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鬼灯紋ノ太刀  作者:
第一章 齢七つの女童 
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苦い初陣 上

 きっと黒衣は戦の一番激しい場所に配置されるのだろう。もしくは撹乱の為に全く外れた場所に行くのだろうか。

 いくら鍛錬を積んだとて朧が戦場へと出るのはこれが初めてには変わりない。普段大人びている彼女とてこの状況に浮き足立たぬ訳もなく、先程から当てもない物思いに耽っていた。

 内容は凡そ的外れである事は分かっていたが、取り敢えず思考さえしていれば落ち着いていられたのだ。


「貴女は私から離れぬ様にするのです。私は武闘派ではないので、貴女を守りながら闘うなど到底無理ですから」

 そう言って朧の隣に立つのは晶だった。彼もこれが初陣である筈だが妙に落ち着いて見えるのは術を持つからだろうか。黒い袖頭巾の隙間から見える目は冷静に陣中を見つめていた。

 普段の小袖とは違い、戦場では素早い動きを妨げぬよう*裁着たっつけばかまを身に纏う彼らだが、黒衣の名に違わぬよう全身黒づくめであるのは相変わらずであった。日は既に傾き始めており、戦の最中にはきっと夜となるだろうから彼ら黒衣の格好はとても適したものだった。

 黒い袖頭巾を顔に押し当てながら、朧はぎゅっと強く目を閉じる。戦さ場に立ってみて初めて己の無力さを強く感じていた。それは正に怖じ気付いたに等しかった。


 がちゃがちゃと具足や武器の音が響き、出陣前の慌ただしい空気が陣中に流れる中、忌々しい程に落ち着いたの指揮官の声が響いた。

「黒衣よ、前哨戦だ」

 まだ童の指揮官だが、彼も戦さ場に立つならばそれなりに刀を振るう事にもなるのだろう。いかめしい具足を身に、腰にも一回り小さい小太刀を穿いていた。

 和泉は一様に膝付く黒衣十人を見遣って口を開く。童とは思えぬ彼の堂々とした様に朧も心が落ち着いてゆくのを感じた。

「相手は小国だ。以前からの降伏勧告を拒否して徹底抗戦をしている。黒衣を雇ったという情報は得ていないから恐らくお前らだけでも如何様にもかき乱せるだろう。だが……」

和泉は兜の隙間からぎらりと鋭い目を覗かせる。幼いと分かっていても、背筋に冷たいものが這う様な凄味のあるものだった。

「蒼樹様に逆らえばどうなるか、諸国にも見せ付けねばなるまい」

 そう言ってばらりと広げたのは、この辺りの略図であった。皆が覗き込んだのを確認すると、和泉はある一部を指差す。

「先ずはじめに、お前らには陽動の役目を担ってもらう。ここの廃寺に向かい精々暴れてくるのだ。その間に本隊は西より回り込む様に進軍する事となっている。ここは辺りよりも高い地形で敵は哨戒の為廃寺を拠点としている故、とても危険だが黒衣にしか出来ぬ任とも言えよう」

 言い切って和泉はぐるりと黒衣たちの顔を見回した。袖頭巾の為に顔は見えぬだろうが、何故か彼に見透かされていそうで朧は表情を引き締める。

 このいけ好かない指揮官に、使えぬ、と思われたくはない。術を使えぬ事も言い訳にしたくはない。そんな気概を感じ取ったか、和泉は満足そうに一度だけ頷くと、更に声を上げた。

「この地で火矢が上がればそれが合図だ。一気に引き返してこい。その後は追って指示する」

「了解いたしました」

 晶が代表者として立ち上がり言葉を返すと、皆が倣って腰を上げた。その瞬間、和泉が腰の小太刀を抜き、切っ先で遠くに見える敵の陣地を指したのだ。


「戦の天才黒衣の名に恥じぬ様、その力とくと見せるが良い」


 黒衣たちは地を蹴る。本領発揮ともいえそうな、風の如き素早さだった。赤い西日はきっと彼らの姿をうまく隠すだろう──木々の長い影に紛れさせて。


 ◆


 父親のしごきはとても厳しいものだった。父親は任務においては妥協を知らぬ頑固な男だったので、朧が受けた教育も並大抵ではなかった筈だ。だがやはりそれは地位ある父に育てられた故の奢りであったらしい。

 先をゆく他の黒衣たちは皆涼しげに足を動かしている。その速さたるや人の目に見れば風と見紛う程であった。朧はついていくだけで必死だ。武闘派ではないと自称していた晶でさえも朧を気にかけながら平気で駆けている。


「晶様、この先丘の上に見えまするのが件の廃寺に御座います」

 走りながら、黒衣の一人が指を差した。赤く燃ゆるが如き光を浴びる山に影絵のように立つ三重みえの塔こそ、戦場となる廃寺であろう。

 まだ姿は小さいが、この速さで駆ければ到着は先のことではない。

「如何様になさいますか」

「それを私に聞きますか」

 晶は呆れたように息を吐いた。たとえ高い家系の生まれでも、晶はこれが初陣である。戦に関しては古参の者が指示すべきだろうとの意思表示だったが、黒衣たちは皆口を開きはしなかった。

「仕方ないですね。では我が君のご指示通り、精々暴れさせて頂きましょう」

 そう言って晶は更に速度を上げる。

 何か案があるのだろうか、彼の顔は珍しく僅かな笑みを湛えていた。


 それが分かったのは直ぐ、廃寺に続く長い石段の前まで辿り着いた時だった。

「少しよろしいですか」

 小さく囁くように言って皆の足を止めさせた晶は、右の手の指を二本立てて何やら口を動かし始めた。左手を皆に向けて掲げ、そして紡ぐは術の言葉。


『我が二の家に流るるケンの血よ、慎みて願い奉る』


 ぶわり、と忽微の風がおこり、小さな光が十人の身体を這うように走る。

 朧は初めて見た──これこそが黒衣の術だ。

「貴方がたを護る結界を張りました。私の力は戦向きではありませんからこのくらいしか」

 そう言って小さく自嘲する晶を、朧は信じられぬ思いで見つめる。


 術には八卦──光、火、水、雷、風、山、地、流のいずれかの力が宿ると聞く。だが稀に八卦に属さぬ不思議な力を持つ者がいると聞いていた。つまり晶は稀有な力の持ち主であるのだ。なのに何故不満げに自分を蔑むのだろう。


 晶の顔を見ながら考え入りかけた時だ。

「では後は私共にお任せ下さいませ」

 八人の黒衣が術の構えを取る。それぞれが立てる指の数はそれぞれの生まれの家の数字であろう。三から七までの様々な指の形で、皆が術の言葉を唱える。

 そして各々違った色の光を手に、皆が地を蹴った。急な長い石段を物ともせず、平地を走るのと変わらぬ速度で彼らは廃寺を目指して行く。


「刀を抜いて下さい。これより先は貴女も、奮わねばなりませんよ」

 僅かに遅れて朧と晶も石段を駆けてゆく。術を持たぬ朧はどの様にして戦えば良いのか、まだ分からぬがそれでも。

「黒衣の力を過信してはいけません。私たちとて、射られたり斬られたりすれば死ぬのですから」

 生きる為には刀を振るわねば。

 そして黒衣として生きるならば、戦果を挙げねばならない。術を持たぬのならば朧が使えるのは、黒衣としての身体能力だけなのだ。

 すれば朧がすべきは明白。

「分かりました」

 小さく言って晶を見遣ると、彼もまた刀を抜いていた。彼も朧と同じ術ではなく武器で戦わねばならないのだ。

 二人は揃って石段を上がりきり、くすんだ赤い鳥居を抜けた、瞬間。

 地を響かす轟音と共に、火花を散らした火煙が辺りをちりちりと焦がしながら二人を襲った。




*裁着たっつけばかま……動きやすい様に二股に分かれた裾を絞った袴のこと。

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