表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鬼灯紋ノ太刀  作者:
第一章 齢七つの女童 
8/45

師と弟子

 晶の腕の傷は深いものではなかったらしい。ただ出血がひどく、晶は和泉から暫くの療養を言い渡された。

 いけ好かない上司はそんな時でも、赤提灯の血も赤なのか、と暴言に近い嫌味を吐くのを忘れていなかったのだけれど。


「晶さま、申し訳ございません」

「別に、貴女の為でも貴女の所為でもないですが」

 療養中の布団の中で晶は煩しそうに左の手で朧を払って退けた。布団の端を掴みながら泣いて謝り続ける幼子は、それはそれは鬱陶しい事であろう。

 だが朧とて簡単には気がすまなかった。


「わたしがもっと気をつけていれば……もっと強ければ……晶さまがこんな事には!」

「それは事実ですけどね」

 晶が目を閉じたまま、しれっと言う。朧の目に涙がみるみるうちに溜まるのには目もくれず、彼は辛辣な言葉を続ける。

「貴女は体術においては黒衣の子どもの中でも抜きん出ていると聞いていましたが、やはり親の贔屓目ですかね」

 彼の口調は酷く冷たい。優しげな筈の垂れ目が今は閉じられていて、尚更冷たく見えた。

 だから朧は晶の名を呼ぶ。何度も何度も、彼が煩しそうに目を開くまで。見られぬのが、気にかけられぬのが、何よりも辛いと言いたげに。

「見捨てないで下さい……」

 薄く目を開いて晶が見たものは、蒼白の顔をしてぽろぽろと涙をこぼす幼い童女の姿だった。

 今の朧が頼れるのは彼女の目付である晶だけ。その彼に見限られる事はきっと、朧の傷を抉ることになるだろうと思われた。だから晶は小さく懺悔するように言う。

「少し、戯れが過ぎました」

 朧がはたと顔を上げたが、彼の目はまた閉じられていて表情を窺い知れはしなかった。

「言ったでしょう。貴女の為でも貴女の所為でもない、と。全ては私の力不足です」

目を閉じて、僅かに苦しげに晶は言葉を続ける。布団の膨らみが苛立たしげにもぞもぞと動いた。

「私の力不足なんですよ」


 どうして晶は。

 冷たい言葉で素気すげ無い態度を取る癖に、最後の最後で気遣うのだろう。

 最初から一貫して冷たくあしらわれていたなら、朧もこれ程期待しなかった。分かり合えるかも知れない、優しくしてくれるかも知れない、なんて。

 家族以外に理解者ができるかも、なんて。


「初陣同士、至らぬのは当たり前です。共に精進すれば良いのです」

 晶が言うのはやはり慰めにしか聞こえなかった。

 彼の言葉を嬉しいとしか思えなくて、朧は恐る恐る晶を窺う。そうすれば彼はやっぱり冷たい目で朧を見ているのだった。

「精進します。必ずや」

 一瞬袖頭巾からしたたる血の映像が頭をかすめたけれど、人を斬る怖さよりも晶が傷付く怖さの方がずっと大きくて、朧は強く拳を握った。

 黒衣として生きるのならば、戦う事は宿命なのだ。

「恐怖は消えましたか」

「え」

「ずっと、怖がっていたでしょう」

 彼は朧の動揺を感じ取っていたらしい。やはり彼は朧を気にかけてくれていたのだと思うと、朧の頬がゆっくりと緩んでゆく。

 そこで一瞬にして吹っ切れた。今彼が朧を気にかけていてくれるのならば、たとえ後に裏切りが待っていても晶を信じよう。そうしなくては幼い朧はきっと戦乱の中で生きていけそうになかった。

 厄介な任務だと眉をひそめながらも自分を気遣う晶を、彼女は必要としたのだ。

「大丈夫です」

「へえ。鳴いた烏がもう笑うのですね」

 軽口を言う晶の表情も何処となく穏やかに見えるのはおそらく朧の心持ちが変わった所為もあるだろう。にっこりと笑って見せれば、晶は驚いたように瞠若した。


「少し考えていた事があるのですよ」

 暫しの沈黙の後、晶がゆっくりと身体を起こしながらそう言った。

「晶さま、無理をなさっては」

「大切な話をするのに寝たままもなんでしょう」

 大した傷でもないのに、と零しながら晶はじっと朧を見つめる。

 陽炎ノ国に派遣されてからずっと一緒にいた。それこそ居室までが一緒なのだ、離れる隙など殆どない。だのに二人が向かい合って目を合わせるのは初めての事であった。

「大切な話、ですか」

「ええ。この国で黒衣として生きるなら、避けては通れぬ問題ですよ」

 ごくり、と生唾をのんで彼の言葉の続きを待つ。

 晶はじっと朧を見つめ、小さく言った。

「術をもたぬ貴女が戦で戦果をあげるのはきっと不可能でしょう。此度の戦でわかったと思いますが、術の力は強大です」

「そ、うですね」

 あまりにはっきりと言い切られて、朧は顔を歪めながら肯定した。分かっている事ではあったが、突きつけられると、途端に恥じ入ってしまう。

 それを感じたのか、晶が否定するように首を振った。

「責めたいのではないのです。その話はもう終わりました」

「では……」

「貴女は耐えますか。私のように術の会得がいつになるか分からない。それまで使えぬ駒だと、また蔑まれながら過ごしますか」


 きょとんと朧は小首を傾げた。

 半ば諦めていた。どうしたって術を持つ他の黒衣たちには敵わない、そんな朧をあの辛辣な上司が使ってくれるかどうかも怪しい。

 もし今の状況を打破できる何かがあるのならば。

「嫌です。出来うるならば、私も認めてもらいたいと思います」

 朧の返答を晶は満足そうに頷きながら聞き、そして口を開いた。いつもよりも少しだけ穏やかな、声色で。


「朧」


 彼は初めて、朧の名を呼んだ。そして。

「私を師としなさい。貴女を、この国になくてはならない黒衣へと育ててみせましょう」

 彼は笑った。垂れがちな目をすっと細めて、薄い唇をほんの少しだけ開いて。

 思った通り、とても優しそうだった。

「私と貴女ならばできます。見せ付けてやりましょう、攻めの術を持たぬ我らにも戦は出来ると」


「晶さま……」

 唇を噛んで涙を堪える。

 女である自分にも戦えると、忌み子である自分でも良いのだと、朧は誰かに言って欲しかったのだ。

 これほど恵まれて良いのだろうか、まだ何かを為してもいないのに。

 色んな感情がないまぜになって、朧はただ唇を噛み締めるしかない。何か言葉を発してしまえば涙が溢れそうで、ただ首を大きく縦に振り続けていた。


 ◆


「それで? わざわざ馬鹿丁寧に俺にそれを報告に来たと」

「わたしは貴方にお師様の傷の具合の報告をしろと言われたから来ただけだ」

 目の前の童は文机に何枚も書類を広げて筆を動かしていた。呼びつけたのは彼の癖に、一度もこちらに目を寄越さない。

 やはりいけ好かない、と朧は内心舌を出していた。

「当たり前だろう。俺がお前らの指揮を執るんだ、詳細まで把握しておかねばならん」

「なら報告しても問題なかった筈だろう」

 何か変わった事があったかと聞かれたから、晶の事を話した。それだけなのに、彼は朧が何をしても気に入らないらしい。

 それを全面に出されれば反抗もしたくなるというもの。朧の不敬な態度は未だ続けられていた。


「偉そうに。お前程度の働きならば人でも代わりになる。少しは精進しろ」

「だからそれをするという話だった筈だが。話を聞いていなかったのか」

 どちらともが引かない故言葉の応酬はどんどんと激しさを増してゆく。それが子ども同士の微笑ましい口喧嘩に見えないのは、二人がそれぞれ頭の切れる者である為だろう。

 二人が二人とも、言い合いで相手を探っていると言っても過言ではなかった。だから朧は内に湧いた疑問を然して深く考えずに口にしたのだ。


「全く、何故そうも黒衣を目の敵にする。求めに応じて派遣された我々に何の不満があるというのだ」

 すぐに痛烈な反論があると思っていた。だから和泉が筆を動かしたまま顔を上げずに眉を寄せているのを見て、朧は思わず彼の顔を覗き込んだ。

「何だ」

「いや。お前が何も言わないから」

「ふん」

 鼻での嘲笑と共に、彼の侮蔑の視線が投げられる。

 和泉は黒衣を憎んでいる。態度を隠してはいないがそれでも彼の態度は理知的だった。だが今和泉の目に燻って見えるのは抑えきれぬ程に激しい憎悪だった。

 証拠に彼は口の中でだけ吐き捨てる。朧に聞こえるか聞こえぬか程度の僅かな声で。


「呪われた一族の癖に」


 聞き慣れぬ言葉に朧が思わず口を開きかけた時だった。

 からりと襖を開ける音と共に静々と顔を覗かせたのは、滑らかな長い髪の女の童。唇に薄っすらと紅をのせた花の様に可愛らしい人だった。

「和泉、お仕事中かしら」

 小鳥がさえずる声とはこの事か、と朧が唖然とするのは仕方がないだろう。彼女こそ、朧が人生で初めて見る女性の姿だったのだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ