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鬼灯紋ノ太刀  作者:
第一章 齢七つの女童 
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苦い初陣 下

 袖頭巾の中でも感じる頬を焼く程の熱風に、朧は思わず腕で顔を庇った。状況を窺い知ろうと目を細めて辺りを見渡すが、黒々と広がる煙と土埃の所為で何も見えない。ただ時折轟音と地響き、そして合間に刀を合わせ合うような金属音が聞こえていた。

「いますか」

 黒煙の中近くで晶の声が聞こえる。

「はい、晶さま」

 返事をすれば何処からか腕が伸びて、朧の襟を掴んだ。振り返ると頬を黒く汚した晶の顔が見える。

「いきますよ、足を止めてはいけません」

 言葉が終わるよりも早く晶は地を蹴る。引っ張られるようにして朧も後に続いた。


 やがて晴れていく火煙の中、見えてきたのは絵巻の中の図のようであった。

 尋常ではない早さで身を翻す黒衣の手から放たれているのは、神話の龍が口から吐くかの様な炎の塊。それが矢の如く降り注ぎ、廃寺に配備されていた兵たちの身体を貫く。ばちばちと炎は身を爆ぜさせて、人も木も廃寺の廊下をも燃やしていった。

「惨たらしい……」

 想像もし得なかった惨状に足を止める。

 不可思議な術に人の兵らはなす術もなく身を焦がしてゆく。黒衣たちのもつ術は火の力だけではなく、水や雷、風など様々なものであったが、どれもが漏れなく人の力ではどうにも出来ぬ程に強大であった。時折それらは混じり合い大きな爆発を起こしていく。

 黒い骸がそこら中に倒れ伏す、その絵は戦ではなくただの虐殺にも似て見える。

 これが黒衣の戦なのだ。

「ぼんやりしていては死にますよ!」

「怖いです、晶さま」

 晶の叱咤に思わず口をついて出たのは震えた泣き言。だが彼は叱りはせず、ただ表情を変えずに強く朧の襟を引っ張った。

「それが普通です。怖いのなら、私に背を預ければ良い。前だけを向いていなさい」


 とぐろを巻き飛び散る水、じりじりと空中をほとばしる雷、木々をも倒し斬り刻む風、それらは朧と晶の周りを避ける様にして暴れ回る。

 これが晶の術だ。今晶に護られているのだと思うと少しだけ朧の気が落ち着く。こくりと頷いて見せると晶が踵を返して背を見せた。彼もまた朧に背を預けるというのだ。

「申し訳ありません。もう、大丈夫です」

 はっきりと声に出す。もう晶は答えなかった。


 廃寺の中へと足を踏み入れ刀を構えた敵兵らと対峙する。黒衣の強大な術では中で戦えないのだろう、そこに黒衣たちは一人もおらず、寺の中の兵はまだ戦意をもって朧たちを睨みつけていた。

 朧たちが堂の中に入った瞬間だった。合図の音がしてがらがらと扉口が閉められる。

「死する前に! たとえ一人でも黒衣を討ち取れ!」

 押し寄せる兵は何人いるだろう。十や二十では到底足りない程の数で、彼らは背中を預け合う朧と晶をぐるりと取り囲む。

 罠だったのだ。気付いていても、戦に慣れぬ二人にはこの状況を打開できるような妙策など浮かばなかった。

 術で戦えぬ二人──なれば武器を振るわねば。

 目の前を埋め尽くす敵兵を斬り捨てていかねば。

「しっかり振るうのです。貴女と私は……一蓮托生なのですから」

 背中越しに晶の声が強張って聞こえた。


 先に刀を振り上げたのは晶の眼前の敵兵であっただろう。だが彼がそれを振り下ろすよりも早く、晶の刃が彼の喉元を薙ぐ。

 ばしゃり、と生暖かいものが晶の顔に、そして背中を預ける朧の後頭に降り注いだ。それが合図となった。

 声をあげ一斉に二人に押し寄せる敵兵たち。己の命を守る事もせずにただ二人の首を狙うのは余りに劣勢な戦況故か、皆ひたすらに刀を振り上げ続ける。

 だが術を使えぬとて晶も朧も紛れもなく黒衣。

 二人の動きは誇張でなく、人である敵兵の目で追えるものではなかったのだ。

 闇雲に刀を振り上げる敵兵の懐に一歩踏み出し、首元に刃先を押し当て真一文字に引く。すれば身体を覆う鎧を削ぐ金属音と共に大量の鉄臭いものが顔を隠す袖頭巾に染み込んでいった。降りかかる赤には目も留めず、次に目を遣る。

 そしてそれを続ける度に刀を引くのに力を要するようになってゆく。途中からは半ば引っこ抜く様に体重をかけて刀を引いていた。

 決して危なげないものではない。冷静に敵兵の動きを追っていれば、朧が一人一人斬り捨ててゆくのは困難ではなかったのだが、何故か指先の震えが止まらなかった。


「生きていますか」

「大事なく!」

 背中を預け合っているから分かるであろうに、晶は乱れた息の合間に声をかける。朧もがりがりと引っ掻かる刀を力一杯引き抜いて大きく声をあげた。

 いくら人の力を上回る黒衣とて疲れを知らぬ訳ではなく、二人の肩は激しく上下していた。だがまだ敵兵の数に終わりは見えない。

「私は武闘派ではないんですがね」

そう自嘲して晶が刀を一閃、振り払った時だ。

 一瞬の隙を突いて上背のある敵兵の振り上げた刀が、まだ背の低い朧の視界の外から彼女の首を狙って振り下ろされたのだ。

 見えぬ朧には気付きようがないが、偶然にも晶がそれに気付いた。

「退きなさい!」

「え?」

 刀を振り払った勢いそのままに、彼はくるりと身を翻して朧の前に立ちはだかる。だが惜しくも彼の右手の刀は身体後方へと振り下ろされたままであった。

 朧の目の前に散るのは赤、そして黒の小袖の切れ端。

「あ、晶さま!」

「赤提灯、討ち取ったり!」

 腕を押さえて刀を取り落とす晶目掛けて、刀が振り下ろされる。先走った敵兵が嬉々として勝鬨の声を上げた。

「させぬ!」

 今度は朧が身体を翻して晶の前に躍り出た。その小さな身体で倍程もあろうかという敵兵の刀を受け止めたのだ。火花が散るかの如き金切り音が耳を刺す。

 敵兵もまさか受け止められるとは思わなかったらしく、驚きに目を剥き、そしてそのまま朧の返した刃により地へと沈んでいった。

「晶さま!」

「大事ないですから、集中なさい」

 血に濡れた手で刀を拾って再び朧に背を預ける晶を肩越しに見遣る。黒い頭巾の合間に見えるのは脂汗だろうか、限界が近い様だ。だがそれでも敵兵には終わりがない。晶の腕の怪我も軽いものではなさそうだ。

 このままではじり貧、何か、打開する何かを考えなくては。だが自分は何も持ち合わせていない。妙策、強大な術、何も。

 朧が唇を噛み締めた時だった。


 地が歪んだかと思う程の地響き。そして耳を破裂させんばかりの音の爆弾と共に、かんぬきで閉められていた筈の扉口が弾け飛んだ。

「晶さま、朧!」

 掌に光を湛えて構えを取る黒衣たちの影が薄暗い中にぼんやりと浮かんで見える。まさに天の助けだった。

「晶さまが、敵の太刀を受けて」

 助けを請う様に叫べば、黒衣たちは連携のとれた動きで敵兵の排除と晶の救出を手早く行う。外で見たときは空恐ろしかった彼らの力が、今は何より心強かった。

「合図の火矢が上がった。急いで帰還せねば」

 あっと言う間に廃寺の中の敵兵を一掃した黒衣は、そう言って晶を支えて軽々と地を蹴る。後に続いて他の黒衣たちもその場を離れた。

 一瞬遅れて地を蹴りかけた朧だったが、ふと後ろを振り返る。


 ぶすぶすと煙を上げる黒い骸。未だ火花を上げながら炎を纏う廃寺の扉。ひび割れた境内の石畳。

 これが黒衣の術だ。


 術を持たぬ幼い自分でも戦えると思っていた。人には及ばぬ身体能力をもってすれば、他の黒衣ほどではなくともきっと戦果を挙げられる、と。酷い思い上がりだ。

 じっとりと濡れて鉄の匂いのする袖頭巾をぐいと引っ張れば、ぽたりと赤が地に落ちた。その赤がまるで覚悟の弱い自分を責めている様に見えて目を逸らす。

 戦果を挙げるという事の意味も、まだわかっていなかったのだ。それを恐いと思ってしまった。


 物思いに耽っている場合ではないと思うのに朧の足は重く動かない。目の前の光景を、朧は絶対に忘れられないだろうと思った。

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