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鬼灯紋ノ太刀  作者:
第二章 十二となった少女
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雨過天晴

 朧と流が肩を落として帰還したのを、晶もまた茫然自失といった表情で迎え入れた。晶だけではない。全ての黒衣が言葉を失して、ただ立って風花の方角を見つめていた。

 先程まで喧騒に包まれていた激戦地、今は静かな戦さ場を。

 幸運か、空は曇って湿り気のある風が辺りに吹き付けている。それを察知した風花の隊は先程そそくさと撤退を始めたのだ。

 二人の黒衣を失った陽炎側も休戦に異論はない。去っていく風花陣の後ろ姿を歯噛みしながら見つめるしかなかった。


 やはり黒衣は皆、心の何処かに驕りがあった。如何な黒衣殺しの武器といえど、そう簡単に己の命まで奪えはせぬと。だが朧らの口から語られた顛末は、彼らの価値観を大きく揺るがすものであった。

 戦で命を落とす筈のない黒衣の戦死。

 それをまだ受けきれぬ黒衣たちには、また直ぐに起こるであろう風花との交戦に対する手段など考え付く筈もなかった。

 状況はまだ五分、いや風花の中心地を制している陽炎軍の方こそ優勢のはずである。だが軍に流れる空気は今や沈みきっており、次の交戦の結果かど蓋を開けぬでも出たようなものだった。


 灰色の空からしとしとと、雨が降りはじめる。雨足の強まる空を見上げながら、朧らはただ暫しの休息を取る他なかった。

 戦の傷や無茶をした身体の痛みに耐えながら、ただその場に座して過ごす。気休めにすらならぬ事を分かっていながら漫然としてしまうのは、やはり戦意を失くしてしまったからだろう。

 現に今も、眠ろうと閉じた目蓋の裏にはフウの攻撃を受けて吹き飛ぶ二人の黒衣の姿が焼き付いて離れないのだ。事切れる瞬間の、手のひらから光が淡く散っていくさまが恐ろしいのだ。


 その時だった。

 情景をかき消す事も出来ず、目蓋に力を入れて俯く朧の後ろ頭を、もげるかと思う程の勢いで何者かが張り倒したのは。

「いっ……!」

「腰抜けどもが。たかが一人二人戦死したところでこの世の終わりの様な顔をするな。

 我らはお前たちの何万倍の仲間を失って、それでもまだ前線に立ち続けているのだがな」

 背中が冷えるほどのこの声は普段ならば聞きたくないものの一つだが、今戦場で聞けばこれ以上心強いものはないとすら思えた。

 がばりと顔を上げると、雨に濡れて乱れた髪を額や頬に貼り付けてこちらを睨みつける和泉の姿があった。

 到着には数日を要した筈だが、今ここにいるという事は無茶を成し遂げたのだろう。隊を引き連れていないところを見るに、また黒衣の背にでも乗って単身突入でもしたのだろうか。

 沈んで静まり返る陣中を一周見遣って、和泉はまた射抜くような視線を朧に向ける。冷たい眼は以前無知さや弱腰をなじった時と同じもので、その時の叱咤が脳裏に浮かんだ。


 ──甘ったれるなよ。先の失態を悔やむなら次の戦さで戦果を上げるのだな。仇を討ち、父上を弔ってみせろ。

 ──お前は本当に、何の為に生きているんだ!


 少なくとも、朧が戦意を取り戻すには十分だった。父を亡くし、それでも前線に単身で参じ、これ程の強い目で戦況を見遣る和泉を前にして、自分を恥じたのだ。

 そして認めたくはないが、やはり彼の参陣は心強いものであったのは間違いない。死を身近にして尚強い眼で冷静に戦況を見つめる和泉ならば、黒衣殺しのフウへの手立ても思いつくやも知れぬと。

 幼く、術を持たず、初めて『戦死』というものを身近にした朧には、今は他力本願でしか己を立て直せなかったと言っていい。だがそれも仕方のない事だった。


「詳しい戦況は。何故今風花が軍を退いたか、その理由もつぶさに述べろ」

 濡れて張り付いた乱れ髪をかき上げて、和泉は怜悧な視線を戦さ場へと向けた。


 ◆


「ではその『フウ』とやら、水で使い物にならぬと言うんだな。だから風花は雨が降るなり軍を退いたと」

「確かに水の術で『フウ』の火花は消えていた。構えていた兵は焦って持ち手の部分を開いていた。確かだ」

 眼前で行われた『フウ』の発射、その様子をもれなく伝えれば、和泉は合点したように二、三頷いてまた戦さ場に目を遣った。今迄で一番の自信を窺わせる彼の表情に、朧は首を傾げて言葉を続ける。

「だがこの雨もいつまで続くか分からぬ。雨が上がれば、風花は再び『フウ』の部隊を前線に押し出してくるだろう。こちらが持つものも張りぼてだとばれている」

「俺の考えが確かなら、風花はもう此処で『フウ』は使えない。いや、こちらとしては使ってもらった方が都合が良いと言うべきか」

「どういう事だ」

 首を傾げ続ける朧に一瞥をくれて、和泉は尚も戦さ場の風景を見続けている。それが答えだと理解して倣って目をやるが、近くを青々とした山に囲まれた陣が見えるだけだ。

「さて、『フウ』を封じられた風花がどうして攻めてくるか……赤狐とやらの手腕見せてもらおう」

 勝ちを確信するかの表情で僅かばかり口を曲げた和泉を見遣って、朧は赤狐との三度の邂逅を思い返していた。


 才覚がありながら配下に甘んじ、表に立たず、それでも戦況を思い通りに運んでいた底の知れない男。圧倒的劣勢に立ちながら、のらりくらりと朧を惑わし逃げ去った、油断のならない敵。

 和泉の理知さが『賢』であるならば、赤狐の質は『柔』であろう。彼の男ならば、朧や和泉でさえも予想だにしない方法で、難所を切り抜けるのではないか。そんな嫌な予感に縮みこむ胸を押さえる。

 そばに立ついけ好かない上役に感じた頼もしさも嘘ではない。だが相反して頭を占めるのは、いつでもにやりと余裕を崩さなかった不気味な狐口面だった。


 ぎゅっと合わせ襟を掴むと、一つ、大きな勝算を隠していた事を思い出す。それを手にするが為に、朧は身一つで敵地の最中さなかに忍び込んだのだ。

 黒衣の一族に明かすには迷いがあった。だからこそ巻物は未だ朧の手にあるのだ。

 それが戦の行方を握る鍵となると分かってはいるのだが、だからと言って黒衣を酷く憎む和泉に巻物の存在を明かしてしまうのも決心が付かぬ。

 苦しく上下する胸を押さえつけて、朧は一つ大きく息を吐く。そして、震える指を白くなるまで握りしめて下ろした。

 やはり今回も朧の手は懐に入ってはいかなかった。


 そんな朧の葛藤を横目で捉えて、幾度めかの溜め息を吐いた和泉は、再び朧の後頭部を拳で擦り付けるように殴った。戯れとも思えぬ強さに、朧はくぐもった呻き声で鳴いて非難の視線を彼にやる。

「不安だなんだと、足りぬ頭のくせに考え込むのがお前の悪い癖だな。

 駒は使われてこそだ。己で考えて指示に反するならば、使うことすら出来ん」

 言葉は悪い、そこに込められた敵意もひしひしと感じる。だが和泉の言葉は、上役としての信頼を今一度覚えさせるものだった。

 今は和泉を信じて死地に入れば良い。朧は確かにそう心を決めたのだった。


 ◆


 やがて和泉の指示のもと、風花制圧の隊は布陣を終えた。黒衣を前面に出した布陣は、まるで『フウ』の隊を煽るかの如く強気で、初めて戦死というものを身近に感じた陽炎黒衣にとっては、とても恐ろしいものであった。

 指示する和泉が黒衣に対する厭悪を隠していない事も、彼らにとってはまた不安の一因となっていた。

 果たして黒衣は捨て駒とされるのではないか。


 それが杞憂であった事は、交戦後間もなく結果となって表れる。

 新しい戦況におののく陽炎黒衣に対したのは、『フウ』の部隊とそれを守る風花黒衣であった。もう『フウ』は使えぬと和泉は断言していたが、予想に反して風花は彼が愚策とする布陣で陽炎の陣に対したのだ。

 黒衣を脅かす『フウ』を脅威に思う陽炎黒衣は、狙われぬよう広くばらけて守った。部隊を崩さぬ『フウ』の代わりに追ったのは、風花黒衣達だった。

 炎の術を操る風花黒衣との交戦は、先だっての戦と同じく、地を這う炎を巻き上げ大火となり、山の裾野を広範囲に焦がす。黒々とした煙が其処此処で上がり、戦場の広さを物語っていた。

 思い描いた通りに進んでゆく戦況に、和泉は風花の悪手に首をひねり続けていた。


 やがてどんよりとした雲が空を覆い尽くす。どろりと濁った空からは、正に天の恵みが降り出したのだ。

 そこまでも和泉の預言の通り。彼はまるで魔術師かの様に、したり顔で打ち付ける雨を見上げていた。

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