ」

「何が」

「お前らと関わると姫様の為にならない、という意味だ。戦場でしか生きられない赤提灯が一国の姫を気にする必要もあるまい」

 話は終わりだと言うように和泉は筆を持って再び書類に向かう。身体中でもう何も話したくない、と言っているように見えた。

 朧も腰を上げる。元はと言えば晶の怪我の状態を報告に来ただけだったのだ。無駄に長居をしてしまった。結果無駄に気分が悪くなっただけだった。

「何にも伝わっていないと思うぞ」

 捨台詞のように言って朧も襖を閉める。勿論部屋を辞する礼も挨拶もないが、和泉は何も言わなかった。


 城の廊下を歩く。鶯張りの床は身体の軽い朧が歩いてもぎしぎしと音を立てていた。

「和泉のやつ」

 口の中での上司の名前を吐き捨てる。どう見ても彼は姫に懸想していた。幼い朧でさえ分かる程顔に出ていたのに、彼は不自然なくらいに姫に辛辣だった。

「あんなに綺麗な方に」

 そう、朧も見惚れるほどに姫は綺麗だった。

 白い肌も鮮やかな色彩の小袖も唇を彩る紅も何もかもが彼女の美貌を引き立てていたが、とりわけ姫の長い垂髪が目を引いて美しかった。

 思わず頭巾の中の自分の髪に手を遣る。顎までほどの長さの朧の髪は今でも変わらず滑らかであったが、かつての質量はなかった。俯いて自分の格好を見遣るが、黒々とした小袖が細帯で締められているだけだ。

「ふっ」

 可笑しくなって鼻で笑うと、湿った何かが出そうで慌てて鼻をすすった。

 黒衣として戦果を挙げたいと望んでいるくせに、未だ未練がましく女の証に焦がれている。姫の長い髪を羨ましく思ってしまっている。何と愚かしいのだろう。


 男にも女にもなりきれない、自分の姿。

 術を持たぬ故完全に黒衣とも呼べない。

 自分が何者か、わからない。


 考え出してしまえば当てもなく深く落ちてゆきそうな自己否定の思考をして、朧はまた鼻をすすった。

 足を速める。朧の師となってくれた彼の顔を見れば少しは落ち着くような気がしたから。


 ◆


 鬼灯城に帰り着くなり居室に飛び込んだ朧の顔を見て、晶は呆れたように溜め息を吐いた。

「また言い合いでもしましたか」

「そういう訳では」

伏し目でそう言った朧に、晶が苦笑する。

 あれほど冷淡な態度であった晶だったが、彼を師とするようになってからは表情を崩す事が多くなっていた。とはいえ彼の本質は捻くれた男であろうという朧の評価は相変わらずであったが。

「何を言われたか分かりませんが、あまり気にする事はありませんよ。彼が黒衣を忌み嫌うのは私怨でしょうからね」

 布団から半身を起こして晶は言った。まるでその理由を知っているかのようだと朧は思ったが、口には出さない。事情の詮索は恥だと幼くも思ったのだ。

「ならばわたしたちの指揮など辞めて仕舞えばよいのです」

「まあ、彼が英才というのは事実ですし。それは難しいのでしょうね」


 和泉の戦場での姿を思い出す。

 まだ十一とは思えぬ堂々とした態度、戦場全てを見渡す慧眼、いけ好かぬでも認めねばならない。彼の人柄と才能は別問題だ。

 それが尚更悔しかった。

「和泉に使えぬと思われている事が、辛いというより腹立たしいです」

「焦ってはいけませんよ」

「ですが……どのように励めばよいか」

 唇を噛み締める朧を見遣って晶が口を開く。薄っすらと笑みを浮かべ、何やら案があるような表情だった。

「何の算段もなく貴女を育てるとは言いませんよ」

と言って彼は部屋の隅の行李箱をごそごそと漁りだした。そして取り出したのは鮮やかな紅緋の子供用の小袖であった。

「ああ」

 美しい色彩に朧の口から溜め息がもれる。着たことも見たことすらない目を惹く赤の着物に一瞬見惚れかけるが、ふと疑問がわく。

 何故晶が鮮やかな小袖を持つのか。

 きょとんと目を丸くしている朧を見て、晶は穏やかに笑った。

「貴女はこれからずっと黒衣として生きる。それは二度と女性としては生きられない事と同意です。ですが」

 ばさりと音を立てて、晶は小袖を床に広げた。くすんだ青鼠あおねずの畳に、衣擦れの音と共に燃えるような赤の衣がその身を開く。

「貴女は女、それは変わりない」

 強い目をして晶は言う。

「男にも女にも、黒衣にも人にも、貴女ならなれる。他の黒衣には出来ぬ事です」

 ゆっくりと立ち上がった晶は、驚きに目を剥く朧の肩にさらりと小袖を掛けた。黒の装束の所為でただでさえ鮮やかな紅緋が更にその彩りを増す。手を伸ばせば、機能より見た目を重視した滑らかな手触りが指に触れた。


「戦場で名を挙げらぬなら私たちが戦うのは情報戦です。その何者でもない姿をもって、人の目を欺き戦おうではありませんか」

 晶の手がぼんやりとした光を放ちながら朧の頭上に掲げられる。戦の中でも感じた、晶に護られるような安心感。掌の光は次第に増殖し、朧の身体を這って舞う。

「私も貴女を助けます。私の術で惑わしましょう」


 朧は立ち上がる。肩にかけた小袖が打掛の様に広がって更に華やかに見えた。

「お師様、わたしに出来るのならば」

 指先が冷える、それは晶の言葉を信じたが故。

 ただ緊張の為か不安の為か、はたまた期待の為か、朧にも分からなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ